瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

みずうみ書房『昔話・伝説小事典』(5)

 昨日の続きで、①『昔話・伝説小事典』3頁「凡  例」7項目(2~27行め)と③『昔話・伝説を知る事典』8頁「[凡例]」8項目(2~17行め)の比較の続き。
 の6項め(14~25行め)は参考文献について。では7項め(12~15行め)に当たるが、12行め「一、参考文献は*表示の下に付した。なお、右の3人の全集・著作集は略記した。」として13~15行めに2字半下げで1行ずつ『折口信夫全集』『定本柳田國男集』『関敬吾著作集』について、巻数、年号で刊年、版元を列挙。「略記」とあるが略称はここに示されていない。それから縦組みなのに後の行を「右の」と云うのはおかしい。では14~18行め、

6. 参考文献は主要なものに限り〔参〕の略号で/ 示した。単行本は『 』,論文は「」を付した。
  なお,下記三人の全集・著作集に限り,正式/ 名を省略し略記した。
  例記-柳田國男「赤子塚の話」(定本12),‥‥

として18行め以降は活字を小さくして、20行めまで折口信夫は(全集5)、関敬吾は(著作集2)と略記の例を、ともに論文名は「―――」として示し。21~24行めに『折口信夫全集』『定本柳田國男集』そして25行め、2字下げで「『関敬吾著作集』全9巻,昭和55~77,同朋舎出版」とあるが15行めは「『関敬吾著作集』全九巻、昭和五十五~五十七年、同朋舎出版」と訂正されている。
 の7項め(26~27行め)は執筆者名の表示についてで、では6項め(11行め)で少し書き換えてある。
 これら、参考文献と執筆者の表示は前回「学校の世間話」項(米屋陽一)にて、それぞれの実例を確認してある。
 の5項め(10行め)と8項め(16~17行め)はにはなかったもので、8項めは巻末の日本地圖「各地に伝わる昔話・伝説」の説明。5項めは次の通り。

一、本文中、( )内に地名の表示があるものは、二〇二一年時点の現在地表示を入れた。

とあって、例えば31頁「産湯水」項(矢口裕康)は伝承地を13箇所挙げているが、4番め「岡山県真庭郡勝山町(現・真庭市」8番め「奈良県磯城郡桜井町(現・桜井市」10番め「千葉県安房天津小湊町(現・鴨川市」11番め「奈良県君津郡小糸町(現・君津市」とこの「現在地表示」が追加されているのだけれども、勝山町と天津小湊町は2005年まで存在していたから良いとして、桜井町は昭和31年(1956)に市制施行して桜井市になっている。小糸町は昭和45年(1970)に君津町に併合され、君津町は昭和46年(1971)に市制施行して君津市になっているのである。すなわち、は昭和62年(1987)刊行なのだから*1、依拠した資料に古い地名で出ていたとしても、8番めは「奈良県桜井市」11番めは「千葉県君津市」とするべきであった。ちなみに天津小湊町と小糸町は昭和30年(1955)に合併により発足しているので、これら地方自治体が併存していた時期は昭和30年から昭和31年までのごく限られた時期である*2。(以下続稿)

*1:私は昭和62年に高校1年生であったから、桜井と云えばもちろん奈良盆地の東南に位置する「桜井市」で、内房地方自治体は木更津市君津市」富津市で覚えている。その前年の修学旅行では桜井駅まで近鉄で入ってバスに乗り換えて明日香村に向っている。その後、学部生時代(或いは修士課程時代)に君津市上総亀山駅から天津小湊町安房小湊駅まで歩いたことがある。

*2:この項は参考文献を挙げていないので何に拠ったのか不明。1つではなく、時期の異なる複数の文献から拾い集めたのかも知れないが、それならば尚のこと、昭和62年(1987)現在の地名にして置くべきだったろう。