瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

昭和史

赤いマント(225)

・北川幸比古の学年(4) 昨日の続き。 Wikipedia「北川幸比古」項の、北川氏が「谷川俊太郎とは高校の同級生で」の根拠となったのは、「図書新聞」No.3033(2011年10月08日)掲載の内堀弘の連載「古書肆の眼」の「的場書房のこと――たった二年間の活動なが…

赤いマント(224)

・北川幸比古の学年(3) 3月4日付(223)の続き。 私は北川氏の生年月日、昭和5年(1930)10月10日と、2013年10月24日付(003)以来度々指摘して来た赤マント流言の時期、すなわち昭和14年(1939)2月と、2月21日付(222)に引いた松谷みよ子『現代民話考[…

飯盒池(9)

今回は飯盒池には触れませんけれども、前回の続きとして。 『現代民話考Ⅱ 軍隊』冒頭の「軍隊考」で、松谷みよ子の民話観の特徴が窺われる記述を、もう1箇所抜いて置きましょう。――佐々木喜善『聴耳草紙』に載る、源平の戦や大坂の陣にまつわる話*1を紹介し…

飯盒池(8)

昨日の続き。 * * * * * * * * * * 松谷みよ子の「民話」は民間伝承説話の意味ではありません。 この点を扱った論考も既に存在しているはずですが、探しに出る訳に行かぬので手許にある材料から、仮に私見を述べて置きましょう。 松谷氏の民話観を…

飯盒池(7)

・松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(3) 一昨日からの続き。 ここで、序説に当たる、単行本13~28頁・文庫版16~32頁「軍隊考」を見て置きましょう。 松谷みよ子(1926.2.15~2015.2.28)は、下の娘(あけみ)が小学生のとき「戦争の話を聞いてくる宿題を出…

飯盒池(6)

・松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(2) 昨日の続き。 それでは、これら備品をなくして自殺した兵士の幽霊が、失くしたものの名を呼ぶと云う怪異談で、どうして彼らが自殺にまで追い詰められてしまったのか、その説明をした辺りの記述を抜いて置きましょう…

飯盒池(5)

・松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(1) これまで、丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』の見出しでこの話について述べて来ましたけれども、ここで原話の載る松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(以下「本書」)をメインにして述べて行…

飯盒池(4)

・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(4) 昨日、本書147~148頁「三十八 ハンゴウ池 (下高井郡)」を、原話と思われる松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』に載る話と比較して見ました。 しかしながら、3月22日付(2)にも注意した…

平方浩介『じいと山のコボたち』(1)

未読。本作を原作とする映画『ふるさと』を、当時母が相談員を務めていたボランティア団体のチャリティー映画会で見た。横浜の某区の公会堂だったと思うのだが会場についてはっきりした記憶がない。ただ、客はそれほど入っていなかったと思う。この映画が完…

赤いマント(223)

・北川幸比古の学年(2) 2月21日付(222)に改めて確認したように、松谷みよ子『現代民話考』は回答者からの報告を分類案に従って分割する際に、余り丁寧に確認せずに年を入れてしまっているらしいのです。地名の処理にも同様に、好い加減なところがあって…

わが世代『大正十年生まれ』(1)

・河出書房新社編集部編『わが世代 大正十年生まれ』一九七九年八月二五日初版印刷・一九七九年八月三〇日初版発行・定価780円・253頁・四六判並製本大正十年生まれ―わが世代 (1979年)作者:河出書房新社メディア: - 私はこのシリーズの『昭和十三年生まれ』…

芥川龍之介旧居跡(23)

昨日の続き。 ・北区立田端図書館(1) 今「田端」と聞くと、私のような余所者には、JR東日本の山手線・京浜東北線の田端駅が想起されてしまうので、田端駅から離れている田端図書館に若干違和感を覚えてしまうのだが、田端駅のある台地の下は明治の半ばま…

田口道子『東京青山1940』(24)

・『現代民話考』の青南国民学校(5) 『現代民話考』の「子どもたちの銃後」に見える戦時下の青南国民学校(青南小学校)についての、田口氏の同級生西原(大村)煌子の回答の続き。 【2】「六 竹やり訓練など」では、冒頭、単行本299頁6行め「○東京都港区…

田口道子『東京青山1940』(23)

・『現代民話考』の青南国民学校(4) 一昨日からの続き。 昨日の引用中に「先にも触れたが、‥‥」とあったのは、第一章 時代の風のなかで【7】兵隊さんのいた風景の節で、冒頭、28頁8~11行め、 もう半世紀以上も前になる戦前のあの頃、青山にはそんな自然…

田口道子『東京青山1940』(22)

・『現代民話考』の青南国民学校(3) 昨日の続き。 続く「ビルマのバーモ首相」は日本占領下で独立し昭和18年(1943)8月1日から昭和20年(1945)3月27日まで存在していたビルマ国内閣総理大臣バー・モウ(1893.2.8~1977.5.29)で、昭和18年(1943)11月5…

田口道子『東京青山1940』(21)

・『現代民話考』の青南国民学校(2) 昨日の続きで『現代民話考』の「子どもたちの銃後」に見える戦時下の青南国民学校(青南小学校)についての、田口氏の同級生西原(大村)煌子の回答を本書と照らし合わせながら確認して置こう。 前回確認したように3つ…

田口道子『東京青山1940』(20)

・『現代民話考』の青南国民学校(1) 先日、現代民話考『学校』の「子どもたちの銃後」を眺めて、そこに載っている北川幸比古*1の談話について昨日、2月21日付「赤いマント(222)」にて確認したのは、本書に内容的に重なるように思ったからである。――近隣…

赤いマント(222)

昨日の続きを上げようと思っていたのだけれども、もう少々確認すべきことが出て来たので後回しにする。遠からず続きを上げるつもりである、と云いながらそのままになってしまった記事が余りにも多いのだけれども。 ・北川幸比古の学年(1) 当ブログでは北…

田口道子『東京青山1940』(19)

・著者の家族と住所(8) 昨日の引用の続き。258頁5~8行め、 地下鉄の駅を降りてからの道すがら、一面の焼け跡とそこに早くもバラックが建っているの/を見ていただけに、家の方向に下る坂道を半ばまで歩いてきて、ついこの間のままのように焼/け残ってい…

田口道子『東京青山1940』(18)

・著者の家族と住所(7) 田口氏の強制疎開までの住所が「東京市赤坂区青山南町5丁目84番地」であったことは、1月23日付(03)に引いた144頁上の写真キャプションにて、2月12日付(12)等に確認して来たが、本文の方にも、第二章 昭和戦前「青山」の街・人…

田口道子『東京青山1940』(17)

・著者の家族と住所(6) 「絹靴下事件」の主役である姉はもちろんのこと、田口氏も福井県立高等女学校で同級生たちと上手く行っていなかったようだ。その辺りが疎開先を明示しないことに繋がっているのかも知れない。 231頁12行め~232頁1行め、 学校は関…

田口道子『東京青山1940』(16)

・著者の家族と住所(5) 田口氏の半年の疎開生活は、第四章 新しい時代が開く前にの【14】もう一つの戦い、【15】都会ふうは非国民、【16】まだ大きかった地方都市との文化の落差、【17】窮鼠一匹猫軍団を東京弁で撃退の4節にわたって詳述され、さらに【20…

田口道子『東京青山1940』(15)

・著者の家族と住所(4) 2月12日付(12)の最後に確認したように、母親と妹の田口氏とともに福井県今立郡鯖江町に疎開した次姉は、2学年上で昭和20年度には高等女学校4年生だったはずなのだが、高等女学校2年生に転入するはずだった田口氏が、2月14日付(1…

田口道子『東京青山1940』(14)

・著者の家族と住所(3) 田口氏は疎開先を「北陸の町」とするばかりで何処なのか明記していないが、かなり具体的な記述があって福井県今立郡鯖江町(現・鯖江市)と察せられる。 224頁10行め「三月末」、東京を離れる際、218頁1行め「東京駅でホームに並ん…

田口道子『東京青山1940』(13)

・著者の家族と住所(2) 前回見たように田口氏は小学生時代に「赤坂区青山南町5丁目84番地」に住んでいたが、東野家はその前後、何度も転居している。 前回引用した第二章 昭和戦前「青山」の街・人・暮らし【48】貸家の「貸し屋札」はどれも斜めに、小学3…

田口道子『東京青山1940』(12)

・著者の家族と住所(1) 著者・田口氏は1月21日付(01)に引いた、奥付及びカバー裏表紙折返しにあるように昭和7年(1932)生、2月9日付(09)の最後に確認したようにその早生まれ、昭和6年度生である。 134頁8~9行め、田口氏の「‥‥父は当時サラリーマン…

田口道子『東京青山1940』(11)

・写真(4) 掲載される写真について、最後に出所が明示されていないものを挙げて置こう。 23頁、キャプションは1月22日付(02)に引用したが「クラスメート(積田せつ子)のクリーニング店」の写真で、洋風2階建、2階の窓の下、間口ほぼ一杯に「色染 グン…

田口道子『東京青山1940』(10)

・写真(3) もうしばらく、285頁「〈写真・資料協力〉(順不同 敬称略 カッコ内は掲載ページ)」について、細かく見て置こう。 2行め「港区みなと図書館〈25(中)、29、30、31、55(上)、73〉」。昭和16年(1941)の大通りや軍などの施設の写真が多い。25頁上…

田口道子『東京青山1940』(09)

・写真(2) 前回見たように、田口氏は版元の編集長の提案を承けて、写真蒐集に精力を傾けている。その成果が285頁「〈写真・資料協力〉(順不同 敬称略 カッコ内は掲載ページ)」に纏めて示されている。1月21日付(01)には「写真・資料協力」とは別に、「青…

田口道子『東京青山1940』(08)

・写真(1) さて、2月6日付(06)に見た、本書の紹介文4種(仮に【A】~【D】とした)のうち、【D】を除く3種でまづ挙げられていた昭和15年(1940)の日記だが、2月7日付(07)に見たように引用されているのはその1割ほどに過ぎず、本書執筆当時の筆者…