瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

謬説の指摘(5)

 これは昨日投稿するつもりだったのだけれども、書き上げる前に解除し忘れていた別稿の予約投稿が実行されてしまったので少し間が抜けているが1日遅れで上げて置く。従って文中の「昨日」は一昨日、「今日」は昨日のことである。

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 先月、井上章一『南蛮幻想』の文庫版が出ていることを知って、隣の市の図書館に借りに行き、かつて版元に送った手紙が改訂に活かされていたことを知ったのだけれども、落ち着いて検討する余裕がないので、四月馬鹿めいているけれども本当の話で、と云うつもりで何日か前に書き上げたのを4月1日付「井上章一『南蛮幻想』(1)」として「予約投稿」にして置いたのである。当時名乗る程の者ではないと云って名乗らず、そして現在いよいよ名乗る程の者でなくなっている、と云う、判りにくい自虐ギャグだったのだけれども、その「予約投稿」が実行されるまさにその頃に、新世紀ユニオン委員長角野守のブログ「委員長の日記」に2022-04-01「日文研解雇事件の背景と井上章一所長らの騙し討ち!」と云う記事が出て、井上氏は爆発炎上と云った体になり*1、私の記事など全く笑えない、どころか、どうでも良くなってしまった。
 学界に繋がっていたら呉座勇一『応仁の乱』くらいは読んだかも知れないが、最近の歴史研究には全く付いて行けていない。だから、その後の呉座氏の Twitter 問題も、何となくは知っているが、よくは分かっていない。井上氏が国際日本文化研究センターの所長になったことは知っていたが、私が井上氏の本を読んでいたのは20年以上前で、その後は2016年2月25日付「井上章一『京都ぎらい』(1)」に書いたような按配で、『つくられた桂離宮神話』や『法隆寺への精神史』は読んだが、『美人論』の類は全く読んでいないし、最後に母に頼まれて買った『阪神タイガースの正体』はついでに読んだけれども、余り感心しなかったことしか覚えていない。
 国際日本文化研究センターがどのような組織であるかも、私は諒解していないのだが、井上氏と呉座氏の通話の録音を文字に起こしたものを読む限りでは、井上氏の言っていることは私が知っている頃の大学の対応そのままと云った印象である。まぁ、あの頃はまだ色々と曖昧な制度や意識でやっていたので、このままここに居っても大変やさかい自発的に辞めたらどないだ、みたいなことが通ったのだろう。それより前になると、上の人間に睨まれると就職出来ない、と言われていた。――私が1年間浪人していたときに単科で受講した某有名予備校の小論文の講師が、某一流私立大学の大学院生だった折に、折合いの悪くなっていた指導教授から、東京圏に就職口がない訳でもないのに沖縄の大学(琉球大学?)に赴任するように言われて、厄介払いするつもりだと思って断って予備校の講師になった、みたいな話をしていた。返還前だか後だか、とにかくその時分には有名私大の教授にはそんな力があったのである。
 今でもそんな力があるのだかどうだか、しかし、以前と比べれば筋は通し易くなっているのだろう。
 しかし、今日になって、色々ネットでの意見を眺めていて鈴木小太郎のブログ「学問空間」の、2022-04-05「井上章一の音声データで分かったこと(その6)」までを読むと、井上氏は所長だけれどもそんなに権限はないらしい。
 しかし、それにしても私にとってはもう学界は遠いところで、どうなっているのか全く関心がない。だからどうも、この騒動がどう収まるのか、余り興味が持てない。そもそもこの問題の把握が、まるで出来ていない。
 それはともかくとして、昨日までの3日分の記事は、手紙が20年越しで役に立ったらしい(どの程度役に立ったのかは確かめていない故)ことを叙したのに続いて、誰もが閲覧出来るはずのネット上にそれなりの量で投じて置いた方が、全く役に立っていなかった、と云うか気付かれもしなかった、らしい例として、4月1日のうちに書いて置いたのである。
 私は余り厄介なことをしたくないのである。とにかく、私の思い込みとかではなく誰が読んでも確かにおかしい箇所を指摘して、後学を惑わさないために善処して欲しいと思っているだけである。「誰が読んでも」のつもりだから名乗らない。それから、著者と議論する必要を感じないから、名乗らない。必要だと思うことは大体書いている。書いた以上のことは、出て来ない。後で出て来るかも知れぬが今はない。お互いに厄介を避けたいから名乗らないのである。
 しかし、手紙では私と版元と著者が知るだけである。改訂の機会がなければそのままだ。だからネットに上げて置くことにした。こうして置けば、読んでいて疑問に思った読者が目にすることもあろう、もちろん著者や版元も気付くかも知れない、と思ったのだが、そう簡単ではないらしい。
 かつ、元来が奥床しいと云うよりも面倒臭がりと云うことで目立つことをしたくない方なので、井上氏の通話記録ではないけれども、内々に穏便に済ませたいと云う気持ちがあるのである。だから、決定的なところまで書いてしまう前に中途で書くのを止めてしまったものも幾つかある。が、特に最近、過疎ブログに成り果てつつあるので、好い加減、遠慮しない方が良いと思った。遠慮しても別に何ともしないし、遠慮しなくても特に何ともならない。

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 Twitter を始めたのは「ブログ」と云うジャンルそのものの発信力が低下しているように思ったからなのだが、面倒臭がりな上に、こんな一貫性のないブログに知人を付き合わせたくないと思っているので、フォローや返信などの遣り取りを最初からしないことにした。しかしそんな付合いの悪いことでは閲覧されないらしい。いや、しかしその方が好都合ではないか。ブログも Twitter も殆ど閲覧されていないのであれば、むしろこういった記事の宣伝(?)を Twitter で、絡まれていると思われないよう、消極的に、始めようと思っている。(以下続稿)

*1:と云って、そんなに関心を持たれている訳ではないらしく、一部が盛り上がったに過ぎないようである。