瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(08)

Wikipedia「道了堂跡」(2)編集合戦
 ネット検索で一番に上がって来る Wikipedia「道了堂跡」項は、前回引用した立項当日(2009年12月17日)のHN「多摩に暇人」の投稿が、やはり前回引用した現行の版(最終更新 2021年12月24日)まで、その土台となって加筆が行われて来ているのですが、実はかなりの曲折があります。序でですから一通り確認して置きましょう。
 細かい加筆修正が行われる中、大きな変化があったのは2010年11月9日にIPユーザー「114.181.198.242」の編集です。「概要」に、

‥‥衰退していき、1963年(昭和38年)にこのお堂を管理していた老婆が殺害される事件が起きたこともあり、1983年(昭和58年)に解体されている。

と、立項当初の簡単な記事にあった堂守の老婆殺しの記述を復活させ、さらに続けて新たな見出しを付けて、

道了堂跡の異なった側面
道了堂跡は心霊スポットとして名高く、心霊現象の噂が後を絶たないという、異なった側面を持っている。
1963年に道了堂を管理していた老婆が殺害された事件、大場啓仁が起こした大場助教授事件において絞殺した女子大生の死体を道了堂跡付近に遺棄した事が後年になって判明し、これをバックボーンに道了堂跡を心霊スポットとして説明する際の引き合いにも出される事がある。

と、立教大学助教授教え子殺しの記述も「道了堂跡付近」として復活させ、心霊スポットとしての側面を強調する編集が為されたのでした。
 以後、この「道了堂跡の異なった側面」の節が「道了堂跡」項の編集の眼目になって行くのです。すなわち、2011年1月4日にIPユーザー「222.3.75.49」が、2段落めを次のように書き換えています。

1963年に道了堂を管理していた老婆が殺害された事件をバックボーンに道了堂跡を心霊スポットとして説明する際の引き合いにも出される事がある。 尚、後に立教大の教授が不倫相手の教え子を殺害して遺体を埋める事件が起きるが事件現場は道了堂跡とは関係ない。


 これでは説明不足ですが「事件現場」が「道了堂跡とは関係ない」と云うのは全くその通りで、それだけ助教授教え子殺しの屍体遺棄現場を道了堂付近とする説が流布していることを示唆しておりましょう。
 ところが2011年1月5日にHN「X-ARMORED」によってこの版は取り消され、IPユーザー「114.181.198.242」が執筆したものに戻された上で、2段落め末に

又、大場が遺体をより目に付きにくい地点に埋め戻していたため、遺体発見現場は鑓水板木の杜緑地外側の薮である。

と付け足されました*1。これでは、初め道了堂付近に遺棄したのを、後に「鑓水板木の杜緑地」として整備される丘陵地の辺りに埋め直したように読めます。すなわち、まづ犯行現場である助教授の恩師の別荘から1km以上離れた場所に埋め、それからまた別荘の裏山に埋め戻したことになってしまいます。なお、当時の新聞に掲載されていた現場附近見取図と別荘と屍体発見現場を収めた空撮写真からして、「鑓水板木の杜緑地」は尾根続きではありますが東北東に寄り過ぎています。尤もそれ以上の説明がしづらいことも確かです。
 それはともかくとして、HN「X-ARMORED」が何に拠って「鑓水板木の杜緑地」と云う場所を持ち出して来たのか、その辺りの探索は出来ておりませんが、現在、心霊スポット愛好者たちがここを訪ねて写真や動画を盛んにネットに上げるような状況が出来ております。しかしながら「鑓水板木の杜緑地」は(道了堂跡に比べれば余程近くですけれども)屍体遺棄現場ではないので、立教大学助教授教え子殺しの現場のつもりで来ているのだとしたら、全く御苦労なことだと云わざるを得ません。
 それはともかくとして、この説明不足の加筆は2011年1月11日にHN「Ks.kt...」によって次のように書き換えられました。

1963年に道了堂を管理していた老婆が殺害された事件、大場啓仁が起こした大場助教授事件において絞殺した女子大生の遺体を道了堂跡付近に遺棄した事が後年噂となったが、実際は大場啓仁の恩師の別荘の犯行現場付近の空き地である。又、大場が遺体をより目に付きにくい地点に埋め戻していたため、遺体発見現場は鑓水板木の杜緑地外側の薮である。 これをバックボーンに道了堂跡を心霊スポットとして説明する際の引き合いにも出される事がある。


 HN「X-ARMORED」に拠る加筆部分を直していないので落ち着きませんが、かなり改善されています*2
 ところが、2011年1月15日にIPユーザー「114.184.176.47」が、まづ「の空き地」を削除し、続いてHN「Ks.kt...」の編集自体を取り消してHN「X-ARMORED」の版に戻してしまいます。
 この状態が改善されたのは2011年2月15日のHN「Shinta shinta」による編集で、以下のように書き換えられています。

1963年に道了堂を管理していた老婆が殺害され、これをバックボーンに道了堂跡を心霊スポットとして説明する際の引き合いにも出される事がある。 又、後に立教大教授による不倫相手の教え子を殺害するという事件が発生し、その遺体を道了堂跡の敷地に埋めたという噂も流れたが、実際の事件現場及び遺体発見場所は まったく別の場所であり、道了堂跡は本件には関連がない。因みに犯人は遺体を埋めた場所を移動させ更に分かり難くしたとしているが、やはり道了堂跡とは別の場所である。
道了堂跡のある大塚山公園の灯篭や石碑、地蔵なども多々、無法者に破壊され、それにより祟りがあると云われ稲川淳二による首なし地蔵の怪談で一躍有名になった心霊スポットでもある。


 これはなかなか悪くない記述だと思います。現行の版まで引き継がれている稲川淳二の怪談も、ここで初めて持ち出されています。ところが、その数時間後、にIPユーザー「114.181.220.63」が「(心霊スポットサイトではありません。)」とのコメントと共に「道了堂跡の異なった側面」の節をばっさり削除してしまうのです。
 そして「Shinta shinta」と「114.181.220.63」の間でしばらく「道了堂跡の異なった側面」の節を載せる載せないの編集合戦になって、ついにHN「多摩に暇人」が保護依頼を申し立て、HN「Chatama」によって「道了堂跡の異なった側面」が存する状態で、保護されてしまったのでした。(以下続稿)

*1:「まづ「鑓水板木の杜緑地の薮」とした直後に「外側」を足している。

*2:「の空き地」は直後に加筆。