瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(115)

・東京都立八王子工業高等学校百年史編集委員会 編集『百年史』昭和62年10月25日 印刷・昭和62年10月30日 発行・非売品・東京都立八王子工業高等学校・587頁・B5判上製本
 本書には、既に2022年5月24日付(61)に書名を示さずに予告したのだけれども、道了堂が昭和61年(1986)秋に解体されていた根拠となる写真が掲載されている。
 当ブログは個人の責任で*1掲載可能か確認が必要な画像は、原則として載せないことにして、文字で説明して済ませて来た。
 ただ、本書は、非売品かつ稀覯書なので、現物を示して置く必要があると思ったのである。人が写っているが36年前に撮影された教職員と父母の集合写真で、顔は写っているが小さくてはっきりとした画像ではない。当時の教職員や父母を知っている人が見れば誰だか分かるだろうけれども、知らなければ誰だか分からない。その掲出が、今更何らかの問題を生ぜしめるとも思えない。いや、私は被写体である人物ではなくて、それ以外の部分に何が写っているか注目しているのだが、それが何とも分かりにくい写り方なのである。文字で説明して納得してもらえるかも知れないが、私の解釈に基づいた読み誤りをしている可能性もある。だから客観的な証拠として現物を掲出した上で、私の判断に賛成してもらいたいと思ったのである。それで、この半年以上、どう扱うべきか、随分思い悩んだのである。
 大体、殆ど閲覧されていないブログ主の癖して拡散を怖れるとは、全くの杞憂と云うべきだろうとも、思った。私は結論に自信のある記事については Twitter にも要旨を投稿しているのだが、何故かそういうことをすると却って閲覧数が極端に低くなる。以前からそうだ。どういう仕組みなのだ。ただ、そう思って安心していても、無責任に拡散されないとも限らない、可能性としては。そうなったとき、やはり責任を持てないと思ったのである。
 いや、手順として八王子工業高等学校の後身である八王子桑志高等学校に許諾を求めるべきだと思ったのだが、しかし許可されないかも知れないし、こんなことで忙しい教職員の手を煩わせるのも気が引ける。授業を担当していない、司書教諭が応対するのかも知れぬが、そうなると私の酔狂なブログの記事幾許かに目を通してもらうことになる。それも心苦しい。
 こんなブログの記事が印刷物に掲載されるまでになるかどうか、そういう機会があればそのとき版元を通して許諾を得れば良いので、苦労して見付けて複写を取ってブログに載せて、しかも priority も十分に尊重されないなどこんな馬鹿な話もない。まぁそれはともかく。
 586頁「編 集 後 記」は「1987年3月6日」付で椚国男が書いている。椚氏の略歴は2016年3月5日付「八王子城(1)」に述べた。東京都立八王子工業高等学校については2022年10月20日付「小泉二三『思い出の鑓水』(3)」の最後にごく簡略にその歴史に触れたことがある。
 373~388頁「Ⅲ編 百年の支え」380~384頁「Ⅱ PTAのあゆみと支え」の前半、380頁2行め~382頁「全日制課程」は末尾に(岐津 俊二)、383~384頁「定時制課程」は末尾に(江部 明夫)と執筆者が示される。
 その「定時制課程」の384頁左12行め~右23行め「2. 最近のPTA活動」に、右10~17行め、

 PTA研修旅行は、昭和61年度に初めて試/みたもので、同年11月16日(日)、八王子の/ “ 絹の道 ” コース(道了堂→絹の道→小泉屋/敷→ジンギスカン料理・絹の里)で実施した。/ “ 織物の八王子 ” や本校のルーツをたどるに/ふさわしい研修旅行であった。参加したPT/A会員は、和気あいあいの秋の一日を満喫し/た。

とあって、その下、9行分取って横長の集合写真と下にゴシック体でやや小さくキャプション「荒涼とした道了堂でのPTA会員(八王子市)」を挿入する。
 この写真が問題なのである。樹林を背景にした集合写真で被写体は10人、うち半数は笑顔である。前列の4人(男・男・女・男)はしゃがんで、後列の6人(全員女)は立っている。しかし、本文に「道了堂」とありキャプションにも「道了堂」とあるのであるが、全く建物が写っていない。
 一見何処だか分からない。しかし良く見ると、後列3~4人めの後ろに、若干左に傾いた太い幹が2つ写っている。これは、現在の道了堂跡を写した写真の、背後に写っている、根元で二股に分かれて、やや左に傾いている木であろう。前列の4人の前には、しゃがんでいる人の足許を隠す程度の低い石の塀(?)が写っている。これは、現存する道了堂の参道石畳の突き当たり、向拝の下の階段の礎石らしく思われるのである。
 以上、見て判断してもらうのが良いと思ったのだが、今は言葉による説明で済ませて置く。
 とにかく、この写真により道了堂は、2022年6月11日付(072)に見たかたくら書店新書20『絹の道』に掲載される昭和61年(1986)の、恐らく初夏に撮られた写真以降、11月16日(日曜日)までの間に解体されたことが分かる。遺族から公園として整備するために土地を買収した後、八王子市が解体したので、跡形もない。(以下続稿)

*1:【1月21日追記】ここに「確認が」とあったのを削除。