瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

災害

課金記事について(1)

昨日は、一昨日の記事の補足とすべく、祖母の夫と陸軍士官学校で同期だった人の追想録を取り上げるつもりだったのだが、先日の Windows 更新プログラムにエラく時間が掛かったので、もう Windows 10 ではアカンのかと思って、矢鱈と奨めて来る Windows 11 を…

祖母の遺品(18)軍事郵便⑦

これは軍事郵便ではなく、かつ祖母の夫の歿後のものになるが、同じ朝日出版社の封筒に纏めてあったので、通し番号を打って記事の題も仮に「軍事郵便」のままとして置く。 ・𠮷田清の通夜の案内【16】 B4判1枚謄写刷。私の家のスキャナではA4判までしか読み取…

石角春之助 編輯「江戸と東京」(14)

昨日の続き。 私は馬上氏のことは昨日初めて調べて見たような按配で、ネット上の人名事典の知識をベースに、国立国会図書館デジタルコレクションでヒットする著述の題目を眺めて見たくらいでしかない。佐藤健二『浅草公園 凌雲閣十二階』巻末の「索引」には…

石角春之助 編輯「江戸と東京」(13)

昨日の続き。 ・「江戸と東京」第三卷第一號 昭和12年(1937)1月1日発行 38~39頁、馬上義太郎「淺草から消えた名物」は、前半、39頁上段4行めまでが「◯ 花 屋 敷」で、後半が「◯ 十 二 階」である。見出しは3字下げ。 そろ〳〵大東京にも十二階を知らざ/…

佐藤健二『浅草公園 凌雲閣十二階』(7)

昨日は佐藤氏が敢えて「第四章」を立てたことに対する共鳴から与太話になってしまったが、今日はその第四章の内容をもう少し見て置きたい。 265頁(頁付なし)が章の扉で裏は白紙、267頁から2段組の本文で第三章までは設けられていた脚註欄はない。編年体で…

佐藤健二『浅草公園 凌雲閣十二階』(1)

石角春之助 編輯「江戸と東京」は近隣の市の図書館にある復刻版を初め、第一冊と第四冊を昨年の9月下旬に借り*1、10月上旬に第二冊と第三冊を借りて2週間ほど全4冊揃えて眺め、それから10月20日に第一冊と第四冊を返却したのだが、序でに書架にて関連しそう…

祖母の遺品(10)

・若山家の関東大震災(9) 一昨日昨日と、今は存在しない福島県伊達郡桑折町の佐藤歯科医院について考証して、随分長くなってしまった。昭和59年(1984)以降、佐藤歯科医院がどうなったのか、明らかに出来なかったことも多々あるが、今は祖母の母方の叔父…

祖母の遺品(08)

・若山家の関東大震災(7)佐藤歯科医院①大正後期 昨日の続きで一昨日紹介した竹内久雄書簡に見えた、竹内久雄の勤務先「福島縣桑折町/佐藤歯科」について、当時の状況を少々考証して見よう。 ・齋 熊椎 編『現代の福嶋』大正七年五月二十九日印刷・大正七…

祖母の遺品(07)

・若山家の関東大震災(6)竹内久雄と奈良家 登場人物が少々増えてきたところで、少し考証を試みて置こう。――以前であれば、Google での各種検索、公立図書館や大学図書館で下調べを重ねて、国立国会図書館に行って見当を付けて出納してもらっては少しずつ…

祖母の遺品(06)

・若山家の関東大震災(5) 9月1日付(02)に示した「若山津子宛大正十二年九月十九日付若山次郎書簡」に見える「桑折」の「御叔父さん」すなわち津子の弟の手紙である。 ・若山善太郎津子宛九月廿三日付竹内久雄書簡 封筒の表「朝鮮羅南本町陸軍官舎/若山…

祖母の遺品(05)

・若山家の関東大震災(4) 1日に始めたときには、読み易そうなものを選んで紹介して行くつもりだったが、読めようが読めまいが上げてしまわないと先に進めないので、箱の端から順番に取り上げて、翻刻は追って時間を見て正確なものを追加もしくは別記事と…

祖母の遺品(04)

・若山家の関東大震災(3) 昨日紹介した、大正12年(1923)8月末の次兄からの葉書に混ざって、次の2通があった。 ・若山善太郎宛「12.9.3」消印若山一同葉書 表に「朝鮮羅南本町/第五九號官舍/若山善太郎様」額面に消印、読みづらいが日付は「12.9.3…

祖母の遺品(03)

・若山家の関東大震災(2) 昨日紹介したものに隣合うように、震災直前の若山次郎の葉書3通が保存してあった。 ・若山津子宛(大正12年8月)二十九日付若山次郎葉書 青黒インクで表に「朝鮮羅南本町第五九/號官舍/若山津子様/至急」とあり、額面の下、左…

祖母の遺品(02)

・若山家の関東大震災(1) 祖母宅の仏間の硝子棚の上に、何やら書類が載せてあるのを見付けて下ろして見たのか何時のことだったろうか。 ――祖母宅には、祖母が救急搬送されて入院、次いで施設に入って、その看護・介護のために上京して来た長男夫婦がしば…