瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(114)

・郷内心瞳『拝み屋念珠怪談』(5)
 昨日の続き。『奈落の女』224頁8~10行め、

 遊佐さんたちの目当ては、同じ境内に祀られている首なし地蔵と呼ばれる地蔵だった。*1
 こちらもその名のとおり、首から上の部分が欠損した地蔵尊で、悪戯半分で触れると/祟りがあるなどと言われている。*2

と、目的と事前に仕入れていた情報が紹介されます。
 追って詳述する予定ですが、道了堂跡の「首なし地蔵」に「悪戯半分で触れると祟りがある」と広めたのは稲川淳二です。稲川氏以前にも、そう云う噂があったことになっていますが、何処まで遡れるのか分かりません。しかし、昨日触れた道了堂の不審火ではありませんが、稲川氏の影響力が現在の状況を作ったことは間違いないでしょう。何せ「道了堂」で画像検索すると、トップページは1/3くらい石地蔵の写真で、動画検索すると1/4くらいが石地蔵のサムネイルになっているのです。
 ただ、稲川氏の話は細部まで認識されていない模様で、10行め「‥‥、境内に至る長い石段を上りきると、/‥‥」11行め~225頁2行め、

 ところがどうしたことか、見つけた地蔵にはきちんと首がついている。地蔵は境内に/二体あったのだけれど、首はどちらにもついていた。
 ただ、そのうちの一体は、首から上がいやに真新しい。首筋には接合した後もあった。【224】
 おそらくは、関係者の手によって補修されてしまったのだろうと思う。首なし地蔵の/不気味な姿を見たくてやって来た遊佐さんたちには、余計な改悪でしかなかった。


 首が真新しいのは立像の方ですが、稲川淳二は座像のことしか語っていないのです。そもそも、稲川氏の見た地蔵には首があったので、北八王子駅近くの首なし地蔵のように、首が存在しない訳ではありません。2009年当時は、稲川氏がどちらの地蔵を指して云っているのか、ネットでも確認しづらかったのかも知れませんが、文字でも音声でも稲川氏の語りを(公式に上げたものではないのでしょうけれども)容易に確認することが可能な現在でも何故か、立像の方を見て、これが稲川氏の首なし地蔵だと思い込む者が後を絶たないのです。
 立像の方の頭が挿げ替えられたのが何時なのか、これは写真で検証しようと思っているのですが、首のない状態の写真は、これまで見たことがありません。自然に倒れて欠けたのか、それとも人為的にへし折られてしまったのか、どちらか分かりませんけれども、立像の方は余り長い期間「首なし」であったとは思えないのです。座像の方は、昭和40年代に首のない(別にある)状態の写真が撮影されていて、これは稲川氏の説明と合致しています。それなのに首が補修されて、本来の首ではなくなっていることで、本来の首が補修されて付いている座像よりも立像の方が「首なし地蔵」らしくなってしまった、と云うことなのです。
 とにかく、この話は稲川氏を離れて、曖昧なまま一人歩きを始めていると云うことになりましょう。
 しかしながら、そもそも、石地蔵でなくても文化的な遺産に「悪戯半分で触れ」るべきではないので、この立像と座像をめぐる混乱は、私などからすると「祟りがあるなどと言」う風説の馬鹿馬鹿しさを物語っているようにしか思えないのですが如何でしょうか。
 さて、4行め「さすがに怖くて」触ろうとする者もなく5行め「さっさと切り上げよう」と、5~6行め「‥‥地蔵の前から踵を返すと、黒々と染まった/闇の中に女がぽつんと立っているのが見えた。」それが、7行め「髪型が妙に古めかし」い「灰色っぽいワンピースを着た二十代ぐらいの若い女」で、9~10行め「ぎょっとなって鳩尾*3に凍りつくような悪寒」を覚えたところで「女は煙が巻き散るように/姿が散り散りにばらけ、たちまち目の前から消えてしま」うのです。
 そして1行分空けて、最後(11~16行め)に解釈と感想等があります。ここでは解釈を抜いて置きましょう。11~14行め、

 のちになって件の道了堂跡では、過去に二件の殺人事件が起きていたことを知った。
 そのうちの一件は、被害者が女子大生だったそうである。
 昭和四十年代の末期に起きた事件らしく、遊佐さんたちが境内で目撃した女の年代や/容姿における印象は、被害者のそれと一致する。


 この事件と、道了堂(跡)に出没する若い女の幽霊については、2004年5月28日に立てられた2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」の、関連箇所を2018年10月11日付「閉じ込められた女子学生(08)」に引用し、2018年10月12日付「閉じ込められた女子学生(09)」に検討しました。そこでも述べた通り、立教大学助教授の教え子殺しは同じ鑓水でも多摩美術大学の近くで、直線距離で約 1.5km 離れている道了堂跡と絡めるのは無理があります。
 大体、幽霊と云うのは自分が殺された場所や、埋められた場所や、或いは恨んでいる相手のところに出ることになっているはずです。同じ町内だからと云って、歩くと 2kmも離れているところに出るものでしょうか。
 要するに、鑓水で殺された若い女性と云うことで、安易に関連付けられてしまったとしか思えないのです。
 大体、事件の経緯を調べれば、件の大学助教授が、道了堂を殺人現場に選んだり、遺棄現場に選んだりするのはかなり面倒でまづ有り得ないことだと、直ちに諒解されそうなものなのです。
 それでは、誰が出ているのか、と云うことになりますが、これは分からないと云うより他はないでしょう。件の「女子大生」だと云う牽強附会が許されるのならば、詰まるところ、誰が何処に出ても良いことになってしまうでしょう。
 それはともかく、この話も、まぁ、ありきたりな話です。同じ(?)幽霊については、上に挙げた2ch(5ch)のスレッド「大学にまつわる怖い話」以外にも幾つか目撃談があります。ですから、作れなくはない。私の本シリーズについての最初の印象が正しいとすれば、『奈落の女』197頁4行めに、

 とにかく取材対象から軒並み冴えない体験談を聞かされるのは、もうたくさんだった。/‥‥*4

とあるような「冴えない体験談」の1つとして、設定されているようにも、思えるのです*5。(以下続稿)

*1:ルビ「まつ」。

*2:ルビ「いたずら/たた」。

*3:ルビ「みぞおち」。

*4:ルビ「さ/」。

*5:と云う訳で、差障りのない範囲での、ノートの公開を改めて要望します。無理にとは言いません。