瑣事加減

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道了堂(26)

 昭和58年(1983)解体説を広めるのに最も力があったのは Wikipedia「道了堂跡」項であろう。その典拠は示されていないが、大元は『八王子事典』であったろうと思う。『八王子事典』は3月29日付(23)に取り上げた「多摩のあゆみ」第五十五号の2年半後、平成3年(1991)12月刊でその「道了堂(廃寺)」項に、2月18日付(12)に引いたように「1983年(昭和58)には解体された」とあって、道了堂が存在しないことを記録・公刊した文献としてはやはり初期に属するものである。
 この「道了堂(廃寺)」項を執筆したのは、2月28日付「八王子事典の会 編『八王子事典』(13)」に引いた相原悦夫の評にあるように、既にかたくら書店新書で八王子周辺の地誌に関する本を何冊も出し「地形・地誌系の分野での地位を不動のものにしてい」た馬場喜信であろう。馬場氏の著書は今後、全てではないが当ブログでも取り上げるつもりである。
 今回はその手始めとして、馬場氏の浜街道(絹の道)研究の結論と云うべき論文を取り上げて置こう。
・法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』2005年(平成17年)8月27日 第1刷発行・定価6,800円・名著出版・466頁・A5判上製本

 版元の名著出版は本書刊行当時「東京都文京区小石川3-10-5」であったがその後「大阪府門真市岸和田2-21-8」の関西出版流通の工場・倉庫風の建物に移転、小石川の社屋には東京教学社が入っている。なお、ごく近い「東京都文京区小石川3-7-2」に社屋があった未來社も、2019年3月25日に「東京都世田谷区船橋1-18-9」の一般住宅に移転している。未來社の旧社屋はその直後に解体されている。
 本書の由来は3~20頁、馬場憲一「序章 「歴史的環境の形成と地域づくり」研究プロジェクトの取り組みと研究成果」に説明されている。馬場憲一は本書の編著者で法政大学現代福祉学部教授、本プロジェクトの代表であった。2002年から2004年に掛けて、東京都町田市相原町の法政大学多摩キャンパスで、13回の研究会と1回のシンポジウムが開かれており、研究会の発表者・シンポジウムのパネリストが、その発表内容を纏めたものである。
 ここで、研究会の開催順に仮に番号を打ち、発表日(いづれも土曜日)と発表者・発表テーマ、そして本書での論文収録位置と題を、巻末の「【執筆者紹介】(掲載順)」と奥付の上の「【編著者紹介】」から肩書きなどを補って、眺めて置こう。肩書きは刊行当時のものだが、佐藤氏については目次に当時の肩書きが示されているのでそちらに従った。かつ非常勤職については一時的な勤務である可能性も高いので割愛した。
 構成は1~2頁「目  次」、21頁(頁付なし)扉「第一部 歴史的環境の形成と展開」23~281頁まで9章、283頁(頁付なし)扉「第二部 歴史的環境の保護と地域づくり」285~463頁まで7章。465~466頁、馬場憲一「あとがき」。以下頁付なく「【執筆者紹介】(掲載順)」横組み、裏は白紙で奥付。
【1】2002年5月25日 斎藤愼一(1934生)青梅市文画材保護審議会会長
「武蔵御嶽山の文化性と歴史性―権威と展開―」
→ 第一部「第一章 「将軍上覧」と『集古十種』―武蔵御嶽神宝の存在感―」23~70頁
【2】2002年7月20日 馬場喜信(1937生)前(株)有斐閣アカデミア編集顧問
浜街道 :鑓水峠道―歴史的景観の発掘と史跡化―」
→ 第一部「第七章 浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化」203~226
【3】2002年9月28日 三浦卓也(1963生)マヌ都市建築研究所主任研究員
「「國立大學町」における駅舎の保存活用による地域づくり」
→ 第二部「第六章 「國立大學町」における駅舎の保存活用と駅周辺のまちづくり」421~443頁
【4】2002年11月30日 伊藤富治夫(1951生)小金井市教育委員会生涯学習文化財係長
「名勝小金井(サクラ)の景観変遷と地域づくり」
→ 第一部「第三章 名勝小金井(サクラ)の景観の変遷と地域づくり」103~123頁
【5】2003年1月25日 金子 淳(1970生)多摩市文化振興財団学芸員
「「聖蹟化」と観光開発―明治天皇の史蹟から行楽地、そして住宅地へ―」
→ 第一部「第八章 「聖蹟化」と観光開発明治天皇の史蹟から行楽地、そして住宅地へ」227~256頁
【6】2003年3月29日 外山 徹(1967生)明治大学博物館学芸員
「高尾山信仰の展開と多摩地域
→ 第一部「第四章 高尾山信仰の展開と多摩地域―近世から近代への展望」125~146頁
【7】2003年5月31日 馬場憲一(1947生)
「多摩における文化遺産の認識とその創出過程」
→ 第一部「第六章 地誌に描かれた文化遺産とその認識―『新編武蔵国風土記稿』記載状況の分析から―」171~202頁
【8】2003年7月26日 石川正行(1972生)東村山ふるさと歴史館学芸員
「トトロの森・狭山丘陵におけるエコミュージアム
→ 第二部「第四章 トトロの森・狭山丘陵におけるエコミュージアム東村山市・下宅部遺跡はっけんのもりを育てる会の取り組みを例に―」341~365頁
【9】2003年9月27日 保坂一房(1956生)たましん地域文化財団歴史資料室係長
「「史蹟名勝」をめぐる郷土史研究団体の諸動向」
→ 第一部「第九章 小河内貯水池建設と史蹟名勝の保存」257~281頁
【10】2003年11月29日 佐野秀樹(1951生)パシフィックコンサルタンツ(株)主席研究員
「身近な歴史的環境を活かす市民協働の展開」
→ 第二部「第五章 多摩地域の身近な歴史的水辺環境の保全と活用」367~420頁
【11】2003年12月20日 矢野勝巳(1954生)三鷹市教育委員会生涯学習生涯学習文化財係長
「多摩におけるエコミュージアムの可能性」
→ 第二部「第三章 武蔵野(野川流域)の水車経営農家の保存と活用」321~339頁
【12】2004年1月24日 馬場治子(1948生)府中市郷土の森博物館学芸員
「府中「馬場大門のケヤキ並木」の形成と保存」
→ 第一部「第二章 府中「馬場大門のケヤキ並木」の形成と保存」71~101頁
【13】2004年3月20日 米崎清実(1959生)東京都現代美術館学芸員
「多摩の寺院と近世の地域社会」
→ 第一部「第五章 近世後期における多摩の寺院と地域社会―後住選任、什物管理をめぐって」147~169頁
【14】2004年4月17日 馬場憲一
「歴史的環境保護の歴史と地域づくり」シンポジウム〔基調講演〕
→ 第二部「第一章 歴史的環境保護の動向とその実態について」285~310頁
【15】2004年4月17日 福田信夫(1951生)国分寺市教育委員会ふるさと文化財課史蹟係長
武蔵国分寺跡の史跡整備」シンポジウム〔パネルディスカッション〕①
→ 第二部「第二章 「武蔵国分寺跡の史跡整備国分寺市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡の完成まで―」311~320頁
【16】2004年4月17日 矢野勝巳
「武蔵野(野川流域)の水車経営農家の保存と活用*1」シンポジウム〔パネルディスカッション〕②
【17】2004年4月17日 佐藤 広(1950生)八王子市教育委員会文化財課長
「八王子車人形の保存伝承とその環境整備」シンポジウム〔パネルディスカッション〕③
→ 第二部「第七章 八王子車人形の保存伝承とその環境整備」445~463頁 なお、田中優子 編の法政大学地域研究センター叢書6『手仕事の現在 多摩の織物をめぐって(2007年5月30日 初版第1刷発行・定価5500円・法政大学出版局・口絵+ⅵ+352頁・A5判上製本)と云う本があって、八王子を中心とする多摩の撚糸業・織物業について参考になるが、浜街道(絹の道)について詳しく取り上げた文章は含まれていない。
 なお、図書館OPACで「法政大学地域研究センター叢書」を検索しても上記2冊しかヒットしないが、1・3・4は「法政大学多摩地域社会研究センター・研究叢書」、2は「法政大学多摩地域社会研究センター叢書」 であった。版元は6冊全て異なっている。(以下続稿)

*1:研究会の発表テーマよりもこちらの方が論文の題に近いが「あとがき」466頁5~8行め「‥‥。今回収載した論考は、二〇〇二年五月から二ヶ月に一度、二ヶ年にわた/り開催した公開研究会での発表と、その公開研究会終了後に毎回実施したプロジェクトメンバーによる討論会を経/て作成されたものであるが、福田・佐藤両論文については本研究プロジェクトが主催したシンポジウムでの報告をも/とにまとめていただいた。」とあるので、矢野論文は研究会の発表の方に基づいているようだ。