瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

ふるさと板木編集委員会『ふるさと板木』(2)

 前回見た「家と人と」だが、収録順は番地の順である。なお「―― 写真撮影 昭和44年1月――」とあるので年齢は昭和44年(1969)1月1日現在、すなわち昭和43年(1968)の誕生日での満年齢なのではないか、と思ったのだが、16頁下の「戸 主 小 泉 隆 造」の家族写真に「長男  栄 一 52」とある。すなわち本書の「編集責任者」であった小泉栄一だが、小泉氏は大正6年(1917)4月30日生なので昭和44年の誕生日での満年齢と云うことになる*1。この辺り、年齢の基準が何時なのか、明示して欲しかった。再版では、改善されているだろうか。
 この他にも、何人か生年(月日)の分かりそうな人がいる。分かり次第、確認してこの記事の最後に追記して置くこととしよう。

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 それでは昨日の続きで、本書の最後までの内容をざっと眺めて置く。
 以下しばらく1頁に大体3~4点ずつ写真を掲出し、解説を添えて、まづ24~31頁「谷戸のたたずまい」にて板木谷戸の地名を辿り、32~35頁「米つくり」36頁「水車」37頁「生きもの」38~39頁「かいこ」では農業に関わりあることどもを記録している。
 40頁「八王子道 道標」と41~43頁「草葺き屋根」は2段組で40~41頁見開きは文章が主体、42~43頁も下段は文章である。
 44~48頁「すまい」はまた写真が主で1頁2~3点、母屋の各部の写真、49~51頁「火と水」は台所や井戸・池など、52~53頁「まわりの建物」は長屋門や土蔵を、やはり写真で紹介する。
 以下も同様に、54~58頁「お寺とお宮」、59~62頁「竹・よけの樹」、63~65頁「ならわし」と続く。
 66頁は別に紹介することとする。
 67~72頁「先人のあと」は旧石器から古文書・板碑まで、かつて板木谷戸に住んでいた人の遺物・遺品を取り上げ、73~75頁「アルバムの中から」は73頁「明 治」74頁「大正時代の女性の服装」75頁「昭和になってから」と主題別に古写真を纏めている。
 76~77頁、小泉栄一「多摩丘陵の猪」以下は2段組で文章が主体で、78~79頁上段18行め、小泉茂「祖母の思出ばなしより」と79頁上段19行め~下段、宮崎忠二「関東大震災の思い出」の見開きは文章のみである。80~83頁、小泉栄一「谷戸田の堀っこ」
 84~86頁「はやしことば 板木谷戸名取抄」、87~88頁「はやしことば」3段組でさらに方言と標準語の2段になっている。
 89~94頁「板木谷戸年表」は「旧石器」時代から始めて昭和44年(1969)まで。94頁上段は空白で、下段に「年表作成参考文献」として16点を挙げる。
 95頁「編集後記」の最後、下段15~22行め「編集委員長   小 泉 勇 二」と「編 集 委 員  宮 崎 寛 一/大 塚  実/大 塚 春 次/小 泉  茂/井 上 芳 隆/宮 崎 信 雄/小 泉 栄 一」の8名を列挙。裏は白紙で、裏表紙の見返し側、右下に奥付。(以下続稿)

*1:10月28日追記10月28日付「八王子市老人クラブ連合会創立50周年記念誌『八王子・昭和の語り部』(2)」の最後に、この推測が正しいらしいことに触れた。