瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

花粉サイクリング(3)

 昨日の続き。以下、今日と云うのは4月3日(金)のこと。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 今日行こうと思っているのは、都内の、2011年4月12日付「花粉サイクリング」の頃の職場の近くの図書館で、その頃から通い続けている。それからその隣の区の図書館も返却期限が迫っている。仮に前者をA区立図書館、後者をB区立図書館とする。
 その後、都内でもA区からは距離のある場所に職場が移ったのだが、他の区立図書館には所蔵しない本があったりするので、そのまま通い続けている。B区立図書館はA区ほど珍しい本はないのだが、交通の便が良いのでついでに通っているのである。
 以前にも書いたことがあるが、都内の区立図書館は、区にもよるが各区に10館以上、徒歩20分間隔にあって貸し出しを受けた図書館で返却しなくても良い。だから都内に出勤していた頃は、空き時間と運賃を計算してA区からB区へ、或いは逆にB区からA区へ2駅分40分ほど歩いて、A区立H図書館とB区立K図書館またはI図書館、もっと歩いてB区立中央図書館まで、2館もしくは3館を梯子したり、両区の境界にある某地下鉄駅(仮にC駅とする)から南北にそれぞれ徒歩5分と10分の距離にあるB区立C図書館とA区立K図書館を回ったりしたものだった。
 相変わらずPCR検査の数を絞っている(それでも以前に比べれば大分増えたが)のでなかなか都市封鎖(ロックダウン)にはならないだろうが、都知事の外出自粛要請で土日や4月上旬を完全休館にした市立図書館もあるので、空いている平日に出掛けた方が良さそうだ。いや、利用者の多くは徒歩か自転車で利用する区民だろうから、区立図書館はなかなか完全休館にはならないとは思うのだけれども。
 さて、今回は2館分18冊、うち10冊は文庫本。どちらも先月上旬に借りたのだが、既に開架には立ち入れなくなっていたから、予約を入れて取り置きしてもらっていた本を借りたのである。そして、どちらも1回延長して約4週間、B区立図書館には、しばらく行かないつもりでもう予約を入れなかった。A区立図書館はまだ使いたい本があるので予約してしまった。
 ルートは第1回(?)花粉サイクリングと同じである。しかし、あの日、すなわち2011年3月11日は、地図もなかったので、鉄道の路線と駅で大体の場所の見当を付けながら、隣の市までは専ら幹線道路を走って帰って来たのだが、これは起伏を気にしていない自動車向けの道路なので、幾つもの河谷を越えて、かなり疲れたのである。隣の市のターミナル駅に着いたときには、ようやっと地元に戻って来た、と云う安心感もあって、以後はかなりへたばりながら深夜に自宅に着いたのだった。27kmくらいだったと思う。
 再度、このルートを走って、9年前との違いを感じても良いかと思ったのだが、しかし今回は、往復である。かつ、行きが下りで帰りが登りになる。
 そこで、地図を見て地形的にも距離的にも無理のなさそうなルートを予め選定した。
 行き先はC駅近くのB区立C図書館、それからA区立K図書館で借りていた本を全て返し、そこから引き返して、当初電車で移動するつもりでA区立H図書館に予約して取り置きしてもらっていた本は、もう断っても良いか、と思ったのだが、一応行ってみることにした。往復で50kmくらいである。
 まづ、線路沿いにしばらく進み大通りに出て、途中のコンビニエンスストアにATMがあったので当座に要りそうな金を下ろす。まだ昼食も摂っていないが店にも入らず自動販売機も使わないつもりで財布には230円くらいしか入ってないままだった。どこかでさっと食べるつもりでカロリーメイト2箱と、庭の梅の実を蜂蜜に漬けて作った梅シロップを水で薄めて 500mℓ のペットボトルに詰めて持参している。しかし、結局飲まず食わずで、4時間ほぼ自転車を漕ぎ通したのであった。
 それはともかく、水路に出て水路沿いの通りを下る。普段は知らないが、かなりの交通量だ。今、安心出来るのは家で、家族が発症していなければ感染者はいないつもりになれるが、公共交通機関や商業施設・勤務先などは、どこに感染者がいるか分からない。今、東京は春季休暇で学校が再開していないから良いが、一部では来週から一部の学校も加わることになる。それはともかく、その点、自家用車は自宅の延長だから一応安心出来る訳だ。
 話を私の行程に戻そう。――それから、その水路から枝分かれした用水沿いの通りに入る。桜がほぼ満開で、空は晴れて甚だ気持ちが良い。用水に沿う道はほぼ平らで、少数だが花見に歩いている人もいる。バス停にも少しずつだが人がいる。
 隣の市からまた別の市に入った途端に舗装が悪くなる。私の住む市は、市政の評判が頗る悪いが、その分土建業に予算が回っているらしく、快適に走ることが出来た。市政の評判の良い隣の市も、税収が多いとの噂通り快適であった。
 それから都内に入る。ここでうっかり、左折する場所を見逃して1km近くそのまま進んでしまった。流石に怪しいと気付いて、地図と云って幹線道路が分かる程度のものを印刷して持って来ているだけなのだが、何となく見当を付けて、しばらく住宅街をうろうろするうち、高校の脇に辿り着いて、校名を確認して漸く現在位置を把握。随分遠回りしてしまったが、予定していた踏切の1つ東の踏切で線路を渡り、当初予定していた道に戻る。
 後はそのまま進み、某区(仮にD区とする)の中心部に差し掛かると、その手前の駅辺りから人通りも増え始める。中心部はかなりの人手である。そこでこれまで通ってきた用水跡の通りから別の大通りに入る。高低差を厳しくチェックして出て来た訳ではないが、ここまでは用水跡をずっと辿って来たので第1回(?)花粉サイクリングのルートに比較して遙かに楽に来ることが出来た。この分なら疲労の蓄積している帰りも、大丈夫であろう。(以下続稿)

花粉サイクリング(2)

 セキュリティソフトの会社から、先月何百件もブロックしましたとか云う通知が来て、何か悪いことしたか? と思ったのだが、日本のニュースが信用出来ないので、海外のニュースサイトをせっせと覗いたせいらしい。それもこれも自宅待機が長く続いているからで、好い加減、身体がなまってきた。
 実家にいた頃は毎日庭に撒く風呂水をバケツに十数回往復して注いで、撒いて、30分くらいだったか、かなりの運動になったのだが、今の家でも風呂水を流すのはもったいないので、枯れそうな近所の植え込みに撒いている*1のだけれども2日に1度でそんなに時間もかからない。女子高講師時代、流石に寄る年波で腰回りが太くなってきて、腹筋背筋スクワットを毎日やっていたこともあるのだが、女子高を馘首されたら Motivation が低下したのか、疲れやすくなり花粉症が酷くなって激しい運動が堪えるようになったのか、止めてしまった。だから今は水撒き以外にはせいぜい、勤め先から帰りに1駅歩いたり、都内の図書館に行ったり、と云った程度であったのが、両方とも難しくなってしまった。
 家人が久しく使っていなかった体温計を掘り出して、切れていた電池まで買って来てくれたのでここ数日検温している。3月31日付「赤いマント(224)」の付け足りに書いたように、ここのところ寒くて目が覚めて、見ると掛け布団をまくって腕など冷え切っているのだが、一昨日から肩当てを着て寝ているので、冷え切ってはいるけれども風邪は引かずに済んでいる。蒲団と毛布の重ね方を考えないといけない。それはともかく、起きたときは別に熱っぽくはないのだが、起きて暫くすると顔が火照ったような感じになるのだが、朝食後に検温して見ると昨日も今日も35.8℃であった。花粉に反応し始めて火照ったような感じになるのだろうか?
 コロナウィルスは、当初、インフルエンザみたいなもので、罹患しても大したことない人も多いし、悪化したら死ぬと云って、インフルエンザでも毎年何万人も死んどる、と云うので、そんなものかと思っていたのだが、日本人の何割かは罹患することになる、と云う予想もあって、それならもう罹患せずに済ませるのは難しいかも知れないな、とも思っていたのである。罹って軽く済ませて抗体を身に付けた方が良いのじゃないか知らん、と。
 ところが、ここに来て、罹ったら危ない、と云った風潮になって来た。重症化するかどうか分からないし、火蟻じゃないが「死ぬこともあんで死ぬことも」なのである。そうじゃなくても、3月8日付「図書館派の生活(3)」の最後に構想だけ述べた小説のように、今の日本だと(いや海外ではどうなのだか知らないが)罹った奴が悪い、みたいなことにされそうである。外出禁止になってしまえばそもそも誰も出勤出来ないのだから問題にならない(?)が、外出自粛要請レベルだと出勤出来なくなって、かつ発症前の濃厚接触が問題になるから、同僚たちも出勤出来なくなる。或いは、無症状の同僚がいて、そいつから伝染されたのだとしても、結局最初に発症を訴えた人間が悪者にされるのである。
 それなのに、抵抗力を保持し続けないといけないのに、身体がなまってきた。しかし、春は花粉のせいでどうしても外出を控えてしまう。そして、花粉の時期が終わっても、何だか体調の優れないまま夏になって、何年か前なら炎天下を歩いたものだったが、今は暑過ぎる上に、眼科の心配をしないといけないので、それも難しい。かつ、以前から汗っかきだったと思うのだが、最近、それが甚だしくなって、冬も着込んで歩くと電車の中で汗が止まらない。更年期なのかも知れない。家で運動すれば良いのだが、冷房を掛けていても物凄い量の汗が出て、全部着替えないといけなくなるので、それも面倒である。洗濯代を節約しようなどと思わずに、毎日少量でも洗ってしまえば良いのだけれども。
 こうして、以前からの私の体力維持の手段が限られる(?)中、図書館通いが頼みの綱だった(!)のだが、それすらも奪われようとしている。
 そこで、3月30日付「図書館派の生活(5)」にも書いたが今週、都内の図書館2館の返却期限が来るので、その機会を捉えて自転車の遠乗りをすることにした。花粉は「多い」という予想だったから、かなりダメージを受けるはずだが、暫く電車に乗らずにいるうちに、今、電車に乗って罹っては元も子もないと、ちょっと千両蜜柑のような大袈裟な発想のような気もするのだけれども、そんな気持ちになって、第一には運動も兼ねて、今日の昼前に出発するつもりであったが、返す本の確認とルートの確認、それから洗濯をしているうちに何のかのと掛かって結局昼過ぎに、出発したのであった。(以下続稿)

*1:実際、私が撒き始めるまでは毎年枯れて、その度に新しい苗を植えては、枯らしていた。私が撒くようになってからは新しい苗の補充はなく、順調に育っている。或いは、出入りの植木屋を儲けさせるためにわざとやっていたのか、と云う気もしている。

赤いマント(226)

・北川幸比古の学年(5)
 谷川俊太郎との関係は「谷川俊太郎 作、北川幸比古 編、中山智介 画」の次の本を見れば分かるでしょうか。
・美しい日本の詩歌⑥『谷川俊太郎詩集 いしっころ』1995年11月10日・定価1,500円・岩崎書店・102頁・B5変

 未見、データは版元HPに拠りました。しかし「ジャンル 対象年齢 > 小学校中学年」とありますから、何らかの記述があったとしても、そこまで詳しい説明ではなさそうです。
 この辺りの資料漁りは、いつか、非日常が日常になりつつある日常が非日常から日常に戻った日に、果たすこととしましょう。
 一旦、この件について切り上げる前に、もう1つ、北川氏本人の記述したところを見て置きましょう。
 2011年1月22日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(07)」に紹介した松谷みよ子『現代民話考 Ⅴ あの世へ行った話・死の話・生まれかわり』の、157~422頁「第二章 死の話」337頁5行め~359頁1行め「八、死んだあと姿を見せる」は、337頁6行め~359頁1行め「死んだあと姿を見せる」の1項のみ。 文庫版の書影は2016年10月21日付「七人坊主(52)現代民話考」に貼付しました。文庫版は今手許にないので、頁等は後日(これもいつになるか)追記することとします。
 単行本には33話収録されているが、その14番め、345頁15行め~346頁11行め(2行めからは1字下げだが詰めた)、

○東京都中野区。昭和二十五年の夏のこと。豊多摩高校で同学生であった僕と安西君とは、同じ/東中野に住んでいたが、僕は住吉町、彼は踏み切りの向う、クラスも違い、僕は文科系彼は理/科系志望であまり親しい友達ではなかった。しかし、たまには電車の中で一緒だったり、学校/【345】で顔を合せたりしら。いつも身体の具合が悪そうに、青白いさえない顔色だった。多分結核だ/ったのでは。七月のある夕方、新宿駅総武線のホームで彼に逢った。相かわらずさえない顔/色だったけど特別、常と変ってはいなかった。当時の学生は夏でも黒っぽい服を着ていたが、/彼はそんな学生服らしい物も着ていなかったので、多分、大学受験に失敗したのだろうと思/い、大学のことにはふれず、あまり内容のある話ではなかったが言葉を交わした。夕方の電車/なのでけっこう混んでいる電車に乗り、大久保、東中野で一緒に電車を降りた。ホームの階段/を上って僕は左、彼は右へと別れ、僕は駅の階段を降りながらハッと気付いた。そうだたしか、/彼は死んだとうわさになっていた! すぐに公衆電話にむかい鍛治君(現在映画監督をしている)/に電話をした。「なにいってんだ、あいつは本当に死んでしまったんだよ」。僕はブルブルふる/え背中には冷汗が流れていた。
  回答者・北川幸比古(東京都在住)


 中野区「住吉町」は「東中野駅」の北側、現在の東中野4丁目辺りです。「ホームの階段を上って僕は左、彼は右」と云うのですから、北川氏が利用していたのは西口ではなく東口です。「踏み切りの向う」の踏切は2013年3月3日付「小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(4)」に述べた、駅の東側にあった「桐ヶ谷の踏切」で、現在の中野区東中野1丁目、当時は東側の神田川に近い辺りが川添町、西側の台地上が氷川町でした。
 当時の北川氏の住所については、詩集を中心に取り扱っている古書店「書肆田高」の北川幸比古『詩集 草色の歌』(1951年9月10日印刷・1951年10月1日發行・北川幸比古・¥.200)の「商品詳細を見る」と、奥付に「東京都中野區住吉町17」とあります。同じ町内に、やや遅れて住吉書店という版元が活動していたことには、2011年3月28日付「平山蘆江『東京おぼえ帳』(3)」及び2011年3月31日付「平山蘆江『東京おぼえ帳』(4)」に述べたことがありました。
 それはともかく、昭和25年(1950)7月に学生らしくない服装をしている友人を「大学受験に失敗したのだろう」との記述から、北川氏も谷川俊太郎と同じ昭和25年豊多摩高校卒業であることはほぼ確実と思います(記憶違いの可能性が皆無とは云えないが、小学校在学時期よりは確実なはず)。そして「鍛君(現在映画監督をしている)」は鍛昇(1931.8.16生)でしょう。「協同組合日本映画監督協会」HP会員名鑑「鍛冶昇」項に拠ると、出身は「三重県」で「54慶応義塾大学仏文科卒。日活撮影所に入り、主に滝沢英輔市川崑斎藤武市の助監督をつとめる。‥‥」とあります。昭和25年に慶應義塾大学に入学して4年在学して昭和29年(1954)卒業で勘定が合います。
 「日活作品データベース」で検索すると昭和33年(1958)から昭和44年(1969)まで39作品がヒットしますが、脚本や助監督として参加している作品が多く、監督作品のうちDVD化されているのは次の1作のみです。

青春の鐘 [DVD]

青春の鐘 [DVD]

  • 発売日: 2007/05/03
  • メディア: DVD
青春の鐘[レンタル落ち] [DVD]

青春の鐘[レンタル落ち] [DVD]

  • 発売日: 2008/04/18
  • メディア: DVD
 以後はTVドラマの監督を務めていたようです。
独身のスキャット DVD-BOX

独身のスキャット DVD-BOX

  • 発売日: 2013/03/21
  • メディア: DVD
 特撮ヒーロー物にも参加しています。
帰ってきたウルトラマン(7) [VHS]

帰ってきたウルトラマン(7) [VHS]

  • 発売日: 1990/07/01
  • メディア: VHS
帰ってきたウルトラマン 5 [VHS]

帰ってきたウルトラマン 5 [VHS]

  • 発売日: 1995/08/25
  • メディア: VHS
帰ってきたウルトラマン 全13巻セット [DVD]

帰ってきたウルトラマン 全13巻セット [DVD]

  • 発売日: 2004/01/23
  • メディア: DVD
帰ってきたウルトラマン Blu-ray BOX

帰ってきたウルトラマン Blu-ray BOX

  • 発売日: 2015/11/26
  • メディア: Blu-ray
 そして鍛冶氏も、谷川氏と同じ昭和6年度生なのです。(以下続稿)

赤いマント(225)

・北川幸比古の学年(4)
 昨日の続き。
 Wikipedia「北川幸比古」項の、北川氏が「谷川俊太郎とは高校の同級生で」の根拠となったのは、「図書新聞」No.3033(2011年10月08日)掲載の内堀弘の連載「古書肆の眼」の「的場書房のこと――たった二年間の活動ながら、戦後詩歌出版の出発点の一角を担った」ですが、それ以上の情報はありません。
 この文章は、或いは、この本に収録されているかも知れません。

古本の時間

古本の時間

  • 作者:内堀弘
  • 発売日: 2013/09/03
  • メディア: 単行本
 さて、書き出しは、

某月某日。私は小さな出版社が好きで(特にいつのまにか消えてしまったようなのが)、そんなことお客さんに話したら、詩集『桜色の歌』(2004年)をいただいた。著者の北川幸比古は、昭和三十年代に的場書房という小さな(たった一人の)出版社をやっていたことがある。

となっていて、以下、専ら的場書房の刊行した寺山修司(1935.12.10~1983.5.4)の詩集や歌集を巡る回想になっています。

空には本 (1958年)

空には本 (1958年)

 私は寺山氏の著作に親しむ機を逸したので、その辺りには余り興味が湧かないのですが、

 詩集『桜色の歌』には北川の略年譜が載っていて、これを見ると的場書房の活動は昭和三十年代のたった二年間だけだ。その後は児童文学者として着実な地歩を築いている。いや、児童文学者が若い頃に少しだけ出版社をやっていたのだ。

との記述が注目されます。この略年譜を参照すれば、在学期間なども明らかに出来ることでしょう。
 しかしながら『桜色の歌』は国立国会図書館サーチや日本の古本屋で検索してもヒットしません。日本近代文学館神奈川近代文学館にも所蔵がありません。それこそ、北川氏と個人的に関係があった人に直接お願いするしか、閲覧の方法がなさそうです。
 そんな訳で、北川幸比古『桜色の歌』で検索しても全くと云って良いくらいヒットしないのですが、そんな中で「公共空間X」に2018年1月19日に公開された、寺山修司に師事した詩人・童話作家森忠明(1948.5.11生)の「さようならサッちゃん」が、内堀氏以上に重要な内容を含んでいました。

 生活力はともかく生命力は弱くねえぞ、と威張りたいものの、2/005年、ことしの私は気弱かった。原因は、尊敬していた哲学/【上】者・串田孫一氏と傑作童謡『サッちゃん』の作詞者・阪田寛夫氏が/亡くなったことにある。四十年近く理想と崇めてきた人物の死は残/念でならない。

と、まづ阪田寛夫(1925.10.18~2005.3.22)について回想し、それから、

 もう一人のサッちゃん、詩人の北川幸比/古*1氏が七十四歳で永眠されたのは昨年のク/リスマス。氏は十八歳の時、級友の谷川俊/太郎氏と詩誌を主宰。編集者としては寺山/修司の第一歌集『空には本』や稲垣足穂氏/の豪華版『ヰタ・マキニカリス』など、多くの名作を世に広め、出/版社主としては『森忠明ハイティーン詩集』を作って下さった。中/央図書館の斉藤誠一氏に拙詩集が選定されると、北川氏は病身を押/して阿佐谷から納品に来られた。不慕栄利に徹した御生涯だったと/思う。
 絶筆の詩「桜色の歌」には〈生活の為の貧乏暮らしを恥申さず〉/という一行がある。

と北川氏について述べて締め括っています。

 この文章の後に「この記事は「タチカワ誰故草」(『えくてびあん』平成15年8月号より平成18年7月号まで連載)から著者の許諾を得て掲載するものです。」と添えてあるのですが、森氏が立川市出身(在住?)であるところからして、この「中央図書館」は立川市立中央図書館でしょう。
 『タチカワ誰故草』は1冊に纏められています。しかしながら、23区内の図書館では国立国会図書館と東京都立中央図書館、それから多摩地区の図書館に若干所蔵されている程度で、立川市の図書館なら多数所蔵されていて開架で閲覧出来ますが、明日から全てのサービスを休止した臨時休館を発表していて、原本を手にする機会はしばらく得られそうにありません。
タチカワ誰故草

タチカワ誰故草

  • 作者:森 忠明
  • 発売日: 2007/06/01
  • メディア: 単行本
 ただ、幸いなことに掲載誌の、「立川と語ろう 立川に生きよう」と云うコンセプトのタウン誌「えくてびあん」は昭和59年(1984)8月創刊で現在も刊行中、版元の「えくてびあん編集工房」改め「えくてびあん」が運営するサイト「立川を楽しもう 多摩てばこネット」にて、創刊号から PDF で閲覧することが出来るのです。そこで「二〇〇五年、ことしの」をヒントに串田孫一(1915.11.12~2005.7.8)歿後の号を見て行くと「えくてびあん」12月号(第24巻 通巻253号・平成17年12月1日発行・えくてびあん編集工房・7頁)の7頁に「タチカワ誰故草㉙」*2として「さようならサッちゃん」が出ておりました。上記引用(上段24行め~下段3行め、13~24行め)はこの初出に従って改め、改行位置を示しました。
 さて、立川市図書館の OPAC で検索すると、文中の『森忠明ハイティーン詩集』は平成14年(2002)2月に「書肆楽々」から刊行されています。内堀氏は触れていませんが、北川氏は晩年、平成13年(2001)から平成16年(2004)に掛けて「書肆楽々」の「出版社主」として活動していたようです。さらに注目すべきは「七十四歳で永眠されたのは昨年のクリスマス」との記述です。図書館 OPACAmazon の検索結果から、北川氏の活発な著述活動が平成16年(2004)で途切れていることは分かっていましたが、Wikipedia「北川幸比古」項でも生年月日しか入っておらず、生存者扱いになっています。しかしながらこの森氏の記述によって、北川氏が平成16年(2004)12月25日に74歳で歿したことが明らかとなりました。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 全世帯に布マスク2枚配布って‥‥。消費税を一時的に全廃した方が簡単だろう。無駄遣いも良いところだ。
 こんな国に来年オリンピックが出来るのかね?

*1:ルビ「きたがわさちひ/こ」。

*2:ルビ「たれゆえぐさ」。

赤いマント(224)

・北川幸比古の学年(3)
 3月4日付(223)の続き。
 私は北川氏の生年月日、昭和5年(1930)10月10日と、2013年10月24日付(003)以来度々指摘して来た赤マント流言の時期、すなわち昭和14年(1939)2月と、2月21日付(222)に引いた松谷みよ子『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉の「子どもたちの銃後」に見える北川氏の談話にドーリットル空襲を「国民学校六年生(昭和十七年)」としているところから、北川氏は学齢に達した昭和12年(1937)4月に東京市大久保尋常高等小学校に入学(昭和13年4月に高等科を廃止して東京市大久保尋常小学校に、昭和16年4月に東京市大久保国民学校に改称)、昭和18年(1943)3月に卒業していると考えました。
 しかし、小学校はそれで良いとして、その後の経歴を見ると、どうも齟齬するようなのです。
 尤も、2013年10月24日付(003)、そして2月21日付(222)及び3月4日付(223)に否定した1~2学年上であるような記述の方が、実は正しかった、と云う、これまでの私の見当を覆すような齟齬の仕方ではありません。そうではなく、どうも、1学年下に、旧制中学及び新制高校以降は、在籍していたらしく思われるのです。
 すなわち、Wikipedia「北川幸比古」項に、「現在の東京都立豊多摩高等学校[1]に通い、谷川俊太郎とは同級であった[2]。」とあるのですが、谷川俊太郎(1931.12.15生)は1歳下です。谷川氏も学制改革を経て旧制中学に入学して新制高校を卒業していますが、それは、マガジンハウスHPの「BRUTUS」のページの Special Contents「15人のレジェンド年表。」抜萃、「LEGEND 2 谷川俊太郎」の冒頭に、

詩人
1931年、東京都杉並区生まれ。

――――――――
1945 (終戦。)
1948 高校在学中に、詩の創作や発表を始める。
1950 高校卒業。文芸誌『文學界』に「ネロ他五篇」が掲載され、詩人としてデビュー。
1952 初の詩集『二十億光年の孤独』を刊行。以降、詩と並行して作詞や脚本、エッセイの執筆、評論活動を始める。

とあって昭和25年(1950)3月卒業、昭和19年(1944)4月入学、途中で学制改革があって結局6年在籍して卒業、と云うのは勘定が合います。
 しかしながら、Wikipedia谷川俊太郎」項には特に断っていないのですが、Wikipedia「東京都立豊多摩高等学校」項などに拠ると谷川氏は「定時制出身」とのことで、或いは北川氏も、休学など何らかの事情で1年原級留置(留年)になり、定時制に移って同じく定時制に転じた谷川氏と同級になったのでしょうか*1。――普通、定時制は4年制だが、学生改革期や全日制からの転校者がどのような扱いになったのか、その辺りは結局、谷川氏や北川氏の個人的な閲歴をもう少し詳しく述べたものを見るしかなさそうですが、目下、そう云った調べ物をする余裕がありません。(以下続稿)

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 昨日・今日、朝、目が覚めると肩が出ていた。毎年、春は蒲団が暑くて知らぬ間にまくってしまい、それで肩を出して風邪を引く、と云うパターンで来ていたので、数年前から肩当てを着て寝ていたのだが、最近、調子が良いのでうっかりしていた。
 いや、良くはない。花粉症で左の鼻腔は半分が瘡蓋で、仰向けに寝ると鼾をかくので最近、横を向いて寝ることにしていた。
 肩当てをしなくなったのは、敷布団と掛布団をタオルケットで巻いて、まくれないようにしたら上手く行ったからだった。しかし横を向いて寝るとどうしてもタオルケットが外れてしまう。これまでは寒かったからタオルケットが外れても蒲団をまくらなかったが、本当にうっかりしていた。
 今日は曇っているので、少々の外出にはマスクをせずに出たのだが、どうも具合が悪い。
 いや、どうも胸郭に変な圧迫感があるような気がする。ここしばらく横を向いて寝ているせいかも知れない。いや、毎年花粉症のせいでこんな風だったかも知れない。コロナウィルス? かも知れないが、もう20日以上こんな按配で、咳も出ないし熱も、先日胃カメラの際に熱っぽいような気がしていたのだが 36.3℃だったから、関係ないらしい。
 しかし、しばらく放置していた Twitter で、ここのところ鈴木則文監督映画『ドカベン』について Tweet していたのだが、その撮影をしていた東映東京撮影所で感染者が出たために封鎖されたと云う。TVはもう再放送を流し続ければ良いのではないか。現在撮影中のドラマは適当なところで切り上げるべきかも知れない。その代わりに、25年振りに「文學ト云フ事」でも流してもらえないだろうか。

*1:それともこの「同級」は「同じ学級」の意味ではなく「同学年」と云うことでしょうか。それなら北川氏を定時制の生徒と考えなくて良くなります。

図書館派の生活(5)

 今週、都内の図書館の返却期限が来るのだが、これはもう、守らなくても良かろうか。
 館によっては来月中旬まで完全休館してしまうところも出て来た。
 先刻、今日の東京都の感染者数が減った、と受け取られそうなニュースが出たが、実は日曜日に都ではPCR検査をしていないだけらしい。それなのにこれで安心して、みんなの外出自粛、手洗い励行の効果が出たと感激して tweet してしまう医者(?)がいて、それが多数 Retweet されたり、♡されたりしている。――これは駄目かも分からんね。
 しかしそもそも、どうして数字の根拠をしっかり報道しないのだろうか*1。どの範囲で、これまでのデータと条件が同じなのか、違いがあればそれはどこなのか、そこのところを詰めていないデータは参考程度にしか使えない。いや、参考にもならない、気休めに過ぎないだろう。内陸の地震に「津波の恐れはない」と言うのと同じくらい、謎である。
 夕方、家賃を払いに銀行に寄ったら、これまでは「明日お取り扱いします」と表示されて手数料0円だったのが、今日お取引実行しようとして良く見ると「手数料220円」と出ている。慌ててやり直すと、これまでと違って「一部のお取引については明日お取り扱いします」との表示になっていて、さて決済の画面に進もうとすると「このお取引は本日お取り扱いします」と出やがった。余計なことするんじゃねえ。平日の開店時間内に来ないといけないじゃないか。ネットで入金したら手数料要らないのか。まぁこれまでずっと開店時間内に来られなくもない勤務だったから払いに来ていたのだけれども。

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 全世界で15億人の児童・生徒が登校を控えていると云うのに、最近漸く緊張感が高まって来た日本では再開させるらしい。
 急に独断で決めたのと、企業の休業とセットでなかったためにかなり批判を浴びた全国一斉休校だが、こうなって見るとかなり効果があったと見るべきなのではないか。残念ながら政府がPCR検査を相変わらず渋っているために、具体的な根拠を示すことが出来ないのだけれども。
 しかし、それ以外の対策はまるで駄目である。Korea が始めたドライブスルー検査を頑なに導入しない。若者は重症化しないと云う説(そりゃ老人に比べれば重症化しない確率が高いに決まっている)を垂れ流し、新学期から学校再開の方針を示して、オリンピック延期決定前の3連休に大幅な気の緩みを招いた。
 しかし、この再開決定によって全国一斉休校も熟慮の末の決断でも何でもなかったことを自ら暴露してしまった訳だが、児童・生徒の行動を抑制して得られた猶予の間、病床の増設や人工呼吸器の増産と云った手をまるで打って来なかったらしいのである。相変わらずマスクも買えない、アルコール消毒液も買えない、ガーゼすらない。それなのにマスコミも政府に追随して、オリンピック延期の影響がどうたらと云い続けている。そんなにオリンピック特需に与りたいのか。本気でオリンピックや IR や辺野古埋立やイージスアショア導入や憲法改正(正?)をやろうと思っているのだろうか。ただでさえ金、ないんだろう? これが良い口実になるんだからこの際、無駄なことは止しなさい。
 それはともかくとして、話を学校再開に戻そう。本当に再開出来ると思っているのか。――三つの密がいけない、と言っているが、教室なんて三密そのものである。学校によっては1クラスの人数が多過ぎて、周囲と1mの間隔を空けることも難しい。公立小中学校は徒歩だから良い。私立小中学校や高校・大学の電車・バス通学はどうなる。テレワーク推進で2月ほど混まないかも知れないが、通学時間中は相当混雑するだろう。
 少数ながら基礎疾患を持った生徒もいる。少しでも体調が悪ければ休むように指導するとして、授業は成り立つのだろうか。それよりも教員は安全なのか。若者が重症化しなくても、無症状の生徒から感染した教員が授業が出来なくなったら、どうするのだ。そもそも教員は少し体調が悪いくらいで休めるのか。いや、教員に感染の疑いが出たらどうする? 陽性になったら、もちろん学級閉鎖・学校閉鎖することになる。生徒が複数陽性になったら、どうする? インフルエンザどころでない期間、出席停止になる。一斉授業は成り立つのか。教員が重症化したら? その間に代わりの常勤講師・非常勤講師を探す? コロナウィルスの代替に手を挙げる猛者がいるのか。インフルエンザのように、稀に死に至る場合もあるが、殆どが後遺症もなく完治する病気なら良い。コロナウィルスはどのような影響が残るか、まだ分からないのだ。

 そういえば、先週終わってしまった連続テレビ小説「スカーレット」第22週「いとおしい時間」の3月7日(土)放映第132回にて、主人公の川原喜美子(戸田恵梨香)が親友の熊谷照子(大島優子)に、

「なんでなん? なんで武志が! なんか悪いことしたか? してへんで! なんも悪いことしてへん、ほやのになんで武志が……。あの子ええ子やで、ほんまええ子やで。ほやのになんで……なんで武志が……なんで……。なんもしてへん、なんも悪いことしてへんのやで。そやのに、そやのになん……なんでや……(啜り泣き)」

と泣きながら訴える場面があって、名演技ではあったが私は、病気になるのは行いが悪いからだ、と云う因果応報説に基づいていることにげんなりしたのである。同じ発想が所謂自己責任論の素地になっているので、コロナウィルスでもこのような、罹患した者が悪い、と云った発想に容易に結び付いてくるのではないか。いや、ドラマの中の時間は昭和58年(1983)だから仕方がないが、この発想が日本人には、未だ深く根付いていて、むしろ強まっているような気さえするのである。
 このまま再開したら、誰が伝染させたのか、と云った話になって、そこに自己責任、不注意と云った色付けがなされてしまう。教室で感染爆発が起こって誰かが死んだら、消すことの出来ない傷跡を残すことになるだろう。再開を判断した側は責任を感じない、巻き込まれた方が傷付くのだ。
 いっそこの際、学校年度を9月に戻したらどうか、と云う意見を目にした。いや、戦時中、昭和19年(1944)から20年夏に掛けて、殆ど勉強させなかった時期もあるのだ。1年くらい学校を休んだってどうってことないだろう。この際、大学浪人以外は完全横並びの入学・卒業・就職をもっと自由にしても良いのではないか。和歌山県など囲い込みに成功して、感染爆発しなかった地域は4月から新学期を開始すれば良い。政府とオリンピックのせいで感染爆発した地域にお付き合いする義理はないのだから。しかし大都市圏はもう今年度は休止した方が良いだろう。
 と、この期に及んで、五輪開会式7月23日で調整、との速報が出た。何度でも言う。早く中止にしてくれ。中止にせずに今後、延々と無駄な調整に時間と資金を費やさないでくれ。‥‥仮に終熄して開催出来たとして、ここまで隠蔽と無策を重ね、この他にも諸々の悪行のある上に、自分がコロナウィルスに打ち克ったような顔をして開会を宣言するのであろうか。今から悪夢を見るようだ。

*1:夜のニュース番組では13人の根拠にも触れていた。その前に都知事の「不要不急の記者会見」があった訳だが。

飯盒池(9)

 今回は飯盒池には触れませんけれども、前回の続きとして。
 『現代民話考Ⅱ 軍隊』冒頭の「軍隊考」で、松谷みよ子の民話観の特徴が窺われる記述を、もう1箇所抜いて置きましょう。――佐々木喜善『聴耳草紙』に載る、源平の戦や大坂の陣にまつわる話*1を紹介して、単行本23頁1~6行め・文庫版27頁1~7行め、

 軍隊や戦争が民話になるのですかという人たち、また、戦争を民話にしてはいけない|という人た/ちもいる。しかし、遠いはるかな昔、源平の戦の鍋の話や柿の木の話が、そ|して土喰婆の話が民話/とは何ぞや等と考えたこともない村人の間で語り、残されている。|人間とはそういうものだと思/う。ただ、源平の頃からの、ささやかな戦争の民話を大切|に語り継いできたのは人間の生をいとお/しむ愛があればこそ、出来たことだった。今、|私たちが十五年戦争を語り継ぐだけの愛があるかど/うか、そこが問われるところではあ|るまいか。

と訴えるのです。つまり、人間に生をいとおしむ愛があれば、今は民話かどうか疑問に思う人が少なからず存在する、十五年戦争満洲事変+支那事変+太平洋戦争)の話も、将来必ず民話になるので、問われているのは私たちの意識なのだ、と云う訳です。
 しかし、現実にはどうでしょうか。戦争は映画やドラマの主題以上の意味を持っているでしょうか。或いは今、コロナウィルスによる抑圧生活が1年続けばまた違った形で戦争めいたものを自分のこととして身に堪えて感じることが出来るかも知れません。後は、もう、3月26日付(6)の最後に追記した、NHKスペシャル映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た』の映像をカラーにして、自分たちの肉体と見比べながら、白黒映像では感じづらかった現実感を拷問のように味わわされるくらいしか、方法がないように思うのです。――山端庸介(1917.8.6~1966.4.18)の昭和20年(1945)8月10日撮影の長崎の写真を、私は冷静に見ることが出来ますが、これに同行していた山田栄二(1912.6.4~1985.7.5)のスケッチのように色が付いていたら、まともに見られないでしょう。カラーに慣れた私たちには、第二次世界大戦の映像が、白黒であることでどこか現実味に欠ける、過去のことのように感じられてしまうように思うのです。そして今、映像の世界でカラーで死体を見ることは、ほぼありません*2。全てモザイクが懸かりますし、そもそも撮影されない。シリア内戦もそのために、やはり身に迫って来ない。たまにSNSに挙げてしまう個人がいますけれども。
 文字の使用が限られていた時代に、口伝えによって過去の事実を伝えるしかなかった民衆と、私たちとでは、風化の進み具合がどうしても違って来ると思うのです。
 ではどうするか、妙案はありません。その点で、松谷氏が、自分が聞きかじった僅かな話例を拡大解釈して恣意的な民話論を展開するのではなく、これだけの材料を実際に集めたところ、――実践を伴ってこのような形で纏め上げたことは、大いに評価するべきでしょう。とにかく纏まった形になっておれば、私たちに愛が不足していても今後、参照され、活用される機会は幾らでも得られます。もちろん、様々な留意点がありますが、そう云ったところを割り引いて、後は私たちが如何に活用するか、に懸かっている訳です。
 ただ、私としては『現代民話考Ⅱ 軍隊』に載る話の大半は体験談として参照されるべきもので『聴耳草紙』に載るような民話にはならないと思います。それから、これは繰り返し述べて来たことですが、『現代民話考』全体の取り纏め方に大いに不満があります。すなわち、1人の人物の体験が、分類案に沿って分割されていることで、元の報告ではどの順番であったのか、話者・回答者の素姓についても、もう少々詳しいところが知りたいのです。回想の類いには記憶違いが付き物で、疑問点を究明するには、いつ頃の、どのような人物による報告なのか、そう云ったことが必要になって来るからです。年齢と学年の齟齬にしてもそうです。そのような情報が薄く、かつ、誤りも多い。ですから、もし報告の原文が残っているのであれば、そのまま出版することなど出来ないでしょうけど、せめて閲覧可能にしていただきたいのです。いえ、多数の報告をしている回答者に関しては、その原文を新編『現代民話 資料』として纏めてもらえると有難いのです。贅沢な望みでありますが、このままではちょっと使いにくいし、十分に背景を踏まえないまま恣意的に利用してしまうケースがこれからも後を絶たないことでしょう。
 飯盒池に直接関わらない雑談が続いたところで一旦切り上げましょう。最後に、私が知っていたもう1つの類話について述べるべきですか、これは遠からず投稿するつもりの、続稿にて述べることとします。(以下続稿)

*1:4月3日追記】前者は「一二六番 ワセトチの話」の「平家の高鍋(その二)」と「ならずの柿(その三)」、後者は「一二七番 土喰婆」。ちくま学芸文庫『聴耳草紙』(二〇一〇年五月十日 第一刷発行・定価1300円・552頁)では前者は399頁5行め~400頁のうち、(その二)399頁10行め~400頁1行め(その三)2~5行め。後者は401頁1~10行め。

*2:以前、明治・大正・昭和の戦前から昭和20年代くらいまでの事件・事故で、そういうものを撮した写真がネット上にも散見されましたが、現在、殆どヒットしなくなりました。図書館にあったそういう写真を配慮なしに載せていた本も、開架には見当たらなくなっています。当然の配慮ではありますが、つい20~30年前と現在とで、同じ事件を眺める際に、土台となる部分で大きな違いがあることに注意して置くべきでしょう。【追記】こういったことについては、2014年9月28日付「浅間山の昭和22年噴火(1)」に述べたことがあった。

飯盒池(8)

 昨日の続き。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 松谷みよ子の「民話」は民間伝承説話の意味ではありません。
 この点を扱った論考も既に存在しているはずですが、探しに出る訳に行かぬので手許にある材料から、仮に私見を述べて置きましょう。
 松谷氏の民話観を窺うには、次の本が恐らく最良のテキストと云うことになりましょう。
講談社現代新書370『民話の世界』 昭和四九年一〇月二八日第一刷発行・定価=350円・講談社・209頁

・昭和六一年三月二〇日第一四刷発行・定価四八〇円
 この本は何度も再刊されていますので、本全体については諸本の検討の際に述べることにして、ここでは121~201頁「第三部―ふたたび山を越えて 私もあなたも語り手であること」の、122~131頁「1――民衆が語ればすべて民話なのか」の1節め、122頁2行め~125頁「土の人形」を見て置きましょう。冒頭、122頁3~4行め、

 しかし、民衆が語り伝えてきたから、それが民話だとは単純にいい切れないということを、/私は数年前、頰を打たれるような厳しさで思い知らされたことがある。

として、被差別部落の由来として、高僧の土木工事を手伝った土の人形の子孫だと云う伝説を聞かされたときの衝撃を述べ、そして、125頁7~16行め、

‥‥けれども現/に、今、支配者でも何でもないごく普通の人が、あそこには土人形の子孫がすんでいるのです/と声をひそめて語り継いでいるならば、これはいったいどういうことなのか。この話もまた、/民話の中に繰り込まれてよいものなのだろうか。そんなことはあってよいはずがない。
 もし、私たちが民話という言葉をもって、もう一度考えようとするならば、ただいい伝えら/れたものをそのまま次の世代に渡していくのではなく、必然的に、そこには視点が必要となっ/てくるのではなかろうか。民衆が同じ民衆を差別する話、それをも民話に含めてはいけないの/ではないだろうか。差別された側の民衆が差別をはねのけていく、その視点こそが民話の本来/の姿なのではないだろうか。
 私はこの時の激しい心の痛みを忘れることができない。

と締め括っている。松谷氏にとって民話とは民衆に寄り添い、民衆を慰め、民衆を励ます存在でないといけないので、土人形の子孫が被差別部落だ、という民話はあってはならないことになるのです。
 要するに「あるべき姿」を設定して、そこに収まるものを良しとし、そこから外れるものは何らかの抑圧の結果捻じ曲げられたものだとする左翼史観な訳です。いえ、良しとするだけではありません。民俗学者の報告を書き直し(書き換え)て「あるべき姿」にしてしまうこともしばしばです。
 私は、もちろん差別には与しませんが、そういう現実のあったことは記憶して置かないと、世の中は大昔から綺麗事だけで成り立っていたことになってしまう、と危惧するので、松谷氏の、こういった事実を抹殺しようとするかのような態度には同意し兼ねます。
 かつ、ローマ人が分割して支配したように、虐げられた民衆が連帯出来るとは私には思えないのです。弱い者がより弱い者を抑圧する。それは支配者が仕向けたものかも知れませんが、支配者に矛先を向けずに身近な、より弱い相手に当たる。それは、前回引いた「軍隊考」の、日本軍内部の「いびり、しごき」と同じではないでしょうか。
 ハンゴー池の話は、『現代民話考』の本文は簡略でしたけれどもそれは「軍隊考」に思い入れたっぷりに述べていたからで、そこでは軍隊生活の中で理不尽に抑圧された民衆の鬱屈が、数々の日本軍の残虐行為の根っこにある、と(少々曖昧な書き方ではありますが)主張しております。この点、小谷野敦ブログ「jun-jun1965の日記」の2011-10-26「何ゆえか井上ひさしを擁護する者あり」の後半の批判のうち「松谷が左翼だから」との部分は当を得ておりましょう*1。松谷氏の「雪女」には(白馬岳の「雪女」の話はそもそも民間伝承ではないのですけれども、松谷氏はそれに気付いていない(?)のでそこは措くとして)特に左翼臭はしないと思いますが、松谷氏は民話が広く民衆のものとなるために必要な措置として、より「あるべき姿」に書き直し(書き換え)てしまうことも、全く厭わない訳です。
 私はかつて蘭学者について3年ばかり調べたことがあって、と云ってもオランダ語がまるで出来ない(!)ので、蘭学者の周辺にいた蘭学かぶれについて調べて漸く論文を1本書いてそのままになっておりますが、その際、蘭学者や、その域に達しない「和蘭陀かぶれ」たちを封建社会に於ける開明派として評価する左翼史家の文章も随分読んだ訳です。しかし、欧米の人権意識や民主主義を模範として、そこに達していない「彼の限界」を指弾する論調に辟易させられたものでした。
 左翼史家は「あるべき姿」に到達していないことを指弾し、そして松谷氏は、民話とそこに現れる民衆を「あるべき姿」に書き換えてしまう。――或いは、『現代民話考』には、松谷氏の民話観・民衆観に合わないと云う理由で弾かれた報告もあるかも知れません。どうなのでしょうか。
 その意味で「再話」とは、誠に以て、魔法のような手段を編み出したと舌を巻かざるを得ませんし、民話の定義を「あるべき姿」の方に設定したことも、書き換える作業をストレスなく、確信を持って行う原動力となったことでしょう。(以下続稿)

*1:この記事は、当ブログで取り上げつつある(なかなか進まないが)遠田勝の研究を取り上げているところから、ここで一度注意して置きたい。

飯盒池(7)

松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(3)
 一昨日からの続き。
 ここで、序説に当たる、単行本13~28頁・文庫版16~32頁「軍隊考」を見て置きましょう。
 松谷みよ子(1926.2.15~2015.2.28)は、下の娘(あけみ)が小学生のとき「戦争の話を聞いてくる宿題を出されたの」と言うのに応えて、「指が痛くなるほど」自分の「体験談を書きとらせたの」だが、娘に不満げに「おなかが空いて、空襲があって、爆弾が落ちて、みんな同じね。それだけなんだもん」と言われて愕然とする。そして「巨大な戦争というもののごく一部を、あたかも群盲が象を撫でるように、小さな私の体験だけを撫でさすっていただけなのだと、はたと気がつ」く。「子どもたちに戦争を語る人が、ともすると」自分「のように、被害者としての戦争を語る層だけに集中していたのではないか、ということに思い及」ぶのである。
 そこで「戦争を語り伝えるということは体験の範囲を越えてでもなされなくてはならないのだ」ということ「にも思い至った」松谷氏は「「現代の民話」として、証言としての戦争を集めること」を思い付き、単行本14頁8~16行め・文庫版17頁10行め~18頁2行め、

 勇を鼓してとりかかったのが、一九八二年の春であった。戦史、証言集などは膨大な|量にのぼ/る。そこから頂くことはなるべく避けて、聞書やアンケートによるお便りなど|にしぼった。「民話/の手帖」十一号、十三号にわけて掲載。更に今回再度、聞書やアン|ケートを続け、この一冊をまと/めさせて頂いた。巨大な軍隊、そして戦争の九牛の一毛|どころか、千万牛の一毛にも当らないかも/しれぬ一冊ではあるが、十五年戦争を中心と|した、日本の「軍隊」そして戦争というものの姿かた/ちが、浮かび上ってきたように思|う。
 ここには、非戦闘員であった私の、想像をはるかに絶する世界があった。生死の間を|【17】くぐりぬけ/てきた兵士たち*1の多くは、生き残った痛みと、くぐりぬけてきた地獄のあまり|のむごさに、唇を閉/していた。‥‥


 ここから、松谷氏の云う「民話」が、民間伝承説話の意味ではないことが分かると思うのですけれども、そのことについては既に論じた人もいますし、いづれ当ブログでも取り上げるつもりですから、今回は触れずに置くこととしましょう。
 そして、以下、松谷氏は具体的な話例を挙げながら軍隊そして戦争について述べるのだけれども、単行本17頁16行め・文庫版21頁9行め「日本帝国軍隊の残酷ないびり、しごきの話」を列挙し、その中で「鬱屈した兵のエネルギー」が「敵に向けられるのだと説く人もいる。」として南京虐殺に及ぶのです。そして、単行本18頁11行め~19頁8行め・文庫版22頁6行め~23頁4行め、

 川を埋めつくすほど死体が浮んだという証言は、その上を渡って向う岸へいけるほど、|という表/現になる。また同じ中国の蒙城では二百数十名の捕虜を池のほとりで首を切り、|死体は池に放り込/んだ。ためにこの池は血で真赤となり、以来血の池と呼ばれた……。
 これはまったく、伝説ではないか。
 白根山にはハンゴー池という池があると、かつて聞いたことがある。日本軍の軍律は|厳しく、武/器は勿論のこと飯を炊く飯盒までが天皇陛下のものであり、紛失することは|許されなかった。今回/集めたなかにも、馬を逃がして死を考え、銃をかくされて死を選|んだなどという話がいくつもあ/【18】る。ハンゴー池は飯盒を失くした兵が身を投げたところ|で、以来その池からは雨が降る日など、ハ/ンゴーハンゴーとさけぶ、陰々たる声がする|というのである。これも池にまつわる伝説であるが、/血の池とハンゴー池は何と表裏一|体をなしていることだろう。人間性を無残に破壊されつくした兵/たちは、上官の命令は|朕の命令と思えという軍律のなかでロボットのように虐殺に狩りたてられた/のだろうか。|【22】広い中国のあちこちに、血の池が、血の河が残され、語り継がれているのではないだ/ろ|うか。ヒロシマの銀行の階段に、原爆の閃光が人間の影を焼きつけた話は有名である。|そのよう/に日本軍は多くの残酷な伝説を残してきたに違いない。私たちはそのことを知|らねばならないし、/伝えねばならない。

と、――要するに、ハンゴー池の話は捕虜虐殺の血の池の話と「池」繋がりの「伝説」として、南京大虐殺などの日本軍の蛮行の背景、根っこの部分として位置付けられているのです。ところで「銃を隠されて死を選んだなどという話」については3月26日付(6)にて確認しましたが、3月25日付(5)に見たように、単行本では〔6〕〔7〕〔8〕の3例ありましたが文庫版では〔7〕〔8〕が削除されて〔6〕だけにされてしまいましたから「いくつもある」とするには、少々説得力を欠いてしまっています。
 それはともかく、この記述によって、場所も定かでないハンゴー池の話は、3月24日付(4)【A】にて見当を付けたように、松谷氏が恐らく疎開中に耳にした話で、すなわち本書が典拠(原話)であることがはっきりするのです。(以下続稿)

*1:文庫版「兵士達」。

飯盒池(6)

松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(2)
 昨日の続き。
 それでは、これら備品をなくして自殺した兵士の幽霊が、失くしたものの名を呼ぶと云う怪異談で、どうして彼らが自殺にまで追い詰められてしまったのか、その説明をした辺りの記述を抜いて置きましょう。

〔1〕当時の軍隊では軍服のボタン一つでも “天皇陛下のもの” という軍律があったため飯|ごうを失く/してしまっては後でどのような厳罰を受けるかわからなかった。*1
〔2〕㮶杖は小銃についていて銃身を掃除する兵器|ですから菊の御紋が/ついている。それを失くした。天皇陛下から頂いた物を失くしたと言うんで、*2
〔4〕兵器は畏くも天皇から授か|ったもの、命より大事だ、と教え/られたばかりの兵士は、絶体絶命、*3
〔5〕上官に叱られるのを恐/れて、*4
〔6〕銃は命より大切な兵器でありそ/のま|までは営倉(軍隊の刑務所)へ入れられると心にあった歩哨は‥‥*5
〔8〕銃には菊の紋章がついていて天/皇から給わるものとされていた。ひどい処罰を恐れた兵士は‥‥*6


 既に見たように〔3〕は「そのため」とだけで理由の説明はなく〔9〕も同様です。〔7〕〔4〕〔6〕〔8〕と同じパターンで、晩、歩哨(守衛の任・衛兵勤務)中に眠ってしまったのを巡回にやって来た週番士官(営兵司令・将校)が懲らしめのために持ち去ったことになっています。違いは〔4〕〔6〕〔8〕では、銃もしくは㮶杖の紛失に気付いた兵士が、失くした理由の詮索よりも、とにかく処罰を恐れて自殺したことになっているのだけれども、〔7〕は「あわててその辺りを探すうちに、事情を悟り自殺。*7」と云う流れで、だから「銃を返せ、銃を返せ」と訴える訳です。「銃かえしてくれ」と訴える〔8〕の幽霊もその辺りの事情を察していそうですが、「銃くれ」と言う〔6〕は、死んでもとにかく処罰を恐れる気持ちに圧倒され続けているようです。
 私はこのパターンの話を、2つ知っていました。1つは昭和59年(1984)放映の大河ドラマ山河燃ゆ」です。大まかな話の流れを何となく覚えている程度で、細部は殆ど記憶にないのですが、1点だけ、西田敏行演ずる、主人公天羽賢治(九代目松本幸四郎)の弟の戦友の矢崎滋が、訓練中に薬莢を紛失して夜中1人残されて探し回る場面に、紛失した薬莢を見付けられずに自殺した兵士の幽霊が絡んでいたように記憶するのです。今 Wikipedia山河燃ゆ」項を見るに、6月10日放映の第23回「虹の彼方に」で、簡単な粗筋も載っていますが、私は矢崎滋が薬莢を必死に探し回る場面しか覚えていないのです。

 当時は考えもしなかったけれども、原作である山崎豊子『二つの祖国』で確認して見たいと思います。
 薬莢に関しては1月17日付「森川直司『裏町の唄』(17)」に取り上げた、森川氏のエッセイ「裾野の小鳥」(「投稿 風便り」op.31)及び著書『昭和下町人情風景』に、旧制中学での軍事教練について書いていますが、処罰があるくらいで自殺するまで追い詰められてはおらず、怪異談とも結び付いていません。怪談と無関係の薬莢紛失体験談は、探せば他に幾つか拾えそうなのですが、現在の状況下では雑誌や本を見に行くことが(と云うか、行けても閲覧)出来ません。
 それはともかく、このパターンの話に登場する兵士たちが自殺した理由は、紛失してしまったものが、畏くも天皇陛下から下賜された兵器・備品だから、なのです。
 丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現るが処罰への恐れに加えて「自分だけもう白米は食べられないのかと悲観した」とか「はらへったー」などと付け加えているのは、当時の兵士の精神状態を、現代の感覚で矮小化している、と言わざるを得ないでしょう。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 本当に金と利権が大事なんだな。オリンピックを延期に持ち込むことに注力していて、日本では国民の衛生意識の高さ(マスク・手洗い)で抑え込めている振りを続けていた。こういう場合、表立っては建前を述べても、裏では計画通りに行かなかった場合に備えて置くものだ。ところが、検査態勢の充実とか、病床の増設とか、その他諸々の対策を、この2ヶ月、いや、ここ1ヶ月でも良い。殆ど何も進めていなかったらしい。
 JOC 会長が、延期を訴えたJOC 理事を批判した、と云う「事件」が日本の体質を象徴していよう。どちらが、より正しいか(私は中止が正しいと思っているのでどちらにも与しないが)は、火を見るより明らかだった。――一部には賠償問題が生ずるから会長は自由に発言出来なかった、と云う意見がある。万事「やってます感」の世の中になってしまったようだ。実は分かっていたとか、そんな程度の後出しは要らない。後出しするなら、実は裏でしっかりぽしゃったときの準備もしていた、と云う後出しをして欲しい。
 一昨日、延期が決まったが、政府は延期に持ち込むことに全精力を注いで、コロナウィルス対策は殆どお留守だったらしい。件の JOC 理事と同じで、足並みを乱す行動を抑圧するのである。本当に同調圧力が酷い。そして、その後のドタバタ感がこれまた酷い。本当に何もやっていなかったんだと思う。China で流行ってから、Korea で流行ってから、そして Europe や America で流行ってから、少なからぬ余裕があったにもかかわらず、その対策に学ぶところがあったにもかかわらず、オリンピックに目が眩んで対策が後手後手に回っている。China や Korea に学んだ気配がない。例えば、武漢を封鎖している間、どうやって市民に生活必需品を回していたか、知りたいのに、どこもそれを教えてくれない*8。しかし、お得意の「やってます感」で先手先手と言うと、それで何とかなっているような気にさせられてしまう日本人の、何と多いことか。そして気付いたときにはもう手遅れ、と云う流れになりそうだ。
 TVのニュース番組では、オリンピック延期決定について「全世界が注目する」と報じていた。Europe も America もそれどころではないだろう。そして延期が決定してからは代表未定競技の選考をどうするか、とか、代表内定者の扱いをどうするか、とか、ホストタウンなど、準備して来た人々が残念がっているとか、そんな話題を垂れ流している。同情はするが、何と呑気なのだ。今はもう、そこじゃないだろう。ところが旅行券とか和牛商品券とか、支持母体に幾ら利益を回すか、と云う議論に血道を上げている。これでよく悪夢のような民主党政権などと云えたものだ。
 これから東京でコロナウィルスに罹患して死ぬ人は、オリンピックに殺されるのである。オリンピックをやりたがっている人たちに殺されるのである。命よりも金や利権が大事らしい。それこそ、現代の姥捨山として活用しようと思っているのか、とさえ疑われる。そういう人たちがコロナウィルスに罹患するなら自業自得だが、しかしコロナウィルスはそこを選別してくれない。そして同じようにコロナウィルスに罹患したとして、助かるのはそういう人たちなのである。
 一刻も早く、東京オリンピックは返上して、そのための予算や人的・物的資源をコロナウィルス対策に向けて欲しい。延期でずるずる先延ばしされているうちに、本当に地獄を見ることになりそうだ。(3月26日朝)
3月27日追記】昨年11月30日に、次のDVDを借りて見たところだった(12月26日返却)。
・『NHKスペシャル デジタルリマスター版 映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た 無差別爆撃、ホロコースト、そして 原爆』NSDR-21238

 もちろん、平成7年(1995)7月15日の初回放映時にも見ている。
NHKスペシャル 映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た [DVD]

NHKスペシャル 映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た [DVD]

  • アーティスト:加古隆
  • 発売日: 2000/12/21
  • メディア: DVD
NHKスペシャル 映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た [DVD]

NHKスペシャル 映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た [DVD]

  • アーティスト:加古隆
  • 発売日: 2005/11/25
  • メディア: DVD

*1:単行本341頁10~11行め・文庫版384頁10~11行め。

*2:単行本342頁6~7行め、文庫版385頁7~9行め。

*3:単行本343頁7~8行め、文庫版386頁9~10行め。

*4:単行本343頁13~14行め、文庫版386頁17行め。

*5:単行本344頁6~7行め、文庫版387頁11~12行め。

*6:単行本345頁1~2行め。

*7:単行本344頁12~13行め。

*8:先月職場で私がそんな話題を振ったとき、同僚たちの反応は「そうですねぇ」と云った程度だった。情報操作で呑気に飼い慣らされていたと云わざるを得ない。

飯盒池(5)

松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(1)
 これまで、丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現るの見出しでこの話について述べて来ましたけれども、ここで原話の載る松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』(以下「本書」)をメインにして述べて行くこととしたいと思います。
 この話の背景は、本書に載る類話とともに検討することで見当が付けられると思うからです。
 すなわち、単行本では341~381頁14行め「十、軍隊生活の怪談」、文庫版では384~433頁「十 軍隊生活の怪談」の節、14項に分類されている1項め、単行本341~345頁7行め・文庫版384~387頁14行め「銃を返せ、袴をくれえ*1」に、この話は分類されているのですが、見出しにあるように、自殺した兵士のなくしたものは飯盒に限らず、銃や、㮶杖(さくじょう)、そして袴(こ)です。
 ところで『現代民話考』の単行本と文庫版では、収録される話に増減があることを2011年1月23日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(08)」に指摘しました*2が、この項では単行本には9話載っているのに、文庫版では6話に減っていることが注意されます。――『現代民話考』を使用する際、単行本と文庫版の双方を参照する必要があることには注意して置くべきでしょう。
 次に各話冒頭に示される場所、話が行われていた時期、幽霊が出没する場所と訴える内容、そして話者、回答者、そして収録場所(頁・行)を抜いて置きましょう。3月23日付(3)【A】に触れたような体裁の変更はありますが、本文に改変はありません。また、仮に整理番号を附して置きました。
〔1〕○栃木県宇都宮市。本文。終戦間もない頃 古井戸「は~ん~ご~お~う ……」 回答者・斎藤由美(神奈川県在住)
   単行本341頁3行め~342頁1・3~4行め、文庫版384頁3行め~385頁2・4~5行め
〔2〕○東京都(港区)。昭和十六年。池「さくじょう、さくじょうー」 回答者・矢崎新二(東京都在住)
   単行本342頁5~9行め、文庫版385頁6~10行め
〔3〕○長野県白根山。池「ハンゴーハンゴー」 回答者・松谷みよ子(東京都在住)
   単行本342頁10~13行め、文庫版385頁11~14行め
〔4〕岐阜県*3甲府連隊。昭和十七年 池「㮶杖ーッ、㮶杖ーッ」 回答者・楢島利雄(東京都在住)
   単行本342頁14行め~343頁10行め、文庫版385頁15行め~386頁13行め
〔5〕和歌山県、和歌山歩兵第六十一連隊。昭和十年頃 兵舎の便所で首つり「袴くれ、袴くれ」 話者・古兵殿。回答者・中津芳太郎和歌山県在住)
   単行本343頁11~16行め、文庫版386頁14行め~387頁3行め
〔6〕香川県善通寺工兵隊。昭和四年頃 下り柳で首つり自殺「銃くれ」 回答者・石川重平徳島県在住)
   単行本343頁17行め~344頁9行め、文庫版387頁4~14行め
〔7〕香川県、丸亀か善通寺の兵営。昭和十六年頃 自殺「銃を返せ、銃を返せ」 話者・若いお手伝いさん。回答者・西山令子徳島県在住)
   単行本344頁10~15行め、文庫版なし。
〔8〕○場所不名*4。昭和十七年頃 古池「銃かえしてくれ」 回答者・塚原亮一(東京都在住)
   単行本344頁16行め~345頁4行め、文庫版なし。
〔9〕○場所不明。首つり「㮶杖、㮶杖」 回答者・田代三郎(埼玉県在住)
   単行本345頁5~7行め、文庫版なし。
 この項の見出しの前半は「銃を返せ」と言っている〔7〕そして〔8〕を文庫版は削除したのですから、ここは残した〔6〕に合わせて「銃くれ」に改めるべきでした。いえ、どうして〔7〕〔8〕〔9〕の3話、削除してしまったのでしょうか?
 本書刊行当時、防衛事務次官(1985.6.25~1987.6.23)だった矢崎新二(1931.9.28生)と云う官僚がおり、この人物が〔2〕の「回答」しているとすれば面白いのですけれども、さてどうでしょうか。〔8〕塚原亮一(1920.5.15~1993.4.24)は児童文学者・翻訳家。〔5〕中津芳太郎は歌集の他、本書と同年に『紀州日高地方の民話』を刊行しています。〔6〕石川重平は徳島県郷土史家。〔4〕楢島利雄は日本文学協会に所属していた教育者のようです。
 なくしたものは銃〔6〕〔7〕〔8〕3例、㮶杖〔2〕〔4〕〔9〕3例、飯盒〔1〕〔3〕2例、袴〔5〕1例で、自殺の方法は身投げが5例(池4例・井戸1例)首吊りが3例、不明が1例です。しかし、装備の紛失から直ちに自殺に至ると云う流れと、そのなくしたものを連呼すると云う怪異の内容は共通しています。従って、これらの話は同根の話の variation と見て誤らないでしょう。
 白根山で行軍中であれば、確かに丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現るが想定しているような、厳しい処罰に加えて「空腹」と云う理由も、考えられなくもないかも知れませんが、しかしやはり問題の所在は別のところにある、と云うべきなのです。(以下続稿)

*1:ルビ「こ」。

*2:こういったケースに関する私見2011年1月26日付「「改版」について」に述べた。

*3:文庫版で「山梨県」と訂正。

*4:原文ママ

飯盒池(4)

・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(4)
 昨日、本書147~148頁「三十八 ハンゴウ池 下高井郡」を、原話と思われる松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』に載る話と比較して見ました。
 しかしながら、3月22日付(2)にも注意したように、本書巻末の「参考文献・出典・初出・引用」に『現代民話考』は挙がっていないから、丸山氏は別の文献を参照したことになります。そこで平野威馬雄『日本怪奇物語』ではないか、と見当を付けました。ネットの画像検索でヒットした「目次」を見ると「全国怪奇名所案内」がそれらしく思われます。『現代民話考』程度の分量で、全国の心霊スポットとともに列挙されていたのでしょう。「目次」からは当ブログで取り上げた話や、取り上げるつもりで準備していた話が出ていることが察せられますので、手に入れても良いのですが、目下そちらにかまける余裕もないので、しばらく保留にして置きます。
 可能性としては、まづ、
松谷 → 平野? → 本書
 と云う筋が考えられます。「平野?」のところには他の本、『信州の民話伝説集成 北信編』が入る可能性もあります。もちろん、
原話 ┬→ 松谷
     └→ 平野? → 本書
 と云う筋も引けるでしょう。『現代民話考』は非常に簡略ですが、それは原話を何に拠って知ったかを忘れ、さらに原話にあった細部を忘れてしまったためにこうなったので、本書の出典にはもう少し詳しい、原話由来の描写があったのかも知れません。
 しかしながら、あらゆる可能性を考慮に入れて書いていてはくどくなるばかりので、①と仮定し「平野?」に当たるところでの加筆は殆どなされていなかった、と云う前提で進めたいと思います。
【A】場所の説明
 松谷氏は「長野県白根山」としています。しかしながら、厳密に云うと長野県には「白根山」と云う山はありません。県境近くに、山梨県白根山(白根三山。北岳間ノ岳農鳥岳)と群馬県草津白根山があるばかりです。この辺り、新潟県蓮華温泉が長野県のように云われていることに近いように思われます。
 そのどちらかと云えば、草津白根山の方でしょう。山頂付近に池がたくさんありますし、松谷氏は昭和20年(1945)春から「長野県下高井郡平野村(現・中野市)」に疎開して「一年余りを過ごし、その後二年近くを信州中野町(現・中野市)」で過ごしていました(講談社現代新書370『民話の世界』23頁7行め・33頁3行め)。中野は草津白根山から20kmほど北西で、そんなに離れていません。松谷氏は疎開中、この話を耳にし、記憶の片隅に止めていたけれども、誰から聞いたかは覚えていなかったのでしょう。いえ、白根山という場所も確かな記憶かどうか、分からないのだけれども。
【B】事件
 松谷氏は要点のみ述べていましたが、本書はここを膨らませています。
 前回も注意しましたが、まづ「太平洋戦争時」と時期を指定していること、そして「池の傍で炊事をする」との場面設定です。
 しかし、地図にも出ていないような池ですから、私にはどうしても「他の者たちの眼を盗むようにして、入水」出来るイメージが出来ないのです。もっと大きな池の異称の可能性もありますが、そんな池にはもう名前が付いていて、こんな事件くらいで名称変更するとは思えません。やはり無名の小さな池としか思えず、飯盒紛失に気付いて「他の者たちの眼を盗むようにして」部隊から離れた兵士が、ひっそり身を投げたイメージなのです。
【C】怪異
 しかし、それ以上に本書で気になるのは空腹の強調です。
 確かに「上官に報告」すれば、本書が想定しているように「罵られ、殴られ」、食事抜きと云うことになったことでしょう。その上で本書が自殺の理由として「自分だけもう白米は食べられないのかと悲観した」と説明しているのは、この1回限りのことではなく、この行軍中ずっと飯盒を紛失した罰として「食べられなく」なると云う想定なのでしょうか。そして、すすり泣きとともに聞こえると云う言葉も、松谷氏は「ハンゴーハンゴー」としているのを、本書では「はらへったー、はんごうねえー、はんごう、はんごうねえか――」と、本書の説明では「飯の時間を待たず、‥‥、池に入水し」たのですから、それほど空腹に苛まれたとは思えないのに、死後も飯盒がないせいで空腹に苛まれているような按配に変えているのです。
 このような解釈も、不可能ではないでしょう。しかし、どうしても、理由が軽くなっているような印象を受けるのです。
【D】評言
 どうも、本書では飯盒如きをなくしたくらいで、兵士が自殺に追い込まれることを「とても考えられない」と考えているようです。
 しかし、別に「戦時中」でなくとも、日本軍ではこのような理由での自殺は十分あり得ることと思われていたようで、それは『現代民話考』のこの話が分類されている項目を見ても察せられるのです。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 昨日午前胃カメラの検査を受けて、その麻酔のせいか帰宅後も昼間寝ていたので、今日も案配が悪い。まぁ徐々に戻して行くしかない。
 しかし、今は学生が乗っていないから若干マシだが、これで学生が通学するようになったらどうなるのか。2月末の一斉休校を決断した時期とは様相が違うのである。本当に4月から学校を再開させるのだろうか。状況が改善しているとは思えない。しかし、学校再開の告知が、状況が改善しているような印象を与えて、聖火や桜やK1を見に行った連中が増えたようだ。これこそ風評被害と云うべきだろう。
 その聖火リレーは、中止になったそうだ(速報)。しかし、よくまぁ見に行こうと云う気になれるものだ。――オリンピックの準備はここで全て停止して、出来るだけ早く中止にしてもらいたい。
 いよいよ、以前まとめた資料集などを当ブログにて纏めて取り上げる時機になったように思う。

飯盒池(3)

・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(3)
 一昨日からの続き。
 本書147~148頁「三十八 ハンゴウ池 下高井郡」の原話と思しきものが、松谷みよ子『現代民話考Ⅱ 軍隊』に載っている。但し、巻末の「参考文献・出典・初出・引用」に『現代民話考』は見えないから、直接の典拠ではない。
 この点について、本文を比較しつつ検討して見よう。
【A】場所の説明
・現代民話考『軍隊』単行本342頁10行め、

○長野県白根山白根山にはハンゴウ池という池があるという。‥‥


 文庫版385頁11行め、○が*に変わっている他は同じ。これは3月21日付(1)に引いた本書の前置き(147頁2~6行め)に当たる。
【B】事件
・現代民話考『軍隊』単行本342頁10~11行め・文庫版385頁11~12行め、

‥‥。行軍してきた兵隊の|一人が飯盒/をなくした。そのためこの池に身を投げた。‥‥


 改行位置は単行本を「/」で、文庫版は「|」で示した。なお、2行め以降は1字下げになっているが詰めて示した。
・本書は前置きから1行空けて、147頁7行め~148頁3行め、

 太平洋戦争時、行軍してきた兵隊たちが、その池の傍で炊事することになった。
 するとひとりの兵士が飯盒*1をなくしたことに気づいた。
 まさか上官に報告できるわけはない。それに正直に言ったところで新しいものを与えら【147】れるわけがなかった。罵られ、殴られるのが関の山だ。
 自分だけもう白米は食べられないのかと悲観した兵士は、飯の時間を待たず、他の者た/ちの眼を盗むようにして、池に入水してしまった。

とあって、『現代民話考』には時期を特に示していない(もちろん戦前だが、明治の可能性もある)のに対し「太平洋戦争時」と限定している。いや『現代民話考』には状況の説明が殆どない。それが本書では、この池の近くで炊事をすることになり、その際に飯盒をなくしたことに気付いた、と云う段取りになっている。しかしそれ以上に注意されるのは、自殺の理由が「自分だけもう白米は食べられないのかと悲観した」となっていることである。
【C】怪異
・現代民話考『軍隊』単行本342頁11~12行め・文庫版385頁12~13行め、

‥‥。雨のふるさびしい夜など、|その池からハンゴーハ/ンゴーとすすり泣く声がするという。


 やはりごく簡単である。
・本書148頁4~7行め、

 それ以来、夜になると池のなかから、
「はらへったー、はんごうねえー、はんごう、はんごうねえか――」
 死んだ兵士の、すすり泣きながら呟くような声が聞こえるのだそうだ。
 それからというもの、そこは「ハンゴウ池」と呼ばれるようになったという。


【D】評言
・本書148頁8~11行め、

 このような理由で死を選んでしまうことは、現代の感覚ではとても考えられないが、戦/時中は普通の出来事だったのかもしれない。
 池から聞こえる声よりも、本当に恐ろしいのは、このような時代があったことではない/だろうか。


 『現代民話考』にはこのような論評はなく、次のように情報源が示される。
・現代民話考『軍隊』単行本342頁13行め・文庫版385頁14行め、

  回答者・松谷みよ子(東京都在住)


 松谷氏は誰から聞いたのだろうか。誰かから聞いたのだろうが、いつ、誰から聞いたのかも覚えていないような、しかし次回述べるような類話を読んで、記憶の奥底からこういった要旨ばかりが蘇って来たのであろう。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会会長が「我々は愚かではない」と会見したそうだが、それなら早く中止を決断して下さい。直ちに中止して、浮いた分の予算を直ちに各種対策に充てるべきだ。全国旅行業協会会長の旅行券バラマキ案じゃなくて、もっとまともな対策に。それなら中止しても批判は受けないだろう。中止によって発生する損害の補償の話は、やはり「愚か」に見えるお仲間の IOC なんかと詰める必要があるが、この御時世、より早く決断した方が世界の支持を得られるだろう。各国首脳が現在の状況を第二次世界大戦に引き比べている。当時と同じように中止にして、何ら可笑しくない。それを追い風に、ちゃらに持ち込んでいただきたい。そうすれば、誰も会長のことを「愚か」だなんて、思いません。
 大会そのものの中止も早いうちに決断していただきたいのだが、今日明日中に聖火リレーの中止を決断して下さい。そんなことも出来ずに「愚かではない」と言われてもねぇ。――しかし今日になっても「水際対策」とか言っている首相に、あっさり騙されて何とかなっていると思い込んでいる(思い込みたい)日本人の、何と多いことか。

*1:ルビ「はんごう」。

飯盒池(2)

 昨日の続き。
・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(2)
 私がこの話を知った(と云うか、意識した)のは本書147~148頁「三十八 ハンゴウ池 下高井郡」を読んでからだけれども、2019年9月26日付「青木純二『山の傳説』(02)」で本書に載る話を一通り検討したとき、この話をうっかり「「怪談実話」に分類されるであろう体験談の類」に分類してしまったのでした。
 現役(?)の心霊スポットのように扱ってしまったのだが、――幽霊が出没する廃病院の噂を聞いて、馬鹿な若者たちが夜中に出掛けて幽霊を目撃し、さらに酷い目に遭う、と云った心霊スポットにありがちな「怪談実話」のパターンの主要部分、体験談のパートが存在しません。そもそも、前回引用した前置きに「‥‥小さな池があるという。」と書いているように、丸山氏本人も現地に行った(もしくは写真や地図で確認した)ことがないらしいのです。
 しかし、この池が実在して、このような話が語り継がれているのであれば、それは体験者がいなくても(と云うか、私は体験談の類を余り信じていないので)、丸山氏が人づてに聞いた「体験談の類」に一応分類して置いて良いか、と思ったのです。
 ところが先月来、2月22日付田口道子『東京青山1940』(20)」の冒頭に述べたような理由で、松谷みよ子『現代民話考』を眺めているうちに、この話も2019年9月27日付「青木純二『山の傳説』(03)」に列挙した「文献に拠った「民話」に相当すると思われるもの」の方に含めるべきであることが分かったのです。いえ、両者の区分は厳密に付けられるものではありませんし、どうしても区分しないといけない訳でもないのですが。
 それと云うのも、原話と思しき話が『現代民話考』の1冊に載っていたからです。
松谷みよ子『現代民話考II 軍隊〈徴兵検査・新兵のころ・/歩哨と幽霊・戦争の残酷〉1985年10月6日 第1刷発行・1987年2月20日 第5刷発行・定価1,800円・立風書房・418頁

現代民話考 2 軍隊

現代民話考 2 軍隊

ちくま文庫『現代民話考[2] 軍隊・徴兵検査・新兵のころ二〇〇三年五月七日 第一刷発行・定価1300円・筑摩書房・472頁 しかしながら、2019年9月22日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(125)」及び2019年9月23日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(126)」に一部を挙げた、本書巻末の「参考文献・出典・初出・引用」に『現代民話考』は挙がっていません。
 すなわち、丸山氏は何か別の文献に拠っていると思われるのですが、或いは9点めに挙がる、平野威馬雄『日本怪奇物語』でしょうか。 これは昭和61年(1986)10月刊行ですから、この見当で当たっているとすれば、丁度1年前に刊行された『現代民話考Ⅱ 軍隊』から採ったことになりましょう。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 花見に行ったり、聖火を見に行ったり、格闘技を見に行ったり、どれも以前から私には縁のない、もとから行こうとも思わないことだったけれども、世間は呑気である。しかし、恐らく開催出来ないオリンピック関連行事に、これから不測の莫大な費用が掛かる見込みなのにこれ以上無駄金を注ぎ込むべきではないだろう。格闘技の方は「自粛要請」だから従わない選択肢もあり得るわけだけれども、開催しないと倒産しかねないから決行したらしい。政府の「要請」に従って中止するのなら、損失を補償すべきで、そこがないのに中止には出来ないだろう、と云う意見がある。しかし、既に多くのイベントが自粛で中止しており、来月以降のイベントで中止が決定しているものも少なくない。格闘技だけ特別扱いする訳に行かないから、それら全てを補償することになったら大変なことになる。しかし、今回もまた公明党が通そうとしているバラマキを決行するくらいなら、少しは窮している経営者の救済に当てるべきだと思う。全額補償などやっていられないから、徳政令ではないが返済の猶予と併せて、倒れない程度に。そしてこれ以上、オリンピック関連イベントに無駄金を費やすのは即刻停止するべきだ。‥‥大宅壮一が「赤マント社会学」に指摘したような状況に、コロナ禍の日本は陥りつつある*1。そのうち、赤マントが出没するかも知れないな(笑)。
 2月29日付「図書館派の生活(2)」及び3月8日付「図書館派の生活(3)」に述べた非常勤講師の無給・雇い止め問題だけれども、4月以降も授業が出来なくなれば雇用形態によっては無給の人が発生しそうである。しかし相当数の退学者が出ない限り、解雇はされないはずである。教員や生徒に感染者が出た場合、インフルエンザなら学級閉鎖だが、コロナウィルスだと学校閉鎖になるのだろうか。3月2日(月)からであれば、直に年度末になってしまうから(実際には一斉休校になって、そういう事態は殆ど起こらなかったが)影響が少なかったろうが、4月以降は影響甚大である。度々学校閉鎖が起こったら授業数もこなせなくなる。授業料の減免も検討されるだろう。そうなったとき、月給は減らされなくても賞与はなくなりそうだ。最悪、新学期から再開出来なくなったら、――そのときはどうなるか、分からない。直ちに解雇はされないだろうけれども。

*1:3月23日朝追記】今朝のNHKニュース「おはよう日本」を見ていたら、6時台と7時台の2度、「きのう」として、晴れて暖かいのに数えるほどしか人が歩いていない上野公園のさくら通り(公園前交番から東京国立博物館正門に通じるメインの通り)を撮して、日本人はしっかり対策している、と云う印象を与えていたが、昨日、恐らく忖度など考えない外国人の tweet で然らざる写真を複数見ていたので、念のため民放に変えて見ると、同じ通りを、映っているだけで数百人単位で歩いており、道の脇には殆ど間隔を取らずに飲み食いしている人々が屯していた。そして地べたの上にも、ぎっしりではないがそこここにシートを敷いて飲み食いしているグループがおり、それがやはり「きのう」として映し出されたのである。――やはり外国人が驚きとともにアップしていた写真の光景で間違いなかった。‥‥ここ数年、某女性解説委員が顕著だが、NHKの印象操作が酷い。まさに大本営発表、不偏不党の報道ではなく、ただの広報機関ではないか。

飯盒池(1)

・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(1)
 この池については、2019年9月26日付「青木純二『山の傳説』(02)」に取り上げて、場所について疑問を表明して置いた。
 すなわち、147~148頁に「三十八 ハンゴウ池 下高井郡」と題して取り上げられているのであるが、地図を見ても、検索してヒットする登山家のブログ等を見ても、一向に場所が分からない。
 前置きを見て置こう。147頁2~6行め、

 長野県から群馬県草津へと向かう県境に、白根山という活火山がある。
 平成二十九(二〇一八)年一月二十三日に発生した噴火によって、スキー訓練中の陸上/自衛隊員が一名亡くなり、他十一名が重軽傷を負うという惨事があったことは記憶に新し/いところだ。
 その山の頂上付近に小さな池があるという。


 本白根山の噴火は平成30年(2018)、この本が刊行される半年前である。
 それはともかく、ここで気になったのは「頂上付近に小さな池があるという」と云う書き方である。
 2~6頁、丸山政也「まえがき」にて、丸山氏は以下のように述べていた。5頁10行め~6頁10行め、

 現在、心霊スポットに関した書籍は、季節を問わず様々な出版社から刊行されている。
 インターネットでもそういったサイトを数多く見かけるが、紹介されているものを精査/してみると、かつて忌まわしい事件など一度も起きたことのない、単なる廃墟である場合/が多く、起きたとされる怪異も土地柄など関係のない、つまりどこにでもあるようなもの/ばかりで、根も葉もない噂話であることが大半だ。
 またそのようなところでも、れっきとした所有者がおり、噂が広がることで迷惑を被っ【5】ているケースが多い。そういった場所が心霊スポットとして有名になったのは、主にネッ/トが普及してからだが、とりわけ匿名掲示板から発祥した話は信憑性が低く、事実でない/ことが殆どとあって、安易に書籍に載せることは避けなければならなかった。
 そういった事情から、読者の方が「あの場所が載っていない」、などと感じることはあ/るかもしれないが、そのような理由があることを、読んでいただく前に是非知っていただ/きたいと思う。
 県内に住んでいても郷土史というものに関心のない方もおられるだろう。本書がそうい/ったものに少しでも興味を抱くきっかけになれば、著者としてはこの上ない喜びである。/また他県から信州へ旅行に来られるという方には、一般的なガイドブックと本書を携行し/ていただくことで、より深い旅行をお愉しみいただけるものと期待する。


 すなわち「精査」の上、証拠正しきものを採録したので、「ネット」上の証拠正しからざるものとは一線を画することを宣言している訳である。
 それに反論するのに、ネットで検索してヒットしないことを根拠とするのは少々気が引けるのだけれども、この登山流行の御時世に、登山愛好家のブログ等に全く情報がないのは、流石におかしいのではないか、と思ったのである。――一般的な心霊スポットなら「一般的なガイドブック」には載らないだろうけれども、草津白根「山の頂上付近」にあるなら「一般的なガイドブック」に載っているはずで、或いは、一般的には他の名称で知られてる池に、このような異称があるのかとも思ったが、それならそこのところをはっきりさせてもらわないと、この池には「本書を携行して」も、どうしたって行き着けないことになるだろう。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 今日も都内に、4週間前に借りた本の返却のために出掛けた。昨日出掛けた某区の図書館は通常通り開館しており、書棚(!)に本(『光圀伝』5版)を探すことが出来たのだが、今日出掛けた某区の図書館は書架には立入出来ないので、家を出る前に、その館に所蔵している本を何冊か予約して、入口を入ってすぐの受付で、返却のついでに借りることが出来た。しかし別の区の図書館は、在住・在勤でないと予約出来ないので、閉館時間を過ぎてから返却ポストに放り込んで来た。それにしても、昨日に比べて山手線が混んでいたのには驚いた。どうも、花見をしていたらしい。――私は桜の下にシートを敷いて場所取りをさせられたこともなく、そもそも酒を呑まないし、この時期、もう10年以上の花粉症だから出歩いても外で飲み食いなど考えたこともない。しかし、世間には、この程度の自粛でも我慢出来ない人がいるらしい。政府はこれこそ規制を掛けて、デング熱のときのように代々木公園を封鎖し、上野公園も同様にすべきだったのではないか。これでいよいよオリンピックが中止になったらどうするつもりなのだ。いや、私はずるずる引き延ばされた上に費用も膨らんで行くに違いない延期よりもすっぱり中止した方が結局のところ、まだマシになるだろうと踏んでいるから、中止でも構わない(オリンピック以外の点では構わなくはないのだ)けれども、政府はやりたがっているのじゃなかったのか。学校一斉休校するならこっちこそ規制すべきだろうに、――いや、学校も新年度から一斉再開するみたいだし、もう、感染爆発不可避と、諦めたのだろうか。