瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(09)

Wikipedia「道了堂跡」(3)編集合戦
 昨日の続き。
 2011年2月15日から3月15日まで保護されて編集出来なくなっていましたが、2011年3月16日にHN「麗花」が「(保護期間終了/要出典)」の書き込みをしたところから、2011年3月21日までに「道了堂跡の異なった側面」への加筆が、HN「麗花」を中心に何人かのユーザーによって行われています。この期間の加筆を仮に太字にして示して置きましょう。

道了堂跡は心霊スポットとして名高く、心霊現象が後を絶たないという噂を持つ、異なった側面がある
1963年9月10日に道了峠の堂守であった老婆が殺害された事件[2]、1973年に同鑓水内で発生した、立教大教授の大場啓仁による不倫相手の教え子を殺害するという事件での遺棄現場が、近くである事[3]などをバックボーンに道了堂跡を心霊スポットとして説明する際の引き合いにも出される事がある。
道了堂跡がある大塚山公園内の首なし地蔵に触れると祟りに遭うと云われ[4]、又、稲川淳二による首なし地蔵の怪談[5]で一躍有名になった心霊スポットでもある。


 「道了峠の堂守」と云う妙な表現や、変にくどい「首なし地蔵」の記述など、余りこなれたものではありませんが、出典が追加されたのが大きな特徴です。

出典
1.^ 八王子辞典の会『八王子辞典』かたくら書店、2001年。ISBN 4-906237-78-9。
2.^ 辺見じゅん『呪われたシルクロード』角川文庫、1980年。ISBN 978-4041475010。
3.^ 大場啓仁による殺人事件の概要については大場啓仁を参照の事。
4.^ かつてテレビのバラエティー番組で紹介された。
5.^ 稲川淳二の真夜中のタクシーなど。


 この「出典」は以前は『八王子事典』のみであったのが、このとき大幅に追加されております。――「首なし地蔵」は稲川淳二以前から話題になっていたのか、それとも稲川淳二が有名にしたのか、今回初めて動画サイトに上がっている稲川氏の「首なし地蔵」の怪談を聞いてみましたが、例によって(?)どっちなのかよく分かりませんでした。
 それはともかく、その後しばらくそのまま編集されずにおったのですが、2011年5月2日08:02にHN「しかばねががり」が「(肝試しに来た者が公園内の地蔵や灯篭などを壊す被害が後を絶えないので、安易に記事にしない方が良いのでは?)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除してから、また編集合戦になってしまうのです。
・2011年5月2日12:46、HN「多摩に暇人」が「(ブロック破り?)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月2日19:00、HN「Mc.Shakka」が「(史跡の器物破損が相次いでいます。安易なオカルト記事は自重すべきかと思います。)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除。
・2011年5月3日04:57、HN「多摩に暇人」が「(それとこの記事の関連がない)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月3日06:30、HN「SHAKKA.B」が「(実際にウィキペデイアを参考に肝試しに来た人の例があります。そして心霊スポットサイトではないので必要ないと思います。)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除。
・2011年5月3日07:42、HN「麗花」が「(投稿ブロック中の利用者:Ks.kt...による版を取り消し)」すなわち「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月3日07:48、IPユーザー「61.198.223.181」が「(心霊スポット言えども史跡です。稲川淳二の怪談によるソースがあっても科学的根拠の無い都市伝説ではないですか?)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除。
・2011年5月3日07:51、HN「麗花」が「(61.198.223.181 (会話) による ID:37433539 の版を取り消し)」また「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月3日07:54、IPユーザー「61.198.223.181」が「(「根拠のある」事実のみを記述すべきでは?)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除。
・2011年5月3日07:57、HN「麗花」が「(一般に当然そう認知されている事実です。)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月3日08:01、IPユーザー「61.198.223.181」が「(科学的根拠の無い話ですよね?そして心霊スポットサイトではないので必要性がある記事とは思えませんが?)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除。
・2011年5月3日08:16、HN「麗花」が「(61.198.223.181 (会話) による ID:37433693 の版を取り消し)」すなわち「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月3日08:23、IPユーザー「61.198.216.16」が「(実際に周知されてない方がいたり、地蔵に悪戯しても何も起きなかった方が大多数です。)」とコメントして「道了堂跡の異なった側面」を削除。
・2011年5月3日08:24、HN「多摩に暇人」が「(61.198.216.16 (会話) による ID:37433963 の版を取り消し)」すなわち「道了堂跡の異なった側面」を復活。
・2011年5月3日08:35、IPユーザー「211.126.51.67」が「(多摩に暇人 (会話) による ID:37433970 の版を取り消し)」すなわち「道了堂跡の異なった側面」を削除。
 私は編集合戦に参加したことがないので、どういうつもりでこんなことをするのか、少々理解に苦しむところがあります。しかしこうして「編集合戦」から「保護」に至る流れを辿って見ると、少しはその気持ちに触れ得たような気分になりました。私もWikipediaのアカウントを作って、幾つかの項目について、加筆・編集を行ったことはありますが、他人とやり合ったことはありません。「赤マント」項や「小笛事件」項など、もっと大幅に加筆したい項目もありますし、特に「赤マント」項は従来の記述を全面的に書き改めることになると思いますが、従来の解釈を保持したい人々が私の改稿をなかったことにしようとしても詮無いことですから、このような編集合戦にはなるまいと思ってはいます。しかしながら色々面倒なので、差当り当ブログで、私個人の調査結果とその解釈として報告して置けば良いと思っておるのです。
 それはともかく、何のコメントもなしに相手の編集を取り消すような応酬になったところで、HN「おはぐろ蜻蛉」が2011年5月3日08:36、編集合戦を理由に「道了堂跡」項を保護します。こうして再度、今度は「道了堂跡の異なった側面」が削除された状態で「道了堂跡」項が保護され、5月3日08:36から6月3日08:36まで、編集出来ない状態になってしまいました。(以下続稿)