・特撮ロケ地としての道了堂(1)
私は特撮ヒーロー物を余り熱心に見なかったので、そもそも『仮面ライダー』がどのような設定であるのかもよく分らない。見ないではなかったが、訳も分からずに見ていて、多少訳が分かるようになった頃には仏像に夢中になっていたから、結局よく知らないのである。従って以下は、専ら yart先生の Twitter「ロケ地大画報」及びそのブログの指摘により、その映像と現況の比較画像を資料として活用すべく、一応の整理を試みようと云う次第なのである。
yart先生がロケ地としての道了堂に気付き、現地踏査してそれを Twitter で報告したのは、2021年1月19日であった。
2枚目より順に仮面ライダーV3第18話、仮面ライダーX第26話、仮面ライダーストロンガー 第17話 pic.twitter.com/ctFTdNfv6p
— ロケ地大画報 (@yartsensei) 2020年1月19日
私はどれも見ていないが、カラー映像で記録されているのは貴重かつ興味深い。
yart先生は続けて「道了堂補足」として、白黒写真と、堂守殺しを報じる新聞記事、そして現地の説明板を紹介している。
私は現地に行く予定がないので、物臭をして写真から文字起こしをして済ませて置こう。設置したのは八王子市だろうから*1、これが現時点で、現地を訪れた人向けに八王子市(公式)がアナウンスしている道了堂の由来と云うことになる。
道了堂
鑓水商人の大塚忢郎吉が中心となって、峠を通る旅人や村内の安全のた/めに、村でも見晴らしの良い峠の上に、浅草花川戸から道了尊を勧請して/明治7年(1874)に創建したもの。さまざまな経緯を経て、全体が整備され/たのは明治10年(1877)で、道了堂建設のいきさつを記した「築礎碑」は/明治13年に建てられている。地元の人々の信仰を集めて繁栄したが、しだ/いに荒廃し、昭和58年(1983)に倒壊しかけた堂が撤去され、今は礎石の/跡と石の灯篭などがわずかに、かつての面影を偲ばせている。
私が道了堂を取り上げようと思ったのは、道了堂の解体撤去が昭和58年(1983)だとする説が流布していることについて、何故このような誤った説が生じ、流布してしまったのか、その原因を探ることがその第一、そして正しい時期を突き止めてこれを世間に定着させることがその第二、なのだけれども、実はここに見える道了堂の建設の経緯についても、本により諸説あって一定していないのである。今後こちらも検討課題にするつもりである。
それはともかく、道了堂「荒廃」は堂守殺しの後に無住になったために違いないのだが、敢えて触れていないようだ。
道了堂補足 pic.twitter.com/ftzVaXgNMG
— ロケ地大画報 (@yartsensei) 2020年1月19日
白黒写真をどこから取ったのか分からないが、背面の壁の具合からして『多摩の百年』や『続八王子の今昔』掲載の写真に近い時期の撮影と云う見当が付けられそうだ。(以下続稿)