瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(4)

 今日は、当初「・伝説集に対する麗しき誤解」との見出しで昨日の続きを述べて行くつもりだったのだが、人によっては当り前のことだし、急にこんな展開になって十分に用意が出来ている訳でもない。かつ、続きを書かないと全国各地から歎声が漏れる程に、読者が付いている訳でもない(笑)。――5月28日付「東京RADIO CLUB「東京ミステリー」(1)」の付け足りに書いたように、5月20日以降、当ブログの訪問者が急に増えたのですが、Google Analytics で見ますと、5月20日から今日まで、ページビューが 40,878件、ページ訪問者が延べ 33,288人、うち、2018年10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」が 8,952件(21.90%)7,694人(23.11%)、次いで2018年11月4日付「閉じ込められた女子学生(20)」が 4,229件(10.35%)3,566人(10.71%)、2018年10月20日付「校舎屋上の焼身自殺(01)」が2,474件(6.05%)2,160人(6.49%)と続きます。恐らく6割方、ひょっとすると7割以上がこの事件・事故に関連した記事への訪問者で、それ以外の記事まで(はてなブログに移行してから、はてなダイアリーよりも閲覧しづらくなったような気がするのですが)覗いてもらえるようなことは、殆どありません。しかし、ネット動画の勢いと云うものを感じますなぁ。そして、2018年10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」は当ブログの記事としてはポイントを押さえた内容になっているので、これが検索サイトの上位に上がっているのも(自分で云うのも何ですが)分かるような気がするのです。
 妙な話になったが、上記の事故・事件に関する記事は、別に複雑な筋がある訳ではないので、調べながら判明したことを検討し、見通しを立てながら進めて行けば良かったのだが、今回の件は少々複雑で、かつ、問題は『信州の口碑と傳説』及び『信州百物語』に止まるものでもない。柳田國男「山と傳説」が苦言を呈していたような情況が当時あり、そして現在でも、いや現在はむしろ民俗学者が積極的にそれに加担するような按配で、続いているのである。云って見れば民俗学の宿痾みたいなもので、ここをきちんと整理しないと本当はいけなかったのに、個別の話題、書物、或いは人物について、ちまちまとした整理が行われていると云うような按配で来ているように思うのである。いや、一部の学者が仮にこういう問題に手を着けていたとしても(着けていないかも知れないが)、それが一般の認識にはなっていないのが実情である。そんなことに今や退隠状態で、そうでなくても殆ど手許に資料を持っていない私が乗り出すのには、まだまだその覚悟が足りないのである。
 先日、図書館を梯子する序でに書店に立ち寄って、関係しそうな本を買うつもりもなく(後日図書館が探すつもりで)手にして見たのだが、うち1冊に、私の論文が取り上げられていたのである。随分褒めてあったのだが、私がその論文で解体したはずの、従来のその件に関する構図はそのままになっているので、何だか狐に摘ままれたような気分にさせられたのである。私の論文を読めば、従来行われていた説が資料を素直に読まずに、先入観に引き擦られて事実を捻じ曲げてしまっていることが明らかになっているはずなのだが――と思いつつ、良く見ると、私の名前が間違っていた(笑)。つまり筆者は執筆に当たって、以前読んだであろう私の論文を改めて確認することを怠り、せいぜい従来説に若干の知見と新資料を追加した程度のものと云う見当で済ませて、書いてしまったらしいのである。或いは、要点のメモだけあって失くしてしまったのかも知れない(苦笑)。
 2018年3月1日付「中学時代のノート(2)」に、私の博士論文の指導教授が、ある資料について、私の博士論文の一節と全く同じ考証を、私の博士論文には(忘れていたらしく)全く触れずに、ある雑誌に発表していたことがあった、と書いた。あれは、考えようによっては痛快(?)だったが、今回は微妙である。しかし、最近表立った活動をせず、連絡もしなかったのだから(連絡するような用事もなかったのだから当然だが)忘れられて当然で、別にどうしようとも思っていないのである。
 それはともかく、「蓮華温泉の怪話」に関連する記事も、後から後からいろいろなことが判明して、私が既に明らかにした事実についても、新たに書き替える必要が生じている。それは当ブログに追加することになると思うのだけれども、今のまま追加したのでは(自分でも)読みづらくてかなわない。分かりやすく纏め直した記事を用意するとしても、それを2018年10月19日付「閉じ込められた女子学生(16)」のように見付けやすくしてもらえるかどうか、分からない。かつ、1日で書き切れないから続き物になって、最後まで読んでもらえない可能性大である。twitter も正直、どの程度効果があるのか、今のところ分からない。さて、どうしたものか、と思っているのである。(以下続稿)

杉村顯『信州の口碑と傳説』(3)

 以下に述べることは考えて見れば当り前のことである上に、私自身、大体こんなものだろう、と云う見当は、持っていたのだけれども、最近の学界の議論は承知していないし、自分でも十分に整理し切れていない。かつ、本書に限った問題でもないので、ここで不慣れな見得を切るようなことをするのは少々気が引けるのだが、これから具体的な問題に及ぶつもりなので、敢えて提示して置くこととする。
・編纂物としての伝説集
 杉村氏は商業学校の教師をしつつ、本書を書き上げた。但し「自序」では、前付7頁7~10行め、

 唯、今日に至つて如何にも遺憾に思ふことは、私も一定の仕事を持つ/てゐる以上、知友から折角面白い話を知らせて頂いても、實地踏査を行/ふ時間の餘裕が無かつたことである。その爲め、或は多少の誤謬なきを/免れまいと疑惧している。切に讀者の御叱正を仰いで止まない。*1

と云う書き方で、教職にあることには触れていない。
 ところで、教員が民間伝承について調査する場合、生徒に課題として昔話・伝説のレポートを書かせる、と云う手法は早くから試みられており、佐々木喜善『聴耳草紙』にも教員から佐々木氏に送付された、小学生の書いた昔話が収録されている。そして戦前に学校絡みで地域の伝承を纏めた本として靜岡縣女子師範學校の『靜岡縣傳説昔話集』や川越高等女學校の『川越地方昔話集』等がある。生徒の中に「全くこうした話を知る者がな」いとしても、父母、祖父母の世代にはそれなりに蓄積があったはずで、そこから伝承を引き出す仕事も出来たはずなのだが、これら昔話集にやや先行する時期だったせいか、残念ながらそのような発想を持ち得なかったようである。そのため、本書は「宿の老婦」や「知友」から直接「知らせて」もらった話を含んでいるとしても、そのような民俗調査的な作業の成果報告はごく少数に止まっており、実態は、大正期の伝説集、例えば藤澤衞彦編『日本傳説叢書』と同様の、既存の諸書から伝説を集成した編纂物、と云うべきものとなっているのである。そのことは「自序」の、昨日引用した6頁にも「図書館に諸書を渉猟し」た、と表明されていた。その上で不分明な箇所を「古老識学の士に糺して」と云う文脈だったのである。
 しかしながら7頁の、上記引用では「知友から折角面白い話を知らせて頂いても」としていることが引っ掛かる。恐らくその殆どを「図書館」の「諸書」に得ているはずなのだが、その「諸書」について本文では(後述するように)ある条件を満たしたもののみ挙げて、本題に関するものはほぼ、示していないのである。その上でこのように書かれては、「面白い話」を「知友から」直接「知ら」されることが多かったかのように読めてしまう。そして、話を聞いても、県域の広い長野県では「実地踏査を行う時間の余裕」は得られなかった、しかし「話」自体は直接「知友から」聞き取ったかのように、読めるのである。
 この、実際には書物からの孫引きが主であっても、そのことを明示せず、そればかりか直接聞き取り調査を行って得た材料によって著述したかのように装う手法は、伝説集には珍しくない、はずである。何となれば、伝説のようなものは誰が調査しても似たような話を得られるはず*2で、そもそも独自性(originality)を主張出来るようなものでない。そのためか、先行する書物からそのまま引き写していても*3その典拠を一々示すような習慣もなかったのである。今なら差し詰め、ネット上で得た情報をそのまま自分のSNSに典拠を示さずに上げる人の感覚、と云ったところであろうか。ネット上の情報はそれがオリジナルであるかどうか、俄に判断出来ない。その、責任や権利の所在が曖昧なところに、ネット検索することを以て「調べた」と云う人が少なくない。確かにネット検索もなかなかに手間であるけれども。――当時の伝説集に見られる、先行書からの摂取(悪く云えば窃取)も、これと似たような感覚で、執筆者は自分の「調べ」に満足して、別にそれが後に私のような人間によって問題にされるとも考えずにやっていたことなのである。
 私も、小学6年生の頃に「昔話研究」に勤しみ、市立図書館から戦前の昔話集を借り出しては原稿用紙に筆写して、2穴パンチで穴を開けて母が編み物に使っていた毛糸で綴じて冊子にして悦に入っていたものだが*4、大正から昭和戦前、そして、柳田國男8月11日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(098)」に引いた青木純二『山の傳説』の序文「山と傳説」に述べているように、伝承を資料として「採集」する手続きについて注意を促し始めて以後の、戦後から現在に至るまでであっても、一部にはこのような感覚で編纂された、典拠に関してルーズな伝説集が存在し生産・再生産され*5続けていることに、私たちはもっと注意を払うべきだと思うのである。何となれば、「伝説集」と名乗っているだけで、すなわち古老の「話」を集めた書物だと決めて掛かってしまう人が、少なくないのである。『信州の口碑と伝説』がどのくらいの影響力を持ったか、まだ十分に調べが行き届いていないが、『信州百物語』改題して『信濃怪奇伝説集』については、この伝説集=伝承を聞き集めた本、と云った美しき誤解によって、過大に評価されてしまった嫌いがある、と云わざるを得ないのである。(以下続稿)

*1:ルビ「たゞ・こんにち・い か・ゐ かん・わたくし・いつてい・し ごと/いじやう・ち いう・せつかくおもしろ・はなし・いたゞ・じつち とうさ/じ かん・よ ゆう・た・あるひ・た せう・ご びう/まぬが・ぎ ぐ・せつ・どくしや・ごしつせい・あほ・や」。

*2:8月26日追記】理屈としてはそういうことになるが、実際試みるとそうは上手く行かない。実は私も小学6年生のときに父の郷里で調査を試みて、挫折し、そして中学では同級生たちからの怪談の聞き書きへと切り替えたのである。しかし、世間ではこのような実態が認識されていないために、本に載っているような伝説がそのまま現地でも伝承されている、と(何となく)思い込まれているのである。

*3:いや、そのまま引き写しているが故に、と云うべきかも知れないが。

*4:当時(昭和58年)は複写も印刷も今ほど容易ではなかったから、別にそれを印刷して発表したい、などと思うようなことも(小学生だった訳だし)なかったのだけれども、しかし、ただ借りて来て写しただけなのに、何だかエライことをしたかのような気分にはなったのである。

*5:8月26日追記】投稿当初「伝説集と云うものが存在し」であったが灰色太字にした箇所を削除・加筆した。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(2)

・編纂の動機
 昨日の続きで、乙部泉三郎「序」及び杉村顯「自序」から、本書編纂について述べた箇所を見て置こう。
 まづ、乙部氏の「昭和八年正月」付の「序」は、まづ「最近頓に勃興した郷土研究」の意義について述べ、しかし、県立図書館長として館の利用者が要求する「信州各地に殘つてゐる口碑傳説」を纏めた「單行本」がないことを「甚だ殘念に思つてゐた」と続ける。そして最後の段落、前付2頁8行め~3頁3行め、

 杉村顯君は長野縣の産ではない。併し本縣に來住して以來、信州の郷/土色豊かなるにすつかり魅惑された一人であつて、その專門とする國文/學の上から、且は生來の趣味の上から日頃信濃の口碑傳説等に深く研究/を進めて居つた。今回其等を纏めて一卷となし題して「信州の口碑と傳/説」と云ふ冊子を上梓すると。その内容は信州各郡に殘つてゐる口碑傳*1【2】説類百三十餘種を集成して同好讀書子に頒つのである。出づべくして今/日まで出なかつた同書の出現は必ずや大方の期待に添ふに相違あるまい。/同僚の好を以て乞はるゝ儘に一言序に代ふる次第である。*2

とある。続いて「昭和八年一月下澣」付の「自序」から、前付5頁4行め~6頁9行め、編纂の動機を述べたところを抜いて置こう。なお大きな黒丸の傍点が打たれている箇所があるが、再現出来ないので仮に太字にして示した。

 私は昭和五年の秋、東京から信州に移り住むやうになり、あの物凄い/ほど冴え冴えと澄徹した星空を初めて眺め、思はず襟を正し度いやうな/一種崇高な氣持ちに捉らへられたのを記憶してゐる。*3
 その頃、私は話好きな宿の老婦から、よく長野市附近の興味ある傳説/の多くを聞かされた。それは朝日山の大にう小にうの大蛇の話、吉田町/の弘法銀杏の話、又、端午の節句の朝、葛山に翻へると云ふ赤旗の話な/どであつた、*4【5】
 私はまるで祖母に話をねだる幼兒のやうに、何時も何時も老婦の話を/貪り聞いては、翌日、私の働いてゐる學校の教室で、生徒達に語り聞か/せたのであつたが、意外にも彼等の中には、全くかうした話を知る者が/なく、以來、却つて他國者の私に、自分達の郷土の傳説を話して呉れる/やうに強請むのであつた。*5
 それで私は、生徒達の爲めに、是非、亡びやうとしてゐる彼等の郷土/の傳説を、一本に取り纏めてやり度い念願を持つに至り、爾来、圖書舘/に諸書を渉獵し古老識學の士に糺して、書きためた原稿が、今漸く筐底/に溢れるやうになつた。*6


 「宿の老婦」と云うのは、奥付の「著者」杉村氏の氏名の右傍に添えてある「長野市南縣町 鴻 靜 館」の女将であろう。旅館の一室に下宿していたらしい。
 ここに挙がっている話は、1~19頁「目次」に続いて、頁付のない「北信地方」の扉があって、本文には立てられていないが目次には「長 野 市」として14話(1~41頁)並ぶ中に含まれているようである。
長野市【8】大入小入の墓(26頁3行め~28頁7行め)
長野市【9】吉田の弘法銀杏(28頁8行め~30頁)
長野市【11】葛山の赤旗(32頁8行め~36頁5行め)
 仮に市や郡ごとに番号を附した。【9】は老婦の語った内容と左程変わらないようであるが、【8】と、特に【10】には、かなり図書館での調査結果が反映されているようである。
 さて、この辺りの事情は叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に載る杉村氏の次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」にも、3節め「『信州百物語』の刊行」の冒頭部、440頁上段17行め~下段19行めに、

 三年余りの長野商業学校での教師生活はとにかく/楽しかったようです。はちゃめちゃな青年教師生活【上】だったみたい。戦後すぐに発表した『新 坊ちゃん/伝』(友文堂書店)というユーモア小説があるのです/が、ほとんど自分の体験談らしいです。ただ、新聞/記者とか文章で身を立てる夢は捨てていなかったの/でしょう。長野で暮らしていた昭和八(一九三三)年/に最初の著書『信州の口碑と伝説』(信濃毎日新聞社信州郷土誌刊行会)を出しています。二十九歳で初め/て著作を発表したことになります。続く昭和九(一九三四)年には、『信州百物語 信濃怪奇伝説集』(信州郷土誌刊行会)を出しています。
『信州の口碑と伝説』は、いわゆる郷土史の本です/ね。序文によると、下宿先のおばあさんからいろい/ろ昔話を聞いて、それを学校の生徒たちに話した/ら、みんな「そんな話、知らない」という。「そこ/で私は、生徒達の為めに、是非、亡びようとしてい/る彼等の郷土の伝説を、一本に取り纏めてやり度い/念願を持つに至り、爾来、図書館に諸書を渉猟し古/老識学の士に糺して、書きためた原稿」を本にした/とあります。‥‥

と、要領よく纏められている。勤務先については438頁上段18~19行めに「長野県長野市の長野商業学校/(現・長野県長野商業高等学校」と見えていた。この学校は今も当時と同じ場所にあるようだ。(以下続稿)

*1:ルビ「すぎむらあきらくん・さん・しか・ほんけん・らいじゆう・しんしう・きやう/どしよくゆた・み わく・ひとり・せんもん・こくぶん/がく・うへ・かつ・せいらい・しゆみ・ひ ごろしなの・こうひ でんせつとう・けんきう/すゝ・こんくわいそれら・まと。かん・だい・しんしう・こうひ・でん/せつ・さつし・じやうし・ないよう・しんしうかくぐん・のこ・こうひ でん」。

*2:ルビ「せつるゐ・よ しゆ・しゆうせい・どうかうどくしよし・わか・い・こん/にち・で・どうしよ・しゆつげん・おほかた・き たい・さいゐ/どうりやう・よしみ・こ・まゝ・いちげんじよ・か・し だい」。

*3:ルビ「せうわ・ねん・あき・とうきやう・うつ・す・ものすご/さ・ざ・ちやうてつ。ほしぞら・なが・えり・たゞ・た/いつしゆすうかう・き も・と・き おく」。

*4:ルビ「ころ・はなしず・やど・らうふ・ながの し ふ きん・きやうみ・でんせつ/おふ・き・あさひ やま・だいじや・はなし・よしだまち/こうばふい てう・はなし・たんご・せつく・あさ・かつらやま・ひるが・い・あかはた/」。

*5:ルビ「わたし・そ ぼ・はなし・えうじ・い つ・い つ・らうふ/むさぼ・き・よくじつ・はたら・がくかう・けうしつ・せいと たち・き/いぐわい・かえら・なか・まつた・し・もの/い らい・かへ・た こくもの・じ ぶんたち・きやうど・でんせつ・く/せ が」。

*6:ルビ「わたし・せいと たち・ぜ ひ・ほろ・かれら・きやうど/でんせつ・いつぽん・まと・た・ねんぐわん・いた・じ らい・と しよくわん/しよしよ・せうれう・こ らうしきがく・し・ただ・か・げんかう・いまやうや・きやうてい/あふ」。

杉村顯『信州の口碑と傳説』(1)

①初版(昭和八年三月一日 印 刷・昭和八年三月五日 發 行・定價金貳圓四拾錢・信濃郷土誌刊行會・8+19+393頁・B6判)
②覆刻版(昭和六十年十一月十一日初版発行・定価 四、八〇〇円・郷土出版社・A5判上製本
 私は以前この覆刻版を、多分横浜市立中央図書館で見たように記憶する*1。しかしながら、内容が直に古老から聞き取り調査を行ったようなものではなかったので、私の関心からすれば参考程度に止まるものと判断して、特に信州の伝承に興味がある訳でもなかったから、その後、わざわざ閲覧するようなこともなかったのだが、8月18日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(105)」に述べたような理由で、確認する必要が生じた。
 精読するに至っていないが、ざっと比較してみての結論を先に述べれば、――私の以前の印象・評価と何ら変わらない。と同時に、近年の杉村氏再評価には、ある人物・書物の、特定の側面・部分にのみ焦点が当たって、総体を平衡感覚を保ちながら見ようとしないことの弊が、端的に表れているような気がして、ちょっと嫌な気分にさせられたのである。
 しかしともかく、杉村氏が伝承をどのように取り扱っていたかを査定するには、最近急に注目されるようになった『信州百物語』の姉妹篇に当たる本書も含めて、考える必要があるだろう。
 茶色の布装表紙の、丸背の背表紙に金文字で、大きく毛筆で標題「信州口碑傳説」、下部にゴシック体で「杉村 顕 著」最下部に明朝体の横並びで「郷土出版社」。表紙にもやはり金文字で、中央上部に背表紙と同じ標題、「傳説」の脇にやはり背表紙と同じ著者名。見返し、遊紙はクリーム色。
 和紙風の扉には青の子持枠に青の明朝体、縦線2本で3つに仕切り、中央の枠に大きく標題、右の枠の上部に「長 野 縣 知 事  石 垣 倉 治 閣 下 題 字長野縣立圖書館長乙 部 泉 三 郎 先 生 序」下部にやや大きく「杉 村  顯 著」、左の枠の下部にやや大きく「信州郷土誌刊行會」。
 石垣倉治(1880.7~1942.4.7)は第20代長野縣知事(官選。1931.8.28~1933.8.4)、乙部泉三郎(1897.5.10~1977.6.26)は第2代長野県立図書館館長(1932.2.2~1949.8.30)。
 アート紙の口絵が2葉、裏は白紙。1枚めは右が上に横転した写真が3つ、中央の1つがやや高い位置にあって、上に横組みで「尊本立前寺光善」下に「照 參 頁 一」但し図の中の右側に縦で「1、前 立 本 尊」とあるから何かの書物からの転載であろう。右と左の写真は同じ高さで、右の写真の右脇上寄せ、縦組みで「大 入 小 入 の 墓*2」とあって下に「照 參 頁 六 二」、左の写真の左脇上寄せ「紅  葉  塚」下に「照 參 頁 一 五」。2枚めは上下2つ、ともに右側やや上よりに場所、下に本文頁を添える。上の写真には「松本城天守閣」と「照 參 頁 九 三 二」、下の写真には「寢  覺  床」と「照 參 頁 七 〇 二」。
 まづ前付として乙部泉三郎「序」1~3頁と、5~8頁「自序」。もともと白紙であった4頁(頁付なし)を利用して、中央に明朝体縦組みで「凡    例」を、

一、本書の原版はB6判で刊行されましたが、読み易さを考慮して/
  A5判に拡大しました。
一、本書は原版に忠実に復刻いたしましたが、明らかな誤植は修正/
  いたしました。
一、本書は永い保存を考慮し、原版よりも堅牢な造本に致しました。

と示している。原版は未見。「明らかな誤植」も、これを無批判に引き継いでしまった文献が現れたりしがちで、その判定の資料になるからみだりに改めずに、校異表を作成して指摘して欲しい。中には誤っていない箇所を勝手に変えてしまったようなケースも(本書にそれがあるのかどうかは分からないが)あるのである。(以下続稿)

*1:平成10年(1998)以降。ひょっとしたら昭和61年(1986)頃だったかも知れない。

*2:ルビ「おほ にふ こ にふ」。

北杜夫『どくとるマンボウ医局記』(2)

・中公文庫(1)カバー
 昨日の続きで、中公文庫版の②初版と③改版の比較。
 カバー背表紙、青地に明朝体白抜きで、上部にやや大きく標題、中央やや下に著者名「北 杜夫」、下部にやや小さく「中公文庫」とあるのは共通。レーベル名の上、上下が半円形(1.6×0.5cm)に白く抜いて黒のゴシック体で、②初版は(き 6 14)③改版は(き 6 17)、最下部、レーベル名の下には②初版はゴシック体白抜きで「660」に白い下線。③改版は四隅を丸く切った長方形に白く小さく抜いた中に黒で「743」。
 カバー裏表紙、白字で左上にバーコード2つ、②初版は「9784122022652/1911195006601」③改版は「9784122056589/1921195007430」、②初版は右上に「ISBN4-12-202265-7/C1195 P660E」1行分空けて2つめのバーコードと同じ高さに「定価660円(本体641円)」、③改版はバーコードの下に「ISBN978-4-12-205658-9/C1195 ¥743E/定価本体743円+税]」定価は枠に囲われる。紹介文は明朝体縦組みで、②初版は中央やや下に、

慶応病院神経科に入局したマ/ンボウ氏が直面したのは、医/局にたむろする奇人変人の医/師たちの途方もない生態と愛/すべき患者たちのおかしな行/為の数々だった。しかも、ヤブ/医者を自認するマンボウ氏の/奇人ぶりは、彼らすべてを凌/駕していた……。あまたの精/神病者に誠心誠意接するうち/に、マンボウ氏が文学者の目/と躁病者のつねならぬ直感で/とらえた、驚くべき人間認識

とあったが、③改版は右上に、

精神科医として勤めた医局の中で出逢った、/奇人変人の同僚たち、そして決して憎めない/心優しい患者たち。医局での経験と精神医学/への取り組みを通じて、人間の本質について/考察する、作家・マンボウ氏の人間観察の目/が光るエッセイ集。   解説・なだいなだ

となっている。
 カバー表紙折返しには明朝体縦組みの紹介文があって、②初版は右上に暗い表情の顔写真(3.0×2.5cm)、その下右に「著者紹介」1行分空けてやや大きく「北  杜 夫*1」その下に、

本名・斎藤宗吉。昭和二年(一九二七)、東京に生まれる。/父は斎藤茂吉。昭和二十三年、旧制松本高校(理乙)卒業。/昭和二十七年、東北大学医学部卒業。神経科専攻。医博。/昭和三十五年、『どくとるマンボウ航海記』の刊行と「夜/と霧の隅で」の芥川賞受賞により広くその名を知られる。/著書は、『どくとるマンボウ青春記』『どくとるマンボウ医/局記』などのマンボウ・シリーズ、長篇小説『幽霊』『楡家/の人びと』『白きたおやかな峰』『酔いどれ船』『木精』『輝/ける碧き空の下で』『神々の消えた土地』『さびしい王様』/など、中短篇小説集『牧神の午後』『夜と霧の隅で』『遙か/な国遠い国』『怪盗ジバコ』『天井裏の子供たち』『黄いろ/い船』『星のない街路』『まっくらけのけ』『夢十夜・火星人/記録』『母の影』など、歌集『寂光』、エッセイ集『あくび/ノオト』『マンボウ雑学記』『マンボウ酔族館』など、他に/父斎藤茂吉を描いた『青年茂吉』『壮年茂吉』などがある。

とあったが、③改版は上部右寄りに大きなカラーの顔写真(4.4×3.7cm)があって、これは2014年7月29日付「北杜夫『楡家の人びと』(09)」に貼付した、KAWADE 夢ムック 文藝別冊「追悼総特集 北 杜夫 どくとるマンボウ文学館」と同じ写真で、右肩が収まり左肩は少し切れる。その下右に「著者紹介」1行分空けてやや大きく「北  杜 夫*2」その下に、

一九二七(昭和二)年、東京生まれ。父は歌/人・斎藤茂吉。一九五二(昭和二七)年、東/北大学医学部卒業。神経科専攻。医博。一九/六〇(昭和三五)年、『どくとるマンボウ航/海記』が大ベストセラーとなりシリーズ化。/同年『夜と霧の隅で』で第43回芥川賞受賞。/小説に『幽霊』『楡家の人びと』『輝ける碧き/空の下で』『さびしい王様』『母の影』など多/数。『北杜夫全集』(全15巻)がある。二〇一/一(平成二三)年、逝去。

とある。
 カバー裏表紙折返し、明朝体縦組みの目録になっているのは同じ。②初版は2段組で、やや小さく「北 杜夫著(中公文庫)」とあって、1行分弱空けて上段は「どくとるマンボウ航海記/どくとるマンボウ昆虫記/どくとるマンボウ小辞典/どくとるマンボウ途中下車 改版/どくとるマンボウ青春記 改版/どくとるマンボウ追想記/どくとるマンボウ医局記/少  年/人間とマンボウ」下段は「牧神の午後/或る青春の日記」1行分空けて「
若き日と文学と 〈対談〉辻 邦生/乗物万歳    〈対談〉阿川弘之」とあり、左下に「カバー 佐々木侃司」とある。③改版は段組なしで上部に左に寄せて、まづやや小さく「北 杜夫著(中公文庫)」とあって、1行分弱空けて「どくとるマンボウ航海記/どくとるマンボウ途中下車/どくとるマンボウ医局記/さびしい文学者の時代 「妄想病」対「躁鬱病」対談(埴谷雄高)/難解人間 vs躁鬱人間(埴谷雄高)」とあって、下部に左寄せ横組み「カバー装画 佐々木侃司」とある。(以下続稿)

*1:ルビ「きた    もり  お」。

*2:ルビ「きた    もり  お」。

北杜夫『どくとるマンボウ医局記』(1)

 8月8日に投稿予定だったがしばらく後回しにしていた。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 7月20日付「elevator の墜落(3)」に、北杜夫が医局時代に聞いた怪談を吉行淳之介との対談『恐怖対談』から引用して、『どくとるマンボウ医局記』を参照すべきであろうか、として置いたのだが、その後、以下の3種を参照して見た。
①単行本(四六判上製本

・1993年1月25日初版発行・1995年4月10日11版発行・定価1165円・中央公論社・295頁
②中公文庫(初版)
どくとるマンボウ医局記 (中公文庫)

どくとるマンボウ医局記 (中公文庫)

・1995年 3月3日印刷・1995年 3月18日発行・定価641円・中央公論社・354頁
③中公文庫(改版)
どくとるマンボウ医局記 (中公文庫)

どくとるマンボウ医局記 (中公文庫)

・1995年3月18日 初版発行・2012年6月25日 改版発行・定価743円・中央公論新社・354頁
 カバー表紙の絵は同じで、文庫版は①を縮小して右下に横組みで「中公文庫」と入れたのみ、②③は一致。
 文庫版②初版③改版は頁数が同じであることから察せられるように、③は「改版」を謳いながら組み直しもしておらず、若干変わっているところもあるが17年経ての中公文庫の体裁の変化と云うべきもので、どこを以て「改版」と称すべきなのかが分からない。
 文章としては読み易いけれども、北氏の行状は私なぞの感覚からは乖離したところがあって、そんなに面白いとは思えないのだが、しかし当時の日本の男社会が潔くも麗しくもなかったことがよく分かる。現在では規制が掛かるようなところを排除して、気味悪いくらい美化された「昭和」イメージが流行るくらいなら、こういうものを読むべきだと思う。いや、隠さずに「昭和」は色々ヤバい時代だった、と思えるようにして置いた方が良いだろう。そして、最近の小顔長身、長身でなくとも小顔で何頭身あるんだと云う役者が、小道具だけそれらしい「昭和」を演ずるくらいなら、大量に保存されているけれども、手間暇掛けて商品化しても採算の合わない「昭和」のTVドラマやB級映画をそのまま流せば良いではないか。本書は、今から映像化できるとは思えないが、仮にするとして今の役者が演じられるとも思えない。時代劇など尚更である。今の役者は無理に時代劇など挑戦せず、似合わないことはやめて、今の役をやれば良いのである。「昭和」を忘れない、とか云って無理に妙な拵え物を作られるよりは、「昭和」のものは「昭和」に活躍していた役者たちが遺したものを見れば、それで十分だと思う。さもなければ、昭和の感覚では見逃されて来た理不尽、或いは生々し過ぎて当時映像化出来なかった理不尽に取り組んでもらいたい。(以下続稿)

吉行淳之介『贋食物誌』(4)

新潮文庫2470(1)
 八刷と十刷の比較。
 本体、目録はそれぞれ13頁で、12頁めまでは3段組の目録「新潮文庫 日本の作品」で八刷は小林秀雄から渡辺淳一まで、最後は新潮社編『俳諧歳時記』(冬春夏秋)、十刷は椎名麟三から和辻哲郎まで。13頁めは「新潮文庫最新刊」9点、十刷の8点めが「吉行淳之介 恐 怖 対 談」で下半分の紹介文には「対談の名手吉行淳之介が面白可笑しく語り合/ううちに恐怖が滲み出る。絶妙の対談集。 」最下部に「定価/280/円」横並び。
 その裏の奥付、異同はそれぞれの刷の発行日の1行のみ。
 次にカバーを比較して見る。なお、7月24日付(1)に示した書影によって分かるように、中公文庫版のカバー表紙も同じデザインであるので、カバーについては中公文庫版も序でに記述して置く。
 カバー表紙、新潮文庫版と中公文庫版の異同は、枠内の左下、新潮文庫版はやや太い明朝体横組みでやや小さく「本文イラスト101点=山藤章二」とあり、右下には明朝体で「新 潮 文 庫」とあったが、中公文庫版は左下に大きく「絵・山藤章二」、右下に「中公文庫」とある。枠内の地色が中公文庫は真っ白であるが新潮文庫版はやや黄ばんでいる。これは経年劣化による黄ばみで元は白かったのであろう。
 カバー裏表紙については7月24日付(1)にメモして置いた通り。
 カバー背表紙、新潮文庫版はカバー裏表紙と同じ地色で、上部に赤の明朝体で標題「贋 食 物 誌」、中央やや下に黒の明朝体で著者名、下部、八刷はやや小さくゴシック体で「新潮文庫〔草〕 一四三G 320」〔草〕は明朝体で横並び、定価も横並び。私の見た十刷は下部「新潮」の下を切除されて(分類票を貼付している)ので不明。中公文庫版は水色地で文字は全て黒、上部に明朝体で「贋食物誌」、中央より下に明朝体で著者名、下部にやや小さく「中公文庫」とあってこのレーベル名の上、上下が半円形(1.5×0.5cm)に白く抜いて黒のゴシック体で(よ 17 12)、最下部、レーベル名の下には四隅を丸く切った長方形に白く小さく抜いた中に黒で「800」。
 カバー表紙折返し、新潮文庫版は右側に少し(0.8cm)カバー表紙の黒枠が入り込む。残りは白地で、右下に明朝体縦組みで「カバー(雁+貝=贋) 山 藤 章 二」とある。中公文庫版も右側に少し(0.4cm)カバー表紙の黒枠が入り込む。残りは白地で、右上に吉行氏の顔写真(3.0×2.5cm)、その下右に小さく「著者紹介」1行分空けてやや大きく「吉行淳之介*1」その下に、

大正十三年(一九二四)、岡山市に生まれ、三歳のとき/東京に移る。麻布中学から旧制静岡高校に入学。昭和十/八年九月、岡山連隊に入営するが気管支喘息のため四日/で帰郷。二十年東大英文科に入学。大学時代より「新/思潮」「世代」等の同人となり小説を書く。大学を中退/してしばらく「モダン日本」の記者となる。二十九年に/「驟雨」で第三十一回芥川賞を受賞。四十五年には『暗/室』で第六回谷崎潤一郎賞を受賞する。主な作品は『砂/の上の植物群』『星と月は天の穴』『夕暮まで』など。短/編も「娼婦の部屋」「鳥獣虫魚」など多数。平成六年(一/九九四)七月死去。

とあるが、7月25日付(2)に引いた『新潮日本現代文学42』の「年譜」と照合するに、岡山連隊入営の件は昭和19年(1944)らしい。
 カバー裏表紙折返し、左にカバー裏表紙の地色が少し(0.9cm)入り込む。上部にゴシック体横組みで「~~~新潮文庫~~~/吉行淳之介の作品」とあって、少し空けて均等割付で八刷は「原色の街・驟雨/娼婦の部屋・不意の出来事/砂の上の植物群/技巧的生活/美少女/夜の噂/贋食物誌/湿った空乾いた空/怖ろしい場所」の9点、十刷は「恐怖対談」が追加されて10点。最下部左に明朝体横組みでごく小さく「カバー印刷 錦明印刷」。(以下続稿)

*1:ルビ「よしゆきじゅんのすけ」。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(105)

・青木純二『山の傳説』(7)
 さて、8月15日付(102)まで4回に分けて引用した青木純二「晩秋の山の宿(白馬岳)」本文の、白銀冴太郎「深夜の客」との異同について、8月16日付(103)に何例か挙げて杉村顕道「蓮華温泉の怪話」は「晩秋の山の宿」に依拠している、との結論を出したのであるが、「蓮華温泉の怪話」には総体に書き替えが多いのである。従って、微修正レベルの「深夜の客」と「晩秋の山の宿」の異同のどちらかに一致するとして、それも杉村氏が「晩秋の山の宿」と同様に(微)修正しただけの話ではないか、と思う人もあるかも知れない。
 そこで、個別ではなく書物レベルでの影響関係を確認して置こう。
 杉村顕『怪奇伝説 信州百物語』の本文は、国立国会図書館デジタルコレクションに拠った方が良いのだが、著者生前の諸版については別に整理することにして、今は叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』に収録されている本文(281~380頁)に拠ることにした。この本には2011年1月2日付(001)以来、何度か言及しているけれども、ブログを始めた直後だったため、これまで書影を貼付しないままであった。

彩雨亭鬼談―杉村顕道怪談全集 (東北の声叢書)

彩雨亭鬼談―杉村顕道怪談全集 (東北の声叢書)

 この書影にはカバー表紙だけでなくカバー背表紙も示されている。
 青木純二『山の傳説 日本アルプス』に拠ったと判断されるのは、全54話中、以下の12話である。仮に番号を附し、「←」に典拠である『山の傳説』の話について、収録されている篇*1と各篇ごとの番号(これも原本にはないので仮に附した)と題名・頁を添えて置いた。
【19】蓮華温泉の怪話(318~324頁)
   ←北アルプス篇【37】晩秋の山の宿(白馬岳)100~111頁3行め
【20】佐々良峠の亡靈の話(325~326頁4行め)
   ←北アルプス篇【38】里人の古説(佐々良峠)111頁4行め~112頁
【21】徳本峠の小狐の話(326頁5行め~328頁)
   ←北アルプス篇【49】旅人と小狐(徳本峠)143頁2行め~146頁5行め
【22】穗高の公安様の話(329~330頁)
   ←北アルプス篇【58】公安さま穂高岳)165~167頁9行め
【23】お六櫛の話(331頁)
   ←北アルプス篇【76】お六櫛(御嶽)200頁11行め~202頁8行め
【24】駒ヶ岳の駒岩の話(332頁)
   ←南アルプス篇【8】蹄の跡(東駒ヶ岳)267頁3行め~270頁1行め
【25】聖德太子と駒ヶ岳の駒の話(333~334頁)
   ←南アルプス篇【9】大御鞍石(東駒ヶ岳)270頁2行め~272頁5行め
【26】塩見岳の狐の話(335~336頁5行め)
   ←南アルプス篇【11】雪の夜の女(盬見岳)273頁9行め~274頁
【27】晴明の火除柱の話(336頁6行め~337頁)
   ←南アルプス篇【13】逆銀杏(鹿盬浴場)276頁3~8行め
   ←南アルプス篇【14】祈禱柱(鹿盬浴場)276頁9行め~278頁1行め
【28】人骨をかじる狐の話(338~339頁11行め)
   ←南アルプス篇【15】戸臺部落仙丈岳)278頁2行め~279頁10行め
【29】田端の姫の話(339頁12行め~341頁6行め)
   ←南アルプス篇【27】南の家八ヶ岳)299頁10行め~302頁8行め
【30】槍ヶ岳温泉の話(341頁7行め~342頁7行め)
   ←北アルプス篇【65】二子岩の假小屋槍ヶ岳)182頁5行め~183頁7行め
 細かい点には及ばないが、【30】以外は『山の傳説』と同じ順に採録されている。分量に大きな違いがあるのは、登山経路(【24】)や経済問題(【23】)などの余計な記述を除いて、本筋だけに整理したためである。「東駒ヶ岳」は甲斐駒ヶ岳の信州(伊那谷)での呼称。但し山梨県南都留郡福地村(現・富士吉田市)にある御鞍石を主題とする【25】は、『信州百物語』には相応しくないようである。
 これ以外にも『信州百物語』の前篇と称すべき『信州の口碑と傳説』にも、そして杉村氏が戦後に刊行した怪異小説集『怪談十五夜』にも青木純二『山の傳説』の影響が認められるのであるが、詳細は近日中に『信州の口碑と傳説』を閲覧する機会を得て果たすこととしたい。(以下続稿)

*1:『山の傳説』の構成については8月11日付(098)を参照。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(104)

 『山怪実話大全』の第一刷から第三刷に掛けての時期、その編者の東雅夫が杉村顕(顕道)と「サンデー毎日」の関わりについて tweet していたことは、2018年8月8日付(027)にも触れましたが、8月8日付(095)に改めてその全文を引用して確認し、8月9日付(096)には第三刷の【追記】も確認して見ました。
 私は36年来の図書館マニアで目下、図書館から借りた本が100冊以上机辺に積み上がっていて、新たに本を買う経済的・空間的余裕もなく、複写を取っても直に反故の中に埋もれさせてしまうので、どんなに重要な資料でも必要が生じたときに借りて済ますことにしております。しかしながら上記『山怪実話大全』第三刷は、8月8日の昼に書店に行って買いました。『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』は、2011年にこの題の記事を書き始めた頃は近所の図書館の開架にあったのを専ら借りて使っていたのですが、久しぶりに再開してみると書架になく、OPAC で検索して見るに書庫に収められていることが分かりました。そうなると、もう要点は粗方メモして置いたつもりだし、わざわざ最近流行りの外部委託で素人みたいな館員に出納を頼むのも面倒で(何度、いっそ私を入れて下さい、と思ったことか)しばらく手にする機会もないまま過ごしておりました。
 それはともかく、昨年東氏の一連の tweet を読んだとき、杉村顕道と「サンデー毎日」の関わりについては東氏も、東氏に連絡した杉村氏の次女も、初めて話をしたような按配なので、私もうっかりそのつもりになってしまい、杉村氏の経歴を確認すべく(「蓮華温泉の怪話」の本文は『山怪実話大全』に拠っていますので)久しぶりに『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』を借りたときも、次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」を2018年8月11日付(030)の如く、差当り問題となっている昭和3年(1928)頃まで、つまり1節め、437~439頁上段17行め「東京時代」だけを見て、済ませてしまったのです。その後、返却間際になって「父・顕道を語る」に続いて収録されている、紀田順一郎「杉村顕道の《発見》」に目を通したのですけれども、2018年9月9日付(050)に引用しましたが杉村氏の履歴書に「「サンデー毎日」に作品を発表したことがあること」とあるのを見付けて、何だか狐につままれたような気分にさせられたのです。
 ところが、今度、杉村顕が『信州百物語』編纂に当たって青木純二『山の傳説』を参照したことが、「晩秋の山の宿」と「蓮華温泉の怪話」の1例からでも明らかとなったと(私は)思うのですが、しかしながら1例だけでは検証としては弱いので、両者の関係をより明瞭にすべく、8月14日に久しぶりに『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』を書庫から出してもらって借りました。もちろん国立国会図書館デジタルコレクションでも読めますが、どうも画面を読み続けるのが苦手なのです。それはともかく、そこで件の「父・顕道を語る」の続きにも目を通すと、3節め、440頁上段16行め~442頁下段「『信州百物語』の刊行」に続く、4節め、442頁下段~444頁下段14行め(但し443頁は、上段「『怪談十五夜』初版(右)と第3版。‥‥」の写真、下段「『信州百物語』初版(右)と第4版。‥‥」の写真。)「樺太から仙台へ」に、東海林太郎の歌謡曲の作詞(代作)をしたことに触れた次の段落(444頁上段4~9行め)に、

 この作詞も含めて、文筆家として立つ夢は樺太時/代も棄てていなかったんじゃないかと思います。タ/イトルは私もわからないのですが「サンデー毎日」/の懸賞小説に投稿して当選したり、樺太での見聞を/『新・樺太風土記』として樺太の出版社から刊行し/たりしていますからね。

と述べてあるのです。
 これは2018年11月28日付(68)に触れたように、「サンデー毎日」大衆文芸第19回(昭和11年/1936年度・下)佳作の杉村顕「先生と青春」で、まさに杉村氏の樺太時代に当たっております*1。出来れば複写を取って差し上げたいところですが、これは私がやらなくても良いことでしょう。それはともかく、こうなってみると、いよいよ東氏の『山怪実話大全』初刊直後の tweet に「杉村翠さんから」の「お電話」の内容を紹介して「しかも顕道は「サンデー毎日」にも投稿したことがあったのだそうな!」と、新事実の発見の感激とともに(と云って良かろうと思うのですが)述懐されているのが不思議で、しかし東氏ほど多忙を極めない(そんな言い方するのか?)私とて当ブログの古い記事をいろいろ忘れていますし、いえ、私のことを引き合いに出すのは不適当ですな、――やはり人間の記憶は当てにならない、分かっているつもりのことを忘れたり、何故か調べ落としていて、しかし大体調べ終えているような気分になっている、そして発見の喜びはしばしば勘違いに過ぎない、そんなことを思ってしまうのです。
 ですから、私は「赤マント」の検証でもそうですが、回想は(傍証がない限り)信用しません。そして、分かっているはずのことでも、度々見直す必要のあることを痛感します。その点で、私の、資料を所有せず、必要なときに借りて確認し直す、と云う貧乏臭い方法も、悪くはないと思ったりもするのです。(以下続稿)

*1:雑誌に掲載された頃には仙台に移っていたかも知れませんが「父・顕道を語る」では。仙台に移った時期を昭和11年(1936)としているだけなので、この辺りの詳しい関係までは明らかに出来ません。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(103)

・青木純二『山の傳説』(6)
 さて、昨日までの本書の「晩秋の山の宿(白馬岳)」本文を、昭和3年(1928)7月の「サンデー毎日」に懸賞入選作として掲載された白銀冴太郎「深夜の客」との異同を指摘しつつ引用して見た。殆ど同文であることが明らかになったであろう。
 そしてこの、少ないながらも存する異同に着目することで、従来「深夜の客」を書き替えたものと想定されていた杉村顕道「蓮華温泉の怪話」が、「深夜の客」と「晩秋の山の宿」のどちらに依拠したかも明らかになるであろう。
 まづ8月12日付(099)に引用した冒頭部、【A】の異同は書き出しの「日本アルプスの秀峰」の有無で、これは「晩秋の山の宿」に同じである。しかしこの程度では「晩秋の山の宿」に拠ったとすることは出来ない。決定的なのは【B】の「深夜の客」が「大正三年」としていたのが、「晩秋の山の宿」は「蓮華温泉の怪話」と同じく「明治三十年」となっていることである。この年の書き替えを、私は8月10日付(097)のように解釈して、東雅夫の白銀冴太郎=杉村顕道同一人物説に説得力を感じたのだが、この改変に杉村氏は無関係であった。【C】の食事を勧める場面の台詞の異同、

「深夜の客」~「山鳥をやいているところです。これでよかったら御飯をおあがりなさい。」一九一頁18行め
「晩秋の山の宿」~『山鳥をやいてゐるところです。よかつたら御飯をおあがりなさい。』102頁3行め
蓮華温泉の怪話」~「‥‥。今山鳥を焼いてたんですが、よかったら、こいつで御飯をいかがです。‥‥」二〇〇頁10行め

と、「晩秋の山の宿」を飛び越えて「深夜の客」と「蓮華温泉の怪話」が近似するのはこのくらいで、他の異同は「晩秋の山の宿」を引き継いだと思われる箇所が多い。8月15日付(102)に引いた結末部になると、2018年8月12日付(31)及び2018年8月13日付(32)に見たようにかなり書き替えられているので、細かい異同はいよいよ根拠たり得ないであろうが、1点だけ、主人が震え上がった子供の台詞、

「深夜の客」~「そしてね、あの人が出ていっただろう、その時にさ、おんぶしていた若い女が、背中からはな/れてあの人の後からふわふわと歩いてついて行ったよ。そして、家の戸口まで行った時、父ちゃんや、俺の顔を見て、タニタと笑ったんだよ。」一九七頁14~15行め
「晩秋の山の宿」~『そしてね、あの人が出て行つただらう、その時にさ、おんぶしてゐた若い女が、背中からはな/れてあの人の後からふわふわと歩いてついて行つたよ。そして、家の戸口まで行つた時、父ちやん、俺の顔を見て、タニタと笑つたんだよ。』110頁6~7行め
蓮華温泉の怪話」~「そしてね、あの人が出て行った時、その女の人フワフワ後から歩いて行ったよ。坊やの顔みて/ニタニタ笑うんだよ。」二〇四頁18行め~二〇五頁1行め

と「蓮華温泉の怪話」が大幅に刈り込んでいることが注意されるが、8月15日付(102)にも注意したように、血みどろの若い女の人が「ニタニタ笑」った相手が、「深夜の客」では「父ちゃんや、俺」だったのが、「晩秋の山の宿」では「父ちゃん、」は呼び掛けとなって「俺」のみが相手になっている。そして「蓮華温泉の怪話」も「坊や」だけであることが注目される。
 尤もこれとても、――主人には見えていないのだから、自分に気付いて怖れている子供に笑い掛ければ良いので「父ちゃん」を対象に含めなくても良さそうなものだ、と考えれば、自然な改訂と云うべきで、やはり決定的な根拠たり得ないだろうが、「明治三十年」と、後述するように『信州百物語』に他にも『山の傳説』から何話か採られているところから見て、「蓮華温泉の怪話」誕生に、従来考えられていた「サンデー毎日」の関与のなかったことは、ここに断言してしまって良いと思うのである。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 ところで、8月10日付(097)に触れたように、8月7日、私は何の気なしに手にした『山の傳説』に「晩秋の山の宿」を見付けて、帰宅後ざっと検索して「マリモ博士の研究日記」そして5ch(2ch)「【歴史修正】アイヌ民族の伝説、実は大阪の男性の創作だった!本人の手書きメモから判明[08/22] [無断転載禁止]©2ch.net]」、そこから阿部敏夫「「大正期におけるアイヌ民話集」・「北海道の義経伝説とアイヌ」」、国会図書館デジタルコレクション『アイヌの伝説と其情話』『日本新聞年鑑』と辿って大体の結論を得た。そこで差当り「蓮華温泉の怪話」及び杉村顕道の位置について、従来の説明に疑義のあることを述べた上で根本となる本文の紹介に取り掛かり、その間に著者についての調査をもう少し進めて置こうと思っていたのだが、私は全く知らなかったが青木氏は、阿寒湖の「恋マリモ伝説」と白馬岳の「雪女」に関して、近年取り沙汰されることの多い、知る人ぞ知る人物で、ネット検索だけでなく図書館等も回って確認すべき事柄が少なくない。とてもでないが直ちに続稿を上げられるような相手ではなかったのである。
 しかし、「マリモ」も「雪女」もブログに取り上げている人がいることだし、私は青木氏の全体像を描き出そうとは思っていない。差当り、青木氏と高田の関わりを指摘して白銀冴太郎と青木純二が同一人物であることに決着を着け、そして問題の本『山の傳説』が杉村顕道・末広昌雄・長沢武によって無批判に利用されて来たことを確認し、「木曾の旅人」に連なる怪異談と怪異小説の流れの中に青木純二「晩秋の山の宿」を位置付け、そして杉村顕道「蓮華温泉の怪話」も相応しい位置に置き直すこと、この3点に絞って、今後は進めて行くつもりである。(以下続稿)

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(102)

・青木純二『山の傳説』(5)
 昨日の続きで、最後。
 昨日引用した箇所は特に書き替えが少なかったが、ここもやはり若干手を入れている程度である。

 家に歸つた主人は子供に向つて云つた。*1
『あの男は怖ろしい人殺しをしたやつだったが、俺不思議でならない。人殺しときけば俺も怖ろし/くなるがお前は、何も知らないのにあいつが怖ろしいといつた。どうして怖ろしい男だと分つた/んだい。』*2
 子供はまだ唇を紫色にしてふるえてゐた。*3
『父ちやんは見なかつたかい。』*4
『何を。』*5
『怖ろしいものを。』*6
『何も見やあしなかつた。』*7
『父ちゃん。あの人がすわつてゐただらう、あの時にさ。』*8
『何かあつたかい。』*9【109】
『背中にだよ、あの人の背中に、血みどろになつた髪を振亂した若い女の人が、怖ろしい顔をし/ておんぶしてゐたよ。』*10
『えつ。』
 主人は總身に水でもぶつかけられたやうに怖えた。*11
『そしてね、あの人が出て行つただらう、その時にさ、おんぶしてゐた若い女が、背中からはな/れてあの人の後からふわふわと歩いてついて行つたよ。そして、家の戸口まで行つた時、父ちや/ん、俺の顔を見て、ニタニタと笑つたんだよ。』*12
 主人は眞青になつて子供に抱きついた。*13【K】
 痴情ゆえに女を殺した彼は糸魚川警察署でおびえながらいつた。『惡い事は出來ません、女を殺/して逃げ出すとたつた今殺した女が血みどろの姿そのまゝで私の背に縋りついてゐるんです。/逃げても逃げてもはなれないんです。冷たい手で私の襟首をぐいぐいしめつけます。ですから、/こんな怖ろしい目にあふのなら死刑になつた方がましだとさへ思ひました。捕まつてから女の幽*14【110】靈は私の背中からはなれてしまひました。でも、今でも、冷たい手が私の咽喉に蛇のやうに卷き/ついてゐるやうな氣がしてなりません。』*15
 涙が、頰を傳ふと、留置場の床にほとほとこぼれてゆくのであつた。*16【L】


 【K】子供の怯えたもの2018年8月12日付(31)に引いた。一九六頁16行め「俺不思議でならない。」17行め「といった。お前、どうして」、一九七頁5行め「怖ろしいものを。」、9行め「血みどろになつた髪を」、11行め「えッ!」、14~15行め「父ちゃ/ん、俺の顔を見て、」ここは「父ちゃんと俺の顔」ではなく「俺の顔」を見たのだと「父ちゃん」に呼び掛けたと云う改変で、確かにその方が理に適っているようである。
 【L】男の述懐2018年8月13日付(32)に引いた。異同は110頁9行め、述懐の台詞が段落分けせずに、再現出来なかったが二重鉤括弧開きを半角にして詰めていることだが、台詞の終り、111頁2行めには十分余裕があるので、何故窮屈に詰めたのかが分からない。なお111頁10行め「逃げ出すと。たつた今」の句点は誤植であろう。(以下続稿)

*1:ルビ「いえ・かへ・しゆじん・こ ども・むか・い」。

*2:ルビ「をとこ・おそ・ひとごろ・おれ・ふ し ぎ・ひとごろ・おれ・おそ/まへ・なに・し・おそ・おそ・をとこ・わか/」。

*3:ルビ「こ ども・くちびる・むらさきいろ」。

*4:ルビ「とう・み」。

*5:ルビ「なに」。

*6:ルビ「おそ」。

*7:ルビ「なに・み」。

*8:ルビ「とう・ひと・とき」。

*9:ルビ「なに」。

*10:ルビ「せ なか・ひと・せ なか・ち・かみ・ふりみだ・わか・をんな・ひと・おそ・かほ/」。

*11:ルビ「しゆじん・そうみ・みづ・おび」。

*12:ルビ「ひと・で・い・とき・わか・をんな・せ なか/ひと・うしろ・ある・い・いへ・と ぐち・い・とき・とう/おれ・かほ・み・わら」。

*13:ルビ「しゆじん・まつさを・こ ども・だ」。

*14:ルビ「ちじやう・をんな・ころ・かれ・いとい がはけいさつしよ・わる・こと・で き・をんな・ころ/に・だ・いまころ・をんな・ち・すがた・わたし・せな・すが/に・に・つめ・て・わたし・ゑりくび/おそ・め・し けい・はう・おも・つか・をんな・いう」。

*15:ルビ「れい・わたし・せ なか・いま・つめ・て・わたし・の ど・へび・ま/き」。

*16:ルビ「なみだ・ほゝ・つた・りうちぢやう・ゆか」。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(101)

・青木純二『山の傳説』(4)
 一昨日からの続きだが、この辺りは特に書き換えが少ないようである。なお、傍点「ヽ」を打たれている文字は、ルビと同様に再現出来ないので仮に太字にして示した(「深夜の客」には傍点はないようだ)。106~109頁1行め、

『父ちやん、あの人怖いから歸しておくれよ。怖いよ。ね、怖いよ。』*1
 妻をなくしてから母のない子を熱愛してゐる主人は子供の怖えが甚だしいのと、犬があまり吠/えるので紳士が薄氣味惡くなつて來たので決心した。*2
『旦那、まことにすみませんが、お泊することが出來ません。』*3
『どうして。』
『實子供が旦那を怖ろしがるものですから。』*4
 紳士は顔色をかへた。わなわなとからだをふるはせた。*5
『お願ひだから一晩泊めて下さい。』*6
『それが今もいつたやうに子供がこの通り泣いていやがりますので。』*7
『困つたな。』*8
『私も困ります。すみませんが出ていつて下さい。』*9
 紳士はと立上つた。だまつて靴の紐をむすびはじめた。戸を開くと、犬が更にけたゝましく*10【106】吠えた。紳士は逃げるやうに去つて行つた。*11【H】
 十分間ばかりも經つた頃に又もや表戸をはげしく叩く者がある。*12
『開けてくれ。』*13
 主人は氣味が惡くなつたので返事をしなかつた。子供は、怖えつゝ更に縋りついて來たのだ。*14
『おい、開けてくれ、私だ、駐在巡査の松野だ。』*15
 確かに松野巡査の聲である。*16
 主人は表戸を開けた、巡査は和服で突立つてゐる。*17
『早速だが、お前のところに洋服を着た四十ばかりの男が來やしなかつたかい。』*18
『參りました。』*19
『泊つてゐるかい。』*20
『ことわりました。たつた今、ここを出て行きました。』*21
『今、さうか、有難う。』【107】*22
 巡査はたちまちに山道の方へ走り去つた。*23
 と、思ふと、白樺の密林の方にあたつてはげしい人聲が起こつた。主人は、鉄砲を持ち出して/その方向に走り出した。*24【I】
 が、向うからさつきの洋服男を縛りあげた巡査が山を下つて來る姿を見た。*25
『旦那、つかまりましたか。』*26
『有難う、わけもなく捕へることが出來た。おかげで大手柄だ。』*27
『旦那、その男は、何か惡いことでもしたのでございますか。』*28
『人殺しなんだ。越中で、若い女を殺して逃げて來た惡いやつだ。向うの警察からの手くばりで/こゝに逃げ込んだことが分つて追跡して來たんだ。』*29
『人殺し!』*30
 主人はぞつと身ぶるひをした。*31
 犯人は深くうなだれて顔もあげなかつた。そして、巡査に護送されて山道を下つてゆつた*32【108】
 月は、彼らにもあざやけく照り冴えていた。巡査の提灯が人魂のやうに遠ざかつてゆく。*33【J】


 以下、初出に当たる「深夜の客」に於ける異同を、これまでの要領で拾って置く。なお、昨年当ブログに一部引用した「深夜の客」の本文に間々入力ミスがあるが、これは一々断らずに修正した。
 【H】主人の退去依頼と男の退去は一九四頁16行め「実子供が旦那を」、一九五頁4行め「紳士はと立上った。」。
 【J】巡査による男の捕縛と説明2018年8月12日付(31)に引いた。一九五頁8行め「開けてくれ。」、一九六頁13行め「山道を下ってゆくのであ。月は、」と段落分けしていなかった。――ここを「下ってゆった」と改めているのであるが「下っていった」の誤りであろう*34。(以下続稿)

*1:ルビ「とう・ひとこわ・かへ・こわ・こわ」。

*2:ルビ「つま・はゝ・こ・ねつあい・しゆじん・こ ども・おび・はなは・いぬ・ほ/しんし・うすき み わる・き・けつしん」。

*3:ルビ「だんな・とめ・で き」。

*4:ルビ「じつ・こ ども・だんな・おそ」。

*5:ルビ「しんし・かほいお」。

*6:ルビ「ねが・ばんと・くだ」。

*7:ルビ「いま・こ ども・とほ・な」。

*8:ルビ「こま」。

*9:ルビ「わたし・こま・で・くだ」。

*10:ルビ「しんし・たちあが。くつ・ひも・と・ひら・いぬ・さら」。

*11:ルビ「ほ・しんし・に・さ・い」。

*12:ルビ「ぷんかん・た・ころ・また・おもてど・たゝ・もの」。

*13:ルビ「あ」。

*14:ルビ「しゆじん・き み・わる・へんじ・こ ども・おび・さら・すが・き」。

*15:ルビ「あ・わたし。ちうざいじゆんさ・まつの」。

*16:ルビ「たし・まつの じゆんさ・こゑ」。

*17:ルビ「しゆじん・おもてど・あ・じゆんさ・わ ふく・つゝた」。

*18:ルビ「さつそく・まへ・やうふく・き・をとこ・き」。

*19:ルビ「まゐ」。

*20:ルビ「とま」。

*21:ルビ「いま・で・ゆ」。

*22:ルビ「いま・ありがた」。

*23:ルビ「じゆんさ・さんだう・はう・はし・さ」。

*24:ルビ「おも・しらかば・みつりん・はう・ひとごゑ・お・しゆじん・てつぱう・も・だ/はうかう・はし・だ」。

*25:ルビ「むか・やうふくをとこ・しば・じゆんさ・やま・くだ・く・すがた・み」。

*26:ルビ「だんな」。

*27:ルビ「ありがた・とら・で き・おほて がら」。

*28:ルビ「だんあ・をとこ・なに・わる」。

*29:ルビ「ひとごろ・ゑつちう・わか・をんな・ころ・に・き・わる・むか・けいさつ・て/に・こ・わか・つゐせき・き」。

*30:ルビ「ひとごろ」。

*31:ルビ「しゆじん・み」。

*32:ルビ「はんにん・ふか・かほ・じゆんさ・ご そう・さんだう・くだ」。

*33:ルビ「つき・かれ・て・さ・じゆんさ・ちやうちん・ひとだま・とほ」。

*34:8月21日追記】96頁3行め「‥‥山に獵に出かけてゆつた。」ルビ「やま・れふ・で」とあるところからすると、青木氏の癖であろうか。よって見せ消ちにした。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(100)

・青木純二『山の傳説』(3)
 昨日に続く場面を引用する。要領は昨日に同じ。102頁9行め~105頁、

 飯の仕度をいそいでゐる主人はふと、奥の部屋で八つになる男の子がはげしく泣き出す聲/をきいた。*1
『これ、何を泣くんだ。』*2
 子供のところ飛んで行つた。*3【102】
 子供は眞青な顔をして、身體をわなわなとふるはせてゐたが、父親を見ると、飛び起きてしが/みついた。*4
『父ちやん怖いよ。』*5
 更にはげしく泣くのである。*6
『何も怖いことはない。お前、夢でも見たんぢやないか。』*7
 子供は泣きながらはげしく首をふつた。*8
『いゝや、怖いんだよ、父ちやん、怖いんだよ。』*9
『何が怖いんだ。』*10
『父ちやんあの人が怖いんだよ。』*11
 子供はさつき來た紳士を指しつゝ父親にしがみつくのである。*12
『あの人が。』*13
 主人は紳士を見た。彼は、煙草をうまさうにふかしてゐた。別段、怖ろしいものはなかつた。*14【103】
『馬鹿だね、あの人はお客さんだ。立派な旦那だ。ちつとも怖くはない。』*15
『いゝや、怖いよ、怖いよ。』*16【E】
 氣がつくと裏口に飼つてゐる二匹の犬もさかんに吠えてゐる。それが山峡に響いて主人も身ぶ/るひするやうな凄さを感じた。*17【F】
 主人は子供を抱きしめながら考へた。*18
『畜生! あの洋服男は狐かも知れないぞ。燒鳥の匂ひにつられてばけて來やがつたんだ、きつ/と。』*19
 山峡の人は狐がばけることを信じてゐる。だから、犬が吠えたり、子供が怖えたりするので狐/を想像したのだ。*20
『鐵砲を射つてやらう。狐なら正體を現して逃げるだらう。』*21
 主人は子供をつれて裏口からこつそり外に出た。*22
 月は美しく冴えてゐた。秋の蟲がしげく啼いてゐた。犬はしきりに、家の中に向つて吠えてゐ*23【104】る。
 主人は鐵砲に彈丸をこめると、空に向つて一發ズドン! と放つた。彈丸が螢のやうに飛んで/いつた*24
 更に一發、夜の靜寂を破つて發射した。*25
 そつと、家の中をのぞくと紳士は平氣な顔をして煙草をのんでゐる。*26
『狐ぢやない。』*27
 主人は思つた。*28
 が、犬吠える。子供は矢張り泣いて怖える。*29
『どうしました。狐でもゐたんですか。』*30
 紳士がきいた。*31
『へえ。』
 主入は答へた。*32【105】【G】


 以下、赤の太字で示した『山の傳説』に追加されている箇所を除く異同を挙げて置こう。
 【E】泣き、怯える子供では、一九二頁10行め「子供のところ飛んで行った。」、11行め・16行め・一九三頁3行めの書き出しは全て「少年は」となっていた。6行め「ちっとも怖くはない」。
 【G】主人の疑いと行動〜狐・鉄砲では、一九三頁10行め「主人は少年を」、13~14行め「狐/を連想したのだ。」、一九四頁1~2行め「一発ズドン!と放った。弾丸が蛍のように飛んでい/った更に一発、」と段落分けしていなかった。3行め「そっと、家の中をのぞくと例の紳士は」、4行め「狐じゃない。」、4行め「が、犬吠える。」――すなわち、赤で示した字句は『山の傳説』では削除されたのである。(以下続稿)

*1:ルビ「めし・し たく・しゆじん・おく・へ や・をとこ・こ・な・だ・こゑ/」。

*2:ルビ「なに・な」。

*3:ルビ「こ ども・と・い」。

*4:ルビ「こ ども・まつさを・かほ・からだ・ちゝおや・み・と・お/」。

*5:ルビ「とう・こわ」。

*6:ルビ「さら・な」。

*7:ルビ「なに・こわ・まへ・ゆめ・み」。

*8:ルビ「こ ども・な・くび」。

*9:ルビ「こわ・とう・こわ」。

*10:ルビ「なに・こわ」。

*11:ルビ「とう・ひと・こわ」。

*12:ルビ「こ ども・き・しんし・ゆびさ・ちゝおや」。

*13:ルビ「ひと」。

*14:ルビ「しゆじん・しんし・み・かれ・たばこ・べつだん・おそ」。

*15:ルビ「ば か・ひと・きやく・りつぱ・だんな・こわ」。

*16:ルビ「こわ・こわ」。

*17:ルビ「き・うらぐち・か・ひき・いぬ・ほ・さんけふ・ひゞ・しゆじん・み/すご・かん」。

*18:ルビ「しゆじん・こ ども・だ・かんが」。

*19:ルビ「ちくしやう・やうふくをとこ・きつね・し・やきとり・にほ・き/」。

*20:ルビ「さんけふ・ひと・きつね・しん・いぬ・ほ・こ ども・おび・きつね/さうざう」。

*21:ルビ「てつぱう・う・きつね・しやうたい・あらは・に」。

*22:ルビ「しゆじん・こ ども・うらぐち・そと・で」。

*23:ルビ「つき・うつく・さ・あき・むし・な・いぬ・いへ・なか・むか・ほ」。

*24:ルビ「しゆじん・てつぱう・た ま・そら・むか・ぱつ・はな・た ま・ほたる・と」。

*25:ルビ「さら・ぱつ・よる・せいじやく・やぶ・はつしや」。

*26:ルビ「いへ・なか・しんし・へいき・かほ・たばこ」。

*27:ルビ「きつね」。

*28:ルビ「しゆじん・おも」。

*29:ルビ「いぬ・ほ・こ ども・や は・な・おび」。

*30:ルビ「きつね」。

*31:ルビ「しんし」。

*32:ルビ「しゆじん・こた」。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(099)

・青木純二『山の傳説』(2)
 前置きが長くなったが、「晩秋の山の宿」の本文を全文引用する。
 なお、従来、本文の引用・比較に当たっては、2018年8月7日付(026)にように分割して検討して来た。しかしながら「晩秋の山の宿」の本文は「深夜の客」とほぼ同文、すなわち昭和3年(1928)7月の雑誌懸賞入選作「深夜の客」を2年後の昭和5年(1930)7月に自身の単行本に「晩秋の山の宿」と改題して収録したもので、この際、切り分けずに全文を纏めて示したいと思ったのだが、ルビを省略せず、註にして添える当ブログの形式ではなかなか長文を上げるのが厄介なのである。そこで止むを得ず、比較の便宜のため2~3頁ずつ、上記の分割案に従い、各部分末に薄い灰色で【A】・・・・と添えつつ、紹介して行くこととした。「サンデー毎日」の原文をまだ見ていないので「深夜の客」の本文は『山怪実話大全』に拠り、異同についてはどちらかにしかない語句を赤の太字で、相当する語句はあるものの書き替えられている箇所を灰色太字にして、「晩秋の山の宿」の引用の後に当該箇所を示した。句読点の違いは取ったが表記の違い(及びルビ)は取らなかった。
 まづ100頁(「国立国会図書館デジタルコレクション」の青木純二 著『山の伝説. 日本アルプス篇』69コマめ)1行め、7字下げ2行取りでやや大きく「晩秋の山の宿 (白馬岳)」とあり、2行めから、

 白馬岳の山ふところに抱かれる蓮華温泉――*1
 温泉とはいへど茂る杉の林にかこまれて、たゞ一軒の宿があるばかりである。湯はこんこんと/して盡きない。山峡の大氣は澄んでゐる。しかし、不便なために浴客はすくない。*2【A】
 明治三十年の秋――山峡の秋は深んで浴客も山を下つた。そして、宿は冬ごもりの仕度に取か/かつてゐた。*3
 月光の美しい夜であつた。*4【B】
 宿の戸をほとほとと叩く音がする ゐろりに燃ゆる榾火で山鳥を燒いてゐた主人は*5
『どなたですか』と、聲をかけた。*6
『一寸あけて下さい。山道に迷つた者なんです。』*7
 男の聲だ。*8【100】
 戸を開けると、青白い月光を浴びて、そこには洋服を着、鳥打帽をかぶった紳士が立つて/ゐた。*9
『やあ、どうも有難う、すみませんが今晩泊めて下さいませんか。』*10
 男は微笑を浮べつゝ云つた。*11
『泊つておいでなさい。そのかはり何ももてなしは出來ませんよ。』*12
『いや、泊めてさへ頂けばいゝのです。』*13
 彼は室内に這入つて靴の紐をときはじめた。主人は不審な客と思つてたづねた。*14
『旦那は今頃、どうしてこんなところにいらしつたんだね。』*15
『いや、實、鐵砲を打ちに來たんです。ところが、谷に鐵砲を落してね。その上、道をまちが/へてしまつたんだよ。一時は、どうしようかと思つてゐた幸に、こゝの灯が見えたのでやつと/たどりついたんです。おかげで生命びろひをしました。』*16
『そりえらい目にあひましたね、旦那はどちらの方です。』*17【101】
『東京の者なんだ。今日、糸魚川口から登つたんだよ。』*18
 紳士は爐端ににじり寄つた。*19
山鳥をやいてゐるところです。よかつたら御飯をおあがりなさい。』*20
『そいつ御馳走だね。ぢやあ、頂きませう。』*21
『温泉に這入りませんか。』*22
『いや、御飯を先に頂きませう。なにしろお腹がぺこぺこなんだから。』*23【C】
 主人は食事の仕度に取かゝつた。彼はこの春に妻をうしなつて今では八つになる男の子と二人/きりで、この山の温泉を安住の地としてゐるのだつた。*24【D】

 「深夜の客」の本文は一部、取り上げて検討しただけで全文を引用していない。しかし殆ど同文で、単行本『山の傳説』に収録するに当たって若干手を入れたと云った程度である。よって、以下、異同箇所のみを挙げて、見て行くこととしよう。
 【A】導入〜場所の説明2018年9月11日付(52)に引いた。異同は冒頭、一九〇頁3行め「日本アルプスの秀峰」と冠していたのを(書名にもあることであり)省いたことである。
 【B】導入〜時期の説明2018年9月12日付(53)に次の部分を引いた。一九〇頁7~8行め、

 大正三年の秋――山峡の秋は深んで浴客も山を下った。そして、宿は長い雪の冬を迎えて冬ごもりをする準備に取かかった。


 この年の違いについて、その理由を少々(2018年8月15日付(34)の註)考えたこともあるが、追って改めて述べて見るつもりである。
 【C】男の来訪〜主人との会話の異同であるが、発言は「深夜の客」が普通の鉤括弧、『山の傳説』は二重鉤括弧で括られ、ともに括弧閉じの前に半角の句点を打っているが、最初の(主人の)台詞、一九一頁1行め「どなたですか」の句点のみ、落ちている*25。そして紳士の身形であるが、4~5行め「洋服を着、鳥打帽をかぶった紳士が立って/いた。」となっていた。なお8行め「何もおてなしは」は第三刷でもそのままになっているが、これは『山の傳説』の「何ももてなしは」の誤入力及び校正漏れであろうから拾わなかった。11行め「旦那は今頃」、12行め「いや、実、」、15行め「そりえらい目に」、18行め「これでよかったら御飯を」、一九二頁1行め「そいつ御馳走だね。」
 【D】主人の亡妻と八歳の子供では一九二頁4~5行め「彼はこの春に・・・・二/人きりで」が異なる。(以下続稿)

*1:ルビ「しろうまだけ・やま・いだ・れんげ をんせん」。

*2:ルビ「をんせん・しげ・すぎ・はやし・けん・やど・ゆ/つ・さんけふ・たいき・す・ふ べん・よくかく」。

*3:ルビ「めいぢ・ねん・あき・さんけふ・あき・ふか・よくかく・やま・くだ・やど・ふゆ・し たく・とり/」。

*4:ルビ「げつくわう・うつく・よる」。

*5:ルビ「やど・と・たゝ・おと・も・ほだび・やまどり・や・しゆじん」。

*6:ルビ「こゑ」。

*7:ルビ「ちよつと・くだ・やまみち・まよ・もの」。

*8:ルビ「をとこ・こゑ」。

*9:ルビ「と・あをじろ・げつくわう・あ・やうふく・き・とりうちぼう・しんし・た/」。

*10:ルビ「ありがた・こんばんと・くだ」。

*11:ルビ「をとこ・び せう・うか・い」。

*12:ルビ「とま・なに・でき」。

*13:ルビ「と・いたゞ」。

*14:ルビ「かれ・しつない・は い・くつ・ひも・しゆじん・ふ しん・きやく・おも」。

*15:ルビ「だんな・いまごろ」。

*16:ルビ「じつ・てつぱう・う・き・たに・てつぱう・おと・うへ・みち/じ・おも・さいはひ・ひ・み/いのち」。

*17:ルビ「め・だんな・かた」。

*18:ルビ「とうきやう・もの・け ふ・いとい がはぐち・のぼ」。」

*19:ルビ「しんし・ろ ばた・よ」。

*20:ルビ「やまどり・ご はん」。

*21:ルビ「ご ち そう・いたゞ」。

*22:ルビ「ゆ・は い」。

*23:ルビ「ご はん・さき・いたゞ・なか」。

*24:ルビ「しゆじん・しよくじ・し たく・とり・かれ・はる・つま・いま・をとこ・こ・ふたり/やま。をんせん・あんぢう・ち」。

*25:しかしこれも『山怪実話大全』収録に際して体裁を統一するために加えた可能性もあろう。近々「サンデー毎日」を確認する機会を得たいと思っている。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(098)

 それでは、早速、杉村顕『信州百物語』の「蓮華温泉の怪話」が下敷きにした、と、断定して良いと思うのだけれども、その話と出典について確認して置こう。
・青木純二『山の傳説 日本アルプス(昭和五年七月 七 日印刷・昭和五年七月十七日發行・定價一圓八十錢・丁未出版社・12+3+9+309頁)
 3~214頁「1 北アルプス*1」78話の、29~37話めが白馬岳エリアを舞台とする話で、その最後の37話め、100~111頁3行め「晩秋の山の宿(白馬岳)」がそれである。なお、「目  次」(9頁)を眺めるに題に温泉名を冠した話が2つ、31話め、84~87頁5行め「蓮華温泉傳説(白馬岳)」は送り狼の話で温泉とは無関係だが、33話め、89頁3行め~91頁7行め「蓮華温泉縁起(白馬岳)」は温泉発見の経緯を語る。また、30話め、79頁11行め~83頁「山  之  坊(白馬岳)」の冒頭、80頁1~2行め、

 白馬岳に越後口から登る人は蓮華温泉に一泊する。その近くに山毛欅の森が茂る山之坊といふ/部落があり、登山者はこゝで食料や必要品を準備する。*2

も参考までに引いて置こう。
 本書には他に215~239頁「2 中央アルプス」8話、240~309頁「3 南アルプス」31話、合計117話を収録する。但し「南アルプス篇」の24話め「金 賣 吉 次(神坂峠)」は「中央アルプス篇」に含めるべきで、25話め「手 力 男 命冠着山)」と、26話め「背 く ら べ八ヶ岳)」以下最後の6話は八ヶ岳日本アルプスではない。富山県立山剱岳黒部峡谷新潟県蓮華温泉など周辺の県の話も少なからず収録するが、やはり長野県の話が多い。その内容、そして「晩秋の山の宿」と「蓮華温泉の怪話」の関係からも窺われるように、杉村顕の『信州の口碑と傳説』『信州百物語』に採られている話も少なくないことが察せられる。本当はそこまで済ませてから記事にすべきなのである(論文にするならそこまでしないといけない)が、遠からず果たすこととしたい。
 さて、本書は『柳田國男の本棚』と云うシリーズの第五巻(第一期配本)として復刻されている。
・『柳田國男の本棚』第五巻『山の伝説』一九九七年四月二七日 発行・定価一〇、〇〇〇円・大空社・A5判上製本

柳田国男の本棚 (5)

柳田国男の本棚 (5)

 巻頭(3頁。頁付なし)の大空社編集部「刊行のことば」に拠ると、柳田國男の学問に影響を受けた人々によって著された、2頁3行め「今日ではほとんど手に入らない希少な文献を精選して刊行」したもので、2頁11行め~3頁2行め、

・・・・、とりわけ柳田の愛顧を/受け、柳田自身の手によって序文・跋文・書評文等が書かれた文献のみを集成した愛好者にとって/は垂涎の学術ライブラリーである。柳田が記した各々の讃辞には、驚異と喜悦と激励とがないまぜ/となっている。・・・・

とあるように本書にも柳田國男の「山と傳説」と題する序文(12頁)がある。しかし、柳田氏は青木氏のことを知らないらしく、また本の内容についても褒めていない。10頁5~6行め「・・・・この著者の採集法に對して、或/は稍嚴峻に過ぎたる批判を下す必要もあるかと思ふ。・・・・*3」これだけでも良いが、最後の一文(11頁10行め~12頁2行め)とその少し前からも抜いて置くべきであろう。11頁8行め~12頁3行め、

・・・・。今日我々*4/の知りたいと思ふのは、傳説そのものゝ珍らしさでは無い。傳説はほんの僅かばかり諸國の例を/見て行けば、直ぐに人はその型の一致し一定して、特に例外の少ないことを見出すのである。そ/れを我々の如く貪つて尚集めて見ようとするのは、多くの比較によつて始めて「之に對した古人/の心」がわかるからである。故にさういふ資料として精確なるものを供給することが、もし採集*5【11】の目的であつたならば、それこそ多々益々辯ずである。青木君の「山の傳説」が大いに人に讀ま/れ、此上にも更に數篇を重ね行かんことは、自分はたゞ此條件の下に歡迎するのである。(昭和五/年六月二十八日箱根小涌谷に於て)*6


 柳田氏が小説じみた「晩秋の山の宿」を並べて置くような「伝説」集を歓迎するはずもない。しかしそこは柳田氏、ここでも私のように無遠慮に切り込んだりせず、氏一流の持って回った言い回しでの批判になっている。
 では、何故こんな本の序文を書いたのか、だが、その理由については青木氏の経歴を紹介する際に述べることにしよう。
 なお、この復刻では「山と傳説」2頁の10~11行めに一部欠損、10行めは読めるが、11行めは何文字か読み得ない。12行めは跡形もない。しかし幸いなことに「国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されているので完全なもの(青木純二 著『山の伝説. 日本アルプス篇』6コマめ)を読むことが出来る。国立国会図書館蔵本には奥付の裏に広告(176コマめ)があるが、復刻版にはこれも収録されていない。
・信州の名著復刊シリーズ 第1期信州の伝説と子どもたち 第1巻『山の伝説』二〇〇八年十月一六日 第一刷発行・定価1,800円・一草舎出版

山の伝説 (信州の名著復刊シリーズ)

山の伝説 (信州の名著復刊シリーズ)

 11年前に復刊されているが、未見。(以下続稿)

*1:「目  次」には番号なし。

*2:ルビ「しろうまたけ・ゑちご ぐち・のぼ・ひと・れんげ をんせん・ぱく・ちか・や ま ぶな・もり・しげ・やまの ばう/ぶ らく・と ざんしや・しよくれう・ひつえうひん・じゆんび」。

*3:ルビ「ちよしや・さいしふはふ・たい・あるひ/やゝげんしゆん・す・ひ はん・くだ・ひつえう・おも」。

*4:ルビ「こんにちわれ/\」。

*5:ルビ「し・おも・でんせつ・めづ・な・でんせつ・わづ・しよこく・れい/み・ゆ・す・ひと・かた・ち・てい・とく・れいぐわい・すく・み いだ/われ/\・ごに・むさぼ・なほあつ・み・おほ・ひ かく・はじ・これ・たい・こじん/こゝろ・ゆゑ・し れう・せいかく・きようきふ・さいしふ」。

*6:ルビ「もくてき・た ゝ ます/\べん・あをき くん・やま・でんせつ・おほ・ひと・よ/このうへ・さら・すうへん・かさ・ゆ・じ ぶん・このでうけん・もと・くわんげい」。