瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(31)

・法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』(6)
 昨日の続きで、馬場喜信の論文、第一部「第七章 浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」の「第二節 《絹の道》―その歴史的景観の発掘と史跡化」210~213頁7行め「(2) 《絹の道》史跡化への動き―行政・報道・出版など」の冒頭部を眺めて置こう。210頁2~13行め、

 急速に進む丘陵地の変貌を目の当たりにして、新聞報道や出版物などにも、一九七一年頃から、さかんに《絹の/道》が取り上げられるようになった。それは、この道の歴史や自然を紹介するそれまでの内容とはうってかわって、/《絹の道》周辺の歴史景観・自然景観の荒廃を指摘し、多くの人々の目にふれないままに丘陵地の奥で進む開発の/状況を伝えようとするものであった。そうしたなかで、行政の側からも史蹟保全の動きが始まった。〔年表〕④に/「《絹の道》史跡化への動き」として、その動きを追った。
 一九七二年は、こうした新しい時代への画期といってよいであろう。この年四月に、東京都は、鑓水の小泉家屋/敷を「南関東丘陵地帯の典型的な様式をととのえる農家建築」として有形民俗文化財に指定し、ついで一〇月には、/八王子市が、鑓水の中心地から鑓水峠の《絹の道》碑までの区間を《絹の道》として市の史跡に指定している。/〔年表〕④にはまた、このころから二〇年ほどの間にわたって刊行された書籍で《絹の道》にふれた本を、目にふ/れた限りではあるが紹介した。いわゆる「歴史散歩」のガイドなどでは、東京近郊をとりあげる場合、《絹の道》/は欠かせない定番コースとなったのである。東京都による小泉家屋敷の文化財指定と八王子市による《絹の道》の/史跡指定とが併さって、この道筋探訪の魅力となった。


 〔年表〕の222頁下段12行め~225頁下段5行め「④ 《絹の道》史跡化への動き―行政・報道・出版など」は本文と全く同題で、昭和46年(1971)から平成2年(1990)までの20年を取り上げている。画期となった昭和47年(1972)は文化財・史跡指定などもあって5条、他の年も大体に於いて複数の新聞記事や「歴史散歩」ガイドブックを挙げている。すなわちここに、少なからぬ数の新聞記事や「歴史散歩」ガイドブックが列挙されているのである。
 私はここに挙がっている本や、新聞記事をなるべく多く見て置きたいと思っているけれども、まだその半分も見ていない。――馬場氏が挙げた書名・記事名だけでも、取り敢えず列挙して置こうかと思ったのだけれども、それではほぼ〔年表〕を丸取りすることになってしまう。かと云って私が気付いて追加し得るものもそう多くないので、新たな〔年表〕を提示するまでの準備も出来ていない*1いづれ、見たものから取り上げて整理して、遠からず増補改訂版の〔年表〕を提示出来るようにしたい。
 馬場氏の〔年表〕で注意されるのは、この20年間のうち、昭和62年(1987)と昭和63年(1988)だけが空白となっていることである。(以下続稿)

*1:3年前であれば2019年10月22日付「胡桃澤友男の著述(1)」のような目録を作成するところだけれども、コロナも落ち着かず花粉症も酷いので時機を待つことにする。