瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(38)

・馬場喜信『流域紀行八王子』1982年1月25日 印刷・1982年2月1日 発行・定価 800円・かたくら書店・154頁
 新書判だが本書が刊行された当時はまだ「かたくら書店新書」と云うレーベルにしていなかった。その後「かたくら書店新書4」として再刊されているはずである。
 初刊本は文集の表紙のような赤い厚紙に、ぼんやりした山里の日本画が薄く刷ってあって、表紙の上部に丸ゴシック体横組みで「馬場 喜信著/流域紀行八王子」とあり、下部にやや小さく「かたくら書店」とある。背表紙は上部にやはり太字で大きく標題、中央やや上に「馬場 喜信著」、下部に版元名があるはずだが私の見た本では分類票に隠れて見えない。
 見返し(遊紙)は本文共紙で表紙の裏、右下に明朝体縦組みでごく小さく「表紙=長谷川竜甫/  北浅川の浄福寺付近にて」とある。
 ついで本文共紙の扉に表紙と同じ文字。
 ⅰ頁(頁付なし)は左上に細いゴシック体で「目   次」とある扉。ⅱ~ⅲ頁「第一部 流 域 紀 行 八 王 子」の細目で2段組、ⅳ頁「第二部 八 王 子 の 歩 き 方」の細目、2行分空けて「あとがき」は段組なし。
 1頁(頁付なし)は左側やや上寄りに明朝体で大きく「第一部 流域紀行八王子」とある扉。
 2~101頁は1章が見開き2頁で50章、内容については最後、102頁に説明があるのは、昨日まで確認して来た『峠と路』と同じ作りである。1~2行め、

〔付記〕 以上は、東京新聞ショッパー紙の八王子・日野版に一九七八年五月から一九八一年一二月に/わたって掲載していただいたものです。水系別にまとまりをつけるために順序を一部入れかえました。/‥‥

とあって『峠と路』第一部「八王子の峠と坂道」に先行する「東京新聞ショッパー」八王子・日野版への連載だったことが分かる。すなわち、水系を一通り済ませて峠と坂に移ったのである。
 最後、7~10行めに、

 内容は、写真を二、三さしかえ、本文をごくわずか書きかえたほかは、もとのままです。ほんの二、/三年の間にも大きく変貌しているところがたくさんあり、気のついた点だけでも書きなおそうかと考え/たのですが、当時の記録としての意味があるかと、そのままにしました。それぞれの末尾に掲載年月日/を記しておきました。現地探訪はそれに近い頃です。

とあって、『峠と路』第一部「八王子の峠と坂道」がしていたような、( )で括った段落での現状についての追記を加えていない。その代わりに掲載年月日を( )に括って示している。これは『峠と路』にも継続させて欲しかった配慮である。
 103頁(頁付なし)「第二部 八王子の歩き方」の扉。こちらの由来については153~154頁「あ と が き*1に、154頁7~8行め、

 第二部は、補遺のつもりで、ショッパー紙に掲載の記事を中心にまとめました。八王子の歩き/方はさまざまに考えられますが、そのいくつかを書いてみたものです。

とある。104~105頁「は じ め に」は総説として書き下ろしたものであろう。最後、150~152頁「付・地図のこと」は携行すべき地図についての注意で、纏めを兼ねている。
 本書全体の由来は「あとがき」の冒頭、153頁2~7行め、

 この小さな本が生まれたきっかけは、東京新聞ショッパー紙の斉藤康子編集長と交わした会話/からでした。三年前(一九七八年)の春のことです。八王子から見える山の名についての同紙の/記事のことから面識をえて、八王子のあちこちを歩いていることをお話したところ、同紙への連/載をすすめてくださったのでした。
 八王子に越して来たのは七五年春のことでしたから、それより更に三年前のことで、その間に、/八王子の主要な川の流域はほぼ歩き終えていました。‥‥

と説明されている。これが馬場氏が「里山・流域紀行作家」となるきっかけとなった訳である。(以下続稿)

*1:154頁13行め、3字下げ「一九八一年十月二十六日」付。