瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(330)

 昨日の続き。
・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(2)生年②
 巻末の編集部 作成「竹中労略年譜」には、生年月日を昭和5年(1930)3月30日生としている。だから平成3年(1991)5月19日に満61歳で死去したことになる。
 ところが、収録されている文章や対談等を読んで行くと、そちらでは別の年に生れたことになっているのである。
 巻頭、2~13頁、特別対談「佐高信×鈴木邦男/左右弁別すべからざる対話」は、末尾(13頁下段23行め)に「(2011年4月18日 河出書房新社にて)」で、「佐高」信(1945.1.17生)と「鈴木」邦男(1943.8.2生)に、恐らく編集部の人間「――」の3人で進められているが、10頁中段に次のような件がある。10~17行め、

佐高 亡くなるの、早かったんだよね。/63歳。
鈴木 嫌だなあ。そんなに若かったんだ。/昭和3年生まれ(『竹中労・別れの音楽/会』「竹中労 年譜」より)。ということ/は三島由紀夫とあまり変わらない。
佐高 土井たか子と同い年。澤地久枝が/昭和5年だからね。


 同世代の人間として三島由紀夫(1925.1.14~1970.11.25)土井たか子(1928.11.30~2014.9.20)澤地久枝(1930.9.3生)が持ち出されている。
 ここで気になるのは「昭和3年生まれ」にわざわざ「(『竹中労・別れの音楽会』「竹中労 年譜」より)」と添えていて、編集部 作成「竹中労略年譜」と異なる見解を取っていることを、わざわざその典拠を挙げて断っているような按配にしていることである。
 しかしながら、この「竹中労 年譜」は「竹中労略年譜」にも、190頁下段12~15行め、

*略年譜作成にあたって、『竹中労・別れの音/楽会 プログラム』所収の「竹中労 年譜」、/『決定版ルポライター事始』(ちくま文庫)所収/の「竹中労の仕事」を参照した。

とあって、その主たる資料らしいのである*1。それだのに重要なポイントの1つたるべき生年について、何故か従っていないのである*2
 なお「竹中労・別れの音楽会」は、「竹中労略年譜」の190頁中段2~8行め、歿年の条に、

一九九一年
『百怪、我ガ腸ニ入ル ―竹中英太郎画譜』で/日本推理作家協会賞授賞。五月一九日二一時五/八分、肝臓癌のため死去。『無頼の墓碑銘 ―/せめて自らにだけは、恥なく瞑りたい』(KK/ベストセラーズ)を上梓。九月二〇日、川口リ/リアホールにて「竹中労・別れの音楽会」開催。

と見えている。ちなみに「授賞」は「受賞」だろう。――川口総合文化センター(リリア)は平成2年(1990)5月開館、私も何度か入ったことがあるが、川口駅西口駅前の立派なホールである。
 それはともかく、本書にはもう1つ、この「竹中労 年譜」を参照している文章が収録されている。「論考」の11番め(132~143頁)、詩人・寺島珠雄(1925.8.5~1999.7.22)の「美的浮浪者の過程 ――私記・竹中労」である。この文章は末尾(143頁下段22行め)に出典が「(『美的浮浪者・竹中労』97年11月・月の輪書林発行)」と示されている。
 発行所の月の輪書林は、編輯兼発行人の高橋徹(1958生)が経営する東京都大田区東矢口にある古書店。テーマを決めた充実した目録を作ることで知られており、晶文社からその舞台裏を記した著書2冊『古本屋 月の輪書林』『月の輪書林それから』を刊行している。但し、既にやり尽くしてしまったようで、ここ数年、目録を出していない。
・『月の輪書林 古書目録10』平成九年十一月二十五日 印刷・平成九年十一月 三 十 日 発行・月の輪書林・298頁
 この目録の「特集」が「美的浮浪者・竹中労」なのであった。但し古書目録は公立図書館には収蔵されないので未見。――私は図書館派で古書店は殆ど利用しない。コロナで校友の利用が停止されるまで使っていた母校の大学図書館では、空いた時間にレファレンスの書庫に並んでいた古書店の目録を眺めたものだったが、しかし自分では滅多に買わないから目録が送られて来るようなこともない。買わないのに行くのは心苦しいので店にも行かない。だから店で目録をもらって来ることもない。
 『古本屋 月の輪書林』にはこの目録に関する記述があるようだ。未見。寺島氏に関する記述もあるだろう。今度『月の輪書林それから』ともども借りて読んでみようと思う。
 それはともかく、本書が寺島珠雄「美的浮浪者の過程 ――私記・竹中労」を収録していることは、閲覧が難しいだけに誠に有難い。
 構成を見て置こう。132頁はまづ8行取りで題と寺島氏の紹介があり、以後2段組。1段22行、1行26字。引用は1字下げで「――」で始めて「……」で終わらせた段落にしている。詩や見出しの引用は1字下げで前後1行ずつ空ける。135頁上段3行め「引用内の⦅⦆は寺島の註。」
 ゴシック体1字下げで節の見出しがあって、1行空けて次の節の見出しを示す。以下、仮に〔 〕に番号を打って置こう。
〔1〕132頁上段1行め「夜から朝へ
〔2〕134頁上段15行め「マヴォ』を追う
〔3〕136頁上段6行め「年齢と上野・浅草
〔4〕138頁下段14行め「私事二件
〔5〕141頁上段14行「旅と病とやり残し」143頁下段21行めまで。
 この「年齢と上野・浅草」を読んで初めて、「竹中労 年譜」と本書の「竹中労略年譜」が食い違う理由が理解出来る。しかしやはり「竹中労略年譜」に編集部が断って置くべきだったと思うのだけれども。(以下続稿)

*1:竹中労の仕事」の方は著書を刊年に配置するために参照しているので、生年月日の問題には関わらない。

*2:1月9日追記】メルカリに『竹中労・別れの音楽会』プログラムが出品されている。「竹中 労 年譜」の冒頭の写真が掲載されているが「1941(昭15) 12歳。‥‥/1942(昭18) 15歳。‥‥/1944(昭19) 16歳。‥‥/1945(昭20) 17歳。‥‥/1946(昭21) 18歳。‥‥/1947(昭22) 19歳。‥‥」と年立が奇妙なことになっている。正しくは「1940(昭15) 12歳。‥‥/1941(昭16) 13歳。‥‥/1942(昭17) 14歳。‥‥/1943(昭18) 15歳。‥‥」となるはずで「1941(昭15) 12歳。‥‥」条は「竹中労・年譜」では1930年生説を採って「1941|昭和16|11歳」条に、「1942(昭18) 15歳。‥‥」条は「1942|昭和17|12歳」条にしている。この調整のために更なる齟齬が生じてしまったところもあろう。しかし私の結論にそこまで大きな影響を及ぼさないと思われるので、プログラム現物の記載に基づいて書き直すのは(ややこしくなるし)止めて置く。