瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子市の首なし地蔵(08)

 2022年12月2日付(01)の冒頭に、稲川淳二が有名にした(と云って良いと思う)道了堂の首なし地蔵に関連して「‥‥。その上、稲川氏は近著に収録した「八王子の首なし地蔵」で余計な(!)改変を加えたため、今後、新たな混乱の発生が懸念されるのである。」などと述べたのであったが、これは、ほぼ勘違いであった。お詫び申し上げます。
 で、まづ、その言い訳から始めよう。――私は稲川怪談には余り興味がなかったので「首なし地蔵」のことも知らなかった。しかし、道了堂跡と云うと稲川淳二の首なし地蔵、と云うフレーズをネット上でしばしば目にするので「首なし地蔵」で検索して見たのである。そのとき、ヒットしたのが某動画サイトに違法 Upload されていた、次のオムニバス映画の、3話収録の3話め「首なし地蔵」だったのである。
・『稲川淳二 心霊』平成8年(1996)8月16日公開

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 これは、よく晴れた昼間に女子大生らしい3人連れが丘陵地の谷戸にある大きな農家を「昔は機織りをやってたんだって、隣の村や他所の村から、たくさんの機織りの女の人たちが働きに来ていたそうよ」「えー住み込みでぇ?」などと話しながら訪ねる場面から始まる。この説明をしている人物が、当主(稲川淳二)の姪くらいの親戚と云う設定らしい。
 そして晩、囲炉裡を囲んで和服の稲川淳二に「首なし地蔵」の話を聞かされるのである。曰く、――戦国時代、戦乱と旱魃にもかかわらず取り立てをやめようとしない領主に、庄屋と幾人かの百姓が直訴に行くが、全員首を刎ねられてしまう。不憫に思った村人たちが石の地蔵を作って山の中にひっそり祀る。その後、領主一族に災いが降りかかる。跡継ぎと奥方、主立った家来がバタバタ斃れ、誰云うともなく「地蔵の祟りだ」と云う噂が立ったため、怒った領主が地蔵の首を刎ねたところ、石の地蔵の首から血が流れて真っ白な涎掛けが血で赤くなった。領主は地蔵の首を沼で洗って持って帰る。それから幾日かして、沼に領主の首なしの死体が上がった。「ところがこの話はこれだけでは終わらなかったんだ。私の爺さんの代に、その話はここで起こったんだ」と言って「今から7、80年前」にこの家に働きに来ていた「おかよ」と云う貧しい百姓の女房の身の上に起こった話を語り始める。
 ここからが本題であるが、先刻の女子大生3人が織子の格好をして出て来るので、一見再現ドラマ風である。しかしながら、稲川氏の語りはなくなって、再登場もしない。――囲炉裡を囲んで3人の住み込みの織子が「首なし地蔵」の話に興じている。1人が本当にあるのかねえ、と言うと村出身の1人も、おっかないから行ったことがないと言う。そこで、誰かが首なし地蔵まで行けたらあたいの反物をやるよ、と云うことになる。すると土間で大根を洗っていた、病気の男児と借金を抱えている「おかよ」が自分が行っても反物をもらえるのか、と言って、3人が止めるのも聞かずに子供を背負って家を出てしまう。なお、「おかよ」は眉毛を落としていて既婚、3人は眉毛はあって未婚である。
 出発したときは明るかったが山に入るにつれ次第に暗くなる。沼で顔を洗い、持って出た提灯に火打石で火を点したところで「帰れ」との声を聞く。やがて「地蔵峠」に着き、そこからまたしばらく行って首なし地蔵に辿り着く。地蔵は膝くらいの高さの小さい立像(光背はない)で8体ほどある。うち1体に向かって「ちょっと涎掛け借りてくぞ」と言って白い涎掛けを剥ぎ取ろうとする。そんな条件は出ていなかったはずなのだが。しかし反物に目が眩んで、ちょっと普通じゃなくなっている「おかよ」は必死である。そして、遂にその地蔵の首をもぎ取ってしまうのである。そして、地蔵の首を持って帰り始めるのだが、首のなくなった地蔵には白い涎掛けがそのままである。まぁ、別に涎掛けを持ち帰ると云う約束ではなかったのだから構わないんだが。と、そこに鮮血が流れ落ちるのである。
 さて、帰り始めた「おかよ」は、ときどき「置いて行けぇ、置いて行けぇ」と云う声に襲われる。草履の鼻緒が切れたり、転んで提灯を落とし、燃やしてしまったり、難儀に見舞われながら「おかよ」は、地蔵の首を手に暗闇を歩いて行く。
 3人が囲炉裡端で待ちわびているところに、裸足でよろめきながら「おかよ」が帰って来る。そして笑いながら「行って来たよ。約束通り証拠に、地蔵の首持って来た。今見せるからな」と言って血塗れの両手で「それ」と掲げて見せたのは、地蔵ではなく自分の子供の真っ赤な血に染まった生首だった*1
 これを初めに見たので、2022年4月14日付「道了堂(033)」の最後に述べたように、稲川氏の「首なし地蔵」はこういう話で、道了堂跡の「八王子の首なし地蔵」の話とは別物だと思ったのである。それで『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』第三章「怖い場所」の4話め、154~170頁「八王子の首なし地蔵」の前半、154頁2行め~161頁「お地蔵さんの祟り」を読んだときに、後半、162~170頁「八王子怨霊地帯」に語られる道了堂跡の首なし地蔵と抱き合わせるために、元来、八王子とは無関係だった、肝試しの「首なし地蔵」の話を、無理矢理に八王子のことにしてしまったのだろう、と早合点してしまった次第である。改めてお詫び申し上げます。
 で『稲川怪談』ではどのような語り出しになっているが、「八王子の首なし地蔵」の「お地蔵さんの祟り」冒頭を抜いて置こう。154頁3行め~155頁2行め、

 これはね、昔の伝説の話なんですよ。いろんな土地に、けっこうあるんですよ。探してみましたら、東/京にもあったんです。そりゃもう、えらい昔の話になりますよ。八王子*2のあたりで、起こったことなんで/すかね。
 あのあたりというのは、昔から、機織*3りで有名なところなんですねえ。東京の中でもちょっと独特な、/機織りの町だったんですよ。だから、あっちこっちから、機織りをするために、若い娘さんたちが送られ/てきた。彼女たちはすみこみでもって、年がら年中、機織りしてた。ですから、当時の八王子は、どこに/行っても、ぎー、ばたん、ぎー、ばたんって音がしてたわけです。
 で、一生懸命*4働いて、わずかだけどお金もらっいて、やがて故郷に帰ったりとか、するわけですよ。こ/こ、なんの娯楽もないわけですねえ。おまけに、今も八王子というところは、都心に比べてけっこう寒い/【154】ですけど、昔は今よりももっと寒くて、雪も厳しく降ったそうですよ。えらい寒かったようですねえ。そ/んな、ある年の冬のことなんですが……。


 ここで1行空けて本題に入る。上記映画とは大筋は同じである。しかし映画では八王子と云うことになっていなかったのが、こちらではまづ八王子であることを強調してから本題に入るのである。――娯楽がないから肝試しをしようと云う話になる。「前かけ」を取って来ることが最初から条件として設定されている。地蔵の所在地は155頁8~10行め「‥‥すこーし山/に入っていくと、谷川があってねえ。それを過ぎると、小さな沼があって、沼の淵*5に、お地蔵さんがい/る。‥‥」となっているが「淵」は「縁」だろう。「おかよ」役は156頁11行め「‥‥、たまたま、その土地の農家のおかみさんがやってき」て、肝試しに行くことになる。子供が病気だとか借金をしているとか云う設定はない。また「お地蔵さん」と云うばかりで「首なし地蔵」と云う名称は出て来ない。従って、戦国時代のことだと云う「首なし」の由来譚は語られていない。首をもぎ取るようなこともなく約束通り「前かけ」を取って帰る。最後は、背負っていた子供を下ろしたときに首がなくなっていていることに気付く。
 この話は、Lafcadio Hearn(小泉八雲)の『骨董』の1篇「幽霊滝の伝説」と大筋で一致する。幽霊滝では滝明神の賽銭箱だけれども、首がなくなっていたと云うオチも同じである。映画ではここをよりグロテスクにしている訳である。しかし、そんなに類話がある話とも思われない。いや、延宝五年(1677)四月刊『諸国百物語』に既に類話が見えている。肝試しの内容がまた異なるが、子供を負ぶった母親が肝試しに行って、ミッションには成功するものの子供の首を取られてしまう、と云う展開の類似は、叢書江戸文庫②『百物語怪談集成』に『諸国百物語』が収録されたとき、或いは岩波文庫『江戸怪談集(下)』に『諸国百物語』が抄録されたときに気付いた人も少なくないであろう。
 稲川氏はこの話が八王子にあった、とするのだが、どのような「探し」方をしたのだろう。2022年12月2日付(01)に見たように、郷土史家の清水成夫が従来知られていた八王子の伝説類を集成した『八王子ふるさとのむかし話』には、八王子市石川町の「首なし地蔵」しか載っていない。また「いろんな土地に、けっこうある」と云っているが、以前読んだ大島廣志の「幽霊滝の伝説」を取り上げた論文でも、八王子どころか他の土地の類話の報告も(『骨董』の影響や大島氏たちの云う「現代伝説」以外には)なかったように記憶している。今度確認して置こう。
 『稲川怪談』ではこの話の最後を、161頁12~15行め

 お地蔵さんの赤い前かけを、盗んだおかげで、子どもの頭を、取られちゃったんですねえ。こういう伝/説があるんですよ。あっ、そのお地蔵さんの場所ですか? 私、知ってます。でも、行かないほうがいい/と思いますよ、たぶん。今ねえ、お地蔵さんはありません。ただ、八王子には、首なし地蔵がいるんです/よねえ。

として、次の道了堂跡の首なし地蔵に繋げている。「伝説がある」とか「知ってます」と云われても俄に信じられない。
 それはともかく、八王子と関連付けていなかった映画の印象から、八王子を強調する作りは『稲川怪談』で道了堂跡の首なし地蔵と抱き合わせるための作為と思ってしまったのである。『稲川怪談』には「出典・初出一覧」があるのだが、この話は「ユニJオフィース」と稲川氏の個人事務所名が挙がっているばかりで、いつ口演した話なのかも分からない。
 ところが、かなり以前にダビングしていた、次のCDに「地蔵のたたり」と題して収録されていたのである。
・『稲川淳二の怖ーいお話 vol.1「霊界への扉」』PCCH-00063 [96・6・21] PONY CANYON

 6話収録の「第五話 「地蔵のたたり」」。冒頭を見て置こう。

 最近の話ばかりじゃなくて、ちょっとこの、昔の、伝説をお話ししてみましょうかね。
 この話は、他の土地にも結構あるんですよ、探してみましたらね。で、東京にもあったんです。そりゃもう、えらい昔の話になりますよ。
 東京と云っても、まぁ当時はなんて云ったんでしょうかねえ、八王子ですか今で云うならば。あの辺りっていうのはその昔は大変な機織りで有名な土地なんですね。ですから同し東京であっても、また一つ違った、機織りの町ではあったわけなんですよ。それで、あっちからこっちからと、その機織りをするために、若い娘が送られてくるわけですよ。もちろん住み込みでもって、そこでもって年がら年中機を織るわけですね。当時のその機織りの町八王子って云うのは、ですから、何処へ行っても、キーパタン、キーパタン、キーパタンって音がするわけです。で一生懸命働いて、わずかなお金をもらって、それでやがては、国へ帰ったりとか、皆するわけですよ。ただ、なんの娯楽もないわけですね。
 今も、東京の都心に比べると、八王子というところは結構、寒いところですが、昔はかなりこの、雪も厳しく降ったようですし、寒かったようですねぇ。
 まぁそんなある日なんですが。


 私が「改変」と思っていたところ、すなわち「八王子」の地名の強調は、映画と同年に収録発売されたCDの「地蔵のたたり」に既に備わっていたのである。従って、稲川氏がこの話を語り始めた当初からのもので、映画の方がこの辺りを朧化する「改変」が施されたものだったのである。
 最後も、同じ音源から文字起こしして置こう。

 赤い前掛けを盗んだおかげで、彼女の背中は真っ赤になってしまったんですねえ。子どもの頭を取られちゃったんですねえ。そういう伝説があるんですよ。あ、その場所ですか? 私、知ってます。でも多分、行かないほうがいいと思いますよ、今ねえ、お地蔵さんはありません。ただ八王子には、首なし地蔵はいるんですよ。


 この話の地蔵は首を斬られたり、肝試しで首をもがれたりしていない。従って「首なし地蔵」と呼ばれていない。最後に「八王子には、首なし地蔵はいる」と何とも思わせ振りに添えられているだけである。それが映画では、戦国時代の由来譚が追加され「首なし地蔵」との題となり、一方で「八王子」の地名は伏せられたのである。
 ただ、昨年刊行の『稲川怪談』では、道了堂跡の首なし地蔵と抱き合わせて「八王子の首なし地蔵」の題で纏められているのである。今後、この話に関しても、より「八王子」が強調された形で、何らかの影響が出て来るかも知れない。実際、どんな展開になるかは、計り難いけれども。(以下続稿)

*1:帰りの途中で子供の首が炎上し、何者かの手によってスムースに、おかよの気付かぬうちにもぎ取られる場面(CG)がある。またラストシーンに赤ん坊の泣き声が被さるが生首が泣いているように見えないし、そのような泣き方をするほど幼いようには見えない。CGは沼の場面にもあるが、ここでもおかよは目撃していない。

*2:ルビ「はちおうじ」。

*3:ルビ「はたお」。

*4:ルビ「いっしょうけんめい」。

*5:ルビ「ふち」。