瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(74)

・かたくら書店新書20『絹の道』(7)
 それでは、本書刊行に近い時期に関する記述・写真の検討を済ませたので、ここからは回想について検討して置こう。
 細目は既に見ているので、執筆者と題、頁・行のみを示して置く。
 尾崎正道「はじめに」の冒頭、2頁1~7行め、

 絹の道との出合いは、十数年前に、戸板大学教授の堀井先生と一緒/に歩いたのが最初でありました。
 今も、大塚山の道了様は、昼間でも大変暗く、これまでにもおばけ/が出るなどと話がでたこともありました。
 この道了様や絹の道を何度か歩いているうちに、この「絹の道」は、/周辺の開発によって今になくなってしまうのではないか、そんな心配/を度々感じるようになりました。


 戸板大学は「戸板女子短期大学」が正しい。堀井春一郎(1927.2.19~1976.5.15)は慶應義塾大学文学部卒業の俳人であった。
 戸板女子短期大学と云うと三田の校舎で開催された学会に出席したことがあって、出来たばかりの新校舎の印象が残っている。私も若かった。
 従って八王子と何の縁があるのかと思ったのだが、「戸板女子短期大学」HPを見るに、私の知っている(もちろん現在全く付き合いはない)人がこの4月に学長になっていたので吃驚したのだが、それはともかく、「戸板女子短期大学について/沿革・歴史」を見るに、「1965年3月(昭和40年)」条に「短大八王子校舎落成」、「1983年4月(昭和58年)」条に「短大被服科・英文科を三田校舎に、生活科を八王子校舎に学科統合」、「1997年(平成9年)」条に「八王子校舎に新図書館完成」、「2000年4月(平成12年)」条に「生活科を食物栄養科に、英文科を英語科にそれぞれ改称、‥‥」、「2003年4月(平成15年)」条に「専攻科 食物栄養専攻開設」、「2004年4月(平成16年)」条に「食物栄養科・専攻科、三田校舎へ移転」と八王子校舎関係の記述が見出される。その後、運動施設として使われていたようだが、Google ストリートビューで2018年6月と2021年6月を比較するに、2018年には校門から奥へ綺麗に清掃された舗装道路が続いており、その左手に体育館らしき建物があったのが、2021年になると体育館らしき場所には草が生い茂り、校門を入ってすぐ右にあった守衛室らしき建物も解体されて、校門自体、廃墟のようになっている。いや、体育館の西にあった3階建の校舎もなくなっている。Google の地図では犬目第1校舎・犬目第2校舎と云う建物が記載されているのだが、航空写真に切り替えると草の生い茂った更地なのである。
 戸板女子短期大学HPの「沿革・歴史」には「2004年4月(平成16年)」条以降の記載がなく、まだ「施設/八王子キャンパス」が紹介されたままになっている。しかしながら、今は何もないのだから、まだ戸板学園が土地を所有しているとしても、早晩、このページの内容は消されてしまうであろう。そこで、何も分からなくなってしまう前に参考まで(?)に、記載内容だけでも保存して置こう。写真はない。

八王子キャンパス
 
八王子住所とアクセス
所在地 〒193-0802 東京都八王子市犬目町139
JR中央線 西八王子駅より西東京バス工学院大学犬目校舎」下車
 
八王子キャンパス グラウンド利用のご案内

設備 クレーグラウンド、芝グラウンド/(八王子校舎内に多目的室、更衣室、シャワーを完備)
利用者 利用者は規定の用紙に記入の上、/必ず顧問の承諾を得て1週間前までに、学生部へ提出
利用手続 利用者は規定の用紙に記入の上、/必ず顧問の承諾を得て1週間前までに、学生部へ提出
利用時間 月~土(日、祝日、学校の指定した休日を除く)の9:00~16:00
申し込み・問い合わせ 学生部まで


 ストリートビューで旧八王子キャンパスの北から東の角を経て南まで、新旧対照させながら眺めて見たが、道を挟んで学生を当て込んだらしいアパートが並んでいて、何とも淋しい気分にさせられた。
 話が大いに逸れてしまったが、尾崎氏が堀井氏と道了堂・絹の道を歩いたのは戸板女子短期大学の八王子キャンパスの出来た昭和40年(1965)以降、昭和61年(1986)に「十数年前」と云うのだから昭和40年代と見て誤らないが、まだ片倉側が「開発」される前だったかどうか、知りたいところである。堀井氏に道了堂や絹の道に関する句があるであろうか。そして「おばけが出る」と云うのは、やはり堂守老婆殺しに関連する噂なのであろうか。(以下続稿)