昨日は一旦、本書から離れて、何故私がこのような作業をしているのか、その意図を説明すべく、2011年1月26日付「「改版」について」の改訂版のような文章を「「改版」について(2)」として投稿するつもりだった。
それに昨晩はNHK「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」が「ここまで進化!“図書館” お金のヒミツ」を特集していたところだったので、これに関連付けて、カバーを掛け替えただけの新装版や、内容を大幅にスカスカにした改(悪)版を、カバーや標題を変えて新刊の如くに装って、ただでさえ図書購入費が抑えられている公立図書館に売り付けるのような商法は止めてもらいたい、と云ったことを書いたのだが、――間違って投稿前に消してしまった。元通り書き直す自信も気力もなかったので、日を改めて投稿するつもりだった項目削減に関する批判的検討について慌てて書き上げて、お茶を濁したのであった。先刻、読み直して(翌日まで断らずに手を入れることにしているので)細かな修正を加えて置いた。
・項目削減とその影響(2)
さて、昨日、③の執筆者から外れている5人について、3氏は「子供の文化関連項目」を削ったため、そして残る2氏は②=③の復刊に不賛成で、自らの執筆項目を引き揚げたのではないか、との推測を示した。飽くまでも私の見当である。従って以下述べることは私が可能性として考えたことであって、妄想と云っても良いかも知れない。しかし、全く根拠のないことでもないのである。
――恐らく大島氏辺りが中心となって、絶版になって久しい①『昔話・伝説小事典』を四半世紀振りに、②「やまかわうみ」Vol. 7(2013春)の総特集「昔話・伝説を知る事典」として「再編集」して復刊する計画が持ち上がった。もちろん各項目の著作権はそれぞれの執筆者にあるので、その許諾を求めるとともに「加筆・修正・校閲」するよう執筆者たちに依頼文が送られた。その際「加筆・修正」は参考文献の差し替えなど最小限に止めるよう、釘を刺してあったのだろう。
そうでもない限り、3月8日付(4)に見たような、明らかに現状と齟齬する、四半世紀前の情況をそのままにして置くような無神経は考えられない。凡例に「底本」は昭和62年(1987)刊行の①であることを断ってあるので、現状にそぐわない記述になっていても一応申し訳は立っているから気にしないように、――とまで開き直っていたかどうかは分からないが、新刊であれば内容も新しくなっていると思い込んでいる一般読者を欺くような行き方が、実際、事実としてなされているのである。
そこに、2氏は反撥したのではないか、と思うのである。新たに出すのであれば全面改稿して現時点の学界の認識を示すべきであり、四半世紀前のものをそのままにするべきではない、と。
ちなみに私だったら①を、野村純一「はじめに」に①の歴史的な意義を述べた「再版に当って」などと云った文章を添えて、細かい字句の修正は特に断らずに、どうしても長々とした修正が必要な箇所だけ「補註」として巻末に別記して、他は全く内容を変えずに復刊したいところである。
それはともかくとして、この提案は受け容れられなかった。執筆者の中には学界から離れて久しい者もおり、そのような改稿には対処出来ない――他にも色々全面改稿が困難な理由が考えられそうだが、思い付くだけ列挙しても仕方がないので、――とにかく大仕事になってしまうので、全面改稿は不可能であり、①をほぼそのまま再利用しつつ項目を整理する方向で行きたい、と。
事ここに及んで、2氏はこのような企画に、改稿が必要になっている自らの旧稿をそのまま使ってもらっては困ると、不参加を決めたのであろう。
そのため「桃太郎」があって「浦島太郎」がなく、「猫」があって「犬」がない、などと云った不体裁が生じることになってしまったが、新たに書き直す余裕もなかったものか、②は「子供の文化関連項目」92~96項目、2氏の執筆した76項目、さらに55~59項目*1ほど、合計226項目を削った形で刊行された。
いや、1項目だけ「最後に語る昔話」のみ、大島氏が新たに書き直して補っている。これは対になる「最初に語る昔話」項はそのまま収録出来ることになっており、やはり是非とも必要な項目であるので、特にこのような対処をしたのだと思われる。そして、この書き直し項の存在が、高木氏は意志を持って不参加を決めたとの私の推測を、補強しているように思うのである。
ところで、「子供の文化関連項目」が削除されたことで②=③には全く参加していないと云って良い佐藤凉子が編者としてそのまま名前を止めているのは、この削除の提案を素直に諒承したためではないかと勘繰ってしまう。佐藤氏の名前は、本人の執筆した項目も、恐らくその人脈と思われる児童文学系の執筆者が担当した項目もほぼなくなった以上、②=③に残っているのは、どうしても不自然に思えるのだけれども。
これ以外にも色々思うところはある。しかし、以上述べた私の見当は実は外れているかも知れないから、これを根拠にしてこれ以上、あれこれと言い募るべきではないだろう。しかし、1点だけ、付け足して置きたい。
②が、このような経緯で、2氏の項目を出来ればそのまま使おうと説得を試みたものの不調で(実際には他にも難色を示した人があったかも知れないが)、結局時間切れでごっそりその執筆項目を削った形での刊行になってしまったのは仕方がなかったとしても、それをそのまま③『昔話・伝説を知る事典』として8年半も経ってから単行本として刊行したことは、非常に問題があると思う。②は、雑誌の特集だから止むを得なかった、とも云えなくもない。しかし、この問題のある編集のまま書籍化(③)してはいけなかっただろう。2氏の協力が得られない以上、③の刊行に際して「浦島太郎」や「白米城」、或いは野村純一門下であれば「六部殺し」など、どうしても必要な項目は編者の方で補って、体裁を整えて置くべきであった。それをしなかった③は欠陥事典と云わざるを得ない。
その上で①の「付録」であった「日本昔話話名一覧」と「索引」を付けるべきであった。この有用な「付録」を雑誌の特集であった②はともかく、書籍として出す③でも復活させなかったのは、肝腎な項目が載っていないことに気付かれないようにするための、所謂〝隠蔽工作〟の一種なのではないか、と思われて来るのである。
従って、私は③を全く推薦出来ない。編纂意図を謳った①野村純一「まえがき」がなく、これに代わる文章を用意していないところも、その刊行の動機の「清カラザル事」を疑わせるに十分である。――①を所蔵している公立図書館で、実は不必要な③を間違って(?)購入してしまった館が多々ある模様だが、――再編集版の③を購入したから旧版は不要だろうとの間違った了見で、①を廃棄するようなことは、絶対にしないでもらいたい。(以下続稿)