瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(02)

①「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」(2)
 昨日の続き。
 ②③の「あとがき」は続いて、②388頁9行め~390頁2行め③440頁11行め~442頁7行め、著書の利用を許可してくれた放送関係者や、取材に応じ、情報を提供してくれた人たちへの謝辞が連ねてありますが、①では57頁下段10行め~58頁下段13行め、放送局の「民話」を取り上げる意義を、58頁上段7~9行め「‥‥、私自身、一九五六年から劇団「太郎座」の/結成に加わり、以来十年間テレビ局に日参?するような生/活があった」その実感を踏まえて述べ、謝辞は下段19行め~59頁13行め(上段は挿絵)と短く、名前と著書が挙がっているのは59頁下段3~4行め「‥‥『放送よもやま話』(あずさ書房刊)を書かれたNH/Kの会長坂本朝一氏より、‥‥」だけになっております。坂本氏のことは②「あとがき」388頁10~11行め「‥‥。すでに故|人となられた坂本朝一前会長からは、‥‥」と見え、③440頁13行めでは「‥‥。とりわけ忘じ難いのは坂本朝一前会長から、‥‥」と改めてありますが「NHK」が落ちております。坂本朝一(1917.3.28~2003.12.31)が日本放送協会(NHK)会長だったのは昭和51年(1976)9月から昭和57年(1982)7月までで、①の当時「会長」②の頃には「前会長」でしたが③の頃は「元会長」と書くべきだったでしょう。それ以上に驚かされるのは③刊行時にも存命だった坂本氏を②が「すでに故人となられた」としていることで、②の刊行時、横綱審議委員会の委員(1982.4~1999.1)を務めており後に委員長(1997.1~1999.1)まで務めております。ここは③ではなく②の増刷時に訂正したのではないでしょうか。[第二期]Ⅲではなく第8巻となっている②を探して見ることとしましょう。
 ①は稿末、109頁下段13~19行めに[参考資料]として『放送よもやま話』に加え、「『シャープさんフラットさん回想記』尾島勝敏著(芸術生活社)/『テレビ原人の昼休み』大山勝美著(冬樹社)/『ちょっといい話』戸板康二著(文芸春秋)/「ただいまテストのマイク中」(一九八〇年六月号『文芸春秋』より)/『続・丹波哲郎死者の書 霊界旅行』(中央アート出版)」の5点を挙げておりますが、②③の「あとがき」に特筆してあるのは尾島氏と大山氏の著書のみで、①以後に入手した資料が少なくなかったこと、また、新たな取材も少なからず行ったらしいことが察せられるのです。尤も取材は①の段階でも行っており、58頁下段24行め~59頁下段2行め、特殊な業界の話なのでアンケートの回答が限られていたことを述べた上で、

 というわけで元アナウンサー・現ディレクターなど、多/くの方々に当研究室、石崎敬子が聞書にうかがった。貴重/なお時間とお話を頂いたことに御礼を申し述べたい。

とあって「回答者・石崎敬子」となっている話は、松谷みよ子民話研究室スタッフとして取材に行った成果らしいのです。どうやら他の巻でも、松谷氏本人もしくは松谷みよ子民話研究室のスタッフが「回答者」となっている話には、「現代民話考」のための取材に拠るものが少なからず含まれているもののようです。
 本文にはもちろん、松谷氏本人の回想もありますし、丁度『戦後人形劇史の証言――太郎座の記録――の編集が進められていた頃のことで、太郎座の関係者の回想、太郎座らしい人形劇の番組でのハプニング、それから瀬川拓男のことなども語られています。しかし普通に読んだ分には回答者が何者なのか、予備知識のない読者には分かりませんから、十分活用しづらいように思います。当時はこれが限界だったのでしょうけれども、関係者の多くが死去してしまった現在となっては、やはり註釈が必要でしょう。例えば、①の、当記事の最初に引いた箇所に該当する②③「あとがき」が、②389頁13行め③442頁1~2行め「‥‥。私も青春のある時期をテレビ局へ日参し\たひとりとして、‥‥」となっておるのですが、これなど本文をよく読んでも余所から仕入れた知識のない限り、松谷氏がどうして当時そこまでテレビ局に食い込んでいたのか、分からないでしょう。
 太郎座のことは、①の前置きには先に引用した箇所に続いて、58頁上段10~16行め

 つい先頃、劇団結成当時の思い出などを語りあう会をし/たら、白土三平氏がきてこんな話をした。パターンやら、/人形の作成に徹夜が続き、荷物をかついで国電に乗ったら/立ったまま眠ってしまい、衝撃に気がついたらひたいを床/に打ちつけていたという。ほんとに重労働だったよねと溜/息をついたことだった。いや今もそうだという声も出てし/んみりした。

とあったのですが、これは②③では本文の方に組み込まれていて「太郎座」のことは目立たないようにされております。②180頁2~6行め③207頁13行め~208頁2行め*1

◯東京都。昭和三十二年頃。当時太郎座にいた白土三平氏は、テレビ出演のための、\パターンや|ら人形の作成に徹夜が続き、自動車などもない頃だったから荷物をかつ\いで国電に乗った。立|ったまま眠ってしまい、ガーン! 衝撃に気がついたらひた\いを床に打ちつけていた。よく命|があったものである。いや、今だって同じだと某\プロダクションの人が憮然としていった。
   回答者・松谷みよ子(東京都在住)


 何故か『戦後人形劇史の証言――太郎座の記録――には名前ばかりが出て当人の回想記や証言のなかった白土氏が、太郎座を回顧する集まりには参加していたことが分かるのですが、この話は松谷氏の晩年に出た次の自伝にも見えております。気付いた序でに抜いて置きましょう。
・『自伝 じょうちゃん』二〇〇七年一一月三〇日 第一刷発行・定価1500円・朝日新聞社・253頁・四六判上製本

 この自伝、従来の著作では名前を伏せていた知友が実名で書いてあったりして、松谷氏の経歴を検証するには便利な本なのですが、内容の方も従来の著述にはなかった、驚くべきことが少なからずあって、私のような者にはそこが却って扱いづらいと思っておるのです。まぁそのことは遠からず取り上げることとしましょう。
 204~211頁「23 太郎座創立―民話採訪へ」の冒頭部、204頁2行め~205頁3行め、

 東京都葛飾区金町での雑居生活が、私と瀬川の新婚生活だったが、結婚後、すぐに飛び込んで/きたのが、NHKの、たしかクリスマス番組だった。瀬川拓男作の「どじ丸物語」を動く絵ばな/しとして放映してほしいというのである。
 朗読には全銀連北国闘争以来の友人、山村香代子さんと私があたり、パターンの絵や人形の制/作には、瀬川や白土三平、篠田立陽、私の兄の松谷春男も駆り出され、総力をあげての取り組み/だった。徹夜、徹夜の連続で、車もなく、パターンをかついでのスタジオ入りである。
 あるとき、三平ちゃんの姿が現われずはらはらしたが、徹夜つづきのため、国電の中で立った/まま眠ってしまい、床にたたきつけられひたいを打って、ようやく目を覚ました、それでおくれ/【204】た、という一幕もあった。
 幸いにしてこの番組は好評番組となった。劇団「太郎座」の名がテロップで画面に流れ、瀬川/が夢に描いていた「太郎座」の誕生が感慨深かった。


 ②③に昭和32年(1957)頃、とあるので劇団の草創期のことと理解していたのですが、こちらでは、太郎座の、本当に草創時の出来事として語られています。ここには白土三平フリークの「Takeda Kohtaro」の、台本の写真を掲出した、2020年12月26日2時22分の Tweet を引いて置きます。


 しかし①では座談会で白土氏が語って、当時そんなこともあったのか、いや今もそうだ、と嘆息したことになっていたのが、②③では座談会と云う設定が曖昧になり、そしてここでは松谷氏本人の当時の回想のように書かれております。いえ、当時どうだったかの記憶を座談会での白土氏の話から捏造=「民話化」して、書いてしまっているような印象を受けます。
 とにかく松谷氏は、同じことをきちんと詰めずに繰り返し書くので、その度ごとに微妙なズレが生じてしまうようです。なお『戦後人形劇史の証言――太郎座の記録――の「太郎座に参加した人々」には7人め(308頁上段7行め)に「白土三平(29―31) (美)」と見えております。
 他にも①「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」の前置き、②③の「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」及び「あとがき」に見える話で、①②③の本文や、前後の松谷氏の著述との比較を要する例が幾つもあります。それらは、完遂出来るかどうか分かりませんが、①と②の内容を詳細に比較する際に、改めて参照・検討することとしましょう。(以下続稿)

*1:異同は冒頭、②◯が③*、最初の行は1字下げ、次の行から2字下げだが詰めた。

現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(01)

① 現代民話考  その八「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」日本民話の会編集「民話の手帖」第8号(第四巻第二号)56~109頁、一九八一年十月十日発行・定価 八八〇円・発行 日本民話の会・発売元 蒼海出版・208頁・A5判並製本
② 現代民話考 第二期 Ⅲ『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』1987年10月9日 第1刷発行・定価 2,000円・立風書房・390頁・四六判上製本

ちくま文庫『現代民話考 8』ラジオ・テレビ局の笑いと怪談(二〇〇三年十一月十日 第一刷発行・定価1300円・筑摩書房・442頁 6月8日付「日本の民話『紀伊の民話』(12)」に、松谷みよ子の本 第7巻 小説・評論・全1冊の「初出と底本」に「*「あとがき」は全て各巻(底本)が初出。雑誌「民話の手帖」の初出稿は単行本出版にあたり、大幅に加筆・改稿されており、「考察」メモ又は「原型」稿ともいうべきものです。‥‥」とあることについて、註に「第8巻『ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』の「雑誌「民話の手帖」の初出稿」は、むしろ「あとがき」の方の「「原型」稿」となっている」こと等を指摘しましたが、この点について、何せ私は資料の殆どを複数の図書館から借りて済ませているので、材料が手許に揃っているうちに、確認して置くこととしましょう。
 問題(?)の②15~23頁③21~30頁「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」ですが、書出しは以下のようになっております。②15頁2~8行め③21頁2~10行め、なお改行位置は①「/」②「|」③「\」で示すこととします。

 いま、この原稿を書く時点では、ようやく一段落を見たが、「ビートたけしによるフ\ライデー乱|入事件」は、直接テレビとは関係ないながら、ビートたけしがテレビタレン\トで人気者であるとこ|ろから、私もこの事件の経過は気になった。この事件は昭和六十\一年十二月九日、たけしの愛人に|写真週刊雑誌、「フライデー」の記者が取材の際無理\強いし、怪我をさせたとしてたけしが軍団を|ひきいて、真夜中、講談社の「フライデ\ー」編集部に乱入、編集者数人に怪我をさせた事件である。
 私が興味を持ったのは、有罪判決を受けたたけしが「あと何年かたって、この事件が\どういう受|け止め方をされるのか、すごく興味ある。」(’87・6・10毎日新聞夕刊)*1と述べ\たことであった。‥|‥


 もちろん①の段階では書き得ない内容です。では、①の前文はどうなったかと云いますと、②③では、②387~390頁③439~442頁「あとがき」のベースになっております。①の初出の形を見る前に、決定稿である②③の方を見て置きましょう。冒頭部、②387頁2行め~388頁9行め③439頁2行め~440頁11行め、異同箇所は灰色太字で示して後述もしくは註に説明しました。

 今から七年ほど前のことである。NHKの『女性手帖』という番組に出た。民話について\の五回|連続であった。さて最後の五回目の「現代の民話」を収録するというとき、昼食\のサンドイッチを|つまみながら私はしきりにスタッフから話を引き出そうとした。NH\Kにも現代の民話はきっとあ|ると思いますよ、ね、ね、というふうにである。するとす\ぐに話は出てきて、裸で失礼、今夜半虹|が出るでしょうという天気予報の笑い、逃げ出\してつかまったライオンに御感想は? ときいた、|などなどぞろぞろでてきた。そうそ\う、そういう話です。本番よろしく、って喜んだのに、少しし|て本番になったら森本毅\郎アナウンサーは何もいってくれない。しかたなく私はひとりでおしゃべ|りしたのだが、\さて三年後である。司修氏がNHKの美術番組に出演、私の文による『まちんと』|『ぼ\うさまになったからす』の原画を映すというので、ゲストとして私も招かれた。本番前\日、打|合せのためNHKにいくと担当アナがやってきた。何と森本氏である。
「松谷さん、ずうっと同じことをいっているのはいいことですねえ」「は?」「実はこの\【③439】前女性手帖*2|の、五回目の収録の前、あなたがトイレに立っている間、大変だったん\です」【②388】
 番組収録の直前、NHKの上の方の人から「現代の民話」という言葉は、熟していな\いからやめ|るようにとクレームがついた。しかし森本アナたちが松谷さんの思うように\しゃべらせようと、強|行したのだという。
「それが三年たって司修氏が『現代の民話』というタイトルで出ても、もう何もいわれ\ない。同じ|ことをいっているのはいいことですねえ」
 私は憮然とした。そしてそれから二年後私はNHKから現代の民話について話してく\ださい、と|いわれたときには喜んで出演したのである。
 この間、「民話の手帖」に「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」を掲載*3そして今回の\単行本と、森|本アナが知ったらまたひとこと言われそうな、長いとりくみとなった。‥\‥


 冒頭の書換えはもちろん「今から七年ほど前」ではなくなったからで、③では「一九八〇年頃」となっております。
 松谷氏は記憶力が良かったらしく、余り物を見ずに書いているらしいのですが、やはり確認せずに記憶に頼って書くのは良くないので、――まづ①初出の題は「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談」ではなくて「ラジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」でした。①56頁は右半分は題と郷土玩具のカット、松谷氏の名前の脇に「さしえ・森田千恵子」とあって、59頁上段・75頁上段・89頁上段・104頁上段の4箇所に素人臭い鉛筆画の挿絵があります。そして、56頁左半分から2段組の本文で59頁下段13行めまでが前置きになっています。
 それでは初出の当該箇所を見て置きましょう。色々検討しますので前半と後半に分割します。前半、①56頁上段~57頁上段2行め、

 今は昔、といっても一九七五年一月頃、私はNHKの/『女性手帳』という番組に出た。一回だけと思っていたの/に五回連続と聞いて恐怖に襲われたのを覚えている。総タ/イトルは「私のなかの民話」だったように思うがさだかで/ない。別に毎回ごとに小さなタイトルがついた。最終回を/「現代の民話」にしましょうときめた。
 一日一本ずつビデオをとり、三日目は二本まとめてとる/という。四本目が終わるとほっとした。気分もくつろいで/「ね、NHKにも現代の民話が必ずあると思うの」と、サ/ンドイッチをつまみながら、最終回の打ち合わせも兼ねて/問いかけた。そこには番組担当の森本・高橋両アナウンサ/ー、その他スタッフの人たちがいっしょにいてお茶を飲ん/【56上】でいたが、そういえば宿直の朝寝すごしてとびおき、寝巻/のままマイクの前に馳けつけて「こんな姿で失礼します」/といったアナウンサーがいたよ、とか、火事場へ馳けつけ/て近所の人に「お宅ももうすぐですね」と思わずやってし/まい、あとでしかられたとか、㋥は俄雨なのに判らなくな/って明日は虹が出るでしょうとごまかしたとか、昨日の天/気予報を読んでしまい、しまったと思ったがどこからも文/句がこなかったとか、まあいろいろ伝説化された話が出て/きて大笑いになった。そうそう、そういうお話なの。と私/はすっかり喜んで、番組の中でも同じように問いかけた/が、ふたりのアナにさりげなくかわされた。出演者になる/べく話させようとする配慮と思った。結果として私ひとり/【56下】がよくしゃべり、無事五回にわたる収録を終えたのであ/る。


 ②の6年前の執筆と云うこともあってかなり詳しく回想されていますが、まづ驚かされるのは番組収録の時期を昭和50年(1975)1月頃、としていることです。②では「今から七年ほど前」=③「一九八〇年頃」とありますが、それでは①刊行の前年のことになってしまいます。これだけでも②③は誤りらしいと見当が付けられそう(そしてそれだけに何故②刊行時に①の記述を変えてしまったのかが謎)ですが、この辺り、NHKアーカイブズの「NHKクロニクル」にて検索して見ますと、やはり①の記述にほぼ間違いがないことが分かりました。
 番組名も②③「女性手帖」ではなく①「女性手帳」が正しいのですが、この番組は昭和42年(1967)4月10日から昭和57年(1982)1月26日まで、平日午後1~2時台に放送されていたおりまして、松谷氏はゲストとして6回出演しております。
 まづ森本毅郎(1939.9.18生)と高橋美紀子(1940)両アナウンサーが司会を務めていた時期、昭和50年(1975)2月10日から17日までの平日午後2時から2時30分まで放送された、以下の5回に出演しております。 
・2月10日(月)「私のなかの民話」(1) ―祖先とのめぐり合い―
・2月12日(水)「私のなかの民話」(2) ―太郎の誕生―
・2月13日(木)「私のなかの民話」(3) ―三つのはなし―
・2月14日(金)「私のなかの民話」(4) ―視点ということ―
・2月17日(月)「私のなかの民話」(5) ―あなたも語り手―
 松谷氏は②執筆時にこれを昭和55年(1980)頃の出演と思い込んでいたらしいのですが、これはどうも、もう1回出演したときの記録だか記憶だかと混乱してしまったらしく思われるのです。河路勝・広瀬修子(1944.12.3生)両アナウンサーが「きき手」を勤めていた時期、昭和54年(1979)の6月下旬、午後2時から2時29分に放送、7月下旬の同時刻に再放送されています。
・6月25日(月)/7月24日(火)「家族を結ぶもの」(1)近藤啓太郎
・6月26日(火)/7月25日(水)「家族を結ぶもの」(2)熊谷榧
・6月28日(木)/7月26日(木)「家族を結ぶもの」(3)松谷みよ子
・6月29日(金)/7月27日(金)「家族を結ぶもの」(4)梅原猛
 全4回で松谷氏は3回めのゲストでした。
 ところで、①ですと「一日一本ずつ」撮って「三日目に二本まとめて」撮ったと云うのですから、最終回はまた別の日に「一本」だけ収録したことになりそうです。しかし、②③だと「一日」に何本撮ったのかは分かりませんが、最終回収録の直前に「本番よろしく」と言っていたのが、松谷氏が席を外している間に覆されてしまったことになっています。
 この打合せで出た話題も、少々食い違っております。実はこの辺りは②③の「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」に残してあって、その後知った、伝説(?)の当人の談話を加味するなどして膨らませてあり、ここを突っ込むとかなり長くなってしまいます。よって別の記事にして、「ラジオ・テレビ局の笑いと怪談考」そして本文の方とも対照して確認することとしましょう。
 それでは①の続き、57頁上段3行め~下段9行め、

 と……私は思っていた。ところが三年後のことである。/NHKの「美を探る」という番組を司修氏の絵と話でつく/るので、ゲストとして出るようにいわれた。司さんはこの/番組に「現代の民話」というタイトルをつけ、内容は私た/ちが創った絵本『まちんと』と『ぼうさまになったから/す』(共に偕成社の原画を映すという。
 前日、打ち合わせに出て驚いたのは「女性手帳」のとき/の森本アナがいたことで、今回の番組を担当してくださる/という。そのとき森本アナはしみじみといった。「今だか/らいいますけどね、女性手帳の最終回のとき、大変だった/んです」「大変ってなにが?」「現代の民話というタイト/ル、まだ一般の人にはなじまないのでは、と問題になりま/してね、松谷さんがトイレに立ったあと大騒ぎでした」/「まあ私、なにも知りませんでした」「とにかく松谷さんが/話したいことを話して貰おうということで、押し切ったん/です」それが三年後の今きてみれば、「現代の民話」とい/うタイトル名がさらりと付いている。「松谷さんたちがず/うっといい続けてこられたことが少しずつ広がってきたの/ですね」と森本アナはいうのである。
 そしてまた三年後の一九八一年六月、NHKの「ニュー/スワイド」から「現代の民話」について話して下さいと依/頼された。十五分という短かい時間ではあったけれど、こ/【57上】の六年間の時の流れを考えて感慨があった。一つ覚えのよ/うにいい続けてきたことにも、意味があったかと思う。
 さて、話はもとにもどるが、「女性手帳」のとき聞いた/放送局の笑い話が忘れられず、いつかまとめてみたいと思/っていた。『民話の手帖』七号では「夢の知らせ・あの世/へ行った話」をまとめたが、八号ではがらりと変えて明る/くユーモラスな笑いを中心にしてみたい。そう思って「ラ/ジオ・テレビ局にまつわる笑いと怪談」をアンケートによ/り問いかけることとした。


 ここまで読むと①「一日一本ずつ」撮って「三日目に二本まとめて」撮った、と云うのは間違いで、「四本目」と「最終回」を「二本まとめて」撮ったその間、「四本目」の収録後に松谷氏が「スタッフの人たち」に放送局の「現代の民話」を聞き、しかしその直後、「最終回」収録の直前に「松谷さんがトイレに立ったあと」問題になったと云うことになりそうです。――色々と不明瞭なところはありますが、飽くまでも現場のスタッフの間から、松谷氏が勝手に喋る分には構わないが、NHKとして「現代の民話」がNHKにもありますよ、と応じるのは不味いのではないか、と云うことになって、森本毅郎高橋美紀子両アナウンサーが本番で急に、今風に云えば「塩対応」せざるを得なくなった、と云う風に、①の記述は読めます。
 これは、②③の展開に似ているようで実は大きな径庭があると思います。何せ、②③では「五回目」のタイトルが「現代の民話」に決まっていたのを「上の方の人から」のクレームで直前に、覆したような按配になっているのですから。そんな、背信行為(!)を働いた森本氏が「三年後」にのこのこ出て来て「いいことですねえ」等と他人事のように感心しているものだから、少々恨み言めいて「何と森本氏である」等と云う書き振りになっているように思われるのですが、実際はどうだったのでしょうか。
 私の感じとしては、①の方が自然な流れのように思われます。②③は「現代の民話」と云う語句に抵抗があった、と云う意識が、①を執筆してから6年後に改めて振り返って見たときに、記憶を書き換えさせてしまったもののように思われるのです。
 さて、②③では「美術番組」と曖昧にしていますが、これも①のタイトルでほぼ間違いありません。NHKクロニクルで検索すると、昭和53年(1978)9月23日(土)午後8時15分~9時に放映された次の番組がヒットします。
・NHK文化シリーズ 美をさぐる 「メルヘンの創造~絵本の画家たち~」(4)<最終回> ―現代の民話―
 出演者は司修松谷みよ子、そして朗読が岸田今日子です。「三年後」の「美をさぐる」で間違いありません。
 「NHKニュースワイド」は昭和55年(1980)4月7日から昭和63年(1988)4月2日までの月曜から土曜、朝の「連続テレビ小説」の前に放送されていたニュース番組で、昭和59年(1984)3月31日までは午後7時からでしたが4月2日から午前6時45分開始に変わっています。森本毅郎は昭和59年(1984)2月29日まで初代キャスターを務め、降板とともにNHKを退職しております。従って昭和56年(1981)6月であれば三度森本氏の前で「現代の民話」について語ったことになるのですが、NHKクロニクルで「松谷みよ子」もしくは「現代の民話」で検索しても「NHKニュースワイド」はヒットしませんでした。①刊行の4ヶ月前のことですから間違いないとは思うのですが、念のため新聞の縮刷版を漁って見ることとしましょう。
 とにかく、松谷氏は①にほぼ正確に書いていた時期や番組名を、②では混乱させ、曖昧にしてしまっている訳です。記憶の、ある部分を強め、そうでない部分を閑却し、その薄くなった箇所を無意識に捏造して、合理化してしまう。そうした作用は「民話化」と云って良いかも知れません。そして改めて、松谷氏の書いていることをそのまま信じてしまうのは(大筋では間違っていないにしろ)危険である、との印象を強くした次第です*4。(以下続稿)

*1:③は引用末の句点なし、また(出典)をやや小さくする。

*2:③はこの番組名を二重鉤括弧で括る。

*3:③はここに読点を打つ。

*4:その合理化にしばしば伝統的な宗教観・他界観など、定型の発想が持ち込まれ、体験がそれに沿って解釈され、曖昧な部分が排除されることで「話」として出来上がってしまう訳です。――松谷氏がそうした実例を数多く目撃しながら、自身の体験は記憶に頼り、過去の自身の記録に拠ろうとしなかったのは、或いは、意識せずに体験の「民話化」を実践しようとしていたかのようです。