瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(45)

・かたくら書店新書45『浜街道 「絹の道」のはなし』(4)
 昨日の続き。
 本書の由来は「おわりに」の最後の段落(251頁9行め~252頁2行め)に述べてある。

 この本は、かたくら書店の田原勘意さんのすすめで、書きました。はじめにお話/をいただいたのは、もう一〇年も前のことです。田原さんは、次の世代の人たちに/「絹の道」の歴史をきちんと伝えてゆきたいと、熱心に、変わることなく思いつづ/【251】けてこられました。すっかり遅れてしまいましたが、約束どおり、こうして本にし/てくださり、ありがとうございました。


『八王子事典』編纂が進んでいた頃に、田原氏から馬場氏に依頼があったようだ。
 昨日示した「第2部 歩いてみよう「浜街道」の細目からも窺われるように、本書では10頁程費やして大塚山公園=道了堂跡について、ガイドブックらしく遺されている石造物を中心に述べている。但し現状の写真は全くない。138~139頁に見開きで収めている「武藏國南多摩郡由木村鑓水大塚山道了堂境内之圖*1」と照らし合わせる形を取っている。但し「八王子市郷土資料館展示ガイド」図録からの転載で、文字は殆ど読めない。
 この「3 大塚山公園――道了堂のあと」の章は、まづ鑓水峠から135頁8~9行め、

‥‥、大塚山公園の前に出ます。公園に登る石段の左のたもとに、「絹の道」の/碑(⑦)が立っています。

として「絹の道」碑及び橋本義夫に触れ、そして136頁9行め~137頁、

 大塚山公園(⑧)への階段を登りましょう。この公園は、むかし、ここに建てら/れていた道了堂というお寺の境内をそっくり受けついで、一九九〇年(平成二/年)三月に開設された公園です。ここ大塚山は、浜街道の最高地点で、地図〔2〕/①には、△213.35という数字が見えます。地図〔1〕①では、小数点の下二桁を/四捨五入して、△213.4としてありました。【136】
 道了堂は。一八七三年(明治六年)に創建され/ました。渡辺大淳という人が生糸商人たちと協力/して、東京の花川戸というところからお堂を移/し、鑓水にある永泉寺の別院としてはじめたもの/です。明治時代の中ごろには、次のページにかか/げた一八九三年(明治二六年)作成の石版画「大/塚山道了堂境内之図」にあるような賑わいを見せ/ていました。この石版画を見ると、奥の本堂から/廊下が右にのびて、その先には子守堂・庫裡*2・書/院と三棟の建物がつづき、受付のような小さな建/物もついています。手前にあるのは、納屋です。いましも桜が咲きそろい、人々が/三三五五、くり出しています。はなやかだった当時のようすがよく伝わってきます/ね。【137】


 ⑦⑧は110~117頁に掲載されている地図〔1〕〔2〕に記入されている位置の番号。△は三角点の地図記号で中心に「・」があるが再現出来ないので、仮にただの△にして置いた。
 137頁の10行めまでの字数が少ないのは、上15字分に前回細目とともに確認したように昭和49年(1974)3月撮影の道了堂の写真が掲出されているからで、向拝の上から大棟へ登る屋根の半ばまで白い雪が積もっている。確かに道了堂の背面など、3月22日付(16)に見た、『続 八王子の今昔』掲載の昭和49年(1974)5月撮影の写真に合致するようである。馬場氏が八王子市片倉町に居住し始めるのは昭和50年(1975)春なので馬場氏の撮影ではないらしい。
 そして続く140頁1~2行め、

 これらの建物は、いまはすべて跡形もありませんが、この画面と照らし合わせれ/ば、それぞれの建物が建っていた場所を確かめることができます。

と、こうした観点は4月15日付(34)に引いた法政大学地域研究センター叢書5『歴史的環境の形成と地域づくり』所収「浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」の「《絹の道》探訪の一〇の見所」の「② 大塚山公園」でも強調されている。
 140頁11行め~141頁2行め、

 道了堂は、鑓水商人の没落とともにおとろえてゆき、ついに、一九六三年(昭和/三八年)に廃寺となりました。その後、本堂もすっかり壊れかけていたため、一九/八三年に解体されました。しばらくは空き地のままでしたが、その跡を、八王子市/【140】が史跡の公園として整備したのです。本堂の建っていた場所には礎石が残され、石/畳が敷かれて、むかしの位置を示しています。


 4月11日付(30)に見た「浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」は廃寺になった時期を示していないが、ここでは理由には触れないものの時期は示している。解体年は『八王子事典』の、恐らく馬場氏執筆の「道了堂」項に合致し、4月14日付(33)に見たように「浜街道《絹の道》―歴史的景観の発掘と史跡化―」もそのまま踏襲している。
 ところでうっかりしていたが『八王子事典』の「大塚山」項では、公園となったのを2月18日付(12)に引いたように平成2年(1990)の3月ではなく9月としており、改訂版でも変わりない。(以下続稿)

*1:【6月29日追記】「鑓水」を落としていたのを補った。

*2:ルビ「 く り 」。