瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

東京八王子西ロータリークラブ『山と平野のふれあう街』(1)

①東京八王子西ロータリークラブ広報委員会 編集『山と平野のふれあう街 ―写真でつづる八王子の昔と今―昭和56年6月26日発行・東京都八王子西ロータリークラブ(八王子)・146頁・19.5×21.5cm
②東京八王子西ロータリークラブ30周年実行委員会 編集『山と平野のふれあう街 ―写真でつづる八王子の昔と今―1996年6月1日発行・東京都八王子西ロータリークラブ(八王子)・187頁・19.5×21.5cm
 標題は扉に拠る。
 ①1981年版と②1996年版を比較して見よう。
 表紙、赤く染まった空を写した写真であることは同じ。①は中央やや下に群青色の単郭(10.3×14.6cm)に山並の上に夕焼け空の写真(9.6×13.9cm)。②は下寄りに幅一杯の都市の照明を見下ろした写真(12.1×21.3cm)で、奥付の左下に「表紙写真について」との説明があって、1993年1月1日午前6時頃に小仏峠から八王子市街から都内を遠望したものであることが分かる。①②とも写真の上に2行、明朝体横組みでまづ群青色で大きく標題、その下に黒で副題がある。
①は「―写真でつづる八王子の昔と今―」、②は「―― 写真でつづる八王子の昔と今 ――」で、これは②の標題が①よりもやや大きくなっているためである。標題・副題とも②はやや太い。
 背表紙、上部に明朝体で標題、1字分空けて細い丸ゴシック体で副題(「―」はない)。副題は①は中央やや上、②は中央やや下、②は標題・副題とも一回り大きい。①は下は余白だが②は丸ゴシック体で小さく「東京都八王子西ロータリークラブ」とある。
 裏表紙、①は中央に、群青色の枠()に江戸時代の高尾山の絵図()がある。下部中央に「Rotary International」のマークがあってその右に細い丸ゴシック体で「東京都八王子西ロータリークラブ」とある。②は群青色の楕円の水面から白い魚が跳ね、その上に白く歯車型の線を抜いた緑色の円に白い鳥の後ろ姿のマークがあって、その上下に縦長のゴシック体横組みで、上には小さく「次世代へ残そう、豊かな自然」下に「東京都八王子西ロータリークラブ/創立30周年」算用数字のみ大きい。
 見返し(遊紙)は表に横縞の透かしの入った白い紙で、本文用紙はアート紙、横組み、②は全てモノクロ印刷。
 巻末の増補部分を除いてほぼ同版だが、頁付が異なるので、以下対応させながら確認して置こう。
・扉、①前付=②1頁(頁付なし)
・扉の裏、東京都八王子西ロータリークラブ 会長  中澤 康夫「「山と平野のふれあう街」刊行にあたり」、①前付=②2頁(頁付なし)。見出しが明朝体でやや大きい他は丸ゴシック体で左右2列に組んでいるのは以下も同じ。
・「もくじ」①前付=②3頁(頁付なし)。①にあって②にないのは1項目、②に増補されているのは1項目(2行)、①では「まとめ」の前を少し空けていたが②は詰めている。なお、この見開きの上部はパノラマ写真になっており、キャプションは下・右寄りに「西武デパート八王子店屋上より撮影」とあって、①にはその下、中央揃えで細いゴシック体で「(1981年5月)」とあったが何故か②ではこの撮影年月が省かれている。
・「はじめに」①1頁=②4頁
・「甲州道中絵図」②2頁(頁付なし)題簽の写真で見出しは「もくじ」に拠る。3~4頁(頁付なし)はそれぞれ観音開きにして、全面印刷の左右に長い八王子宿のカラー絵図。5頁に「甲州道中絵図」とあって簡単な説明と(逓信博物館提供)。②にはこれがない。
パラフィン紙の章の扉、右側中央に右寄せで、①は「Hachioji, Now/八王子の今」とあったが、②では「Hachioji:Old Days/八王子の昔」となっている。「もくじ」を見ても、また内容的にも②が正しい。この扉は頁に勘定されていない。
・「弥生時代」①6~10頁=②5~9頁
・「古墳時代」①11~17頁=②10~16頁
・「奈良時代」①18~20頁=②17~19頁
・「平安時代」①21~30頁=②20~29頁
・「鎌倉時代」①31~35頁=②30~34頁
・「南北朝時代」①36~38頁=②35~37頁
・「室町時代」①39~47頁=②38~46頁
・「安土桃山時代」①48~55頁=②47~54頁
・「江戸時代」①56~69頁=②55~68頁
・「明治時代」①70~82頁=②69~81頁
・「大正時代」①83~90頁=②82~89頁
・「昭和時代」①91~97頁=②90~96頁
 左開き(横組み)なのに①は左頁が奇数、右頁が偶数で据わりが悪かったのが②では解消されている。しかし、この辺り、②は①をほぼそのまま復刻したものなので、正直なところ、主要部分の頁付は変えないで欲しかったと思うのである。(以下続稿)