瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

血取り(1)

 昭和3年(1928)に東京府南多摩郡の山里に赤マント流言に類似した流言が行われていたことが、次の本に見えている。
・かたくら書店新書15『ふる里民俗誌』1985年6月10日 発行・定価¥700・153頁
 奥付の上に〔著者略歴〕がある。やや大きく「鈴木 樹造」として、3~8行め、

 大正10年八王子市上恩方町案下に/生まれ、法政大学高等師範部国漢科/卒業
 八王子市、町田市の中学校に勤務、/昭和55年3月退職
 桑都民俗の会会員

とある。1~7行めの右側に書架を背にした顔写真、但し暗くて頭髪の有無が分らない。9~11行めは「著書:」として4点、うち2点(自版)2点(かたくら書店)。
 奥付の著者名の上に「〒193  八王子市高尾町1605」とある。国鉄中央本線(刊行当時)高尾駅北口を出た道が、甲州街道と交叉する十字路の北側の角だが、2011年4月撮影の Google ストリートビューで既に更地になっている。
 橙色の牛皮風の模様の入った文集風の表紙で、文字はゴシック体横組み中央揃えで上部に小さく「鈴 木 樹 造 著」2行分ほど空けてやや大きく「ふ る 里 民 俗 誌」とある。中央やや下に、セイノカミを立てた山里の絵(10.4×10.4cm)が大きく入る。同じような絵が8頁左下にもある。下部に「かたくら書店新書/15」とある。他に表紙の文字は背表紙にゴシック体縦組みで上部にやや大きく標題、中央下に「鈴木樹造著」、最下部にやや小さく版元名が入っているのみ。
 クリーム色の見返し(遊紙)に続いて、まづ前付(頁付なし)が10頁ある。1頁めは扉で表紙と同じような配置で著者名と標題、標題は表紙よりも大きい。2頁めは右下に明朝体縦組みで「表紙・さしえ  渡 辺 嘉 平」とある。渡辺嘉平(1917生)は南多摩郡恩方村上案下(八王子市上恩方町)生れで鈴木氏と同郷、他にも2冊、鈴木氏の著書の挿絵を担当している他、自身の著書も2冊ある。
 3~4頁めは桑都民俗の会会長の福島和助(2006.12歿)の「推 薦 の こ と ば」で「昭和六十年五月二十九日」付。
 5~9頁めは「も  く  じ」で、5頁の扉には手を繋いで山野を歩く子供3人の絵がある。10頁めは白紙。
 1頁(頁付なし)「一、信 仰 と 休 日」の扉で文字は左上に明朝体縦組みでやや大きく、下部には宮参りの絵がある。本文2~48頁、細目は今回は省略する。
 49頁(頁付なし)「二、死 の 忌 み」の扉で葬列の絵。50~68頁本文。
 69頁(頁付なし)「三、子 供 の 民 俗」の扉で柿の木に登って実を取る子供と根元で食べる子供の絵。70~92頁本文。 
 93頁(頁付なし)「四、く ら し の 民 俗」の扉で夕方、それぞれの生業を終えて家に戻って来る大人たちらしき絵。94~153頁本文。
 後付(頁付なし)が3頁ある。1~2頁めは鈴木樹造「後  書  き」で「昭和六十年五月二十七日」付。3頁め「参  考  文  献」で10点。
 次いで奥付、裏は「かたくら書店発行新書目録」14点。
 赤マントにも類似する流言に関する記述があるのは「三、子供の民俗」の最後、90頁4行め~92頁6行め「⒒ 血取りと口裂け女」である。冒頭から抜いて置こう。90頁5行め~91頁11行め、

 数年前、口裂け女という怪物が横行して子供たちを震え上がらせたが、昭和三年/にも同じようなことがあった。血取りという怪物で、やはり子供たちを震え上がら/せた。
 誰も見たという人はいないのだが、今日はどこそこの集落に現われたとか刑事が/【90】来たとかまことしやかのうわさがしきりだった。
 小学校の二年生であった私は級友に駐在所のおまわりさんの息子の田口君という/のがいて、今日は(父が)昔の十手を持って行ったとか情報らしいものを伝えてく/れるので、ますます本当なのだと思った。ラジオもない時代の山村では情報原は新/聞だけであとは、口コミだけである。
 うわさに尾ひれがついて、いかにも真実らしく伝わる。
 学校の先生は全く無関心で注意一つ与えない。おかしいとは思いながらもやはり/血取りがこわかった。親もまた素知らぬ顔をして心配してくれなかった。恐ろしい/毎日が続いたが、いつしか忘れ去って世の中は平常になった。一体、これは何であ/ったのか。昭和三年の血取りと数年前の口裂け女とでは子供たちだけの恐怖である/点よく似ているように思う。


 鈴木氏は大正10年(1921)生で昭和3年(1928)には満7歳になる勘定だから「二年生」が正しければ早生れだと分る。
 さて、鈴木氏は「何か得体の知れない不安が子供たちをさいなんでいた」と云う「共通点があった」からこのような流言が広まったのだと考え、昭和3年(1928)の「世情不安」が「何らかの形で子供たちに伝わり、血取りという架空の怪物を作り挙げたのではないか。」とする。しかしこの流言が、南多摩郡恩方村以外にどの程度広まっていたのか、私は今のところ全く材料を持っていない。今後の課題としよう。とにかく「口裂け女」並に広く流布したかどうか、分らない。しかし「口裂け女」や昭和14年(1939)の赤マント流言にも、よく似ていると思う。いや、むしろ赤マント流言により似ている印象を受けるが、鈴木氏が赤マントを想起していないことと*1、血取りと云うのが以前から存する由緒正しき(?)存在であることに鑑みて「赤いマント(328)」とせずに「血取り(1)」と題して置いた。
 それはともかく、鈴木氏は「口裂け女」を作り上げた「不安」は「富士山大爆発の予言」だとするのである。

 しかし口裂け女が流行ったのは2021年12月7日付「今野圓輔 編著『日本怪談集―妖怪篇―』(1)」等に見たように昭和54年(1979)であり、相楽正俊(1920生)が『富士山大爆発』を出したのは昭和57年(1982)夏、昭和58年(1983)9月に大爆発することになっていた。すなわち、時期が合わないのである。 相楽氏は数年後に懲りもせずに同様の本を出しているのを今回初めて知った。『富士山大爆発』はベストセラーになったと思うが、こちらは大して盛り上がらなかったのだろう。2冊めが出ていたことは知らなかった。『富士山大爆発』が外れた訳だし、2冊めの『富士山大爆発』も外れた。富士山は未だに何ともしていない。まぁいづれ噴火することになるだろうが。しかし相楽氏はその後も、阪神大震災を的中させたと主張していたらしい。そして相楽氏の後継者は未だ絶えることなく*2、その与太予測を信じて避難する訳でもないのに知りたがる読者・視聴者が少なからずいるものか、マスコミが有難がるらしく、そんな輩を増長させ続けている。(以下続稿)

*1:赤マント流言は、鈴木氏の法政大学高等師範部在学中に当たるのではないかと思うのだが、接しなかったのか、それとも学年末で帰省していた恩方村には波及しなかったのか、或いは接したけれども「無関心」に過ごしてしまったのか。

*2:3月17日追記】投稿の1時間13分後にかなり大きな地震が発生したが、「MEGA地震予測」が的中させたと主張しているようだ。殆ど血液型性格判断みたいなものなんだが、それでも信じている人がいるらしい。