瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(05)

 昨日の続き。
・「犬山壮年會雜誌」(2)
 第十三号から第三十七号までは国立国会図書館には所蔵がない。番号を打ち直して「第一輯」として「第十二輯」まで刊行された12冊は国立国会図書館に所蔵されており、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来る。
・第一輯(明治二十五年十二月三十一日印刷・明治二十六年 一 月 一 日出版・五八頁)
 巻末「會 員 宿 所 姓 名 (いろは順)」八頁、「本 部 會 員 (在京之部)」二頁4行めに「赤 堀 又 次 郎」、宿所は「本郷區駒込追分町二番地峯岸方」。
・第貳輯(明治二十六年三月十一日印刷・明治二十六年三月十二日出版・六四頁)
・第三輯(明治二十六年五月六日印刷・明治二十六年五月六日發行・五六頁)
・第四輯(明治二十六年七月廿九日印刷・明治二十六年七月三十日發行・六四頁)
 「雜報」欄の「●東京通信」中に、7月14日の水谷叔彦の英国留学出発を前に、12日四谷坂町五溪樓で開催された送別会で祝辞を述べたことが見える。
・第五輯(明治二十六年九月廿九日印刷・明治二十六年九月三十日發行・八八頁)
 「會誌」欄の、九月三日の本部總會に、出席はしていないが參事員の投票で次點となっている(5人当選2人次点)。
・第六輯(明治二十六年十一月廿六日印刷・明治二十六年十一月廿七日發行・九八頁)
 裏表紙(奥付)の裏の上段「廣告」、「轉居」6人「住所」2人の告知の1人めが、

轉居〈京橋區築地二丁目/廿一番地西方  〉 赤堀又次郎

である。
・第七輯(明治二十七年一月 三 十 日印刷・明治二十七年一月三十一日發行・非賣品・八二頁)
・第八輯(明治二十七年三月 三 十 日印刷・明治二十七年三月三十一日發行・非賣品・七六頁)
・第九輯(明治二十七年五月二十四日印刷・明治二十七年五月二十五日發行・非賣品・八〇頁)
・第十輯(明治二十七年七月二十四日印刷・明治二十七年七月二十五日發行・非賣品・八八頁)
 恐らく綴込みで横小本の「犬山壮年會雜誌第十輯附録」(明治二十七年七月二十四日印刷・明治二十七年七月二十五日發行・非賣品・一六頁)が附される。表紙の飾枠の中に「犬 山 壮 年 會 規 約/入 退 會 手 續 規 則/參 事 員 規 則/雜   誌   規   則/會 員 宿 所 姓 名 録/役   員   姓   名」と内容を並べる。九~一五頁「犬山壮年會會員姓名録 (いろは順)」の「本部會員 (東京市之部)」一〇頁2行め、

京橋區築地二丁目廿一番地西澤之助方    赤 堀 又 次 郎


・第十一輯(明治二十七年九月二十九日印刷・明治二十七年九月三 十 日發行・八四頁)
 七五~七六頁下段19行め「郷里彙報」の1条め、七五頁上段2~6行め、

    ◎教員の講習会
丹羽郡小學教員組合會にては去月一日より同十二日まで夏期講習會を開き東京より赤堀又次郎氏(犬山壮年會員)を聘して國語/を講習し尚隔日小折村高等小學校山田米三郎氏に請ひて唱歌を/講習せりと


・第十二輯(明治二十七年十一月廿二日印刷・明治二十七年十一月廿三日發行・九八頁)
 「學藝」欄に「文學小傳」を寄稿。
 裏表紙(奥付)の裏の「廣告」は、忘年会の告知と「轉居」6人「住所」6人「宿所」1人「寓居」2人の告知で、その1人めが、

轉居〈本郷區西片町十番地/はノ二十號上田方 〉 赤堀又次郎

である。
 この12冊には第十二輯に、本誌としては長篇の寄稿をしているのみ、ただ転居歴を辿ることは出来る。まだ結婚していないようだ。
 居住地の現在の様子や、どういう関係で下宿させてもらっていたのかなど、調べられなくもないが長くなるので今回はここまでとして、次回は一昨日予告した、早稲田南町のこと、そしてその前に長く暮らした市谷加賀町二丁目について、確認することとしたい。(以下続稿)