瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(99)

 昨日の続きで「日本農業全集月報」に「「絹の道」をゆく――東京・八王子市鑓水にて――」を寄稿している山田桂子(主婦・農書を読む会会員)について。
 ありきたりな「山田」と「桂子」を組み合わせた名前の昭和50年代の「主婦」のことなど検索しても分かりそうになく、ただ名前で検索しただけでは、南インドが専門らしい茨城大学人文社会科学部人間文化学科教授など、同名異人がヒットするばかりである。
 どうでも良いことだが、私の中学の同級生にも山田桂子がいたのを思い出した。3年生にクラス替えなしで持ち上がって2年間同じ教室にいたので、特に何の思い出もないのだが、顔と名前は覚えているのである。
 それはともかく、時代を遡ると旅先で脳出血で倒れて急逝した、同姓同名の女優・山田桂子(1925.2.26~1973.10.27)もいて、ただの主婦ではこれら著名人や、著名でなくても大勢いる同名異人に紛れてしまって、ちょっと探しようがないのではないかと思ったのだが、一読尋常ならざる文章力・取材力で、ただの主婦がこれだけをたまたま書いた(書かされた)ように思えなかったので、念のため国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、農家の主婦13人を取材した次の本がヒットした。
・山田桂子『農村に生きる主婦たち』昭和42年4月10日 第1版発行・定価350円・農山漁村文化協会・254頁
 奥付の上に「著 者 略 歴」があり上下半分空けて中央揃え「山 田 桂 子(やまだけいこ)」として3~7行め、

昭和7年東京生まれ。吉祥女子高等学校卒業。
昭和26年から昭和37年まで農山漁村文化協会に勤務。昭/和28年に結婚,子ども1人。現在,家事のかたわら,農/村婦人・生活問題の研究に従事。
  現住所 東京都渋谷区笹塚1の■

とある。233~254頁「農家のかあさんたちから学ぶもの/―あとがきにかえて―」の冒頭、233頁3~5行めに、

 この本におさめた十三篇の訪問記は、昭和四一年に雑誌『現代農業』に連載した「かあちゃん登場」/を主にし、ほか二、三篇を加えてまとめたものです。
 私は、毎月、この訪問記を書くのを楽しみにしておりました。

とあって、農山漁村文化協会の雑誌「現代農業」の連載である。
 育児総合雑誌「愛育」第三十三巻第九号(昭和四三年八月二〇日印刷・昭和四三年八月二五日発行・定価六五円・恩賜財団母子愛育会・48頁)6~9頁「愛育のひろば」は4段組で、青木康子/日本赤十字社産院婦長「ある日の日記より」6頁2段め~7頁1段め、山田桂子/農山漁村文化協会」編集部員「ふえている農家の主婦の出稼ぎ」7頁2段め~8頁2段め、ペギー葉山女優「ママさん一年生の弁」8頁3段め~9頁4段め、の3篇が掲載されている。内容的にも肩書からしても『農村に生きる主婦たち』の著者の山田桂子だと思われるが、復職したのだろうか。昭和61年(1986)農山漁村文化協会刊行の人間叢書77『「待ち」の子育て』の著者・山田桂子も同一人物であろう。そうすると(主婦・農書を読む会会員)と云う肩書は、偽りではないにしても余り正直な申告ではない。――「「絹の道」をゆく」のレポート、どう見てもプロの取材であり、プロの文章なのである。(以下続稿)