瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(363)

 昨日の続き。
・關寛之『日本児童宗教の研究』(5)
 本書の中に赤マント流言のことはもう1箇所、この「E 迷 信 の 傳 播」の章の結論を述べた、三四〇頁2行め~三四三頁5行め「5 迷信の傳播に關する學説の批判」の節の最後に、持ち出されている。この節は關氏の「走行説」を窺うに適しているから、全文を抜いて置こう。まづ三四〇頁2行め、2行取り10字下げで節の見出し、3行め~三四三頁5行め、

 以上、迷信の傳播に於ける急激型と穩和型、有意型と無意型、國内型と國外型といふやうに、對偶關係にある有らゆる類型に/就いて、實驗的、民族的、文獻的の研究を遂げた結果は、次のやうな結論を下し、且つ其結論から、從來の諸學說に對して、次/のやうな批判を加へることが至當と信じ得るに至つた。
  迷信の傳播は、一定の時期及び段階を踏んで經過する。その經過する時期としては、走行期、浸潤期及び消失期を擧げ得/る。卽ち、最初、近遠各地に、傳播が走行的に外延を増す時期が現れ、次に、傳播地及びその附近に、稠密濃厚に傳播して、内/包を浸潤する時期が來り、最後に、消失する時期が來る。走行期は、更に、原刺戟保持者や保持者群が、比較的純粹に刺戟を保/持して、尙ほ全群として傳播を行なつてゐる全群移動段階、此全群が方々に分裂して、刺戟を變質させつつ、活潑に移動して、/意外な遠隔地に、飛火のやうに傳播する分裂移動段階、此等と接觸した民衆が一定數に達して、新舊傳播群が分解し綜合して、/數多の新らしい傳播群を形成し、恰も疫病の蔓延の如く、手のつけられないやうに、近遠に新らしい傳播地を増してゆく新群形/成移動段階を含む。併し、最初の二つの段階は、區別の明瞭でない場合もある。此等の時期及び段階の境は、互ひに交錯し移行/する。而して、一系列の迷信が、一たび消失し、又は廢滅に瀕して、社會情勢の變化で再興した場合は、また最初から此等の時/期及び段階を經過するので、迷信には、傳播上、單型と複型とがある。
  迷信の内容には、變質が行はれる。變質は、分裂移動段階に於て最も活潑であり、その前の全群移動段階には殆ど全くな/く、其後の新群形成移動段階には、傳播力の強大なのに拘らず、變質は頗る少ない。浸潤期に於ても、內容は安定してゐる。變/質は、傳播者の間でも行はれるが、迷信がある地方に支持されるためには、その地方の生活事情に適應するために、被傳播者の/【三四〇】側の消化がこれを規定する場合もある。急激型では、前者が多く、穩和型では、後者が多い。
  迷信の傳播は、單に空間上のみから平面視すべきものではなく、かく時間上から立體視すべき方面があることを忘れては/ならない。一地域にも、消失してはまた新たな傳播があつたり、原刺戟傳播の上に更に變質刺戟が傳播してきたりして、層々重/疊してゐる。傳播上の空間と時間とは、分◯して考へることの出來ないものである。從來の民俗學者の中には、K.Krohn のや/うに(27)この點に注意してゐた人もあるが、多くの人々は、唯〻地域上に平面的に考へ、或ひはここに氣づいてゐたにしても、そ/の取扱つた資料の性質の齎らす制限もあつたか、實際の業績は、民俗を平面視して取扱つた結果となつてゐる。
  迷信の傳播の經過する時期及び段階は、地域の異なるに從つて經過の年月を異にし、何處も一緒に同じ時期及び段階を經/過するとは限らない。それも、一系列の迷信に就いて概觀すれば、傳播地の大部分の現に到達してゐる時期及び段階を觀て、そ/の系列の經過段階の何であるかをいふことは出來るが、他の系列と一緒に概括することは出來ない。それに、變質した異地域の/迷信が、まだ時期を異にする、それよりも發展階段の若い地域の、同一系列に屬する迷信と影響しあつて、後の發展を支配する/ことがある。況して、文化の種類の異なつた系列の間では、斯かる概括は一層不可能な筈である。故に、 Wundt の宗教發達段/階のやうな、概括的、概念的の時期又は段階を以て、異地域、異系列のものを一樣に説かうとすること(28)は、無理であつて、是非/説かうとならば、同一地域、同一民族、同一系列などの宗教に就いて、斯かる時期や段階を云爲すべきであらう。この點は、/ Lamprecht の批評と、余の結論とは、一致する。
  迷信の傳播の方向は、傳播者又は傳播者群の移動する原因に依つて決定され、方向圖は、傳播の形態を示すこととなる。/傳播を決定する移動の原因は、それが人間にある限り、從つて、人間が持ちあるく文化である限り、その種類が、迷信たると、/言語たると、民族たるとに◯な◯、主として社會經濟事情に依つて決定され、斯かる條件の下には、自然地理條件は問題となつ/てゐない。それのみでなく、却つて新たな交通路すらも形成されて、自然地理條件は克服される。それに、行政事情が重要な決/【三四一】定條件になつてゐる。傳道のやうな計畫のある場合ですらも、此等の兩條件が、傳道地の決定を支配してゐる。◯光や、戰爭の/やうな偶然な機會ですらも、◯◯◯決定條件となつてゐる。走行期に、傳播者や傳播者群は、此等の決定條件に規定された移動/に依つて傳播の諸地域を連結するので、傳播の方向、從つて傳播の形態は、繋がれた其等の地域の位量できまるので、自然地理/的に區劃されてもをらず、周圈状、波紋状に配置されてもをらず、必ずしも放射状でもない。或ひは直線形、或ひは往復や逆行/を含み且つ分枝を有する直線形、或ひは寧ろ多角形である。それに、浸潤期に於て、變質した刺戟の往復が可なりあるので、常/に近から遠へと傳播するとは限らない。併し、最初に、意外な遠隔地への走行のあることは事實である。時の古今を問はず、交/通路の形態が、この方向の形態の決定に重要な關係を有し、而して、交通路は、社會經濟條件及び行政事情に規定されることが/大である。
  迷信は勿論のこと、すべて人間の傳播する文化は、種類の何たるを問はず、その傳播の方向を規定する條件は、前述の通/りであるが、その方向の形態は、人間の移動の方向に規定され、傳播で繫がれた地點の位置に依つて定まる。而して、人間の移/動には、既述のやうな時間上の時期及び段階がある。從つて、ここに批判し否定すべき三つの傳播形態學說がある。卽ち、方言/や民俗などの傳播に關する區劃說、周圈論、放射説であるが、此等の三説を檢討してみると、その缺點を歷々指摘し得べく、而/して、その缺點は、今迷信の傳播について觀察して得た結果を、反面から支持することになるが、其等のことは、別の機會に讓/る。
  エストニヤ、フィンランドあたりの民俗學者は、傳播の原發點を探求するに、傳道の遺存する地點から、求心的に線を引/いて、その結焦點を原發地とする癖があるが、縷述の通り、傳播は固と走行するもので、必ずしも周圏状にも、遠心的にも、進/むとは限らないものであるから、斯かる方法は、最も危険な機械觀に陷るものといふべきである。
  迷信の傳播力には消長があること、既述の通りである。迷信が兒童に最も有力に傳播する時期は、その型に依つて多少異/【三四二】なる。急激型では、走行期の新鮮形成移動段階に於て最も新鮮強大で、大なる衝激を與へる。この段階には、既に變質した後の/稍〻安定した内容のものが傳はるが、恐怖を伴なふことの大なる内容のものは、兒童の空想を強く刺戟すると共に、兒童の受容/可能限界の束縛があつて、兒童の間で變質することが尠なくない。赤マント事件に於て、赤マントの容姿や、出現の場所、その/恐るべき行動は、この段階に於て、傳播地の異なるに從つて、樣々に變質した。穩和型では、浸潤期に於て兒童に傳播すること/が多く、兒童の間での變質は少なく、唯〻聞知の粗雜が認められる程度のことが多い。


 この記述を見ると、関氏は赤マント流言の資料も幅広く収集していたように思われるのである。
 そうすると、私は2020年5月14日付(244)に、関氏の説に依拠しているらしい同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』の「赤マント事件」を引用して、その「走行説」を裏付けるために、やや特殊な構図を描いて見せたかのように解釈したのだけれども、前回までに見た、本書のために関氏が行ってきた準備の数々を見るに付け、或いは(新聞報道とは合致しないけれども)根拠のあることなのではないか、と思われて来るのである。
 しかし、ここには時期を示していないが、本書で「赤マント事件」に触れた他の3箇所では前回・前々回に見た通り、全て「昭和十一二年」のこととしているのである。しかるに『國際宣傳戦』では「昭和十三年十一月から翌年二月にかけて、‥‥、この流言の本源の江東方面から、交通機關で走行、先づ中央線で小金井に飛び、一方山手線で赤羽と品川に飛び、この三箇所から約四箇月に亘つて全市に擴がつたが」と、どこまで関氏の調査・見解に基づくのかは分からないが、とにかく関氏の説く「走行説」を用いて説明していた。時期が、本書と、まるで違っている。

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 もう少し補足して本書に関する検討を切り上げる予定であったが1節丸々引用して時間が足りなくなった。続きは明日に回すことにする。(以下続稿)