瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(35)

 しばらく、馬場喜信の著述を眺めて行くこととしよう。
・かたくら書店新書23『峠と路 八王子とその周辺1987年3月18日 第1刷発行・2008年2月11日 第3刷発行・定価800円・164頁
 最後に頁付のない見開きの「〔第三刷への補記〕」がある。1頁め2~3行め、

 二〇年ぶりの第三刷ですが、本文にはまったく手をいれていませんので、その間の峠路の変貌/について、気がついたことを記しておきます。

として1行分空けて18条、主として20年の間に変化して通行出来なくなった道について述べており、補足や訂正は僅かである。そして1行分空けて2頁め10~12行め、

 これまでにも時折り、『峠と路』はまだ手に入りますかと聞かれたことがありました。こんど/田原さんがこの小著を増し刷りして下さるとのこと、嬉しいです。新しい読者の方たちと峠歩き/の楽しさを共有できることを期待しています。


 1行分空けて1字下げで「二〇〇七年十二月二十日」次の行に下寄せで「馬 場 喜 信  」とある。
 確かにここまでの本文は私の中学の頃のような和文タイプ風の活字であったのが、すっきりした字体になっている。2頁めのうらの奥付、それから表紙も文字も新しく組み直されたものに代わっているようだ。「田原さん」はかたくら書店の田原勘意。
 カバーはない。表紙は白地で、下寄りに平坦な雑木林の中の未舗装の道の白黒写真(11.5×8.2cm)があって、その上に縦組みで、中央にゴシック体太字で大きく「」、右に上寄せで「馬場喜信著  」、左に小さく「八王子とその周辺」とあり、写真の下、ゴシック体横組み・中央揃えで「か た く ら 書 店 新 書23」とある。背表紙には中央に掛けてゴシック体と明朝体で「峠  と  路  八王子とその周辺 馬場喜信著」下部にゴシック体で小さく「かたくら書店新書」とある。裏表紙は中央上部に木の間から遠くの山を望む白黒写真(2.7×2.0cm)があってその下に小さくゴシック体で1行「●八王子の峠と坂●多摩川流域をかこむ峠と山」左下にバーコード2つ「9784906237234/1920225008003」最下部にゴシック体で小さく「ISBN978-4-906237-23-4 C0225 ¥800E  定価(本体800円+税)」。見返しは白い本文共紙で遊紙は1葉ずつ。
 扉は上部に横組みで、小さく「馬 場 喜 信  著」広く行間を取って大きく「峠 と 路」やや広く行間を取ってやや大きく「――八王子とその周辺――」と副題、裏は白紙。
 ⅰ頁(頁付なし)は左上に縦組みで「目  次」とのみある目次の扉。
 ⅱ~ⅲ頁、まづやや大きく「第一部 八王子の峠と坂道」とあって、以下2段組。
 ⅳ~ⅴ頁も同様に「第二部 多摩川流域をかこむ峠と山」とあってこちらは段組なしで行間を広く取る。ⅴ頁は最後に2行分空けて4行め「あとがき」。
 ⅵ頁(頁付なし)は右下に小さく「表紙写真=加住丘陵にて/裏表紙カット=刈寄山 」。
 第一部と第二部の由来は、それぞれの末尾にある【付記】に説明されている。すなわち、第一部112頁には、1~3行め、

【付記】 この第一部は、東京新聞ショッパー紙の八王子・日野版に、一九八二年七月から一/九八六年四月にかけて連載したものです。写真を二、三さしかえ、本文もいくらか書き加えまし/た。読みかえしてみて、‥‥

とある。「東京新聞ショッパー」は週刊・無料で昭和46年(1971)8月26日に町田相模原版を創刊、昭和47年(1972)10月6日に八王子日野版が創刊されたが、2014年12月に中日新聞社から地域新聞社に株式が譲渡され、以後「地域新聞ショッパー」になっていたが2021年2月26日号を以て休刊、事業清算したがその後株式会社ポストウェイが引き継いで、2021年7月2日号より「八王子ショッパー」10万部「町田ショッパー」10万部が刊行されている。
 ミニコミ紙の連載なので1回分の分量は見開き2頁、右頁に明朝体の丸数字とゴシック体で峠の名に括弧で読みと標高を添える。但し標高は測量して算出された数値と、1:25000地形図の10m刻みの等高線による大体の数字とが入り混じっているようだ。下1桁が「〇」だとどちらか分からない。殆どが等高線10m刻みの方だと思うけれども。
 左頁に横長の場合は上、縦長の場合には左に図版(①以外写真)が1つあって、下にゴシック体でキャプションを添える。中央揃えで字数の少ない行は大体多い行の左詰めにしてあるが中央揃えになっている場合、註記した。
① 八王子の峠路
 3頁上「八王子の峠」概念図
② 野猿峠(やえんとうげ=一九〇メートル)
 5頁左「八王子と由木を結ぶ交通の要路=野猿
③ 鑓水峠(やりみずとうげ=二一三メートル)
 7頁左「道了堂から鑓水へと下る峠道
④ 御殿峠(ごてんとうげ=二一三メートル)
 9頁上「相原側から登りついた旧道 靄が晴れ陽が差す
⑤ 平への丘陵越え(一四〇メートル)
 11頁左「峠路の入口近い龍光寺に残る板碑
⑥ 猿 坂(さるざか=一六〇メートル)
 13頁左「少林寺参道の入り口で
⑦ 天野坂(あまのざか=一六〇メートル)
 15頁左「滝山城址を越えて行く道
⑧ 十二曲り(じゅうにまがり=一八〇メートル)
 17頁左「坂道の途中で出会った馬頭観世音碑
⑨ 雨間峠(あめまとうげ=一七〇メートル)
 19頁左「雨間峠は八王子市と秋川市の境」中央揃え
⑩ 栃淵坂(とちぶちざか=一七〇メートル)
 21頁上「最古の甲州道が越えた道
⑪ 行人坂(ぎょうにんざか=二六六メートル)
 23頁左「前方から差す陽光があたたかい=行人坂で
⑫ 七国峠(ななくにとうげ=二二三メートル)
 25頁上「七国峠の頂上 大日如来の小祠がある
⑬ 寺田の切通し(てらだのきりどおし=二〇〇メートル)
 27頁上「切通しの上には立派な陸橋が……
⑭ 恋路坂(こいじざか=二一〇メートル)
 29頁左「恋路坂を越えると 静かな権現谷がのぞく
⑮ 網代坂(あじろざか=二六〇メートル)
 31頁左「引谷川の峡谷の向こうに見える禅昌寺のたたずまい
⑯ 小峰峠(こみねとうげ=二八〇メートル)
 33頁上「小峰峠の北麓 五日市小和田の集落を望む
⑰ 日向峰峠(ひなたみねとうげ=三一七メートル)
 35頁上「川口川北谷の源頭いっぱいに建設された変電所
⑱ 大和田坂(おおわだざか=一一四メートル)
 37頁上「八王子の表玄関になる大和田坂
⑲ 大谷切通し(おおやきりどおし=一三〇メートル)
 39頁左「浅川大橋から北へ、大谷切通しを行く
⑳ 稲荷坂(いなりざか=一七〇メートル)
 41頁上「稲荷坂旧道のほとりに鎮まる覚祐稲荷社
㉑ 谷 坂(やさか=一三八メートル)
 43頁左「中野山王の子安神社 坂下にあって澄んだ清水がわく
㉒ 梨小路坂(なしこうじざか=一八〇メートル)
 45頁上「梨小路坂のわきに生まれた戸吹清掃工場  坂路にひそむ現代の風景
㉓ 子安坂(こやすざか=一三三・八メートル)
 47頁上「八王子医療刑務所脇を行く旧子安坂、わずかに残る旧道のおもかげ」中央揃え
㉔ 作り坂(つくりざか=一四〇メートル)
 49頁左「雨の日の作り坂 ひっそりと静まっていた
㉕ 椚 坂(くぬぎざか=一八二メートル)
 51頁左「椚坂の近くにある高楽寺横穴石仏群で名高い
㉖ さげ坂(二一〇メートル)
 53頁左「さげ坂からつづく道 遠くに市西部の山々の稜線が高まる
㉗ 戸沢峠(とざわとうげ=二四八メートル)
 55頁上「都道開通以前の戸沢峠
㉘ 糀谷山入林道(こうじや やまいりりんどう=二九〇メートル)
 57頁左「林業の山――羽生入林道で
㉙ 不動坂(ふどうざか=一八〇メートル)
 59頁左「城山川から滝不動尊の丘を見上げる
㉚ 大夫坂(たゆうざか=一九〇メートル)
 61頁上「原宿から大夫坂への路は、このあたりを通っていたのだろう=長房町で
㉛ 廿里坂(ととりざか=一九〇メートル)
 63頁上「現在の廿里坂 広報は高尾駅周辺の家並み
㉜ 城山越え(しろやまごえ=三八〇メートル)
 65頁上「城山越え付近からの城山川のながめ流域のほとんど全体が見渡せる
㉝ 大久保峠(おおくぼとうげ=五一〇メートル)
 67頁左「浄福寺城山から大久保峠方面を望む
㉞ 板当峠(いたあてとうげ=四九〇メートル)
 69頁左「小津坂から見た大嵐山(奥の山)の稜線
㉟ 狐塚峠(きつねづかとうげ=五七〇メートル)
 71頁左「北浅川 宮の下から望む狐塚峠へつづく稜線
㊱ 関場峠(せきばとうげ=五四〇メートル)
 73頁左「急な登りが、ようやくゆるやかになった。この先で峠にとび出した
㊲ 小津坂(おつざか=三二〇メートル)
 75頁左「小津川と北浅川を結ぶ小さな峠道=小津坂
㊳ 三沢峠(みさわとうげ=四〇〇メートル)
 77頁左「梅ノ木沢に立つ道しるべとオリエンテーリングポスト
㊴ 西山峠(にしやまとうげ=四三〇メートル)
 79頁左「入山川と中沢川の分かれみちで
㊵ 浅川峠(あさかわとうげ=四四〇メートル)
 81頁上「中沢川をさかのぼる――流れにかかる小さな橋
㊶ 中沢峠(なかざわとうげ=四六〇メートル)
 83頁左「中沢山山頂の聖観音
㊷ 武蔵越え(むさしごえ=四五〇メートル)
 85頁左「津久井湖を見下ろしつつ赤馬へ下る
㊸ 大垂水峠(おおたるみとうげ=三八九メートル)
 87頁上「大垂水峠から相模湖町千木良へ下る旧道
㊹ 富士みち(ふじみち=六七〇・六メートル)
 89頁上「東海自然歩道が通る山頂の休み場
㊺ 小仏峠(こぼとけとうげ=五四八メートル)
 91頁上「小仏峠の頂上にある休み場
㊻ 白沢峠(しらさわとうげ=六五〇メートル)
 93頁左「白沢峠から尾根道を下る 右下に桂林寺
㊼ 赤岩越え(あかいわごえ=七二一メートル)*1
 95頁左「赤岩から下る尾根路で 植林された杉林が広がる
㊽ 明王峠(みょうおうとうげ=七四〇メートル)
 97頁左「真昼の明王
㊾ 奈良子峠(ならごとうげ=七三〇メートル)
 99頁左「奈良子尾根を行く
㊿ 入山峠(いりやまとうげ=五五〇メートル)
 101頁左「醍醐から登ってくる林道盆堀線=この右手に入山トンネルがある
(51) 鳥切場(とっきりば=六六九メートル)
 103頁左「鳥切場=山稜上の道の交差点だ
(52) 市 道(いちみち=六八〇メートル)
 105頁左「市道への登り口 右がニニク沢林道、左が醍醐林道
(53) 和田峠(わだとうげ=六八八メートル)
 107頁左「和田峠を下って初めて出会う和田の集落
(54) 醍醐峠(だいごとうげ=七四〇メートル)
 109頁上「醍醐峠から仰ぐ八王子の最高峰=醍醐丸
(55) 峠と路のネットワーク
 111頁左「小さな峠路の風景(真峰峠)」中央揃え(以下続稿)

*1:〔第三刷への補記〕の18条め、2頁め9行め「九四頁 「赤岩越え」 ここは底沢峠と呼ぶのが正しい。」とあってこれはこの補記でのほぼ唯一の訂正。