瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中学時代のノート(20)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(17)後篇⑦ 怪談(その十一・上)あの老婆は死神か

 25頁1行め~27頁13行め、話の仮題は「老婆の死神」としていたが、明後日の投稿で述べるような事情で改めた。

 五年になると、■本先生が通称「足の話」P₇をしてくれ/た。が、同じときに本で読んだ話として次の話をした。
 
 (あらすじ)
 大阪にセールスマンがいた。四十才ぐらいの働き盛りの/人だった。セールスマンというのは、売りに行って、売れれば給/料も多く、売れなければ給料も少ない。百軒廻って一軒し/か売れないことがある。それで夏の暑い日も、けんめいに/廻っていた。
 ある日も、一日中廻って帰ってきたのが十時だった。その/人は、家で、(つかれがたまって)倒れてしまった。(高熱を出/してうなるので)救急車を呼んだ。病院に行って見てもら/うと、三日目が山だ、といわれた。
『なにしろ病人のことやからいつ起きるかわからん、(昼間/寝てたら夜おきるとか……)その人は、真夜中目がさめてん/な。そして辺りをみまわすと、まどの向う(病院のドアの)/に、白い布*1が、ヒラヒラァ……ヒラヒラァ……とうごいて/いる。なんやろっと見てみると、カーテンのようでもある。「だ/れかつけてくれたんだな」と、よくみてみると、おばァさん/【25】ののどにガーゼがはってあって、それが、ヒラヒラァ……/とうごめいてるのだ。見舞に来てくれたんかな、と思っ/た。
 二日目に起きたのも真夜中だった。病室をみまわして/みると、去日*2のばァさんが病室の中に入っている。顔はに/こにこ笑ってる。きのうカーテンのようにみえたガーゼが/のどで風もないのに、ヒラヒラァ……ヒラヒラァ……/とうごいている。息*3はしてるようだ。ヒラヒラァヒラヒラァ/……。よくみると、ガーゼのすきまから、のどの中が見え/た。
 三日目の真夜中、山*4と言われた日時だった。見ると/「ワアァ」なんとばァさんはこしをまげて、その人の顔/のま上でにこニコとしている。ガーゼは風もないのに
  ヒラヒラァ……ヒラヒラァ……
とうごいている。息はしているようや。
 そこでその人は考えた。
死に神とちがうかァ。」「そうや、死に神や。」「まけてたま/るか、妻も子供もおんのやでェ」「わしは生きるんや」と、/グーッと力を入れた。すると、ばァさんは、昨日*5の場所/【26】に下がり、どんどんさがていって、しまいには戸の外に出/てしまった。
 その人はそのことを話したが、相手にされなかった。/それで、この病院に五、六年つとめているカンゴ婦さん/にそのことを話すと、カンゴフさんは青くなって、次の話/をした。
 五年前、どこだかのおばァさんが、具合が悪くなっ/て来た。診ると、のどのガンだった。手おくれだったが/一応手術だけはした。が、この部屋の、このベッドで/なくなった――。と。
 
 「この話はそのセールスマンの人の書いた本にのってた」と/言*6うてた。あと二つある。次にしたのはこれ。


 冒頭、「通称「足の話」」と云うのは、9月20日付(12)に校訂案を示した(その五)寄宿舎の足音の怪談のことである。小学6年生のとき転校先の横浜市立小学校の修学旅行の晩に語って評判になり、級友たちの誰からともなく「足の話」と呼ぶようになったのだ。
 さて、この、喉に穴がある人は、今月入院して初めて実際に目にすることとなった。2日めと3日めに「息はしている」ことに注意しているが、これが当初、すなわち2日めの時点では、婆さんが生きている=幽霊ではないという根拠になっていたからであろう。「五、六年」では大してベテランとは思えないが、先生がこう話して私たちも怪しまなかったのか、私の記憶違いなのかは分からない。全体にもう少し説明を詳しくして欲しいところであるが、ほぼ想像で補うことが出来る程度には書けていると思う。
 さて、この話に関しては何年か前に、原話らしきものを見付けたのである。そのことは既に2016年8月17日付「淡谷のり子「私の幽霊ブルース」考証(2)」に断ってある。しかし、話の中核を為す部分は一致するのだが、細かいところが■本先生の話の方が異様に詳しい。それから、場所と、入院期間が異なる。体験者の年齢と職業も違っているようだ。そのことについては次回、原話と校訂案を突き合わせて、確認することとしよう。(以下続稿)

*1:振仮名「ぬの」。

*2:振仮名「きのう」。

*3:振仮名「いき」。

*4:振仮名「ヤマ」。

*5:振仮名「きのう」。

*6:振仮名「ゆ」。

中学時代のノート(19)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(16)後篇⑥ 怪談(その十)おまえや!

 1行空けて22頁8行め~24頁19行め、

 ある田舎に池があった。夏は水をたたえているのだけど、/冬になると、水が涸れて、底無し沼の泥沼のようになってい/た。
 この田舎に秘密で結婚している男女がいた。
 あるとき男が、会社で社長に呼びだされた。
「なにやろ」と思って行って見ると、社長は「娘の婿にな/らないか」という。社長の娘と結婚したら、次の社長/は自分――。男は承知した。
 そうなってみると、いままで付き合っていた女が邪魔/になった。
 丁度冬だった。男は女にますいをかがせて、ねむらせて、/池の端まではこばれて来た。そして男は、背中でねむっ/【22】ている女を両手でおもいッきりブン投げた。(すると、こっち(男の方)むくでしょ、)女は、泥沼に頭が入るというとこ/ろで気がついて、
「うらんでやる(のろってやるだったかもしれぬ)
と言って沈んでいった。
 その後、池はうめたてられてしまった。丁度、女の沈んだ/あたりに木がはえてきた。そのあと団地が建つことになっ/て、その木は切られた。しかし、そこにいくら柱を立てよう/としても立たない。ので、そこには家が建たないことにな/った。
 二年ばかり立って男がやって来た。池はうめたてられて/団地になっていた。
「よかったァ――。これでもうばれへん。」
と言って、丁度女の沈んだ、昔の池のまん中あたりに来/た。(そこには木があった、とも)そこだけ家が立ってなかっ/た。と、もう日がくれたというのに、一人の男の子があそ/んでいる、男は、やさしく、(坊や一人とか話しかけて、)
「坊や、お母さんはァ」ときくと
「おるゥ」【23】
「そんならお父ちゃんはァ」
と男がきくと、その子供は(先生はききての方を指さして)
「おまえや
といったかと思うと、
「あー、お母ちゃんが呼んでるゥ」
と、見えなくなっていた。
 男はおそろしくなって、警察に自首した。その男の話/をもとに掘って行くと、木のあったところの真下に、空/洞があって、女の死骸が出てきた。
 その子供は、男と女との間にできた子やったんやって。
 この話は五年前ぐらいに本当にあって、新聞にものって/た。
 
 これももっと長い話しだった。他にもあったと思うが、思/い出せない。
 四年になって、こわい話が聞けるかと思ってマンガクラ/ブに入ったが、■山先生は他のクラブの方に行ってしまっ/たので、こわい話はきけなかった。
 四年のときはほとんどこわい話とは無縁だった。【24】


 この話は私が初めて聞いた「お前や!」と大声を出して驚かせる話だった。これも同じ日に聞いた1話めと同じく、後に「かなり忘れてしまった」箇所を思い出して、書き直している。更に大学時代に記憶に基づいて語り直したのが、2017年2月17日付「恠異百物語(2)」に引いた戯作である。そこでは「小学4年生の3学期、昭和57年(1982)2月頃に」聞いたと註記しているが、正しくは小学3年生の昭和56年(1981)2月頃ことであった。
 校訂案。

 ある田舎に池があった。夏は水を湛えているのだけど、冬になると、水が涸れて、底無し沼の泥沼のようになっていた。
 この田舎に秘密で結婚している男女がいた。
 あるとき男が、会社で社長に呼び出された。
「なにやろ」と思って行ってみると、社長は「娘の婿にならないか」と言う。社長の娘と結婚したら、次の社長は自分――。男は承知した。
 そうなってみると、今まで付き合っていた女が邪魔になった。
 丁度冬だった。男は女に麻酔を嗅がせて、眠らせて、池の端まで運ばれて来た。そして男は、背中で眠っている女を両手で思いッきりブン投げた。(すると、こっち(男の方)むくでしょ、)女は、泥沼に頭が入るというところで気が付いて、
「恨んでやる(呪ってやるだったかもしれぬ)
と言って沈んでいった。
 その後、池は埋め立てられてしまった。丁度、女の沈んだ辺りに木が生えてきた。そのあと団地が建つことになって、その木は切られた。しかし、そこにいくら柱を立てようとしても立たない。ので、そこには家が建たないことになった。
 二年ばかり経って男がやって来た。池は埋め立てられて団地になっていた。
「よかったァ――。これでもうばれへん。」
と言って、丁度女の沈んだ、昔の池の真ん中辺りに来た。(そこには木があった、とも)そこだけ家が建ってなかった。と、もう日が暮れたというのに、一人の男の子が遊んでいる。男は、優しく、(坊や一人とか話しかけて、)
「坊や、お母さんはァ」と聞くと
「おるゥ」
「そんならお父ちゃんはァ」
と男が聞くと、その子供は(先生は聞き手の方を指さして)
「おまえや
と言ったかと思うと、
「あー、お母ちゃんが呼んでるゥ」
と、見えなくなっていた。
 男は怖ろしくなって、警察に自首した。その男の話をもとに掘っていくと、木のあったところの真下に、空洞があって、女の死骸が出てきた。
 その子供は、男と女との間に出来た子やったんやって。
 この話は五年前ぐらいに本当にあって、新聞にも載ってた。
 
 これももっと長い話だった。他にもあったと思うが、思い出せない。
 四年になって、こわい話が聞けるかと思って漫画クラブに入ったが、■山先生は他のクラブの方に行ってしまったので、こわい話は聞けなかった。
 四年のときは殆どこわい話とは無縁だった。


 さて、一昨日引いた20頁6行めにあったようにこの日聞いた話が合計「三つ」だとすると、「他にもあった」のに「思い出せなかった」話は1話、その1話を、私はこの「恠異百物語」を書いたときに思い出したのである。それが2017年2月20日付「恠異百物語(5)」に引いた100話めだが、かなり脚色してしまった。しかしもう原型は思い出せない。
 ■山先生は小柄だったけれども体育の先生のように元気の良い、短髪で目の大きい人だったように記憶する。教えてもらったことはないので話を聞くのも初めてだったが、この日語った3話ともよく出来た話で、しかも(このノートには上手く再現出来ていないが)頗る話し上手だった。担任だったらもっと色々な話を聞けたかも知れないと思うと、「こわい話」を理由にクラブ活動を決めてしまう程の私としては、今更ながら甚だ残念に思われることであった。(以下続稿)

中学時代のノート(18)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(15)後篇⑤ 怪談(その九)木の下

 1行空けて20頁13行め~22頁6行め、

 ある学校の修学旅行で、肝だめしをすることになった。そのコ/ースとは、
「かいだんをずっとのぼっていくと、小屋がたってんねん。そこま/で行って帰ってくるんやけど、ズルすると困るから、机がおい/てあって、それにスタンプが上にあって、それを手(のひら)におし/て帰ってくる」というもので、
「小屋には窓があって、そこから幽霊がのぞいてる」【20】
というのであった。
 それでいっせいに出ることになったが、みんなこわいので、/机のところまでくると、顔を上げずにスタンプをおして、タッ/タッタッタァって、帰ってきたんやけど、その中に一人、ものず/きな女の子がいて、一番最後に来て、顔をあげてみると、――。
 まどがあって、中から、ほおのくぼんだ女の子が、こちらを見/ている。(それで木の下を指さした。と言ったと思うが、ここらへんはよくおぼえていない)それで女の子は下りて来ると熱を出し/て寝込んでしまった。(又は帰ってきて、そのことを先生に言ったが相手にされなかったので、とも)それで先生に、そのことを話した/が、ほんとはまどはなくて、みんなをこわがらすためにそう言っ/たのだ。というので(とうとうその子は寝津*1を出して、寝込ん/でしまった)ある。二、三日寝てて、起きて、そのことを宿の/主人に話すと、
「まさか――。」と言って、五年前にあったことを話してくれ/た。
「五年前に、女の子がゆうかいされて、まだみつかってない、」/と言うのだ。それで、
「ひょっとしたら――。」と言って、その子のさしずで、その幽/【21】霊が指さしたところをほると果して、死骸がでてきた。
「不思議なことにその女の子の氏子も木下、殺された女の子/の苗字も木下やった」。
 
 もっと長い話であったのに、かなり忘れてしまった。続けて、次/の話をした。


 実はこの話、後に「かなり忘れてしまった」部分を思い出して、かなり趣の違う話に変わっている。
 だから詳しいことは、その色々思い出して書き換えた本文を提示する際に書くこととしよう。
 校訂案。妙な当字や括弧の位置などを修正した。

 ある学校の修学旅行で、肝試しをすることになった。そのコースとは、
「階段をずっと上って行くと、小屋が建ってんねん。そこまで行って帰って来るんやけど、ズルすると困るから、机が置いてあって、それにスタンプが上にあって、それを手(のひら)に捺して帰って来る」というもので、
「小屋には窓があって、そこから幽霊が覗いてる」
というのであった。
 それで一斉に出ることになったが、みんなこわいので、机のところまで来ると、顔を上げずにスタンプを捺して、タッタッタッタァって、帰って来たんやけど、その中に一人、物好きな女の子がいて、一番最後に来て、顔を上げて見ると、――。
 窓があって、中から、頰の窪んだ女の子が、こちらを見ている。(それで木の下を指さした。と言ったと思うが、ここらへんはよく覚えていない)それで女の子は下りて来ると熱を出して寝込んでしまった。(又は帰って来て、そのことを先生に言ったが相手にされなかったので、とも)それで先生に、そのことを話したが、ほんとは窓はなくて、みんなをこわがらすためにそう言ったのだ。というのである(とうとうその子は熱を出して、寝込んでしまった)。二、三日寝てて、起きて、そのことを宿の主人に話すと、
「まさか――。」と言って、五年前にあったことを話してくれた。
「五年前に、女の子が誘拐されて、まだ見付かってない」と言うのだ。それで、
「ひょっとしたら――。」と言って、その子の指図で、その幽霊が指さしたところを掘ると果して、死骸が出てきた。
「不思議なことにその女の子の苗字も木下、殺された女の子の苗字も木下やった」。
 
 もっと長い話であったのに、かなり忘れてしまった。続けて、次の話をした。


 この話、実は私の知らぬ間にある本に流用されていたのだが、その詳細もまたの機会に述べることとしよう。(以下続稿)

*1:振仮名「ネツ」。

中学時代のノート(17)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(14)後篇④ プレハブ

 19頁18行め~20頁11行め、

 四年からクラブだというので、三年の末、クラブ見学があ/った。私はまんがクラブに入ることにしたのだが、その当時の/【19】コモンは■山という若い女の先生だった。現在は三階立て校舎/が立っているが、そこには、昔、プレハブ三教室があって、四年/三組、四組、五組が入っていた。私も、その翌年度、四組になっ/て、プレハブに一年いることになるのだが、その話はおいて、入る/ことがきまる前だったと思う。
「ぜったいマンガクラブに入りな。」ということで恐い話を三/つくらいしてくれた。たしか四組か五組の教室だった。三組/ではクラブ活動中で、電気がついていた。あたりは暗かった。/五時ぐらいだったろう。先生は、電気のついてない部屋の/うしろに三年生五、六人集めて話しはじめた。(よくおぼえていないところは標準語であらすじを記した。)


 今は漫画を読むのがしんどいので全くと云ってよい程読まないのだが、当時は『ドラえもん』なぞを喜んで読んでいたので、何となく漫画クラブに入ろうと思ったらしい。しかし漫画クラブで具体的に何をしたか、全く覚えていない。それにしても勧誘の切り札になったくらいだから、私達の世代は余程「こわい話」が好きだったと見える。
 さて、ここに来て、これまで私はこの、小学校3年生(昭和55年度)から5年生(昭和57年度)まで在籍した小学校名を書いていなかったことに今更ながら気付いた。このノートには何処にも学校名の記載がないのである。――兵庫県明石市大久保町高丘3丁目2番地にある明石市立高丘東小学校で、今「明石市立高丘東小学校」HP「高丘東小学校の沿革」を見るに、昭和50年(1975)8月1日開校、2学期から授業を始めている。だから私が転校して来た昭和55年度の6年生は、すなわち私の兄の同級生の中には、この開校時に、1年生の2学期から通い始めた人もいた訳なのだが、当時の私は全く意識していなかった。と云うか、今の今まで、そこまで新しい学校だとは知らなかった。初代、中田政一校長が、私がいた昭和57年度まで務めている。私の母は籤運が悪く、転校1年めに兄の学年のPTAの役員を務めさせられていたので、教頭先生とは話す機会も多く、よく話題にも上っていた。もちろん、中田校長とも話す機会はあったろう。しかし私は校長も教頭も、もうまるで覚えていない。
 私が4年生の1年間を過ごしたプレハブは、昭和54年(1979)4月1日条に「プレハブ教室建設 5」とある。しかし、このプレハブがいつまであったか分からない。校舎の増築については、次の昭和56年(1981)3月9日条に「普通教室4 ピロティ及び体育倉庫竣工」とあるばかりだからである(改修はその後も度々なされている)。しかし、これがプレハブの跡地に建った「三階建て校舎」だとすると、3年生の3学期に完成したことになり、その「翌年度」に私らが過ごす前になくなったことになる。或いは記載ミスで、昭和56年度すなわち昭和57年(1982)3月なのかと思ったのだが、それでは3学期には退去されられているはずで「一年いることにな」らない。昭和57年度すなわち昭和58年(1983)3月なのであろうか。だとすると転校直前の私がプレハブがなくなった後のことまで知っていて、ここに書き込んでいる理由も分かるのだけれども。
 校訂案。

 四年からクラブだというので、三年の末、クラブ見学があった。私はまんがクラブに入ることにしたのだが、その当時の顧問は■山という若い女の先生だった。現在は三階建て校舎が建っているが、そこには、昔、プレハブ三教室があって、四年三組、四組、五組が入っていた。私も、その翌年度、四組になって、プレハブに一年いることになるのだが、その話は措いて、入ることが決まる前だったと思う。
「絶対漫画クラブに入りな。」ということで恐い話を三つくらいしてくれた。確か四組か五組の教室だった。三組ではクラブ活動中で、電気が点いていた。辺りは暗かった。五時ぐらいだったろう。先生は、電気の点いてない部屋の後ろに三年生五、六人集めて話し始めた。(よく覚えていないところは標準語で粗筋を記した。)


 3組で活動していたのはもちろん上級生たちの漫画クラブで、隣のクラスは空いていたので入部検討者たちをそこに集めて得意の怪談をしたものらしい。だからもちろんクラブに「入ることが決まる前」で、昭和55年度の3学期、昭和56年(1981)の2月頃と云うことになる。(以下続稿)

中学時代のノート(16)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(13)後篇③ 怪談(その八)磔の男

 19頁6~17行め。

 河■■■■という子も、こわい話の本をもっていて、こんな/話をした。
 
「ある男が何かして、はりつけにされて、やりで殺された。」
と、みんなが、
「どこがこわいんやァ」
というと、エイちゃん、
「絵がこわいねん」。
 
 彼の話だと、その本のさし絵がこわいということだが、こ/んな話はこわい話じゃないと思っている。あたりまえだ。し/かし私はこんな話しかおぼえていない。


 校訂案。

 河■■■■という子も、こわい話の本を持っていて、こんな話をした。
 
「ある男が何かして、磔にされて、槍で殺された。」
と、みんなが、
「どこがこわいんやァ」
と言うと、エイちゃん、
「絵がこわいねん」。
 
 彼の話だと、その本の挿絵がこわいということだが、こんな話はこわい話じゃないと思っている。当り前だ。しかし私はこんな話しか覚えていない。


 河■君は今も地元にいて、ちょっとした顔役のようになっているようだ。
 私はこの絵を見せるよう、エイちゃんに何度か頼んだことがある。エイちゃんと特に親しい何人かの級友は見せてもらっていたようで、その級友連中も「絵がこわいねん」と言うのである。その苛立ちが文面によく表れている(笑)。
 結局、この絵が何だか分からない。以前、思い出して検索したこともあるのだが、それらしい画像はヒットしなかった。一時期、絵が怖い話(?)として2011年1月6日付「村松定孝『わたしは幽霊を見た』考証(01)口絵」に取り上げた、「昭和27年,大高博士をおそったほんものの亡霊」がそれではないか、と思ったこともあるのだが、あれは磔ではない。
 この大高興博士の体験の一部始終は、2014年9月20日付「遠藤周作「幽霊見参記」(05)」に取り上げた、標題が紛らわしいMF文庫ダ・ヴィンチ『私は幽霊を見た 現代怪談実話傑作選217~235頁に再録された、大高興「幽霊の実験」の前半(218頁3行め~223頁10行め)に見えている。354頁【底本一覧】には「大高興「幽霊の実験」      『津軽霊界下界』北の街社」とあって、『津軽霊界下界』には2011年1月23日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(08)」に触れているが未見。

 しかし、これは少年少女講談社文庫C-14『わたしは幽霊を見た』よりも後の刊行である。この「幽霊の実験」の初出か、別に何か雑誌などに書いたものが典拠になったのであろう。或いは、「文春オンライン」の「夏に読みたい「怖い話」」に2019年8月16日に掲載された、福澤徹三「見開いた眼、歯を剥きだした口……ワイドショーで見た“あの絵”に心臓が凍りついた理由」からも窺われるように、パクリ(剽窃)も含めた複数の経路があったのかも知れない。この福澤氏の文は末尾に「初出:オール読物 2013年8月号「極私的エッセイ 怖い!」より全文転載」とある。
 差当り必要な箇所のみ摘記すると、

 小学校低学年の頃、従姉の家へ遊びにいったとき、漫画雑誌の付録かなにかで怪奇特集の別冊があった。当時からその手の本が好きだった私は夢中になって読み耽ったが、そのなかに小学校の用務員が描いたという幽霊の絵があった。用務員は夜勤の際に見まわっていた教室でそれと遭遇し、あとからスケッチしたらしい。子どもの眼にも稚拙な絵だったが、下手ななりに迫力はあった。幽霊はざんばら髪で眼を見開き、歯を剥きだしている。首にはなぜか穴があいて血が流れているのが印象に残った。
 それから十数年が経ったある日の午後、実家でひとりテレビを観ていた。なにかおもしろい番組はないかとチャンネルを変えたら、昼のワイドショーで心霊特集をやっていた。番組の途中から観たせいで、そこに至るまでの経緯はさだかでないが、廃校となった小学校の前に女性がふたり立っていた。ひとりはレポーターで、もうひとりは霊能者だという化粧気のない中年の女性が立っていた。


 その後の番組の内容が福澤氏の「心臓」を「凍りつ」かせ「全身に鳥肌が立」たせるのだが、

 以上の体験を私は小説やエッセイに書き、対談やイベントでも口にした。するとその絵なら自分も見たというひとが何人もあらわれて、ついに書名が判明した。『わたしは幽霊を見た』(村松定孝著 少年少女講談社文庫)である。
 古書店で入手してみると、あの絵はまさしくこの本に載っていたが、私の記憶にあるような漫画雑誌の別冊ではなかった。しかも絵を描いたのは青森県の医師、大高興さんだった。1952年、大高さんが下北半島むつ市の病院で目撃した幽霊のスケッチが、なぜ私の記憶では小学校の用務員が描いたことになったのか。この本を読んだおぼえはないものの、ただの記憶ちがいかと思った。しかし記憶ちがいだとすれば、ワイドショーで霊能者が描いた絵や、それを亡夫と称する女性はなんだったのか。以前ネットで調べたら、大高さんの絵に酷似した絵を霊能者が描くのをテレビで観たという書きこみがあった。霊能者は天井の隅を観て描いたとあるから、あの番組が実在したのはたしかだろう。また‥‥

と、新たな謎が生じたことを告げて、結局どうなったのか、福澤氏の読者ではない私には全く分からない(福澤氏がこの絵に触れた「小説やエッセイ」や「対談」も、これまで読んだことがなかった)のだが、「小学校低学年」が正しければ、それはやはり村松定孝『わたしは幽霊を見た』ではないと思うのだ。
 福澤氏は昭和37年(1962)生、月日は公表していないらしいが小学校入学は昭和44年(1969)4月、早生まれであれば昭和43年(1968)4月入学である。そうすると、低学年を小学2年生までとすれば昭和46年(1971)3月、3年生までとしても昭和47年(1972)3月までである。早生まれであれば1年早まる。村松氏の本の刊行は昭和47年11月だから福澤氏が「小学校低学年の頃」は刊行前だった。――それこそ、講談社の雑誌編集部が大高氏に取材し、絵の写真を撮影して「漫画雑誌の別冊」に収録、それを村松氏の本に(村松氏の意志とは無関係に)使い回した、と云う経路で宜しかろうと思うのである。とにかく、『わたしは幽霊を見た』刊行の少し前、福澤氏が「小学校低学年の頃」の、講談社の「漫画雑誌の付録かなにかで怪奇特集の別冊」を一度、徹底的に調べて見てはどうかと思うのだが、如何であろうか。(以下続稿)

中学時代のノート(15)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(12)後篇② 怪談(その七)溺れるプール

 18頁13行め~19頁5行め。

 またこわい話の好きな人ばかりだったので、三年の時、帰り/の会に、こわい話のコーナーがあって、いろいろと、知ってる話/を発表していた。とくに川■■代という子がよく話を知っ/ていて、こんな話をした。
 
 どこかの小学校に泳ぎの好きな女の子がおってんな。それ/でその子は、いつもプールで泳いどってん。それで、その子は、な/【18】ぜか浅いところでおぼれて死んでもたんやって。
 その後のプールの時間、男子が一人、浅いところでおぼれた/んやって、足をみたら、髪の毛がからまってたんやって。
 
 ほかにもいろいろ知っていたが、私は忘れてしまった。


 校訂案。

 また、こわい話の好きな人ばかりだったので、三年のとき、帰りの会に、こわい話のコーナーがあって、色々と知ってる話を発表していた。特に川■■代という子がよく話を知っていて、こんな話をした。
 
 どこかの小学校に泳ぎの好きな女の子がおってんな。それでその子は、いつもプールで泳いどってん。それで、その子は、何故か浅いところで溺れて死んでもたんやって。
 その後のプールの時間、男子が一人、浅いところで溺れたんやって。足をみたら、髪の毛が絡まってたんやって。
 
 他にも色々知っていたが、私は忘れてしまった。


 ■田先生は色々と生徒の喜びそうなことを企画したものと見える。さればこそ、夏休み(?)から、実質9月から1月までの4ヶ月半しか担任しなかったのに、強く印象に残ったのである。確か、これは、前に出て話すことになっていた。川■さんとは親しくはなかったが、目が大きくて、雀斑があったように覚えている。しかし女性は結婚して改姓してしまい、かつ出身地に残っていないことも多いので、今、検索した限りでは、どうしているのか分からない。
 この話を「後篇」に入れたのは、何処の学校か分からないことと川■さんが「よく話を知ってい」る理由を、本や雑誌から仕入れていると思ったからなのであろう。「こわい話のコーナー」と云うからには川■さんは何度も「発表」し、他の生徒も話したのだろうけれども、5年後で(!)これだけしか覚えていなかった。目立とうとして嘘臭い話をする奴がいたりしたような覚えは何となくあって、或いはそれが、私の尾鰭を付けた語りや俄に信じられない、リアリティがなさ過ぎてちっとも怖く感じられない作り話を憎む(!)素地になったのかも知れない。
 さて、この手の話は、自分の学校や、知人の誰彼の学校の話として聞いたことはないのだけれども、本などではよく見る話である。どの辺りから広まったのであろうか。プール怪談のルーツは何処まで遡るのだろう。『現代民話考』にはプールの話は4話(単行本)と多くなく、いづれも何年か前のこととして語られ、(1話は時期の指定なしだが)昭和40年代まで遡るような例はなさそうだ。しかも、溺死した人のいるコースで足を引っぱられるとか、髪の毛が絡まったとか、そんな簡単な話で、溺死した生徒の事情は川■さんの話の方が詳しいくらいである。
 これとは全く別種のプールの怪談を、当時私が通っていたスイミングスクールのコーチから自身の高校水泳部の話として2話聞いた。当時20代後半に見えたから10年前として昭和40年代半ばの話と云うことになろうか。もっと若かったかも知れないが。これはなかなか面白い、かつ、実際に競泳をする人間にとっては実感として怖ろしい話なので、私は高校時代に2話に因果関係を持たせて1篇の小説に仕立てて文藝部誌に載せたことがある。――この話もこのノートに収録して良いはずなのだが、何故か私は別扱いして来たことに今更ながら気が付いて、自分でも不審に堪えない。(以下続稿)

中学時代のノート(14)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(11)後篇① 怪談(その六)血が出る蛇口

 それでは続いて、18~29頁「後篇」を眺めて行くこととしよう。
 18頁は1行めに1字下げで「後 篇」とあり、1行空けて3行めから本文。まづ3行め、前置きに当たる文章がある。

 先生が本で読んだもの、と、出所のわからない話を収めた。


 伝承経路が明らかでないものを排除しようとしているのは、小学6年生のときに読み囓った昔話研究の流儀を真似たのである。
 2行空けて6~12行め、

 三年のときの、■田先生は、次のような話もした。
 
 AくんとBくんといて、Aくんの部屋にはかぎがついてて、水/道の蛇口がある。ひねってみると、血が出る。それはAくんの(行/方不明)だった)お父さんの首につながっていた。
 
 実にうそくさい話である。だれかの創作だろう。


 要するに作り事めいて全く本当らしくない話を排除したのである。しかしこれでは「Bくん」が、蛇口を捻って、そして血の源を確かめたのだろうけれども、全く断片である。「Aくん」は何故そんなことをしたのだろう? 鍵の付いた部屋に対する憧れと、後ろめたさが投影されているのであろうか。まだ春の目覚めのような年頃ではなかったが。
 校訂案。

 後 篇
 
 先生が本で読んだもの、と、出所のわからない話を収めた。
 
 
 三年のときの、■田先生は、次のような話もした。
 
 A君とB君といて、A君の部屋には鍵が付いてて、水道の蛇口がある。捻ってみると、血が出る。それはA君の(行方不明だった)お父さんの首に繋がっていた。
 
 実に嘘臭い話である。誰かの創作だろう。


 誰が作ったのだろう。■田先生はどうしてこんな話をする気になったのか。子供の抱いている、口煩く自分を監督する親に対する敵意なのであろうか。
 こんな話のことは忘れていたのだが、今、打ち込んでいるうちにふと、酒鬼薔薇聖斗(中学3年生)の事件を想起した。男児の首が見付かった中学校は、隣の市で私の小学校から直線距離で15kmほどである。同じ市内の3km余しか離れていない中八木や谷八木でさえ良く分からなかった当時の私には、さっぱり分からない土地の話だったろう。いや、今だってあの辺りのことは、よく分からない。しかし、そのまま住んでいたらやはり隣の市と云うことで戦慄しただろうか。しかしあれは■田先生がこんな話をして17年近く後のことで、既に関西から離れて久しく、こんな話を書き留めていたことも忘れていた修士の院生だった私には、特にそのことについて何の感慨もなく、周囲と同じようにたまに話題にするばかりで、TV番組に出ている学者やコメンテーターが犯人像を色々推理して見せるのを、ほんまかしらん、と思いながら眺めていたのである。
 とにかく、私は本当らしい話か、如何にも話らしい話が好きで、変に生理的な気持ち悪さを狙ったような、嘘臭い話が嫌いなのである。聞いても感心しない。だから中学・高校ではこういう話は殆ど聞かなかったし、聞いても聞き流して記録しなかった。この期間に聞いた話を細大漏らさず記録しようとしたから、このノートに例外的に残ったのである。(以下続稿)

中学時代のノート(13)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(10)前篇⑨

 一昨昨日からの、真冬の真夜中、寄宿舎の廊下に響く足音の怪談についてのコメント。1行空けて16頁12行め~17頁9行め、

 そこでみんなはいっせいにため息をついた。先生の話ぶり/は私達をほんとうにその場にいたような気にしてくれて、/つく息もつかずに、しずかに聞いていた。
 先生の付け加えもあるらしいが、本当に話がうまい。/とくに
『生徒の一人が便所で大声を出す』
  ワァァーー
生徒たちは何があったんだと、背中にぞッぞォーと言う何か/【16】走った。が、「すべってころんで、尻もちついた」と言って、ホッ/とさせている。ここはうまくやらなければしらけてしまう。/私が、修学旅行のときに話したが、かえってしらけてしまった。/そこが先生の話のうまさであろう。こわい話をするのに、標準/語を使ったり、こわいろをかえたりするのは話下手のすること/だと思っている。ふつうに、方言で、話していれば、それだけで/も感じは出ると思う。私はそう思っている。
 なお、■本先生はこれを中学の時の先生に聞いた、と前/おきしてから話した。


 4行めの欄外に青鉛筆で右下向きに斜めに「」を書いて、その上に「これをうまくやってのける。」と書入れ。それから、1~5行めに下書きが鉛筆書きで残っている。判読出来ない箇所は「○」で示した。

   「○○○」といってホッとさせている。私が/はなしたとき(しゅうがく○○には、かえってしらけて○○た○そこが先生の話のうまさというものであろう。
 先生はこれを中学校の時の先生からきいた、と前
おきしてから話した。


 話が長くて書くのに時間が掛かって、取り敢えず書くつもりのことを鉛筆書きでメモして置いたのであろう。
 標準語の怪談を敵視(?)しているのは、何か理由がありそうだが思い出せない。前回触れた、昔話を研究(?)していた頃の、方言で昔話を記録するとか云う理想の名残であろうか。
 最後に17頁10~13行め、鉛筆で以下の加筆。

 この話は人をこわがらせる物がなんとなく備わっているとおもう、私は二度ほどこの話をしたが「こわくて夜寝れねェよ」といわれたりするほどである。しかし私は、まっくらのところではなした。


 尻切れ蜻蛉である。どうやら、1~5行めの下書きと同様に、ボールペンで清書しながら更に書き足すつもりが、そのままになってしまったらしい。――何が言いたいのかと云うと、先生は照明を暗くせずに(曇っていたが)話したのに、私は真っ暗な部屋で遥かに及ばなかった、と云うことである。
 校訂案。

 そこでみんなは一斉に溜息をついた。先生の話し振りは私たちを本当にその場にいたような気にしてくれて、つく息もつかずに、静かに聞いていた。
 先生の付け加えもあるらしいが、本当に話が上手い。特に
『生徒の一人が便所で大声を出す』
  ワァァーー
生徒たちは何があったんだと、背中にぞッぞォーという何か走った。が、「滑って転んで、尻餅ついた」と言って、ホッとさせている。ここは上手くやらなければ白けてしまう。私が、修学旅行のときに話したが、却って白けてしまった。そこが先生の話の上手さであろう。こわい話をするのに、標準語を使ったり、声色を替えたりするのは話下手のすることだと思っている。普通に、方言で、話していれば、それだけでも感じは出ると思う。私はそう思っている。
 なお、■本先生はこれを中学の時の先生に聞いた、と前置きしてから話した。
 この話は人をこわがらせる物がなんとなく備わっていると思う。私は二度ほどこの話をしたが「こわくて夜寝れねェよ」と言われたりするほどである。しかし私は、真っ暗のところで話した。


 前篇はここまでで以下6行は余白。(以下続稿)

中学時代のノート(12)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(9)前篇⑧ 怪談(その五・下)寄宿舎の足音

 一昨日の翻字の、校訂案。

 今から六十年ぐらい前(または昭和の初め頃)、どこかの、名前はいわんけど田舎の学校に寄宿舎があってんな。
 寄宿舎ゆゥんは(と言うのは)、田舎のことやから、一々帰るのが面倒(家が遠いためにな)やから、月曜から金曜までそこに泊って、それで土曜に家に帰って、日曜は家にいて、月曜にまた学校に来る(又は日曜に来るとも)って、そんなところがあってんな。それでその学校では、一つの部屋に、三人、一年生、二年生、三年生と入っとんのやってな。
 それで春が来て、三年生は出てって、四月になって、新しい一年生が入って来てんな。その子は勉強はまァまァ出来るんやけど、顔は青白くて(頰が窪んでて)、体育が苦手やってんな。それで、その子の担任は体育の先生でな、それでその子は最初のうちは、体育の授業になると、頭が痛いとかなんとか言って、仮病を使っとってんな、それで先生も初めは青白い顔しとォし(しているし)、ほんまなんやろなァって、そんなら保健室行けって言うとったんやけど、毎回そんなんで、六月ぐらいから、その子が保健室で寝てても無理に連れ出して体育やらせよってんな。
 それでその頃「日本男児は十キロぐらい走らないかん」ていわれてて、一月にマラソン大会みたいなんがあってな、それで、その前に走らせられてたん。それでその子はいつもビリやってんな。(ここら辺にもう少しあったと思うが思い出せない。)
 それで一月になってその大会の日が来てんな。それで全員一度に出たんやけど、ビリから二番が角を曲がったときに、その子はまだすぐそこにおったん。(それで体育の先生はあいつほんまにあかんなァって思ってんな)それで、お昼(又は夕方)までに、他の全員は帰って来たんやけど、その子だけ帰って来うへんのやってな。それでその先生は他の生徒をみんな帰して、自分は自転車に乗って、コースを後から追い掛けて行ってんな。
 その時その子は、八キロぐらいのところにおって、その子はそんなに走ったことがないから、もう足はよろけててんな。それで殆ど歩いてるようにして走りよってんな。それでとうとうよろけて、それでこけて(転んで)もたんやってな。それが膝(の関節)で、血が流れるのを、我慢しながら歩きよってん。そこに先生が来て、「それがんばれがんばれ」「なにグズグズしとォんのや」とか言いながら、横に付いて(又は後に付いて)自転車に乗っとってんな。それで、足に怪我して、血が流れてんのを見て、その先生は「あァ、怪我しとうな」ってそれぐらいに思とったん。それで学校に着いて、チョッチョッと怪我の手当てしてやってんな。
 その子は寄宿舎に帰って、すぐ寝たんやけど、十時くらいになって、その子がウーンウーンてうなるんで、二年生と三年生が色々それまでにしてたんやけど、うなるようになったんで(二人は勉強してたんやけどな)、
「お前どおしたんやァ」て、布団をばッて取ってみたら、右足の太もも(左足だったかも)が、黒みのかった紫色にぶわァって腫れとってんな。こらえらいこっちゃって、学校に行ったら、その体育の先生が丁度帰るところだったんで、こうこうの訳で大変なんですって言うたんやけど、その先生は、あいつのことやから、そのくらい平気やって、そのまま帰ってしもてんな。それが失敗やったん。
 その次の日は日曜で休みやってんな。
 それで月曜の朝、その子は来んかったんやけど、あいつ土曜に頑張ったからって、その体育の先生は(いつもは呼びに行っていたのに)呼びに行かんかってんな。(この日に右足太ももが腫れたのだと思う。その方が理に合っている。)
 その次の火曜になってもその子が来んから、あいつなにやっとォんやって、その体育の先生、寄宿舎に呼びに行ってんな。すると、その子、すごい汗かいて、寝とってんな。それでその先生がなんか言って、ばッて布団をめくってみてんな。それで驚いた。右足の太ももが黒みのかった紫色にぶわーッて腫れとォんでな、それでえらいこっちゃ、こんなことばれたら、クビにされるって、病院で診てもらったら、「もう少し早く来れば助かったかもしれないが、もう手遅れで足切るしかない」って言うんやってな。それでその子にそう言って、こうこうの訳やから、足切るしかないって言うたんやけど、その子は足切られるなら死んだほうがましやって言うとってんな。でもそれがばれたら先生クビやから、水曜の真夜中に手術してもらうことにしてんな。
 それで水曜に、先生が病院に連れて行こうとしたら、その子は足切るんなら死んだほうがましやって言うとったんやけどな、麻酔嗅がされて、病院に連れて行かれてしまってんな。
 その夜はそのうちに雨がシトシト降ってきたんで、先生は、真夜中の上に雨が降ってるんやったら、もうばれへんって安心してたんやってな。それで真夜中、手術が始まった。鋸でギィコォギィコォと挽いて、固いところは鑿でカン、カンと打って、右足を根元から切ってもた(しまった)んやってな。
 それでその晩のうちに、その子を寄宿舎にそっと戻しといて、足は病院で始末しといてくれって言うたんやってな。
 翌朝その子は右足のないことに気が付いて首吊って、自殺してもたんやってな。
 それでその先生は、その子の両親に、
「こちらも色々やったんですが、駄目でした」って嘘ついて、でもその子の両親に、「あの子もそんなにやってもらったんなら浮かばれましょう」って言うて、先生にお金までやってんな、悪い先生やなァ。(ここら辺にもう少し色々とあったと思うが思い出せない。)
 そんでその子が死んで最初のうちは、アァあいつ自殺したんやってなーってみんな言うてたんやけど、(もとから目立たん子やったから)そのうちに忘れられてしまった。
 そんで春になって、三年生は出てって、新しい一年生が入ってきてんな。
 それで一月になって持久走大会が終わって雨の降る日――。
 その部屋の二年生が、夜中小便したくなって便所に行ってんな。そしたら、
  カッタン……カッタン……カッタン……
って、普通に歩いてるようやない足音がして、(二年生は部屋の戸口のところに立っていたのだが、)自分の部屋の前で止まったんで、アァ、一年か三年が小便行きよォタンやなァて寝惚けとったから、そのまま便所に行って、やった。戻って来たら、廊下が、間隔を置いて、濡れとォねんな。それが、(突き当たりの)自分の部屋の前まで続いとォねんな。おかしいと思ったけど、そのまま眠ったんやってな。
 その翌日、一年生と三年生に、お前、昨晩便所行ったかーって聞いたんやけど、行かへん言ーねん。こらおかしいなーって、それやったら、カタン……カタン……。って音聞いたかって言うと、聞いた聞いたッて言うねん。それで外の寄宿生に聞いてみたんやけど、その子らは知らん言ーねん。(その音が、真夜中の十二時頃、いつもきこえるので)寄宿生が、集まって、誰が、そんなことをするのか見てやろうって言んで、
「アホの留吉(■■)やないか」
「いや、みの吉(■■)やろー」
「いや、■■■■(■■)やろー(ここでは生徒の名を使った)
とかなんとか言ってな、真夜中になるのを待った。
「俺は剣道部やから、竹刀でぶっ叩いたるゥ」
「俺は柔道部やから、そいつ投げ飛ばしたるわ」
 十時ぐらいになったから、電気消してんな。
 それで真夜中の十二時になると、(廊下の向こうの方で)
  カッタン……カッタン……カッタン……
とゆー音がするねんな。そら来たと、寄宿生は、そろそろと戸口の方に這って行って、
  カッタン……カッタン……
と近付いて来る音が、部屋の前まで来たとき、(戸を開けて)、
  ワァーー
て、(そいつを驚かそうとして)言ったんやけど誰もおらへんねんな。おかしィなーって、見てみたら、廊下を、音のした方から、間隔を置いて、水が溜まっとォねんな。それで部屋の前で止まっとおねん。
 それで寄宿生、どこから来たんや、て、その水溜まりを追ってみると、昔は大便がたくさんあって、(こっちが小便でな)十もあった。それでその向こうから四番目のところから、水溜まりが、間隔を置いてあるねんな。それで開けようとしたんやけど、針金がぐるぐるに巻き付けてあって開かへんのやってな。それで、明日*1の昼休み、みんなで、ペンチ持って開けに行こーゆーことになってんな。そしてみんなそれぞれの部屋に帰ろうってことになって、一人、二人と外に出ると、中で誰かが、
 ワァァー
と言うので、みんな
 どォしたんや
て聞いたら、その子は
「あー痛たァ、滑って転んで尻餅ついたわァ」と、尻*2をおさえた*3
 その翌日の昼休みにな、みんな揃って、ペンチ借りて来て、開けに行こけーって、便所に行って、針金を切って、開けてみた。すると、昔のことやから、用を足したら、新開紙で拭きよってんな。その大便所は長いこと使ってないみたいで、(隅に積んである)新聞紙は黄色くなっとってんな。ところがそん中に、一つだけ緑色した新聞紙があって、なんか包んであるねんな。なんやろって思って、ほぐしてみたら、中から(カラカラに)干からびて、(ミイラのようになった)足が、出て来たんで、驚いて、その子の担任やった体育の先生に見せてんな、そしたらその先生、えらいものが出て来た/ー。て、生徒から足をもらって、家に帰って、林に捨ててもたんやけどな。
 それからも、一月の大会が終わって、雨の降る日の真夜中には、
  カッ タン……カッ タン……
てゆー音がその子のおった部屋の前までして、水が、間隔を置いて溜まっとォねんな。それでもうその学校では寄宿舎を壊して、新しい校舎を建てたんでそうゆうこともなくなったってゆうんやけどな。
 その(先生にこの話をしてくれた)先生の説によると、その右足が、昔自分を付けて歩いてた人が恋しいんかどォーかしらんけど、切られた雨の降る日毎に、部屋に尋ねて行ってたんやないかーー。て言ってたけどな。


 原文は年齢相応に熟語を平仮名で書いていたり、漢字の書き間違い(女子高講師時代を思い出す――どうしてこんな間違いをするのか、と思っていたが、何のことはない、自分も同様の間違いをしているではないか)をしている一方で、妙なところで普通の中学生が知らないような漢字や言い回しを使ったり、歴史的仮名遣いで書いていたりするが、これは2017年12月14日付「手で書かずに変換する(4)」に書いたような理由で、小学6年生の頃から戦前の表記に慣れていたからである。
 しかし、何だか大袈裟は話である。「田舍之中學/寄宿舎奇談」と角書きして「眞冬之雨夜廊下に響く片跫音」とか外題を付けたいところである。
 ところで、■本先生は前任校と私のクラス、そしてその前後に勤めた学校でもこの話をしただろうし、私も2度の修学旅行で小学校の同級男子と高校の同級生全員、その他にも何度か語っている。更に遡ると、それこそ数百人がこの話を聞く機会があったはずなのだが、ネット検索しても全くヒットしないのである。(以下続稿)

*1:振仮名「あした」。

*2:振仮名「けつ」。

*3:青鉛筆書入れ「‥‥尻餅ついて、尻びしょびしょやわァ」ともいった。」あり。

中学時代のノート(11)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(8)前篇⑦ 怪談(その五・中)寄宿舎の足音

 原本7~17頁の写真を掲出して置く。これまで当ブログは図版不掲載を原則としていたが、この話はとにかく長いため、原本に既にして誤字が多く、今回新たに誤入力も生じているであろう。その確認用として。もちろん、資料保存の観点からも。
 それから、当ブログの記事で「不思議な世界を考える会会報」が非公開で(それが必要であることが明らかであるにも関わらず)閲覧可能な施設もないことを批判して来た身として、今、需要はないかも知れぬが公開して置こうと思ったのである。――こんなノートの公開が必要なのかとか、突っ込まないで下さい。
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 校訂案は次回に回す。(以下続稿)

中学時代のノート(10)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(7)前篇⑥ 怪談(その五・上)寄宿舎の足音

 1行空けて7頁13行め~16頁10行め、非常に長文なのでまづ翻字のみを掲げる。

 今から六十年ぐらい前(又は昭和の初めごろ)どこかの、名/前は言わんけど田舎の学校に寄宿舎があってんな。
 寄宿舎ゆゥんは(と言うのは)、田舎のことやから、いちいち/帰るのがめんどう(家が遠いためにな)やから、月曜から/金曜までそこに泊って、それで土曜に家に帰って、日曜は家/にいて、月曜にまた学校に来る(又は日曜に来るとも)って、/そんなところがあってんな。それでその学校では、一つの/【7】部屋に、三人、一年生、二年生、三年生と入っとんのやってな。
 それで春が来て、三年生は出てって、四月になって、新しい/一年生が入って来てんな。その子は勉強はまァまァ出来るん/やけど、顔は青白くて(ほおがくぼんでて)、体育が苦手やって/んな。それで、その子の担任は体育の先生でな、それでその子/は最初のうちは、体育の授業になると、頭がいたいとかなんと/か言って、仮病を使っとってんな、それで先生も初めは青白/い顔しとォし(しているし)、ほんまなんやろなァって、そん/なら保健室行けって言*1うとったんやけど、毎回そんなんで、/六月ぐらいから、その子が保健室で寝てても無理につれ出/して体育やらせよってんな。それでそのころ「日本男児は十キ/ロぐらい走らないかん」て言われてて、一月にマラソン大会/みたいなんがあってな、それで、その前に走らせられてたん。/それでその子はいつもビリやってんな。(ここらへんにもうすこしあったと思うが思い出せない。)
 それで一月になってその大会の日が来てんな。それで全員/一度に出たんやけど、ビリから二番が、角をまがったときに/その子はまだすぐそこにおったん。(それで体育の先生はあい/つほんまにあかんなァって思ってんな)それで、お昼(又は夕/【8】方)までに、他の全員は帰って来たんやけど、その子だけ帰っ/て来*2うへんのやってな。それでその先生は他の生徒をみん/な帰して、自分は自転車にのって、コースを後からおいか/けていってんな。
 その時その子は、八キロぐらいのところにおって、その子は/そんなに走ったことがないから、もう足はよろけててんな。/それでほとんど歩いてるようにして走りよってんな、それでとう/とうよろけて、それでこけて(ころんで)もたんやってな。それ/がひざ(のかんせつ)で、血が流れるのを、我まんしながら歩/きよってん。そこに先生が来て、「それがんばれがんばれ」「なに/グズグズしとォんのや」とか言いながら、横について(又は後/について)自転車に乗っとってんな。それで、足にけがして、/血が流れてんのを見て、その先生は「あァ、けがしとうな」/ってそれぐらいに思とったん。それで学校について、チョッ/チョッとけがの手当してやってんな。
 その子は寄宿舎に帰って、すぐ寝たんやけど、十時くら/いになって、その子がウーンウーンてうなるんで、二年生と/三年生がいろいろそれまでにしてたんやけど、うなるよ/うになったんで(二人は勉強してたんやけどな、)【9】
「おまえどおしたんやァ」て、ふとんをばっッてとってみた/ら、右足の太もも(左足だったかも)が、黒みのかった紫色にぶ/わァってはれとってんな。こらえらいこっちゃって、学校に行/ったら、その体育の先生が丁度帰るところだったんで、こうこ/うのわけでたいへんなんですって言うたんやけど、その先/生は、あいつのことやから、そのくらい平気やって、そのまま/帰ってしもてんな。それが失敗やったん。
 その次の日は日曜で休みやってんな。
 それで月曜の朝、その子は来*3んかったんやけど、あいつ土/曜にがんばったからって、その体育の先生(いつもは呼びに/行っていたのに)は呼びに行かんかってんな。(この日に/右足太ももがはれたのだと思う。その方が理に合っている)。
 その次の火曜になってもその子が来んから、あいつなに/やっとォんやって、その体育の先生、寄宿舎に呼びに行/ってんな。すると、その子、すごい汗かいて、寝とってんな。/それでその先生がなんか言って、ばッてふとんをめくって/みてんな。それでおどろいた。右足の太ももが黒みのかっ/た紫色にぶわーッてはれとォんでな、それでえらいこっ/ちゃ、こんなことばれたら、クビにされるって、病院で/【10】みてもらったら、「もう少し早くくればたすかったかもしれ/ないが、もう手おくれで足切るしかない」って言うんやっ/てな。それでその子にそう言って、こうこうのわけやか/ら、足切るしかないって言*4うたんやけど、その子は足切ら/れるなら死んだほうがましやっていうとってんな。でもそ/れがばれたら先生クビやから、水曜の真夜中に手術して/もらうことにしてんな。
 それで水曜に、先生が病院につれて行こうとしたら、/その子は足切るんなら死んだほうがましやって言うとった/んやけどな。ますいかがされて、病院につれて行かれてし/まってんな。
 その夜はそのうちに雨がシトシトふってきたんで、先生は、/真夜中の上に雨がふってるんやったら、もうばれへんって安心/してたんやってな。それで真夜中、手術が初まった、ノコギリで/ギィコォギィコォとひいて、かたいところはノミでカン、カンとう/って、右足を根元から切ってもた(しまった)んやってな。
 それでその晩のうちに、その子を寄宿舎にそっともどしと/いて、足は病院で始末しといてくれって言*5うたんやってな。
 翌朝その子は右足のないことに気がついて首吊って、自殺し/【11】てもたんやってな。それでその先生は、その子の両親に、
「こちらもいろいろやったんですが、だめでした」ってうそついて、/でもその子の両親に、「あの子もそんなにやってもらったんな/ら浮かばれましょう」って言*6うて、先生にお金までやってんな、/悪い先生やなァ。(ここらへんにもう少し色々とあったと思うが思い出せない)。
 そんでその子が死んで最初のうちは、アァあいつ自殺した/んやってなーってみんな言うてたんやけど、(もとから目立たん子やったから)そのうちに忘れられてしまった。
 そんで春になって、三年生は出てって、新しい一年生が入っ/てきてんな。
 それで一月になって持久走大会が終って雨のふる日――。
 その部屋の二年生が、夜中小便したくなって便所に行っ/てんな。そしたら、
  カッタン……カッタン……カッタン……
って、ふつうにあるいてるようやない、足音がして、(二年生は部屋の戸口のところに立っていたのだが)、自分の部屋の前で/とまったんで、アァ、一年か三年が小便行きよォタンやなァ/て寝ぼけとったから、そのまま便所に行って、やった、もど/【12】って来たら、ろうかが、かんかくをおいて、ぬれとォねんな。/それが、(つきあたりの)自分の部屋の前までつづいとォね/んな。おかしいと思ったけど、そのままねむったんやってな。
 その翌日、一年生と三年生に、お前、昨晩便所行った/かーって聞いたんやけど、行かへん言*7ーねん。こらおか/しいなーって、それやったら、カタン……カタン……。って音聞/いたかって言*8うと、聞いた聞いたッて言うねん。それで外の/寄宿生に聞いてみたんやけど、その子らはしらん言*9ーね/ん。(その音が、真夜中の十二時頃、いつもきこえるので)寄宿生が、あつまって/誰が、そんなことをするのか見てやろうって言*10んで、
「アホの留吉(■■)やないか」
「いや、みの吉(■■)やろー」
「いや、■■■■(■■)やろー(ここでは生徒の名を使った)
とかなんとか言ってな、真夜中になるのをまった。
「おれは剣道部やから、竹ないでぶっ叩いたるゥ」
「おれは柔道部やから、そいつなげとばしたるわ」
 十時ぐらいになったから、電気消してんな。
 それで真夜中の十二時になると、(ろうかの向こうの方で)
  カッタン……カッタン……カッタン………【13】
と言*11ー音がするねんな。そら来たと、寄宿生は、そろそろ/と戸口の方にはって行って、
  カッタン……カッタン……
と近付いてくる音が、部屋の前まで来たとき、(戸をあけ/て)、
  ワァーー*12
て、(そいつをおどろかそうとして)言ったんやけどだれもおら/へんねんな。おかしィなーって、みてみたら、ろうかを、音の/したほうから、かんかくをおいて、水がたまっとォねんな。それ/で部屋の前でとまっとおねん。
 それで寄宿生、どこから来たんや、て、その水たまり/を追ってみると、昔は大便がたくさんあって、(こっちが小便/でな)十もあった。それでその向こうから四番目のところ/から、水たまりが、かんかくをおいてあるねんな。それで開/けようとしたんやけど、針金がぐるぐるにまきつけてあっ/て開かへんのやって、な。それで、明日*13の昼休み/みんなで、ペンチもってあけに行こー言*14ーことになって/んな。そしてみんなそれぞれの部屋に帰ろうってことに/なって、一人、二人と外に出ると、中でだれかが、【14】
 ワァァー
というので、みんな
 どォしたんや
て聞いたら、その子は
「あー痛たァ、すべってころんで尻もちついたわァ*15」と、尻*16/をおさえた。
 その翌日の昼休みにな、みんなそろって、ペンチ借りて来/て、開けに行こケーって、便所に行って、針金を切って、開/けてみた、すると、昔のことやから、用を足したら、新開紙/でふきよってんな。その大便所は長いこと使ってないみたい/で、(すみにつんである)新聞紙は黄色くなっとってんな。とこ/ろがそん中に、一つだけ緑色した新聞紙があって、なんか包/んであるねんな。なんやろって思って、ほぐしてみたら、中か/ら(カラカラに)ひからびて、(ミイラのようになった)足が、出て/来たんで、おどろいて、その子の坦任やった体育の先生に/みせてんな、そしたらその先生、えらいものが出て来た/ー。て、生徒から足をもらって、家に帰って、林にすてて/もたんやけどな。
 それからも、一月の大会が終って、雨のふる日の真夜中/【15】には、
  カッ タン……カッ タン………。
て言*17ー音がその子のおった部屋の前までして、水が、かんか/くをおいてたまっとォねんな。それでもうその学校では寄宿/舎をこわして、新しい校舎をたてたんでそうゆうこともな/くなったって言*18うんやけどな、
 その(先生にこの話をしてくれた)先生の説によると、その右足/が、昔自分をつけて歩いてた人がこいしいんかどォーかしらんけど、/切られた雨のふる日毎に、部屋にたづねていってたんやない/かーー。て言ってたけどな。


 私がこの話を記録したのはこの①中学2年が最初で、油性ボールペンで、つまり訂正なしで■本先生の語りを思い出すままに書いて行ったので、細かいところで前後したり妙な按配になったところが間々見受けられる。しかし、書いた当時の私は先生の語りをある程度再現し得たつもりでいたのである。その後、②中学3年、③高校1年、④大学3年の3度、改めて全文を書く作業(最後はワープロ入力)をしたが、②中学3年のときにこのノートを元に推敲したものが「定本」になったようだ。と云うのも、以上4つの本文のうち、②中学3年と④大学3年のときの2つを掘り出せていないので細かく照合出来ていないのである。しかし、この①中学2年のノートを③高校1年のときの本文と比較するに、上記の問題点はすらすら読み進められるよう配列し直され、更に、説明を若干詳しくしたり、明らかに不足している箇所を補ったり、記憶が曖昧な箇所は特に註記せずに省いたりしている。特に重要な点は、足音がいつから聞こえ始めたのか、雨の日だけなのか、雨の日をきっかけに毎夜聞こえるようになったのか、それとも雨の日ごとに聞こえたのか――だとすると冬に雨がちな地方と云うことになりそうだが、既に①ノートの時点で記憶が曖昧だったせいか、③ではそのような追及はせず、何となく誤魔化しているのである*19
 さて、文末表現が①では、ここに示したように「~やったん」「~やってな」「~やってんな」等と区々だったのが、③ではほぼ「~やってんな」に統一されている。しかしその頃までの私には先生の語りの印象が強烈だったから、こうした本文改訂を、より先生の語りに近付ける作業として行っていた節がある。事実、小学校の修学旅行と高校の修学旅行で、私はこの長い話を記憶するまま自在に語ってそれまで余所者の私を遠ざける風のあった級友たちに、大いに面目を施したのである。それがその直後に、2017年5月2日付「スキー修学旅行(1)」の後半に述べた、このとき私の人物をそれと認めてくれた心ある級友たちがほぼ留年が確定していた私の数学を見てくれて、ぎりぎりのところで留年を回避出来たのである。
 しかし今や、私は先生の語りを頭の中に全く再現出来なくなった。やはり、細部が――旧制中学の寄宿舎なのに3学年しかいないとか、マラソン大会の距離が「10kmくらい走らないかん」とかは、知識が増えた今となっては、そのまま語るのがちょっと難しいのである。話の本筋に関わらない部分で正確な知識に基づいて、昔の学制について説明されたり、学区外に出ることも原則禁止されているのに10km以上の距離を持ち出されても、頭が追い付かない当時の小学生の感覚としては何の疑問もなく容れられたのだから、女子高講師のときも、気にせずにそのまま話せば良かったのに、頭でっかちになってしまった私にはその藝当が出来なくなっていた。いや、高校の修学旅行で、お前は先生の語りの通り(のつもりで)話したではないか。しかし、高校の修学旅行から女子高まで10年以上を経ていて、ブランクが有り過ぎた。それに、私は高校生に妙に期待し過ぎていたのかも知れない。そうなのだ、お前が気付いたような疑問には、多分お前しか気付いていない。誰もそんな瑣事を気にしたりしないのだ。気付くかも知れないと思うのはお前くらいのもので、お前以外の連中は、そんな瑣事は綺麗に忘れてしまって、ひどく簡略化・合理化して、あの曇天の4時間目の恐怖を語り継いでいるであろう、と。――或いは、私が研究なぞせずに、大学卒業後に小学校か、せいぜい中学の教員にでもなっていたら、未だに嬉々としてこの話を語り継ぐ(?)ことが出来たであろうか。
 そして、思うのである。この話は、加工される前はどんな按配だったのだろうか、そして、何時何処の話なのだろうか、と。(以下続稿)

*1:振仮名「ゆ」。

*2:振仮名「こ」。

*3:振仮名「こ」。

*4:振仮名「ゆ」。

*5:振仮名「ゆ」。

*6:振仮名「ゆ」。

*7:振仮名「ゆ」。

*8:振仮名「ゆ」。

*9:振仮名「ゆ」。

*10:振仮名「ゆ」。

*11:振仮名「ゆ」。

*12:最初句点を打って、それから感嘆符を重ね書きしている。

*13:振仮名「あした」。

*14:振仮名「ゆ」。

*15:青鉛筆で「たわァ」を見せ消ちにして、矢印「」で脇に「て、尻びしょびしょやわァ」ともいった。」と書き入れ。

*16:振仮名「けつ」。

*17:振仮名「ゆ」。

*18:振仮名「ゆ」。

*19:③の本文は遠からず当ブログに上げるつもりで、②④についても発掘の機会を得たいと思っている。

中学時代のノート(09)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(6)前篇⑤ 5人の担任

 6頁9行め~7頁11行め、

 ■田先生は急に転任が決まり、二月二日かそのくらいに、急/に、この学校から出ていかれた。次に■花先生が来た。この/先生は一月余りしかもってもらわなかったので、年賀状/を出したこともない。しかし文集を作るなどしてくれ/た。
 四年になると、クラス替えはなかったが、先生は、パキス/タンのカラチから来たという■■先生という男の先生/だった。一番いい先生だったと思うが、ほとんどパキスタン/にいたときの話ばかりで、これといって怪談という話もな/かった。
 五年の時にクラス替えがあった。先生は、○○小から来た/【6】■本という三十三才の男の先生で、奥さんが、流産するなど/不運も多かったが、野球がうまい、先生で、校長先生に叱ら/れながらも二時間つぶして二回もソフトボール大会を/してくれるなど、やさしい先生であり、こわい先生でも/あった。話題も豊富だったが、「こわい話をしてくれ」と言う/と、
「前の小学校でこわい話をして、夜小便に行けなくなっ/たって苦情がきた」
とか言ってかわしていたが、どんよりくもった日の四時間/目、とうとう話してくれることになった。あつい日ではなか/った。


 校訂案。

 ■田先生は急に転任が決まり、二月二日かそのくらいに、急に、この学校から出て行かれた。次に■花先生が来た。この先生は一月余りしか持ってもらわなかったので、年賀状を出したこともない。しかし文集を作るなどしてくれた。
 四年になると、クラス替えはなかったが、先生は、パキスタンのカラチから来たという■■先生という男の先生だった。一番いい先生だったと思うが、ほとんどパキスタンにいたときの話ばかりで、これといって怪談という話もなかった。
 五年の時にクラス替えがあった。先生は、○○小から来た■本という三十三歳の男の先生で、奥さんが流産するなど不運も多かったが、野球が上手い先生で、校長先生に叱られながらも二時間潰して二回もソフトボール大会をしてくれるなど、優しい先生であり、こわい先生でもあった。話題も豊富だったが、「こわい話をしてくれ」と言うと、
「前の小学校でこわい話をして、夜小便に行けなくなったって苦情がきた」
とか言ってかわしていたが、どんよりくもった日の四時間目、とうとう話してくれることになった。暑い日ではなかった。


 ■田先生は紺のスーツを着て涙を堪えながら朝礼台で急な転任の挨拶をし、そのまま涙を抑えながら急ぎ足で去って行った、そんな記憶がある。そしてその日のうちに、新しい学校で着任の挨拶をされたのではあるまいか。
 恐らく、正規の教員の空きがなくて■野先生の産休代講で私たちのクラスの担任になり、そのまま年度末まで勤めるつもりだったのが、急に正規の枠に空きが出来て声が掛かったので、周囲の勧めもあって移る決断をしたのだろう。もちろん、当時の私たちにそんな事情が理解出来るはずもないから詳しい説明はなかったのであろう。いや、今、私の考えた事情も違っているかも知れないが。
 ■野先生はふっくらして目の大きい人だったように記憶する。■花先生は小柄で和風の美人と云った感じだったと思うが、■田先生の元気に刺激されて来た私たちには、ちょっと物足りなかったようだ。実家の荷物の何処かにあるはずの文集を掘り出せば、また思い出すこともあろうか。
 4年のときの■■先生は、如何にも精悍な顔つきの人で、怪談とは縁がなかったので今書くべきことはまるでないが、別に思い出を書いて置こうと思っている。
 ○○小学校は伏字ではなくて、確かに聞いたはずなのに思い出せなくて書けなかったのである。
 ここで改めて確認して置くと、3年生が昭和55年度、4年生が昭和56年度、5年生が昭和57年度である。■本先生が年度の頭に33歳、前年(1981)に33歳の誕生日を迎えていたとして昭和23年(1948)生と云うことになる。
 当時の先生や友人の誰とも連絡を取っていないが、検索して見るに■本先生は今も健在で、地元の公民館などで写真展を開いているようである。(以下続稿)

中学時代のノート(08)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(5)
   前篇④ 怪談(その三)犬と人の骨(その四)八十八池

 1行空けて5頁6~14行め、

 怪談だとは言えないが、よくよく考えるとこわいような気/のする話を一つ。先生が子供のころの思い出である。
 
 海のそば(谷八木小?)の潮の香りのする学校で、ある/時浜に出てあそんでいると、骨が出て来た。ほってみると、/人が犬にうでをくいつかれたかっこうだった。聞くところ/によると、魚住(明石市西部)で(飼い主が飼い)犬にかみつ/かれて、もろとも海におちて、それが打ち上げられたらし/いって。


 校訂案。

 怪談だとはいえないが、よくよく考えるとこわいような気のする話を一つ。先生が子供の頃の思い出である。
 
 海のそば(谷八木小?)の潮の香りのする学校で、あるとき浜に出て遊んでいると、骨が出てきた。掘ってみると、人が犬に腕を喰い付かれた恰好だった。聞くところによると、魚住(明石市西部)で(飼い主が飼い)犬に嚙み付かれて、もろとも海に落ちて、それが打ち上げられたらしいって。


 明石市立谷八木小学校には9月14日付(06)に触れた。
 1行空けて16行め~6頁8行め、

 この先生も長くはいなかった。が、学級で物語ノートを/作ったり、班ごとに「先生あのね」というノートをかか/せたりしていて、いちばん三年生の時の先生の中で一番記/憶にのこっている。そう言えば■野先生にもこんな話が/【5】あった。
 
 山手?の方に住んでいて、盆踊りの帰り、八十八池の/そばに、大きな松の木があって、その下を通るのがこわかっ/た。
 
 怪談でもない、ただの思い出話である。しかし、こういうの/が怪談をつくっていったのであろう。


 校訂案。衍字を削除した。

 この先生も長くはいなかった。が、学級で物語ノートを作ったり、班ごとに「先生あのね」というノートを書かせたりしていて、三年生のときの先生の中で一番記憶に残っている。そういえば■野先生にもこんな話があった。
 
 山手?の方に住んでいて、盆踊りの帰り、八十八池のそばに、大きな松の木があって、その下を通るのがこわかった。
 
 怪談でもない、ただの思い出話である。しかし、こういうのが怪談を作っていったのであろう。


 山手は明石市大久保町山手台。学区外に出掛けることが原則禁止されていた私たちには、話は聞いてもよく分からない場所だった。
 八十八池と云う池はなく「八十島池」らしい。私は何と読むつもりでこう書いたのだろう? 大久保町西脇の北東端、現在の大久保町茜1丁目4番に、半分以上埋め立てられながらも存している。航空写真で探した限りでは、付近に松の大木は残っていないようである。地図や航空写真を見るに、山手台の造成は昭和40年(1965)前後らしい。■野先生が当時何歳だったのか分からないが、中学生の頃か、とにかく10代の前半くらいに、開発されたばかりの大久保町山手台の住宅地に移り住んだのであろう。まだ山手台の住人が少なかったので、西脇や山ノ下などの昔からの集落の盆踊りに出掛けていた、そんな時期の話のように思われる。(以下続稿)

中学時代のノート(07)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(4)前篇③ 怪談(その二)二階

 昨日紹介した話に対するコメントと、もう1話。
 まづコメントから。1行空けて4頁6~11行め。

 怖い話をしながらも最後を生徒の想像にまかせる/というところがなんとも先生くさい。私は、「オッチャンが/つかまったんなら、この話はのこらないはずだ」と思ったが/「その男の人は走るのがとてもはやかった」とか、そんなふうに/も聞いたように思うが、なんせ五年前のことなので、あ/らすじしか記せなかった。同じ日に聞いた話、もう一つ。


校訂案。

 怖い話をしながらも最後を生徒の想像に任せるというところが何とも先生臭い。私は、「オッチャンが捕まったんなら、この話は残らないはずだ」と思ったが「その男の人は走るのがとても速かった」とか、そんなふうにも聞いたように思うが、なんせ五年前のことなので、粗筋しか記せなかった。
 同じ日に聞いた話、もう一つ。


 既に理屈っぽかった――いや、伝承経路に関心を払っていたことが窺える。死骸を喰っていた男の足が速かった、と云うのは、私のような反応を見越して、そんな子供を怖がらせようと云う努力(?)なのだろう。
 ここに「五年前」とある。9月12日付(04)に、このノートの執筆時期について、表紙によれば中学1年生、1頁には3年生らしく書かれているが、どうも中学2年生の時らしい、と述べて置いたのだが、私が小学校3年生だったのは昭和55年度、昭和55年(1980)に聞いたとして、中学2年生の夏は昭和60年(1985)、丁度5年後である。
 1行空けて、4頁13行め~5頁4行め、

 受験生が、夜中、勉強しよってんな(していた)、そしたら/雨戸をトントンとたたく者がいるんで、あけてみたら、(ぼ/うしかけて、めがねかけて)くらくて顔はよう分からんかっ/た(よく分からなかった)けどな、オッチャンがたってって、「だ/ばこやはどっちや」って聞くんで、「あ、それはあっちや」って/教えてやったんやって、そしたら、「ありがとう」いうて、オ/ッチャンが言った。それで受験生はまどから、あァ、オッチャン/【4】がたばこ買いに行きよォなァ(行ってるな)と見ていた/けど、雨戸しめて(勉強しだしてから)その受験者、イッて/思ってんな、なんでかって言うと、その子の部屋、二階やっ/たん。


 どうも疲れて来たのか誤字が多い。「受験生」の「生」は2箇所とも、変な字を書いてその上から重ね書きして「生」にしてある。そして3つめは「受験者」になっている。――女子高講師の頃、何でこんな間違いをするのか、と漢字テストや定期考査の不可解な誤字・誤記を見る度に思わされてきたが、やはり間違うもののようだ。いや、古典籍の調査をしていたときも、少なからず誤字・誤写を目にしたではないか。
 校訂案。

 受験生が、夜中、勉強しよってんな(していた)、そしたら雨戸をトントンと叩く者がいるんで、開けてみたら、(帽子被って、眼鏡掛けて)暗くて顔はよう分からんかった(よく分からなかった)けどな、オッチャンが立ってて、「煙草屋はどっちや」って聞くんで、「あ、それはあっちや」って教えてやったんやって、そしたら、「有難う」いうて、オッチャンが言った。それで受験生は窓から、あァ、オッチャンが煙草買いに行きよォなァ(行ってるな)と見ていたけど、雨戸閉めて(勉強しだしてから)その受験生、イッて思ってんな、なんでかっていうと、その子の部屋、二階やったん。


 明らかな誤りは訂正した。――よく、古典の校訂でこのように断ってあることがあるが、その「誤り」と思われる原文も公開するべきだと思う。実は校訂者の解釈が間違っていることもあるからである。(以下続稿)

中学時代のノート(06)

・昭和56年頃に聞いた怪談ノート(3)前篇② 怪談(その一)見たな

 昨日の続き。2頁15行めは空白。16行め~4頁4行めまで。

 中八木の方(明石市、先生は子供のころ、ここに住んでい/た)で、墓あらしが出たという話。
 
 中八木の方で、夜中にカランコロンってげたをはいて、そ/【2】れで髪の毛はボサボサに生えてて、そんで、いつも下の方を/むいて、白い服着て歩いていく男の人があった。それで子供/はこわいんで、もうげたの音のきこえる前にふとんにもぐ/って、それでゲタの音が聞こえるとがたガタふるえてい/た。寝小便をした子もいた。
 それであるオッチャン(おじさん)が「誰やろ(だろう)」/と思って、ある夜中、その男の人をまちかまえていると、
  カランコロンカランコロン
とゲタの音がする。みてみると、髪の毛がボサボサ(又/は長くたれていただったかもしれない)で顔は下向いて、白/い服を来た男の人が、ゲタをならしながら、前を通り/すぎて行った。
「どこ行くんやろ」と、そのオッチャンはあとからそっとつ/いていくと、村はづれの墓地に入って、(新しい)墓をほ/りおこして(手で)、かんおけから、死骸を出して、ムシャ/ムシャとたべている。そのオッチャンは、「こわいものを見た」/と、逃げだそうと、草のかげにかくれていたのだが、逃げ/ようとして、まちがって、
「ガサッ」と音をたててしまった。すると、男の人は、こち/【3】らをジロッとにらんで、
「見ィたァなァ」
と行っておいかけてきた。それでそのオッチャンも逃げ/たんやけど、つかまったと思う?


 断っていなかったが本文は全て油性ボールペンで書いてある。下書きせずにいきなり書いているので、後で( )に補足を入れたり、展開や文章が捻れたのを妙な具合に辻褄を合わせたりしている。修正液のようなものは使っていなかったから、誤字に強引に重ね書きしたところもある。更に、暫く経ってから読み直した際の、鉛筆書きの書入れも(ここには出て来ないが)ある。
 校訂案。文意が通るように直したいところだが、原型を止めつつ漢字を加減した。

 中八木の方(明石市、先生は子供の頃、ここに住んでいた)で、墓荒しが出たという話。
 
 中八木の方で、夜中にカランコロンって下駄を履いて、それで髪の毛はボサボサに生えてて、そんで、いつも下の方を向いて、白い服着て歩いていく男の人があった。それで子供はこわいんで、もう下駄の音の聞こえる前に布団に潜って、それで下駄の音が聞こえるとガタガタ震えていた。寝小便をした子もいた。
 それであるオッチャン(おじさん)が「誰やろ(だろう)」と思って、ある夜中、その男の人を待ち構えていると、
  カランコロンカランコロン
と下駄の音がする。見てみると、髪の毛がボサボサ(または長く垂れていた、だったかもしれない)で顔は下向いて、白い服を着た男の人が、下駄を鳴らしながら、前を通り過ぎて行った。
「どこ行くんやろ」と、そのオッチャンは後からそっと着いて行くと、村外れの墓地に入って、(新しい)墓を手で掘り起こして、棺桶から、死骸を出して、ムシャムシャと食べている。そのオッチャンは、「こわいものを見た」と、逃げ出そうと、草の陰に隠れていたのだが、逃げようとして、間違って、
「ガサッ」と音を立ててしまった。すると、男の人は、こちらをジロッと睨んで、
「見ィたァなァ」
と言って追い掛けて来た。それでそのオッチャンも逃げたんやけど、捕まったと思う?


 典型的な「見たな」の怪談である。
 中八木は明石市大久保町八木、山陽電鉄中八木駅がある。同じ市内だけれども丘陵地を造成した新興住宅地の住民には縁がなく、何kmも離れていないのだが行ったことがない。公共交通機関も市バスと、たまに国鉄に乗るくらいで、山陽電鉄には乗ったことがなかった(後年、高校の遠足で乗った)。
 当時、新興住宅地に下駄を履いている人なんかいなかったから、随分昔の話のように感じた。「白い服」も、もちろん和服でイメージしていた。
 谷謙二(埼玉大学教育学部人文地理学研究室)の「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」」を参照すると、駅のある辺りは古くは一面の田圃で、中八木の集落は駅から300m程の南の、海縁にあったが戸数は多くない*1。集落の外れに墓地もないようだ。
 付近に候補としては、南東に300m程の谷八木(明石市大久保町谷八木)と北西に600m程の八木(明石市大久保町八木)集落があるが、どうも、当時の八木集落の北の外れ、現在の大久保町八木389番地にある墓地がそれらしく思える。――いや、いづれ子供を早く寝かし付けるためのもので、実際にこんなことがあったかどうか、分からないのだけれども。(以下続稿)

*1:明石市立谷八木小学校の西南西。