瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小泉二三『思い出の鑓水』(1)

・地方文化叢書1『思い出の鑓水』一九七四年六月二〇日発行・地方文化研究会・35頁・A5判並製本
 表紙の用紙は短い毛を漉き込んだ横縞の透かしを入れた、やや青みがかった模造紙で、表紙とごく薄い背表紙の全面、そして裏表紙の左側に八王子市旧市街から百草まで、由井村・由木村・七生村・堺村・相原村と云った辺りを範囲とする地形図を緑色で刷っている。用紙の裏側には何も刷られていない。
 中身は全てアート紙の、写真を主体とした小冊子である。
 前付1頁めは右側に開発前の、板木谷戸の絹の道の写真があって、左側に橋本義夫「『絹  の  道』」なる短文が載る。
 前付2頁めは上段「目    次」、下段は1頁めと同じ辺りを横長で捉えた写真があり、こちらには小泉家屋敷が写っている。
 1~3頁7行め「ま  へ  が  き」の内容は改めて検討することとするが、『ふるさと板木』が多摩ニュータウンの開発が始まるまで板木谷戸で父祖伝来の家屋や農地を守って暮らし続けていた人々による、近く失われることとなった故郷の記録であるのに対し、こちらは40余年前に鑓水を出た著者による、多摩ニュータウンの開発が始まり急速に破壊されつつある故郷を哀惜し、写真と短い文章でその面影をとどめようとした個人的な追懐である。
 3頁左側には下寄せの囲み記事、8~14行め、橋本義夫「多摩丘陵と鑓水」があって、著者の思い入れたっぷりでやや客観的な説明を欠く記述に対し、ごく手短に本書の背景となった鑓水の位置や開発について説明している。
 以下、文章の内容については、著者の経歴・係累などを中心に別に検討したいので、差当り図版のキャプションだけを列挙して置こう。
 4~5頁[ 東  谷  戸 ]、写真は4頁上「永泉寺」下「神子の沢」5頁上「東谷戸」下「化石の出る丘」。
 6~7頁[ 嫁 入 谷 戸 ]、写真は6頁上「嫁入り谷戸」下「赤土の下の石」7頁上「水  源」下「医王寺趾」。
 8~11頁[ 岸  耕  地 ]、写真は8頁上「その全景」下「我 眼 寺 跡」9頁上「絹の道の道標」下「清水さんの前の水源」10頁上「御殿趾の前の水源」下「大塚さんの家」11頁右上「地蔵様 承徳三年(約二百八十年前のもの)」右下「板 碑(上原さんの墓)」左「上原さんの墓地の五輪の塔」。
 12~13頁[ 子 の 神 谷 戸 *1、写真は12頁上「子の神谷戸」下「風の神」13頁上「権現様」下「銀杏の木」。
 14頁(頁付なし)[ 大   芦 ]、写真は14頁上「大 芦」中左「水源地」下右「康申塚」。
 15頁(頁付なし)[ あ ら 屋 敷 ]、写真は15頁上「あら屋敷」中右「地 蔵 様」下左「細谷戸の水源地」。
 16~18頁[ 板 木 谷 戸 ]、写真は16頁上「板木谷戸」中「とりこわされる家々」17頁上「唯一つの曲り屋 これも取りこわされる」下左「穆成田の水源地」18頁上「北の街道の肉桂の木」下「水車の水源地」。
 19頁[ 絹 の 道 と 鎌 倉 街 道 と 塩 の 道 と ]、写真は19頁上「道 了 様」20頁上「大塚頼さんの家」21頁右上「市でたてた絹の道の案内図で/山中の屋根の片隅に建ててあ/る。」左やや上「岸耕地へ下る道」22頁上「道了様の西側にある無粋な/電波の反射鏡」中「丸木橋を渡り/旧山中の屋敷あとへ行く道」23頁左上「峰にのぼる/あら屋敷の道」中「北の街道の門の前の/峰に行く道」。
 24~25頁[ 弁 天 様 の こ と ]24頁上「岸耕地のもの」下「寺にあるもの」25頁上「あら屋敷のもの」下左「大芦のもの」。
 26~27頁[ 水 車 小 屋 ]、写真は26頁上「岸耕地の水車小屋」下「板木の水車小屋」27頁上右「岸耕地の水車小屋の水路のあと」下「祖母の家の水車小屋のあと」
 28頁[ 組 合 と 倉 庫 *2、写真は28頁上「組 合(今は公会堂)/ここに有名な道標がある」下左「倉庫のあったところ」。
 29頁[ 製糸工場と揚糸場と/用 水 池 と]、写真は29頁上「製糸工場のあと/(今は子供の遊園地)」中「揚糸場のあと/(桑畑になっている)」左下「用水池のあと(北の街道の池)」。
 30頁[ 子 の 神 神 社 *3、写真は30頁上「鳥居」下右「元 宮」下左「御神体の陽石」。
 31頁[ 槍 研 ぎ 水 *4、写真は31頁上「大塚山道了様」32頁上「御 殿 山」。
 33~34頁「あ と が き」*5
 35頁下「小 歴」応召するまでの著者の経歴、写真は上に「著 者」。
 35頁の裏は頁付なく、上段は囲みで橋本義夫「跋」で「一九七四・六・一二」付。これに小さな囲みで編者から読者への呼び掛けが添えてある。下段は囲みで奥付、「三百部限定」、印刷は清水工房で発行者の住所は橋本氏の自宅のようだ。(以下続稿)

*1:ルビ「ね」。目次にはルビなし。

*2:「目次」13行めには「組合倉庫」とあり。

*3:ルビ「ね」。目次にはルビなし。

*4:「目次」16~17行めには「槍研ぎ水  31/御殿と大塚山  31」とあるが本文には後者の見出しなし。但し説明文は31頁下段12~13行めの間を1行分空けて分割してある。以下の写真は全て[御殿と大塚山]に関するもの。

*5:「目次」18行めには「後 書  33」とあり。