瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

武蔵野文化協会 編『武蔵野事典』(3)

 昨日の続きで記念号の699頁、市販版の奥付の前の頁を見て置こう。
 上段1行めは丸ゴシック体で若干大きく2行取りで「表紙・口絵・補遺編凡例」とあって記念号は4項であったが市販版は3項になっている。すなわち記念号の1項めが削除されているのだが、次のような内容だった。2~8行め、

一、表紙デザインは、写真家・クリ/ エイティブディレクター加藤秀氏制/ 作、素材は、武蔵国名瓦(『本多章吉/ コレクション拓本集』)、芝丸山古墳人/ 物埴輪鳥居龍蔵上代の東京と其周/ 辺』掲載写真を彩色)、『古今和歌集』/ に詠われる武蔵野の紫草を背景色。


「武蔵國」と刻まれた瓦の拓本は裏表紙に使われている。元になった瓦は574~590頁「補遺編」の574~577頁「古代」のうち、577頁全部を使っている「図 16 武蔵国名瓦・郡名瓦(『本多章吉コレクション拓本集』より)」として23種示される中に見える。裏表紙は全体に紫色で、文字等拓影の白くなったところを塗り潰している。
 表紙も紫色地で薄い紫色の破線で武蔵国の国境を太く、郡境を細く示す。但し中央やや下に白線の枠(6.0×4.0cm)を左右に2つ、内側は緑色の背景に人物の埴輪の顔で市販版のカバー表紙及び背表紙にも使用されている。市販版には説明がない訳だがこの記念号により「芝丸山古墳人物埴輪」であることが分かる。文字は全て白抜き、上部に大きく題字、その右にゴシック体縦組みで「創刊 大正七年七月七日/令 和 二 年 五 月 四 日 刊」とあり、題字の下にはゴシック体横組み中央揃えで「特集武蔵野創刊一〇〇周年記念号「武蔵野事典」」、文字は他にゴシック体横組みで3箇所、右上隅にごく小さく「ISSN 0914-0514」、右下にやや大きく「武 蔵 野 文 化 協 会」、左下に小さく「第95巻 第 1・2 号/通 巻 359・360号」とある。なお「360号」は紙を貼り付けてあり、光を当ててみるに元は「340号」と誤っていたことが分かる。実は9月8日付(1)にメモした背表紙も、やはり「三六〇号」は紙を貼り付けてあったのである。
 記念語の装幀の確認で長くなったが、記念号699頁「表紙・口絵・補遺編凡例」は中段5行めまであったのが、市販版では上段に収まって2行分余白がある。続いて同じく丸ゴシック体で若干大きく2行取りで「協力機関・提供者・協力者」との見出しがあるが市販版では中段の頭から始まっている。なお左下に小さく「(敬称略50音順)」と添える。内容に違いはないが記念号は下段に余白なく詰め込まれていたのが市販版では5行分余白がある。
 記念号700~701頁は2段組で「平成三十年度総会報告」と701頁8行めから【例会報告】、もちろんこれも市販版には引き継がれていない。
 701頁の裏が3段組の「(編集後記)」で下段左に奥付。「(編集後記)」は8項目から成り末尾、下段13行めに(加藤)とある。まづ上段2~6行めの1項めを見て置こう。

○『武蔵野』創刊一〇〇周年記念号/「武蔵野事典」をお届けします。本号/は諸般の事情により第九十五巻第一・/二号(令和元年度・二年度合併号)とし/ました。ご了承下さい。


 そして3項め、上段13行め~中段2行めに、

○創刊一〇〇周記念号の話題が本会/で最初上ったのは、確か平成二五年/(二〇一三)五月でしたが、九月には/①書名は「武蔵野事典」、②刊行は/創刊一〇〇周年に当たる平成三〇年/三月、③体裁は三段組・見開き・読/み切り・五〇〇頁程度とする企画案/が決まった。その後、収録項目約/二五〇点が立案され、平成二七年七/月から七〇余名の先生方へ執筆依頼/【上】を行い、七〇〇頁を越える本冊が二/か年遅れて刊行された。

とあって、企画から刊行までの流れを簡単ではあるが確認出来る。なお冒頭「創刊一〇〇周記念号」は「年」が落ちているし「最初」は「最初に」だろう。これを市販版に載せる訳には行かないとしても、このような経緯を述べた文章を別に添えるべきだったろうと思うのである。
 続いて「 ”" 『武蔵野』創刊100周年記念」として会長や理事等、1頁を3段3列に区切って9人ずつの連名が4頁、次いで「月刊 政治経済史学/保存版美麗製本頒布」の広告が1頁、その裏が「武蔵野頒布会」の、この記念号ち過去の記念号の広告である。次にある裏表紙裏の市販版の広告については、昨日確認した。(以下続稿)