瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(13)

 小池壮彦『怪奇事件の謎』の「「道了堂跡」に刻まれた"悲史"と"タブー"」の初出は、2011年1月12日発売の「怖い噂」Vol.8のようです。

 すなわち小池氏が道了堂跡について執筆していたのは2010年秋頃、2月12日付(07)に見たようにWikipedia道了堂跡」項に、道了堂は昭和58年(1983)に解体されたと書き込まれたのは2009年12月17日で、まだ焼損のことは書かれていませんでした。ですから、昭和59年(1984)3月15日の自身の初訪時のことを「道了堂はすでに解体されていたが、残骸はまだあった。」などと書いてしまったものと思われます。いえ、昨日引いた、信頼出来る(と思われる)執筆者陣による地元出版社の刊行物『八王子事典』に、昭和58年(1983)解体説があった訳なので Wikipedia にこだわる必要はないでしょう。ただ、かなりの影響力があると思われるので注意して置きたいのです。
 いえ、小池氏が道了堂について調べていた時期は、もう少々遡るようです。
山下敦弘 監督『めちゃ怖2 死霊との遭遇「恐怖!心霊スポット十連発」驚愕のドキュメント』2009年

www.youtube.com
 予告篇に山下監督らと道了堂跡を訪ねる小池氏が写っています。 山下敦弘(1976.8.29生)の監督作品は、漫画好きで山田孝之ファンの家人の妹がDVDボックスを貸してくれたので『山田孝之東京都北区赤羽』を、全く知らぬ土地でもないので面白がって見たのだけれども、それで続く『山田孝之のカンヌ映画祭』は、起きていられないので録画して見たのだけれども、ちょっとやり過ぎで付いて行けませんでした。 私はフェイクドキュメンタリーがどうも苦手なので『めちゃ怖2』は見ておりませんが、小池氏は現地の案内役として出演し、次に引く岡林リョウの Tweet によると、自分が逸早く道了堂跡を心霊スポットとして取り上げていたとの手柄自慢をしていたもののようです。
 これは昭和59年(1984)に道了堂を訪ね、平成8年(1996)には処女作『東京近郊怪奇スポット』*1に心霊スポットとして取り上げたことを指しているのでしょうが、当時他にそのような取り上げ方がされていたかどうか、今後注意して見たいと思います。
 なお、道了堂跡を訪ねた動画やブログ記事は枚挙に暇がなく、時期の早いものを除いて殆ど見ておりません。しかしその多くは小池氏や Wikipedia 等の記述を無批判に繰り返しているばかりで、立教大学助教授教え子殺しと関連付けているものも少なくありません。私などからすると、見えると主張している人が夜中に訪れれば、そりゃ何か見えるのだろう、と思うばかりです。
 市販されている映像作品については(やはり見ないままですが)今後ここに追加して置こうと思っております。(以下続稿)
『ほんとにあった!呪いのビデオ THE MOVIE 2』2003年11月21日発売『ほんとにあった!呪いのビデオ64』2015年8月5日発売

*1:これまでの記事に引用していなかった箇所をここにメモして置く。〈怨念の系譜〉9~11行め、「‥‥。しかし、/警察官の言葉ではないが、この付近がかなりおぞましい雰囲気の場所である/ことは間違いない。」。