・郷内心瞳『拝み屋念珠怪談』(1)
近年の実話怪談の類にも、道了堂或いは道了堂跡を取り上げたものがあって、9月13日付「『「超」怖い話』(1)」に述べたように、少しずつ拾い集めている。元より私は7月10日付「新聞解約の辯(4)」に述べたように、体験談の類には余り興味がないので、買ってまで読もうとは思わない。そもそも繰り返し使っている本も図書館で借りて済ませているのである(それで予約が入ってしまって貸出期間の延長が出来なくなって困ったことも再々だが)。しかし図書館はこの手の本を余り買ってくれない。まぁ買わなくったって良いと思うけど、それでも、普段余りチェックしていない分野、全く知らなかった著者、シリーズなだけに、気付いたときに何とかして置かないと忘れてしまいそうで、今回初めて、図書館に予約を入れて借りたのである*1。しかし拾い読みするばかりで全てを読み通す気力はない。申し訳ない。
郷内心瞳(1979生)は宮城県で拝み屋をやっている男性*2の怪談作家で、「幽」怪談実話コンテストの第5回大賞を受賞してデビューしたので、最初はMF文庫ダ・ヴィンチ(メディアファクトリー)から『拝み屋郷内』を2冊出し、メディアファクトリーがKADOKAWAに吸収合併されたことで角川ホラー文庫から『拝み屋怪談』8冊を出すことになったのである。他にも竹書房怪談文庫から『拝み屋備忘録』7冊、「イカロスのこわい本」から『拝み屋異聞』3冊、などを出している。
・角川ホラー文庫22757『拝み屋念珠怪談 緋色の女』令和3年7月25日 初版発行・定価680円・KADOKAWA・298頁
それはともかく、この『拝み屋念珠怪談』は『拝み屋怪談』の派生シリーズと云うことになるようだ。
本職の拝み屋として、たまに出張営業している東京で、以前相談を受けた女性に、二〇一九年一月に再会する。前回、二〇一五年六月に会ったとき、その女性から怪談を聞かされた郷内氏は、彼女に怪談蒐集を勧めていた。その後3年半の聞書を纏めた12冊のノートを、新しい人生に踏み出すに際し郷内氏に託したい、と云うのである。
この女性が、怪談を聞かせてくれた知人に、さらにその知人を紹介してもらって、数珠繋ぎに怪談を語ってもらったので「念珠怪談」との題を与えた訳である。
この、数珠繋ぎに辿って行った、互いに関係ない人たちの話のはずなのに、同じ人物が複数回登場したり、何故か郷内氏の知っている、しかし普通の人は知らないはずの人物が登場したり、そんな話を読み進めるうちに、実はこの「念珠怪談」は、偶然辿って行ったものではなく、ある意味仕組まれたものだったことに気付く、――と云う、相談者の女性に拠る怪異体験談の取材レポートの紹介と見せかけて、実は何だかとんでもない真相が背後に隠されていることに郷内氏が気付かされて行く過程の記録にもなっている。と云うことになるみたいなのだけれども、その真相とやらは恐らく来年刊行される次回作で明かされるらしい。しかし12冊のノートの紹介は『緋色の女』と『奈落の女』の2冊で終わっているようだ。
私は最初『緋色の女』に眼を通したとき、こういう設定の小説なのだと思った。私は体験談を読まない訳ではないが、自分がそういう体験をしていないから、共有することが出来ない。そもそも共有したいと思っていない。よく、殺人事件の犯人が処刑されたりすると「真相が明かされないまま」云々と識者がコメントするけれども、殺人者の心理など別に共有したいと思わない。たまにそういう人間が出て来て、止むに止まれぬ理由もなしに殺人を犯す。止むに止まれぬ理由ではないのでその理由が知りたいらしいのだが、説明されたところでそんなもの、凡人に過ぎない私らには共有出来ない。その説明が本当なのだかどうかも分からない。これは極端な譬えかも知れぬが、怪異についても同様の感覚なのである。根も葉もない噂――赤マント流言の類であれば、面白いと思う。しかし、体験談やその心霊的解釈を聞かされても、それでどうすれば良いのか、と云った感想になってしまうのである。
だから、私はどうも体験談を読んでも、当人が体験したと主張するのだから体験したのだろうけれども、それを怖がれ(実感を持って感じろ)と云われても困るなぁと思っているので、『緋色の女』のカバー裏表紙右上の紹介文にあるように「数々の不可解で異常な怪談を」延々「読み進めるうちに」これは作っているのではないか、と思えて来たのである。
そして『奈落の女』をざっと眺めるに、その真相とやらには郷内氏のこれまでの著述の内容も絡んで来るらしく、私のように初めて郷内氏の存在を知って、その著述に初めて眼を通す人間にとっては、いよいよ入り込みがたい。
しかし、それにしては手が込んでいる。数は多いから一々作ったとしたら大変な労力である。――一部の Amazon レビューにこれまでの『拝み屋怪談』に比べて詰まらない、と云う感想が複数あった(私は『拝み屋怪談』等、郷内氏の他の著作を全く読んでいないので、従来の作品がどのくらい秀でているのか判断出来ないのだ)が、一応一般人の体験談と云うことになっているものを延々読まされたら、確かに退屈する人も出て来そうな気がする。いや、それこそが本物である証左なのかも知れないが、やはり私としてはノートの現物の写真が見たい。全く差し支えのなさそうな部分を、少しでも良いから公開してもらえないだろうか。
このシリーズについては、図書館蔵書の予約が入らなくなった時分に再度取り上げることとしたいが、今回は、明日、もう少々どのようなノートなのか、郷内氏の説明を確認した上で『奈落の女』に収録される「道了堂跡」について、見て置くこととしたい。(以下続稿)
*1:地元の図書館は購入していないが、買わせるのも気が引ける(?)ので、所蔵している市の図書館で予約して、わざわざ出掛けて借りている。
*2:本名ではないのだろうけれども「心」とか「瞳」とかの字のイメージ、それから「拝み屋」と云う職業からの連想で、借りて読む前は女性だと思っていた。
*3:買ってしまえば何時までも手許に置いておけるが、そうなると私のような図書館利用で資料を集めている人間は、安心してしまって着手出来なくなるのである。「白馬岳の雪女」を本格的に片付けるつもりで、図書館では借りられない戦前から平成までの関連文献を7冊ほど、正確には覚えていないが1万円くらい掛けて購入したのである。しかし、その後、殆ど手を着けないで別の、図書館で借りた資料の相手ばかりをしている。その上「国立国会図書館デジタルコレクション」の公開範囲が広がったから、うち何冊かはネットで閲覧出来るようになってしまった。もちろん本の方が見易いけれども。