2024-01-01から1年間の記事一覧
さて、斎藤氏が北海道の新聞社の記者をしていた時期(1939~1942)のことに触れた文章は、月報にもう1つ、神沢利子「個人的まことに個人的な感想ですが」〔六2-1~2〕が載っています。 少々長くなりますが、当該箇所〔1上4~下14〕を抜いて置きましょう。 …
昨日の続き。 小野寺脩郎(1916.2~1982.11.25)が北海タイムス記者であったことは、次の文献からも確かめられます。 帯広市社会教育叢書 NO・9『吉田巖伝記資料』(昭和三十九年五月二十五日印刷・昭和三十九年五月三十一日発行・非売品・帯広市教育委員…
9月25日付(02)に見た『斎藤隆介全集』第十一巻「年譜」の「一九三八年(昭和十三年)|二十一歳」条、3月の明治大学卒業から12月の小説「三好晴海入道」までの間に、徴兵検査で即日帰郷、そして「「主婦の友」「婦女界」の雑誌記者を経て、北海道新聞に入社…
昨日の続きで斎藤氏原作の映画「心の花束」について、今度はいよいよ(?)赤十字社側の資料を見て行くこととしましょう。 ・『日本赤十字社史続稿』第4巻(昭和三二年一一月一日発行・日本赤十字社・15+599頁) 表紙には金文字で「日本赤十字社社史稿/大…
昨日の続きで、斎藤氏原作の映画「心の花束」について、国立国会図書館デジタルコレクションから幾つか資料を拾って置きましょう。 飯島正・筈見恒夫・岸松雄・内田岐三雄 責任編輯『映画年鑑』一九三六年版(昭和十一年三月十五日印刷・昭和十一年三月二十…
先月来借りていた、揃いで製本した「月報」を返却してしまったのですけれども、北海道時代、秋田から上京した頃、日教組教育新聞との関わり、そして大宮台時代、更には再婚相手と同居を始めた時期など、草稿が幾つか用意出来ていたので順次投稿して行こうと…
昨日の続きで『斎藤隆介全集』完結を前にして行われた、岩田愛子を聞き手とする対談「優しさを生き抜く斎藤隆介の世界」の後半をざっと見て置きます。 さて、【5】絵かき「滝平隆介」の最後で、岩田氏に「‥‥。滝平さんとの出会い/は……」〔6下12~13〕と尋…
昨日までで『斎藤隆介全集』第十一巻「年譜」の、学歴と職歴、家族と住所についての記述を一通り眺め終りました。 しかし、極簡単なもので、大体を辿ることは出来ますが、細かいところは分りません。 自伝があれば良いのですが、どうもそのようなものはない…
昨日は山本和子について若干の文献を取り上げただけで終ってしまいましたが、ここで『斎藤隆介全集』第十一巻「年譜」の確認に戻りましょう。それから、これまで「年譜」の確認を優先して「月報」への言及を最低限にしておりましたが、ここらで「月報」の文…
秋田時代に斎藤隆介と内縁関係にあった山本和子ですが、『斎藤隆介全集』第十一巻「年譜」には「女人芸術」同人とあり、小沢三千雄『万骨のつめあと』には「文芸戦線」の同人、とありました。検索してみますと両誌に寄稿しておりました。「文芸戦線」の後継…
昨日の続き。 206頁5~6行め「一九五二年(昭和二十七年)|三十五歳」条、 わらび座文芸演出部客員となる。文化運動、労働運動に参加。 「人民文学」四月号に「八郎」が転載される。 そこでわらび座での活動を跡付けたいところなのですが、続く7~12行め「…
著者存命中の『全集』の「月報」ですから、その寄稿には周知のことは書かれませんし、それから遠慮(自主規制)も働きますので、当時だって事情に疎い人間は良く分らないところがあったと思われるのですが、42年後の私には、其処だけを読んだのでは愈々何の…
昨日の続きで、月報の寄稿から斎藤氏の経歴に関連する記述を拾って行くこととしましょう。 もちろん、全部を取り上げる訳ではなく、私の興味に従って取捨しております。すなわち、8月23日付「日本の民話『紀伊の民話』(26)」に『戦後人形劇史の証言』の記…
8月24日付「日本の民話『紀伊の民話』(27)」に、松谷みよ子に「隆介さんのこと」なる文章があることに触れました。松谷みよ子全エッセイ3『出会いのとき』か『松谷みよ子の本 第10巻 エッセイ・全1冊』に再録されているだろうと思ったのですが、『斎藤隆…
6月19日付(02)にて、NHK前会長坂本朝一について②単行本([第二期]Ⅲ・第1刷)の松谷みよ子「あとがき」に「すでに故人となられた」と誤っていたのを③ちくま文庫版が誤魔化して(!)いることを指摘し、 ‥‥。ここは③ではなく②の増刷時に訂正したのではない…
① 現代民話考 その十「軍 隊(上)」(日本民話の会編集「民話の手帖」第11号(第5巻/第3号)44~91頁上、一九八二年十月一日発行・定価 八八〇円・発行 日本民話の会・発売元 第一法規出版・160頁・A5判並製本) ② 現代民話考 その十一「軍 隊(下)」(…
さて、田代の平家の旗竹の話は、松谷みよ子が5月6日付(03)に引いた「太郎座」パンフレット以来、何度か書いているのですけれども、これは5月7日付(04)の後半に見たように江戸時代後期の地誌にも見えております。7月15日付(16)に引いたくまの文庫③『熊…
・『松谷みよ子のむかしむかし』(2) 昨日の続きで、元版の『日本の伝説』全5冊と、『松谷みよ子のむかしむかし』全10冊の後半『六』から『十』として抱き合わされた5冊を比較して見よう。 仮に『日本の伝説』を①、そして各冊は『1』『2』『3』『4』『…
前回の続き。 ・『松谷みよ子のむかしむかし』(1) 前回見た『日本の伝説』全5冊は、先行して刊行されていた『日本のむかし話』全3冊と『日本の神話』全2冊と抱き合わせて『松谷みよ子のむかしむかし』全10冊に改編されている。しかし判型や装幀・内容は殆…
未刊に終った未来社版日本の民話『紀伊の民話』のために、松谷氏は何処を歩いてどのような話を聞いたか、どうして未刊に終ったのか、集めた話はその後の作品にどのように活用されたのか、或いは、松谷氏と同じ話を載せている文献はないか、それは松谷氏とは…
・「おじさんの話」(7)斎藤隆介➋ 前回の続きで②講談社『松谷みよ子全集』第十二巻(1972)の、斎藤隆介による解説「鯨小学校」の「1」節めの後半から見て置きましょう。 176頁11~12行め「洪水の話」の「すばらしい」表現を絶賛する葉書を出したことを挟…
・「おじさんの話」(6)斎藤隆介➊ それでは②講談社『松谷みよ子全集』第十二巻(1972)176~181頁、前回8月18日付(25)にて検討した松谷みよ子「作品覚書」に続く、斎藤隆介による解説「鯨小学校」について、今回は見て行くこととしましょう。 この文章は…
昨日の続き。 ・「おじさんの話」(5) それでは今回は、②講談社『松谷みよ子全集』第十二巻(1972)の松谷みよ子「作品覚書」について見て行くこととしましょう。 組み方が違うので厳密な比較ではありませんが、松谷氏の「作品覚書」は174~175頁の見開き2…
・「おじさんの話」(4)あとがき 本作の成立と刊行については、松谷氏本人が①偕成社『少年少女/現代創作民話全集』版(1971)の「あとがき/先生やおかあさん方へ」、②講談社『松谷みよ子全集』第十二巻(1972)の「作品覚書」、③『偕成社の創作』版(198…
・「おじさんの話」(3) 前回、①偕成社『少年少女/現代創作民話全集』版(1971)、②講談社『松谷みよ子全集』第十二巻(1972)、③『偕成社の創作』版(1986)、④講談社『松谷みよ子の本』第4巻(1995)について眺めました。さらに初出の⓪日本教職員組合…
・「おじさんの話」(2) この「おじさんの話」は連載33回で30題、但し1題は別扱いになって最終的に『松谷みよ子の本4』では29題となっている。 ①少年少女/現代創作民話全集 2『木やりをうたうきつね/おじさんの話』1971年12月 1刷・1977年4月 6刷・…
前回見た発生時代順 日本むかしむかし⑩『いまのむかし』とほぼ同じ頃、やや先行して紀州の天狗の話を松谷氏が作品化していたことに気付いたのも、やはり『松谷みよ子の本』別巻を眺めていて、のことでした。 ・『松谷みよ子の本 第4巻 童話・詩・全1冊』一九…
前回、7月18日付(19)に、紀州の天狗の話が、狼の話に比べて具体的なのは、早い時期に文章化していたからではないか、との見当を示して置きましたが、そのつもりで伊藤英治 編『松谷みよ子の本 別巻 松谷みよ子研究資料』を眺めて行くと、昭和40年代に、幾…
・種村季弘 編『東京百話』ちくま文庫(筑摩書房) 6月中旬に隣の市の中央図書館に出掛けたとき、東京都関係の本が並んでいる書架を眺めていて、2013年12月17日付(057)に取り上げた種村季弘「蘆原将軍考」が、種村氏が自分で編纂したアンソロジーに収録さ…
・『現代の民話』の「あとがき」 それでは昨日の続きで、新書判223頁2行め~224頁14行め・文庫版237頁2行め~238頁16行めを見て置きましょう。改行位置を前者「/」後者「|」で示しております。 一九九六年一月から三月まで、NHK教育テレビの「人間大学…