瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

生歿年

赤堀又次郎伝記考証(03)

・住所と原籍 ところで『御即位及大嘗祭』自跋に明治45年(1912)5月1日に「電車の為に負傷」とあることから、この辺りに絞って国立国会図書館デジタルコレクションを検索して見るに、事故のことは判らなかったが、当時の赤堀氏の住所と生年月日が判明した。…

竹中労の前半生(01)

竹中労の赤マント流言体験を(ごく僅かな記述ですが)取り上げようと思って検討を始めてすぐに、竹中氏の生年月日が明確にされていない、と云う事実に突き当たりました。 私はこういう体験を検討する際には、年齢・学年・場所を押さえて置きたいと思っておる…

赤いマント(352)

・木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』(7)生年月日⑰ 木村氏は昭和5年(1930)生説を採っているけれども、最後の「第十二章 別れの音楽会」でも、196頁6~7行め、 冒頭にも書いたが、私が竹中労さんと初めて出会ったのが二十五歳の時。その時、竹中さんは/三…

赤いマント(350)

・木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』(5)生年月日⑮ 大体無計画に(全く無計画と云う訳ではないが)書いているので2月10日付(346)に触れた「青春遊泳ノート」を取り上げるのが遅くなってしまった。 この「漫画アクション」の連載、『青春遊泳ノート』に収…

赤いマント(349)

・木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』(4)生年月日⑭ 昨日「対決・硬骨の二人」に触れて、竹中英太郎が長男・労が「昭和五年生まれ」と明言するところは引用されていないと述べたが、この対談について述べた箇所には、なかなか興味深い記述がある。167頁9~13…

赤いマント(348)

・木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』(3)生年月日⑬ 昨日の続きで、木村氏が昭和3年(1928)生説を採用せず、昭和5年(1930)生説に従った理由を見て置こう。 82頁1~2行め「‥‥、初めての訪沖のことは「メモ・沖縄/一九六九」に次のように記されている。」…

赤いマント(347)

・木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』(2)生年月日⑫ 昨日の続きで、年齢に関する記述を見て置こう。 木村氏は「はじめに」で、7頁3~4行め「‥‥、一九九一年(平成三年)に六十歳でこの世を去った。」とする。8頁2~4行め、 竹中さんの本名は「労」だが、通称…

赤いマント(345)

・鈴木義昭『風のアナキスト 竹中労』(4)生年月日⑪ 昨日の続き。 さて、鈴木氏は続く「レポート1/竹中労のアナキズム」にて、恐らくこの本人による「臍の緒書き」に従って、昭和3年生として竹中氏の年齢を整理する。33頁2~3行め、 三十九歳(六七年)、…

赤いマント(344)

・鈴木義昭『風のアナキスト 竹中労』(3)生年月日⑩ 昨日の続きで、本書から竹中労の生年(月日)に関係する記述を抜いて置こう。 まづ「序 竹中労の語り口」、8頁3~4行めに、 竹中労の演説を初めて聞いたのは、七三年五月の神田共立講堂「大演説会」。お…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(2)

自分の人生を、その時代と絡めながら述べるには余りにもその道具立てに乏しい私には、先崎氏の環境が如何にも眩く見える。婦人参政権運動家だった母、その派出婦人会の派出婦たちの見聞、戦前の、寛永寺の鐘や東京音楽学校の歌声が聞こえて来る下谷区上野桜…

柴田隆行『片倉の自然』(4)

柴田氏の出身地は①38頁8~9行め③39頁2~3行め「‥‥、多摩川辺り*1|で子供時代/を過した私にとっては、*2旧知のもので、今でもこの声を聞くと少年の日々を|思い出す。」とあるが、①56頁1~8行め③55頁12行め~56頁5行め、 片倉に越して来てから、夏の楽しみ…

赤いマント(334)

・竹中労の赤マント体験(1) 竹中氏は何処で、何年生のときに赤マント流言に接したのだろうか。 赤マント流言が東京市を席巻したのは、当ブログで縷々述べて来たように昭和14年(1939)2月下旬頃、すなわち昭和13年度の3学期であった。 そこで、竹中氏の生…

赤いマント(333)

・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(5)生年月日⑤ 断って置くが、私は別に新説を立てようとしている訳ではない。本書の「竹中労略年譜」が、従来行われいていた①昭和3年(昭和2年度)生、③昭和5年(昭和5年度)生の2説とは別に、②昭和5年(昭和4年度)生説を殆…

赤いマント(332)

どうも、余計な話で長くなった。 ・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(4)生年月日④ 寺島珠雄「美的浮浪者の過程 ――私記・竹中労」の〔3〕「年齢と上野・浅草」の続きを見て置こう。136頁下段2~18行め、 年齢にこだわる理由はあと回しにもう少し計算してみる/…

赤いマント(331)

一昨日からの続き。 ・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(3)生年月日③ それでは寺島珠雄「美的浮浪者の過程 ――私記・竹中労」から、「竹中労 年譜」に関する記述を見て置こう。 まづ〔1〕「夜から朝へ」にて、年齢の問題を次のように遠回しに切り出す。133頁上…

赤いマント(330)

昨日の続き。 ・KAWADE 道の手帖『竹中 労』(2)生年② 巻末の編集部 作成「竹中労略年譜」には、生年月日を昭和5年(1930)3月30日生としている。だから平成3年(1991)5月19日に満61歳で死去したことになる。 ところが、収録されている文章や対談等を読ん…

赤いマント(329)

私は4年前に「赤マント流言」に関する本を出したいと当ブログに書いたのだが、実はその後、消極的になっている。 構想としては『昭和十四年の「赤マント」』と題して、新聞・雑誌・日記等から拾った当時の記事を順を追って辿りながら、赤マント流言の発生・…

八王子事典の会 編『八王子事典』(8)

・牛魂碑の建立年と井草甫三郎の生歿年 ①29頁13~19行め②31頁8~14行め、 井草甫三郎*1 ?~1951年(昭和26)1月8日.酪農家.松木出身.東京立/志塾で村田直景に農村経営法を学び,1892年(明治25)先進酪/農地千葉県房総を視察,ホルスタイン種牝牛1頭…

八王子事典の会 編『八王子事典』(6)

・2人の朝倉甚五郎 ①初版15頁7~13行めと14~20行め②改訂版15頁26行め~16頁3行めと4~10行めの連続する2項目、50音順なので息子の方が先に出ているが、そのまま抜いて置こう。 朝倉菊太郎*1 1889年(明治22)1 月2 日~1960年(昭和35)1 月22日.大正/期…

中島悦次『傳説の誕生』(2)

昨日の補足。 中島氏の祖父と父だが、オークションサイトの説明に以下のようにあった。 森廣陵 もり・こうりょう。(明治七・1874~大正十・1921)は名廉、本姓中島、前橋の南宗画家、霞巌の子。寺崎廣業の門人。 出典を示していないが美術関係の人名事典か…

平野威馬雄『お化けについてのマジメな話』考証(01)

2016年8月17日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(2)」に、本書に載る淡谷のり子(1907.8.12~1999.9.22)の談話を紹介した。淡谷氏はこの話を度々語っているので、比較検討しようと思っていたのだが、当時、幽霊となって現れたとされる人物の子息が…

伊藤正一『黒部の山賊』(8)

今回も私の手許にある②新版、③定本、④文庫版について。 ・見返し(2) それでは②裏表紙見返しの「山賊たちのプロフィール」について、③220~221頁④300~301頁と比較して見よう。前回注意したように②には(昭和三十九年当時)と註記してあって、基本的に4人…

伊藤正一『黒部の山賊』(2)

昨日の続きで①初版、②新版、③定本、④文庫版の関係について、まづ①初版、②新版の関係を確認して置こう。 と云って、昨日も述べたように私は①を見ていない。 しかしながら、②を見るに、装幀は昨日示したように違っているが、本文1~223頁は①をほぼそのまま覆刻…

赤いマント(245)

・北川幸比古の学年(6) 児童文学作家・詩人の北川幸比古(1930.10.10~2004.12.25)の学年とその時期について、松谷みよ子『現代民話考』の中で一定していないことを、これまで指摘して来ました。 まづ2013年10月24日付(003)にて、北川氏が『現代民話考…

同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(1)

昨日の続きで当初、「赤いマント(244)」と題して投稿したのですけれども、本の説明がしばらく続きそうで赤マント流言には及びませんので、書名の方を題にしました。 * * * * * * * * * * 本書の書影はナカネくんの2019年4月2日22:04の tweet に…

赤いマント(225)

・北川幸比古の学年(4) 昨日の続き。 Wikipedia「北川幸比古」項の、北川氏が「谷川俊太郎とは高校の同級生で」の根拠となったのは、「図書新聞」No.3033(2011年10月08日)掲載の内堀弘の連載「古書肆の眼」の「的場書房のこと――たった二年間の活動なが…

湯浅初江、もしくは湯浅初枝(4)

・『ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻 CD集 日本SP名盤復刻選集 Ⅳ』解説書(3) 一昨日からの続き。 49頁3行め~65頁14行め「CD3 日本人音楽家海外録音」の解説は、11月15日付(2)に述べたように、49頁4行め~60頁16行め、ク…

湯浅初江、もしくは湯浅初枝(2)

・『ローム ミュージック ファンデーション SPレコード復刻 CD集 日本SP名盤復刻選集 Ⅳ』解説書(2009年5月発行・財団法人 ローム ミュージック ファンデーション・218頁) 11月8日付(1)に触れたように、湯浅氏についてネット上で最も充実した伝記…

湯浅初江、もしくは湯浅初枝(1)

湯浅初江(1902.6.22~?)は日露戦争の第三回旅順港閉塞作戦で戦死した海軍少佐湯浅竹次郎(1871~1904.5.3)の娘で、ドイツで活躍したソプラノ歌手である。 ネット上で最も詳細な伝記である Wikipedia ドイツ語版「Hatsue Yuasa」項は「湯浅初枝」と漢字を…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(133)

・青木純二の経歴(2) 先行研究で、青木氏の経歴について最も充実した調査結果を示しているのは、10月15日付(132)に触れた、牧野陽子(1953生)の論文によって批判された、遠田勝(1955生)の次の本である。 ・遠田勝『〈転生〉する物語――小泉八雲「怪談…