瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(131)

近藤雅樹『霊感少女論』(2)
 2013年9月22日付「三角屋敷(1)*1でも少し触れたように、本書は学生たちのレポートから豊富な事例を紹介しています。その調査手法は7〜9頁「まえがき」の最後(9頁1〜5行め)に、

付記
 本書で紹介した諸事例の大部分は、平成三〜六年のあいだに、私の講義民俗学民族学・人類学)を受講した甲南大学松山大学甲子園短期大学の学生諸君から得た。また、同四〜六/年のあいだに、国立民俗学博物館情報管理施設の方たちから聞いた話なども若干ある。各事例/の末尾に括弧内表記した情報提供者の氏名は、プライバシー保護のために、すべて仮名とした。

とあって、必然的に関西地方や中国・四国地方の話が多くなっています。しかし仮名というのはどうなのでしょう。私などはそれこそ「奇跡体験!アンビリバボー」の再現ビデオなぞに同姓同名の人物が凶悪犯とか死体とか乱倫で破廉恥な野郎として登場したら厭なので、一部伏せ字にするか、イニシャルにしてしまうか、A君Bさんなどの記号にしてしまうかした方が良いと思うのですけれども。もちろん本人の不名誉でないなら実名のままで良いと思うのですが、今はそうも行かないのでしょう。なお、報告者の氏名は仮名なのですが、151頁14行め「学校名は実名で公表」されています。この処置について私は大賛成です。但し「第五話 学園七不思議」の最後に示されている近藤氏の見識については、一部異論があります。今、そこまで書くと何の話だか分からなくなりますので、改めて「学校の怪談」について取り上げる際に問題にしたいと思っています。
 「第六話 変貌する怪談」の「松大七不思議」の節は、言わば導入部で、書出しは次のようになっています。156頁2〜7行め

 松山大学には「松大七不思議」といって恐れられている数々の怪談がある。前身の松山商科/大学時代には「商大七不思議」と言われていた。先に一例紹介したが、その数は、とても七話/ではおさまらない。それぞれの話のヴァージョンも豊富だった。それでも、やはり、世間の例/にもれず「松大七不思議」と言っている。ここでは、同校の学生やOBたちのあいだに連綿と/語りつがれてきた「松大七不思議」を題材にして「学校の怪談」がもつ意味を、もう少し掘り/さげてさぐってみよう。


 私の入学した大学は校舎は古かったのに怪談が全くなく、もとより幽霊になど遇ったことのない人間ですが*2、薄暗い構内を何の怯懦もなしに単純にレトロ趣味に浸りつつ歩き回ったものでした。――松山大学に入学しておれば、近藤氏の調査時期は私の学部時代とほぼ一致していますので、勇んで協力者になり、小学生時代以来書き溜めた怪談の聞書き集を惜しげもなく提供したかも知れません。
 漸く本題ですが、広坂氏も引用している、この節の3例め、157頁14行め〜158頁4行め、事例は1字下げでその上に横線が引いてあり、前後が1行ずつ空白になっています。

 数年前に、地下のトイレで起きた話。学生がふたり入った。ひとりは小、もうひとりは大/だった。小は外で待っていたが、いつまでも大が出てこない。無理にのぞくと、なかにはだ/れもいなかった。その後、なぜか、このトイレの扉は閉まったままだ。それは、東から三番/目の扉で、ほかは開いているのに、たしかに、この扉だけは閉まっているのをよく見かける。/もっとも、押せば開く。学生が消えたのは「赤マントのしわざだ」「神かくしだ」などと言/われている。しかし、本当に学生が消えたのかどうかは、だれも知らない。  (梓 尚武)


 行方不明事件(?)の犯人に赤マントが擬せられた、というだけなのですが、私の世代で赤マントというと『うる星やつら』の影響もあろうかと思ってしまいます。まだ当ブログでは『うる星やつら』の「赤マント」に触れていませんでしたが、アニメ放映当時に見たことがあって、調査を始めてから気にはしているのですが、まだ材料を集めるに至っておりません。(以下続稿)

*1:これも現在、中途半端な、誤解を招くような形で中断しているので続きを挙げるつもり。

*2:聞いたのに記憶していない可能性もあるが、あったとしても記憶に残るような有名、かつ騒ぎになったような怪談はなかった、ということは言って良いであろう。