瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

ふるさと板木編集委員会『ふるさと板木』(1)

・『ふるさと板木』昭和四十六年四月三十日・非売品・ふるさと板木編集委員会・95頁
 本書は、多摩ニュータウンの開発によって破壊される直前の、東京都八王子市鑓水の南東部、板木(伊丹木)谷戸を記録した写真集である。
 都内・都下の図書館に幾らか所蔵されているが、その殆どが禁帯出である。私も手に取って見たことはない。よって以下、国立国会図書館デジタルコレクションに拠り、記述する。
 標題は表紙の題字(墨書)や発行者名に拠る。奥付には「写真集ふるさと板木」とある。奥付には「編集責任者  小  泉  栄  一」の住所と「発行責任者  小  泉  勇  二」の住所・電話番号、印刷所の電話番号が載るが発行者の記載がない。しかしこれは、表紙の最下部右寄りに明朝体横組みで「ふるさと板木編集委員会発行」とあるのに従った。
 本書は刊行当時かなり注目されたらしい。9月には誤植を訂正して再版したらしい。国立国会図書館の蔵書は初版である。再版が何処に所蔵されているのか、確認するべきであろうか。八王子市郷土資料館には所蔵しているであろうか。しかしネット上に蔵書目録が公開されていないので、俄に分からない。照会して直ちに閲覧手続のような段取りになっても困るので、まだ問合せもしていない。
 従って、内容的には再版に拠るべきなのだけれども、しばらく初版に拠って記述する。再版を見る機会があれば、そのとき必要に応じて訂正しよう。
 表紙をめくると遊紙に続いて1~2頁(頁付なし)「刊行の辞」がある。冒頭2行め「 多摩ニュータウンの造成 !! 」によって、12~18行め、

 ここに於て板木谷戸のわれわれは、現在の集落だけは残すという東京都の方針に従って、それ以外の/大部分の土地を昭和四十年、都に売り渡したのであるが、今までの家業であった農業は当然続けられな/くなり、その生活様式も時代の流れに従って変り、その姿は急速に変貌するのであろうことは火を見る/より明かなことであるので、後日かつて自分達の世界であった頃の谷戸の姿をカメラに収めて残し、子/孫への語り草の資料ともすべく写真集作成を三年前に企画したのである。
以来カメラを持っている人々が生業の余暇に撮り集めた写真が百数十枚に達したので、素人の集りなが/ら編集委員会を組織して編集しここにお目見えすることになったのが、この写真集なのである。

と編纂の経緯について説明する。2頁16行め、5字下げで「昭和四十五年十二月二十日」付、17行めは下寄りに「ふるさと板木 編集委員会」とある。
 3頁(頁付なし)は全面航空写真で、パラフィン紙に道路と水路、小字、丸数字で人家その他の位置を刷った地図を被せてキャプション代わりにしている。
 4~5頁(頁付なし)目次は、中央に帯状に細長くパノラマ写真。4頁1~3行め「表紙題字 ‥ ‥ 高 麗 弥 助/ 刊行の辞編集委員会/  地図と航空写真」とある。
 6頁(頁付なし)はモノクロ印刷した1:25000地形図にて八王子駅・市街地から橋本駅までの横浜線、その間の僅かに宅地造成が始まっている多摩丘陵を示し、丸で囲った中に板木谷戸の範囲を斜線の枠で囲って示す。
 7~10頁、宮崎忠二「多摩ニュータウンと共に/埋れゆく板木谷戸」は末尾(10頁下段15行め)に下寄せで「一九七〇年七月六日」とある。
 11~23頁「家と人と」は1頁に2家族ずつ、家族の集合写真に戸主と家族の続柄、それぞれの年齢を示し、さらに家の写真に「番 地/戸 主/定 紋/家 名/家 印」を添える。すなわち、11頁上段右下に明朝体横組みで「―― 写真撮影 昭和44年1月――」とある、昭和44年(1969)1月の板木谷戸の全戸の家族構成、居住者全員の写真が収められているのである。年齢が1月1日現在、すなわち昭和43年(1968)末時点での満年齢だとすれば、全員の生年を割り出せることになる。写真撮影から刊行までの2年余で死亡した人や板木谷戸を出た人もいるだろう(成人した長男や長女が家を出たらしく、両親と、次女や三男から写っている家がある)から、やはり年齢も撮影当時のものなのであろう。
 以前、2019年10月1日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(130)」にて、小津安二郎東京物語』の香川京子について穿った見方を示したブログ記事を批判したことがあったが、やはり40歳過ぎての所謂高齢出産も珍しくないし、姉さん女房も少なくない。何となく私どもが刷り込まれている、昭和の家族構成は実態に即しているのか、疑問に思うのである。あれは、ごく偏った階層の状況、或いは作家や脚本家、漫画家などがあるべき理想像として描いたものを一般的なものと思い込まされているのではないか。
 26戸の集落ではあるけれども、甚だ情報量に富んでいる。そして、私の勝手な印象かも知れぬが、地味な服に顔立ちの長女、派手な服に顔立ちの次女、無邪気な笑顔の子供っぽい三女、と云うパターンがあるように感じられた。理由のあることなのか、私の好みの問題かも知れぬが。(以下続稿)