瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

昭和史

赤いマント(302)

・田辺聖子の赤マント(3) 田辺氏は初期の自伝的連作『私の大阪八景』の第一作「民のカマド」に、小学生時代の赤マント流言を取り上げているのですが、このことは殆ど注意されていないらしく、11月6日付(299)に見たように千野帽子が「文藝ガーリッシュ」…

赤いマント(300)

9月25日に(272)として準備していたのですが、一部確認のために後回しにしているうちに1ヶ月以上経ってしまいました。 * * * * * * * * * * 大宅壮一「「赤マント」社會學」について、当ブログで度々言及し、当ブログ告知専用 Twitter アカウント「…

赤いマント(298)

・北杜夫の赤マント(13) 本題に入ると云ってからが長くなっておりますが、要は、南太平洋で韓国人女性から赤マントの話を聞かされたのは、10月26日付(288)に引いた、最晩年の回想(歿後『マンボウ最後の家族旅行』として刊行)のように、『楡家の人びと…

赤いマント(295)

・北杜夫の赤マント(10) さて、例によって前置きが長くなりましたが、タヒチで北氏としばしば行動を共にしたH嬢こと畑中幸子が、北氏に「韓国人の医者」を訪ねるよう勧めたのです。この医者は何処にいたのかと云うと、文庫版67頁17行め~68頁2行め、全集1…

赤いマント(294)

・北杜夫の赤マント(9) また赤マント流言の話に戻れなくなってしまいました(笑)が、乗り掛かった船ですので昨日予告した件について確認して置きます。――まぁ、こんな寄り道ばかりしているから検索サイトからも見放されてしまうのでしょう。或いは「釣り…

赤いマント(288)

・北杜夫の赤マント(3) それでは北杜夫の遺著『マンボウ最後の家族旅行』の「『楡家の人びと』独訳のことなど」の赤マントに触れている、最後の部分を抜いて置きましょう。単行本97頁3~11行め(改行位置「/」)・文庫版142頁2~11行め(改行位置「|」…

赤いマント(285)

・五木寛之の赤マント(13) 昨日で切り上げるつもりだったのだがもう1点、今日(10月22日)重い本を借りて帰って来た成果(?)を追加して置く。 10月21日付(283)に引いた、「日刊ゲンダイ」連載「流されゆく日々」に回想される梶山季之との会話に出て来…

赤いマント(284)

・五木寛之の赤マント(12) 10月11日付(276)に引いた『七人の作家たち』の「編者解説」には「朝鮮に渡って、各地を転々としながら」とあったが、五木寛之『わが人生の歌がたり』第一部『昭和の哀歓』や、「記憶の曖昧さについて」(「日刊ゲンダイ」連載…

赤いマント(283)

・五木寛之の赤マント(11) 昨日の続き。 どうも、五木氏はこの「記憶の曖昧さについて」を、曖昧な記憶に頼りながら書いているらしい。そのため、過去に執筆したものとの齟齬が生じている、まさに「記憶は曖昧なのである。 2018年6月20日「連載10434回 記…

赤いマント(282)

・五木寛之の赤マント(10) さて、五木寛之『人生の目的』にはこの他にも、冬に凍結した川でスケートをしたのは京城なのか平壌なのか、帰国後の五木氏の父の不本意な身過ぎの様など、気になる記述があるのだけれども、余り余計なことにかまけていると先に進…

赤いマント(281)

・五木寛之の赤マント(9) 昨日の続きで、五木寛之『人生の目的』の5章め「わが人生の絆」に見える、五木氏の朝鮮時代、特に小学校についての記述を確認して置こう。 まづ1節め「人生の絆」だが、3項め、165~167頁7行め「小学校の教師だった父と母」は父…

赤いマント(280)

・五木寛之の赤マント(8) 10月11日付(276)に引いた、昭和58年(1983)刊『七人の作家たち』の岡庭昇・高橋敏夫「編者解説」に「この間のことは、小説にも出てきますが」とあるように、五木氏は小説やエッセイに、朝鮮時代のことを繰り返し書いているら…

赤いマント(279)

・五木寛之の赤マント(7) 10月13日付(278)の続きで、五木寛之『わが人生の歌がたり』第一部『昭和の哀歓』の第一章「はじめて聴いた歌」の7節め、36頁8行め~39頁「■ ソウルで聴いた流行歌」の冒頭を見て置こう。36頁8行め~37頁4行め、 当時のソウルに…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(170)

・青木純二の経歴(23) 手術明けでなく、コロナウィルスを気にしなくても良ければ、神奈川県立図書館にでも「神奈川新聞」を見に行くところなのですけれども、うっかり感染してしまう訳にも行かぬので、しばらく見合わせることとしましょう。 そこで今回は…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(169)

・青木純二の経歴(22) 昨日の続きで、山室清『横浜から新聞を創った人々』より青木純二に関連する記述を見て置こう。 まづ、青木氏が朝日新聞社から神奈川新聞社に移った事情であるが、252~253頁、7章め13節め「朝日新聞と「持分合同」」に拠ると戦時下、…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(168)

2019年10月28日付(142)に、横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会 編集『横浜市中央図書館開館記念誌 横浜の本と文化』202~205頁「戦後の新聞事情」に青木純二の名が見えることを指摘したが、この節の執筆者、山室清の本に何か記述があるのではないか、と…

赤いマント(278)

・五木寛之の赤マント(6) 昨日の続き。 五木寛之『わが人生の歌がたり』第一部『昭和の哀歓』の第一章「はじめて聴いた歌」の3節め、24頁3行め~27頁5行め「■青空に舞うブランコとチマチョゴリ」は、次のような村の記憶を述べた節である。24頁4~12行め、…

赤いマント(277)

・五木寛之の赤マント(5) 昨日の続きで、五木寛之『わが人生の歌がたり』3冊について、カバーや紹介文等についてメモして置こうかとも思ったのだが、そういったことは文庫版と比較する機会を得てから果たすことにして、差当り、初出について確認して置こ…

赤いマント(276)

・五木寛之の赤マント(4) 昨日の続きで『七人の作家たち』171~205頁、岡庭昇・高橋敏夫「編者解説」から、五木氏の経歴を述べたところを見て置こう。2段組で1段18行、1行23字。205頁4行めまで。対談形式になっているが、やはりどちらの発言かは分からな…

赤いマント(275)

・五木寛之の赤マント(3) 昨日の続きで、2節め「アジアに対してどう責任をとるか」の最初の発言を見て置こう。135頁2~13行め、 五木 おそらく生粋の東京の人たちも、それから地方人というか、われわれにしても、ピョンヤンの人に/しても、北海道の人に…

赤いマント(274)

・五木寛之の赤マント(2) 昨日の続き。 それではまづ、1節めから、五木氏の朝鮮半島滞在時について述べた部分を一部、抜いて置こう。「ききて」の発言は一回り小さく、五木氏の発言との間に1行分空白がある。岡庭昇と高橋敏夫のどちらの発言か区別されて…

赤いマント(273)

・五木寛之の赤マント(1) 中村希明『怪談の心理学』には、2014年1月7日付(077)及び2014年1月4日付(074)に見たように、中村氏が昭和14年(1939)に朝鮮・京城で「赤マントと青マントの怪人」に恐怖した体験が述べてあるが、作家の五木寛之も同様の体験…

中学時代のノート(27)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(24) この件については、昨日で打ち止めとするつもりだったが、久しく思い出すことのなかった先生や級友、校舎や行事の記述を久し振りに熟読して、少し思い出したことがあるので、補足して置きたい。 小学4年生のときの担任…

中学時代のノート(24)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(21)後篇⑪ 怪談(その十四)平荘湖 1行空けて29頁7~17行め、「先生」は■本先生で5年生のときのこと。 先生がこわい話をしたのは一回きりだった。加古川(市、兵/庫県)の○○池の近くに学宿にいったとき、その宿の人か/ら次の話…

中学時代のノート(23)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(20) 後篇⑩ 怪談(その十二)南方に出征した先輩(その十三)死んだと知らせる 1行空けて27頁15行め~29頁5行め、 戦争中、兵隊は田舎にいた。なぜかというと、田舎の家の/家は広いし、敵にやられる失敗からだった。 そこでは…

中学時代のノート(21)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(18)後篇⑧ 怪談(その十一・中)あの老婆は死神か 校訂案。 五年になると、■本先生が通称「足の話」P₇をしてくれた。が、同じときに本で読んだ話として次の話をした。 (あらすじ) 大阪にセールスマンがいた。四十歳ぐらい…

中学時代のノート(17)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(14)後篇④ プレハブ 19頁18行め~20頁11行め、 四年からクラブだというので、三年の末、クラブ見学があ/った。私はまんがクラブに入ることにしたのだが、その当時の/【19】コモンは■山という若い女の先生だった。現在は三階立…

中学時代のノート(16)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(13)後篇③ 怪談(その八)磔の男 19頁6~17行め。 河■■■■という子も、こわい話の本をもっていて、こんな/話をした。 「ある男が何かして、はりつけにされて、やりで殺された。」 と、みんなが、 「どこがこわいんやァ」 というと…

中学時代のノート(15)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(12)後篇② 怪談(その七)溺れるプール 18頁13行め~19頁5行め。 またこわい話の好きな人ばかりだったので、三年の時、帰り/の会に、こわい話のコーナーがあって、いろいろと、知ってる話/を発表していた。とくに川■■代という子…

中学時代のノート(09)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(6)前篇⑤ 5人の担任 6頁9行め~7頁11行め、 ■田先生は急に転任が決まり、二月二日かそのくらいに、急/に、この学校から出ていかれた。次に■花先生が来た。この/先生は一月余りしかもってもらわなかったので、年賀状/を出した…