瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

日本の民話1『信濃の民話』(12)

信濃叢書『信濃昔話集』(2)
 本書に「採集 牧内武司」として見えている話の典拠と思しき牧内武司の著書だが、昨日述べたように10月20日付(08)に見た伊那民俗研究會 編『伊那民俗叢書 第二輯 昔ばなし』と共通する話が少なくないようだ。――もちろん『昔ばなし』と『信濃昔話集』の2冊を全て点検するべきなのだけれども、大変な手間になるので本書に採られている話に限って検討することとしよう。
 まづ10月20日付(08)に挙げた『昔ばなし』に拠る話が『信濃昔話集』に見えるかどうかを確認して置こう。――「採 集  伊那民俗研究会  岩崎清美」とされている話で『信濃昔話集』にも見えるのは、
【40】ねずみの御殿〔下伊那郡
・「六、爐 邊 譚」の10番め、一六四頁5行め~一六五頁「鼠の御殿」
【43】ズイトン坊さまのはなし〔下伊那郡
・「三、狐 狸 譚」「2、狸」の7番め、八八頁9行め~九〇頁10行め「ズイトン坊の話」
の2話である。
【42】咲く花と木の葉〔下伊那郡
【45】石の正兵衛さん〔下伊那郡
の2話は『信濃昔話集』には採られていない。
 それから『昔ばなし』に載っているのに「採 集  伊那民俗研究会  岩崎清美」ではなく「採 集  下伊那郡龍江村天龍峡  牧内武司」となっている話が1話ある。
【41】まま子と苺の実〔下伊那郡
・『昔ばなし』一三六頁10行め~一三八頁10行め「九〇 繼子と苺の實」 
・「六、爐 邊 譚」の13番め、一七〇頁6行め~百七十二頁「赤い苺と黒い苺」
 『信濃昔話集』ではなく『昔ばなし』の方が本書と同じ題で出ているので、原稿執筆に際しては『昔ばなし』を使用していたが、原話情報の記載に際して『信濃昔話集』の方を見て同じ話が載っているので、取り違えてしまったものだろうか。ただ、そうすると気になるのが「採 集  牧内武司」ではなく居住地が書き込まれていることである。
 他には次の話が「はなし  下伊那郡龍江村天龍峡  牧内武司」となっている。
【49】焼棚山の山姥〔西筑摩郡
 この話は『信濃昔話集』にも、「二、山 の 譚」の17番め、三三頁11行め~三六頁6行め「泣ビソ嶽の山姥」の1節(三五頁4~9行め)に見えているが、ごく簡略なもので、結末が異なっている。すなわち『信濃昔話集』に拠ったのではなく、編集委員会の会合(があったかどうか分からぬが)などの折に、牧内氏に直接「はなし」を聞いたのであろう。本題の「泣ビソ嶽の山姥」も木曾(西筑摩郡)の話なので『昔ばなし』には載っていないはずである。
 だとすると【41】についても、牧内氏本人が、この話は自分が郷里の龍江村で採集したのだが『昔ばなし』が話の由来を記さなかったためにその来歴が明らかにされなかった、と説明したため、ここで敢えて「採 集  下伊那郡龍江村天龍峡  牧内武司」と、わざわざ採集地をも書き込んで断ったのだ、と云う可能性が考えられなくもない。ただ、この話についてこのような細かな配慮をしたとなると他地域の「採集  牧内武司」となっている話の由来が、少々気になることになって来るのである。(以下続稿)

日本の民話1『信濃の民話』(11)

 昨日の続きで、今回は5つの地域全てについて話を提供したことになっている牧内武司について、確認して置こう。
 牧内氏には次の著書があった。書名からして全県下を覆っているはずである。
信濃叢書『信濃昔話集』昭和十四年九月一日印行・昭和十四年九月五日發行・定価一圓二十錢・山村書院・八+二一八頁
 牧内氏の著作権は切れていないはずだが、何故か『信濃昔話集』のみ国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されている。この本は昭和18年(1943)1月に村沢武夫『信濃傳説集』と同じ装幀で再刊されている。未見だが図書館OPAC や「日本の古本屋」等を見るに「203頁」となっているので組み直されているらしい。
 表紙は横組みで、上部に大きく「集 話 昔 濃 信」と標題、上に小さく「 書 叢 濃 信 」に下線、下に少し離れて小さく「著 司 武 内 牧」とある。中央やや下に藁靴を履いた少女の版画、その下にゴシック体でごく小さく「版 院 書 村 山」とある。
 見返し(遊紙)に次いで扉、四隅の少し切れた太線の枠を、縦線で中央を広く、左右を狭く3つに仕切って、右の枠の上部に「牧 内 武 司 著」中央の枠の上部に大きく「 信 濃 昔 話 集」、左の枠は中央から下へ「飯 田 山 村 書 院 發 行」とある。裏は白紙。
 次に著者「は  し  が  き」、2行めは1字下げで「信濃の昔話を纏めて上梓する」、3~8行めの段落は冒頭字下げなしで字間を空けて1行29字でゆったり組んでいる。9~10行めの段落は冒頭1字下げでやはり1行29字、11行め、2字下げで小さく「昭 和 十 四 年」、12行めは中央に小さく「秋訪るゝ故郷の窓に凭りて」とあって、最後13行めは下寄せで「著   者  」とある。どうやって集めた「昔話を纏めた」のか、具体的な説明はない。頁付なしで裏は白紙、国立国会図書館蔵本には「正  誤  表」が貼付されている。
 次いで「目  次」が八頁。八頁の最後、10行め「八、信濃の昔話に就て」三点リーダ21個を挟んで下部に半角漢数字で「二〇七」、1行分空けて更に波線で仕切って、

表  紙  カ  ツ  ト
     信 濃 の 子 供    中  島  繁  男

とある。
 1頁(頁付なし)は「山の信州話」の扉。目次、一頁2行めにはゴシック体漢数字「一、山 の 信 州 話」とで番号が打たれており3行めは3字下げでごく小さく「峠の上  三日月  小便桶  鼻コスリ  山家の馬  山の米  百田………… 一」とあるが本文は細分されていない。これは山国らしい話を幾つか繋ぎ合わせたエッセイ風の導入になっている。すなわちこれが「採 集  牧内武司」の本書【38】百田ばなし〔下伊那郡〕の原話である。
 牧内氏は昭和5年(1930)に岩崎清美・中島繁男らと「民俗の会」を結成、これが昭和7年(1932)8月に「伊那民俗研究会」に発展している。従って、10月20日付(08)に見た伊那民俗研究會 編『伊那民俗叢書 第二輯 昔ばなし』と共通する話も少なくない。但し『昔ばなし』の岩崎清美「序」にあった「會員の中の幾人かの人達」の1人が牧内氏であった可能性が高く、『昔ばなし』と共通する話は、牧内氏が『昔ばなし』から採ったのではなく、そもそもが牧内氏が提供した話であったかも知れない。但し『昔ばなし』も『信濃昔話集』も、ともに話の由来を記さないので残念ながらその辺りの事情は、明らかにし得ない。
 この依拠関係については、稲田浩二・小沢俊夫 責任編集『日本昔話通観●第12巻山梨・長野』(一九八一年三月一日第一版第一刷発行・定価一〇、〇〇〇円・同朋舎出版・xxvii+715頁・菊判上製本)691~696頁「資 料 目 録」に指摘されている。扉裏に「篇別編集委員/浅 川 欽 一/土 橋 里 木」とあって、浅川氏が長野県担当、土橋氏が山梨県担当であろう。
 資料には番号が打たれており「単 行 本」の〈長野〉が1~24、〈山梨〉が25~38、「稿 本」は〈山梨〉39、「全国にわたる資料」40~44、「雑誌・新聞」〈長野〉45~62〈山梨〉63~66、「地誌・民俗誌類」〈長野〉67~81〈山梨〉82~88、695頁下段3~18行め「参考資料」10点及び696頁上段「参考文献」には番号が打たれていない。「参考資料」の1点め(695頁下段4行め)に「「信濃の民話」編集委員会 信濃の民話 1957.6.30 未来社」と本書が挙がっている。参考資料の扱いは691頁上段2~13行めの6項目の凡例の最後に見えている。その前の項目ともども抜いて置こう。10~13行め、

⑸〔 〕内は同一資料、またはそれとみなされる資/ 料が重載されている文献の番号を示す。
⑹その他に参考とした資料を「参考資料」として掲/ げる。


信濃昔話集』は691頁下段15~16行めに「8 牧内信濃……牧内武司 信濃昔話集 1939.9.1 山村書院/ 〔2・4・69〕」と見える。但し9月1日は印刷日だろうから9月5日とすべきであろう。「重載されている文献」とは、691頁上段18行め~下段1行めに「2 小県郡……小山真夫 小県郡民譚集 1933.4.30 郷土研/ 究社〔8〕」下段4~5行め「4 岩崎昔……伊那民俗研究会(代表者・岩崎清美) 伊那民/ 俗叢書第二輯「昔ばなし」 1934.6.10 信濃郷土出版社〔8〕」そして694頁下段3~4行め「69 北安曇二……信濃教育会北安曇部会 北安曇郷土誌稿第二/ 輯 1930.12.25 郷土研究社〔8〕」である。これ以外にも、ここに指摘されていない依拠文献がありそうである。
 ちなみに「8 牧内信濃」の次、691頁下段17~18行め「9 信濃伝説……村沢武夫 信濃伝説集 1943.6.5 山村書院/ 〔3〕」が挙がる。〔3〕は691頁下段2~3行め「3 伊那伝説……岩崎清美 伊那の伝説 1933.7 山村書院/ 〔9・11〕」、〔11〕は下段21~22行め「11 伊那谷……村沢武夫 伊那文庫6「伊那谷の伝説」 1970./ 11.3 伊那史学会〔3〕」である。(以下続稿)

日本の民話1『信濃の民話』(10)

 ここで「信濃の民話」編集委員会について改めて見て置こう。
 瀬川拓男・松谷みよ子夫婦は編者で、再話を担当している。
 瀬川氏は【1】及び【9】【17】【24】【25】【27】【33】【46】の8話を担当、そうすると松谷氏は「わらべうた」を除く50話のうち42話を担当したことになる。瀬川氏は常体、松谷氏は敬体なので文体からも区別出来る。
 すなわち、本書の原稿は全て瀬川・松谷夫妻で分担して執筆している訳で、2019年12月20日付(1)に挙げた諸本のうち⑤新版のカバー表紙・背表紙、扉では「瀬川拓男・松谷みよ子 編」となっていて、奥付の最後に以下のように断っているのも故なしとしない(松谷氏の逝去から丁度1ヶ月半後の刊行で、松谷氏の諒承は取っていたものと思われるのだけれども)。

本書の編者名はこれまで『「信濃の民話」編集委/員会』と表示してきましたが、今回より実質的な/企画・再話・編集者である『瀬川拓男・松谷みよ/子』に変更しました。


 但し奥付の前の頁(頁付なし、313頁の裏)の下部中央にごく小さく、

本文中、現在では用いられない表記・表現がありますが、刊行当時/の資料的意味と時代性を尊重し、そのままにしてあります。
ご了承ください。
また、再刊にあたり、連絡のとれない関係者のかたがいらっしゃい/ます。ご存じの方がおられましたら、弊社までご連絡ください。
                          (編集部注)

とあるから印税の支払いはなされているようだ。実際、編集委員にはどの程度支払いがあったのであろうか(と少々腥いことを考えて見る)。
 楜沢龍吉・児玉信久・牧内武司・村田宗之は「採 集」として複数の資料を提供しているが、牧内氏については著書から採ったものが少なくないようだ。
 興津正朔は「採 集」1話のみ。黒坂周平は【33】の「附 記」に名前が見え、和田亀千代は「はしがき」に採用出来なかった話の提供者として見えている。太田正治・高見沢博一・田中磐・向山雅重の4人は「はしがき」に名前が挙がるのみ。それぞれの居住する地域などで話者の紹介や話の選定に関わったのであろうか。
 うち幾人かについては著書もあり、それらを確認すればもう少し判明することも多いと思うが、後日の課題としよう。――『民話の世界』では話者との偶然の出会いなどが強調されていて、編集委員会には触れていなかったように思う。しかしながら、話者のうち若林多助や生駒勘七は小学校教員の傍ら郷土史の研究をしていた人物で、当然のことながら、資料や話者はこういった人脈を辿って得て行ったものが少ないないであろう。
 そんな中で「採 集」として資料提供者のように見えて、編集委員会に入っていない人物が4人いる。うち2名、小山真夫と岩崎清美は「はしがき」に断ってあったように「故人」で、その「文献」から採ったのであるが、もう2名、村沢武夫と杉村顕も、やはり文献から採ったのである。
 このうち岩崎氏については10月20日付(08)に簡単に確認したが、他の3名については牧内氏の著書ともども、追って詳細に及びたいと思う。実はこの資料の選定と扱いに、本書の問題点が(遠田勝が「雪女」について指摘しているような)存するのである。
 それから挿絵について一通り確認し、サインを点検し直し、微修正を加えたが煩雑になるので一々註記しなかった。
 挿絵を担当した「太郎座美術部」のうちサインがあるのは「ゆ」と「や」そして「比」=「比呂也」の3名だが、判明したのは「ゆ」の金沢佑光のみで「や」と「比呂也」はまだ見当を付けられていない。他に無落款で描いている人物が最低でも3人はいる。
① ペン画のようなタッチで線で輪郭を描く【1】の作者。「や」も線を主とする画風だが細かくグロテスクである。暖かい画風で【20】も同一人の手に成るものであろう。【14】もやや似るが同一人物かは確定出来ない。
② 落ち着いて端正な日本画風の【3】【4】の作者。【19】【32】【34】【44】も同一。
③【21】【31】【33】【36】【40】【46】【48】【50】も似ているがやや簡略で同一人物かは確定出来ない。
③ 系統としては「や」に似た日本画風の【8】の作者。
④ やはり「や」と同系統で線のみの【45】の作者。
 太郎座については、松谷みよ子・曽根喜一・水谷章三・久保進『戦後人形劇史の証言――太郎座の記録――』がある。これを見たら見当が付けられるであろうか。(以下続稿)

日本の民話1『信濃の民話』(09)

 昨日の続きで最後、5章めを上製本(初版)第一刷にて見て行くこととする。要領は10月17日付(05)に同じ。
 259頁(頁付なし)中央上部に大きく「木  曾  路」。260頁(頁付なし)は左下に「西筑摩郡」。2012年11月30日付「泉鏡花『高野聖』の文庫本(4)」の後半に述べたようにその後「木曽郡」に改称されている。
【48】木やりをうたう狐〔西筑摩郡〕261~265頁(挿絵261頁上)
   はなし  西筑摩郡木曾福島町  生駒勘七
【49】焼棚山の山姥〔西筑摩郡〕266~270頁(挿絵266頁左下「や.」)
   はなし  下伊那郡龍江村天龍峡  牧内武司
【50】狐檀家〔西筑摩郡〕271~276頁(挿絵271頁上)
   はなし  西筑摩郡木曾福島町興禪寺住職  松田芳山
【51】機の音/――のうが池のはなし――西筑摩郡〕277~280頁(挿絵277頁左下「や.」)
   はなし  西筑摩郡木曾福島町  生駒勘七
【52】寝ざめの床の主*1西筑摩郡〕281~284頁(挿絵281頁左下「や.」)
   はなし  西筑摩郡上松町  山崎胱治郎
【53】力もち権兵衛の話〔西筑摩郡〕285~289頁(挿絵285頁上「ゆ」)
   はなし  西筑摩郡木曾福島町  生駒勘七
【54】姫淵のうた〔西筑摩郡〕290~293頁(挿絵290頁上「ゆ」)
   はなし  西筑摩郡木曾福島町  生駒勘七
【55】わらべうた  294~296頁
    てまり唄(平沢)/(妻籠)/(中部北部)/?
    凧あげ唄(黒沢)
    数とり
   信濃教育会木曾部会編「木曾民謡集」より
 半分の4話の話者である生駒勘七(1919.5.13~1987.5.16)は、経歴から云っても編集委員会に入っても良さそうな人物である。山崎氏については10月15日付「白馬岳の雪女(068)」に引いた「はしがき」に「養老院につとめながら、そこの老人たちの昔話を集めている木曾の山崎さん」とあったが、結局本書に使用された【52】以外は日の目を見なかったようだ。それとも何処かに発表されているであろうか。――興禅寺のことなど2020年3月28日付「飯盒池(8)」に取り上げた『民話の世界』に記述があったと思うので、追って再確認する機会を作ることとしよう。昨日見た「伊那谷」は殆ど文献に拠っていたが、この「木曾路」は話数は多くないが自身現地を訪ね、強い印象を受けたために中信から切り離して独立させたようである。
 なお【51】は原野(西筑摩郡日義村、現在は木曾福島町等と合併して木曽郡木曽町日義原野)の話であるが、現在、附近で「のうがいけ」なる池を探すと、原野の南南東に位置する木曾駒ヶ岳の山腹にある「濃ヶ池」にしか尋ね当たらないが、木曾谷側ではなく伊那谷側(上伊那郡宮田村)なのである。しかしながら更に地名を見て行くと木曾駒ヶ岳の北面を水源として原野を流れて木曾川に注ぐ正沢川に「濃ヶ池川」なる支流がある。現在、池はないが地理院地図を見るに、谷底に池があったらしい平坦な地形が認められる。そこで、日義村誌編纂委員会 編集『日義村誌自然編』(平成17年2月21日 印刷・平成17年2月28日 発行・日義村誌編纂委員会・口絵+ⅹ+338頁)1~76頁、第1章「地形・地質」の63~74頁「第5節 災 害」を見るに、江戸時代後期まで、この濃ヶ池川の中流、標高1500m附近の平坦になっている辺りにも「濃ヶ池」があったのである。――同名の池が5kmほどしか離れていないところに2つあり、しかも1つがなくなっているとすると、そのなくなった1つにまつわる話も、うっかり残っている方の話にされてしまいそうだ。実際、既に混乱が発生しているかも知れない。以後注意して見て置くこととしよう。(以下続稿)

*1:ルビ「ぬし」。

日本の民話1『信濃の民話』(08)

 昨日の続きで、上製本(初版)第一刷の、4章めを見て行くこととする。要領は10月17日付(05)に同じ。
 207頁(頁付なし)中央上部に大きく「諏訪湖伊那谷」。208頁(頁付なし)は左下に「諏 訪 郡 諏 訪 市 岡 谷 市 上伊那郡下伊那郡 駒ヶ根市 飯 田 市 伊 那 市」。
【38】百田ばなし〔下伊那郡〕209~213頁(挿絵209頁上「ゆ」)
   採 集  牧内武司
【39】信濃には神無月がない〔諏訪郡〕214~215頁
   はなし  諏訪郡ちの町金沢支所  野口きし
【40】ねずみの御殿〔下伊那郡〕216~220頁(挿絵216頁上)
   採 集  伊那民俗研究会  岩崎清美
【41】まま子と苺の実〔下伊那郡〕221~228頁(挿絵221頁上「ゆ」)
   採 集  下伊那郡龍江村天龍峡  牧内武司
【42】咲く花と木の葉〔下伊那郡〕229~232頁(挿絵229頁上「比呂也」)
   採 集  伊那民俗研究会  岩崎清美
【43】ズイトン坊さまのはなし〔下伊那郡〕233~235頁(挿絵233頁上「比呂也」)
   採 集  伊那民俗研究会  岩崎清美
【44】早太郎犬と人身御供〔上伊那郡〕236~242頁(挿絵236頁上)
   採 集  杉村顕
【45】石の正兵衛さん〔下伊那郡〕243~247頁(挿絵243頁上)
   採 集  伊那民俗研究会  岩崎清美
【46】大男・尾科文吾の話*1下伊那郡〕248~252頁(挿絵248頁上)
   はなし  伊那民俗研究会  岩崎清美
   再 話           瀬川拓男
【47】わらべうた  253~258頁
    凧あげ唄(諏訪郡
    お月さまいくつ(諏訪郡
    てまり唄(諏訪郡
   有賀恭一著「諏訪の民謡」より
        (諏訪郡
   採 集  竹沢直義
        (下伊那郡
    遊び唄
    鬼ごっこの唄(上伊那郡西箕輪)
   上伊那郡誌編纂会「上伊那のわらべ唄」より
    となえ唄 (ことば) (下伊那郡
   牧内武司「下伊那の民謡」より
    子守唄(諏訪郡
   有賀恭一著「諏訪の民謡」より
 伊那民俗研究会の岩崎清美(1884~1944)の「採 集」した下伊那郡の話が半ばを占めるが【46】のみ「はなし」となっている。しかしながら「はしがき」に「すでに故人となられた‥‥諸先輩」の1人として挙がっていたのだから「はなし」を聞いたかのように書くのはおかしい。
 岩崎氏の著書はその多くが国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧出来る。
・伊那民俗研究會 編『伊那民俗叢書 第二輯 昔ばなし』昭和九年六月五日印刷・昭和九年六月拾日發行・定價金八拾錢・信濃郷土出版社・一五一頁
 發行所は「信濃郷土出版社」だが發行者は「山村正夫」で9月10日付「白馬岳の雪女(43)」に見たように發賣所の「山村書院」の代表である。著作者は「伊那民俗研究会」で「岩崎清美」は「右代表者」となっている。なお奥付の裏から1頁1点の3頁分「發行所〈長野縣飯田傳馬町/振替長野六二〇八番〉山村書院」の広告がある。2点めが『伊那民俗叢書』第一輯だが、この『山の祭り』は確かに山村書院版なのである。
 前付(頁付なし)が12頁分ある。
【40】 「一一 鼠の御殿」一九頁9行め~二一頁5行め
【42】=「七六 木の葉と咲く花の話」一一四~一一六頁2行め
【43】=「一七 山寺の坊樣ズイトンの話」三〇頁4行め~三一頁9行め
【45】=「六八 石の正兵衛」一〇三~一〇六頁1行め
 「再 話  松谷みよ子」の4話は全てこの『昔ばなし』に求められるようである。但し【40】については同題の話を大幅に引き伸ばしており、題が同じでなければ原話だとは思えないくらいになっている。それから岩崎氏が採集したようになっているが、前付の扉に続いて2頁ある岩崎清美「」には、1頁め7行め「此の中に私の採録した分のものは」とあって岩崎氏が記録した分も少なくないらしいが、冒頭2行め「此の本に載せた話は、會員の中の幾人かの人達から得たもので、‥‥」とあるから岩崎氏が「採集」したものに限らないようである。但し収録される一〇〇話には、採録者や伝承地などの情報が一切附されていない。
 なお、瀬川拓男が再話した【46】は、岩崎清美 編『傳説の下伊那(大正十二年七月十五日印刷・大正十二年七月二十日發行・定價金壹圓參拾錢・文星堂書店・一八二頁)一二五~一三〇頁「巨人其の他の話」の1話め、一二五頁2行め~一二九頁10行め「尾科文吾」に拠っているらしい。後に岩崎清美著『伊那の傳説』(昭和八年七月十五日印刷・昭和八年七月二十日發行・定價壹圓八拾錢・山村書院・三二六頁・四六判上製本)にもこの人物を取り上げているが、二五五頁2行め~二五九頁「尾科豐後」と題が違っている。(以下続稿)

*1:ルビ「お しな」。

日本の民話1『信濃の民話』(07)

 一昨日からの続きで、上製本(初版)第一刷の、3章めを見て行くこととする。要領は10月17日付(05)に同じ。
 139頁(頁付なし)中央上部に大きく「安曇野・筑摩の里*1」。140頁(頁付なし)は左下に「北安曇郡 南安曇郡 大 町 市/東筑摩郡 松 本 市」。
【27】猟師・渋右衛門のはなし〔北安曇郡〕141~150頁(挿絵141頁上「や」)
 ※ 途中、1行分空けて3字下げで以下の見出し。
    一 二子岩の山の神にあったこと。143頁9行め~147頁2行め
    二 西山の化物を退治したこと。 147頁3行め~149頁7行め
    三 姫川で大蛇と闘ったこと   149頁8行め~150頁12行め
   はなし  北安曇郡北城村  松沢徳吉
                 西山元吉
   再 話           瀬川拓男
【28】山鳥の尾〔南安曇郡〕151~157頁(挿絵151頁上「や.」)
   採 集  村沢武夫
【29】切明の庄屋*2北安曇郡〕158~162頁(挿絵158頁右上「比」)
   はなし  北安曇郡美麻村  武内義男
                 高橋彦一
                 小林つね
【30】物くわぬ女房〔北安曇郡〕163~166頁(挿絵163頁上「ゆ.」)
   はなし  北安曇郡美麻村  山田嘉栄治
【31】子供の好きな薬師さまの話〔北安曇郡〕167~168頁(挿絵167頁上)
   はなし  北安曇郡南小谷村  宮入 某
【32】雪女〔北安曇郡〕169~174頁(挿絵169頁上*3
   採 集  村沢武夫
【33】小泉小太郎〔東筑摩郡〕175~183頁(挿絵175頁上)
   再 話  瀬川拓男
【34】カッコウ鳥〔東筑摩郡〕184~185頁(挿絵184頁上)
   採 集  牧内武司
【35】桔梗原の狐〔東筑摩郡〕186~185頁(挿絵186頁上「や.」、190頁「狐の地図」)
 ※ 途中、1行分空けて5字下げで以下の見出し。
    一 狐ども、より集って大ばかしのこと     186頁10行め~187頁17行め
    二 猫塚の孫左衛門、親不孝ものを説教のこと  188頁1行め~189頁5行め
    三 六助池の六助、姉さまにばけること*4    189頁6行め~192頁9行め
    四 玄蕃允、汽車にばけること         192頁10行め~193頁13行め
   はなし  松本市笹部  赤羽鴻一郞
【36】ものぐさ太郎〔東筑摩郡南安曇郡〕194~202頁(挿絵194頁上)
   はなし  松本市笹部  赤羽鴻一郞
   文 献         お伽草子
【37】わらべうた  203~206頁
    三九郎の唄(南安曇郡穗高村)/採 集  池上隆祐
    鳥追い唄(北安曇郡)/採 集  南方華洲
    子供の盆唄(南安曇郡一日市場)/採 集  有賀喜左衛門
         (松本市付近)/赤羽重雄
    遊び唄(東筑摩郡)/採 集  有賀喜左衛門
    てまり唄(東筑摩郡)/採 集  丸山寿栄
 【33】については、本文の末から1行分空けて185頁13行め、小さく1字下げで「附  記」として、14~16行めに2字下げで、

 このお話は筑摩の里におさめましたが、各地にいろいろな形となっている伝説です。所によっては白龍太郎とも泉小太郎とも/よばれています。南安曇、北安曇、東筑摩、小県の各郡にのこっているお話をまとめ、小県郡丸子町の黒坂周平先生や塩田町の/宮島博敏さんのお話も参考にして、これを一つの物語にしました。

とある。黒坂周平(1913.11.3~2003.2.7)は編集委員会のメンバーである。宮島博敏は【18】の話者。
 【35】については度々松谷氏が言及しているので、別に取り上げる機会を作りたい。
 ここで新たに「採 集」として名前が見えるのは【37】の池上隆祐(1906.1.15~1986.4.3)、南方華洲、有賀喜左衛門(1897.1.20~1979.12.20)、丸山寿栄の4名だが編集委員会のメンバーではない。直接資料の提供を受けたのか、既に発表されていたものに拠ったのかは検討を要する。【28】【32】の村沢武夫、【34】の牧内武司は既出。(以下続稿)

*1:ルビ「あ ずみ の」。

*2:ルビ「きり あけ」。

*3:本文に「行燈」とあるが、描かれているのは柱の上に皿が載る灯台のみで周囲を和紙を貼った木枠で囲う行灯になっていない。

*4:ルビ「あね」。

日本の民話1『信濃の民話』(06)

 昨日の続きで、上製本(初版)第一刷の、2章めを見て行くこととする。要領は昨日に同じ。
 91頁(頁付なし)中央上部に大きく「塩田平・佐久平」。92頁(頁付なし)は左下に「小 県 郡 北佐久郡 南佐久郡/小 諸 市 上 田 市*1」。
【16】鯨の夫婦〔南佐久郡〕93~94頁(挿絵93頁上「ゆ」)
   はなし  南佐久郡小海村  菊原龍之助
【17】望月の駒〔北佐久郡〕95~101頁(挿絵95頁上「ゆ」)
   はなし  北佐久郡望月高校  楜沢龍吉
   再 話            瀬川拓男
【18】本郷の笊水〔小県郡〕102~104頁(挿絵102頁上「や.」)
   はなし  小県郡塩田町  宮島博敏
【19】いざり車〔小県郡〕105~109頁(挿絵105頁上)
   はなし  桐山きよえ
   採 集  小山真夫
【20】きつねのお礼〔南佐久郡〕110~112頁(挿絵111頁)
   はなし  南佐久郡佐久町  青柳美都子
【21】つつじの乙女〔小県郡〕113~117頁(挿絵113頁上)
   採 集  村沢武夫
【22】ほととぎすの話〔北佐久郡〕118~119頁
   はなし  北佐久郡浅間町上平尾  楜沢龍吉
【23】ぼた餅と河童小僧〔北佐久郡〕120~123頁(挿絵120頁上「ゆ.」)
   はなし  北佐久郡  神津はま
【24】まったらこうよ〔小県郡〕124~129頁(挿絵124頁上「や.」)
   採 集  小県郡  小山真夫
   再 話       瀬川拓男
【25】龍になった甲賀三郎〔北佐久・南佐久郡〕130~135頁(挿絵130頁上「ゆ.」)
   はなし  北佐久郡       古越おかの
   はなし  南佐久郡栄村上村影  岡部いちの
   再 話             瀬川拓男
【26】わらべうた  136~138頁
    道祖神の唄(小県郡武石村
    十日夜の唄*2小県郡武石村
    浅間山から(北佐久郡
    坊主ぽっくり(北佐久郡)/「軽井沢の民謡」より
    びちがた観音堂南佐久郡野沢町伴野)/木内省吾
「わらべうた」の出典表示は「奥信濃」と異なっている。最初の2首は武石村の小山真夫(1882~1937.9)の、炉辺叢書『小県郡民謡集』に出ているのであろうか。「浅間山から」は『軽井沢の民謡』に載っているのかどうか。
 小山真夫の「採 集」とは『小県郡民譚集』から採ったのであろう。【17】と【22】の楜沢龍吉(1904生)は編集委員の1人で、前者は「北佐久郡望月高校」と所属を示すが後者は住所を示しているようである。佐藤春夫(1892.4.9~1964.5.6)の弟子で詩集や短篇集、郷土史の本などを出している。
 木内省吾は自刊(長野縣南佐久郡岸野村/木内省吾)で戦前に3冊本を出している。
 そして、ここでは【21】に村沢武夫の「採集」の話が見えていることに注意して置こう。(以下続稿)

*1:ルビ「ちいさがた/」。

*2:ルビ「とうかんや」。

日本の民話1『信濃の民話』(05)

 昨日の続きで、2019年12月20日付(1)に挙げた諸本のうち上製本(初版)第一刷にて、細目を見て行くこととする。
 番号は打たれていないが、整理の便宜のため仮に【 】に番号を附した。まづ3行取り3字下げでやや大きく題、その下に小さく〔 〕に地域を入れる(ないものもある)。題は2字の場合は字間を5字分、3字の場合は字間を2字分、4字の場合は字間を1字分、5字の場合は半角分空けるが6字以上は詰めている。但し頁の上半分に挿絵が入るなどして字間が詰まっていることもある。ここでは再現せずに全て詰めることにした。地域名の括弧は下寄せだが、これも題に詰めることにして、見づらくなるので小さくしなかった。さらに頁と( )に挿絵の位置及びサインがあれば「 」に添えた。そして各話の最後の頁の左下に小さく下寄せで添えてある「はなし」=話者、そして「採 集」者と「再 話」者については、再話者は殆ど「松谷みよ子」なので、松谷氏担当分については以下の一覧には記載しないことにした。「はなし/採 集/再 話」と、前二者は住所や所属を挟んで(当然のことながら再話者の住所や所属はない)下部の氏名は7字分で同じ高さ、この氏名の均等割付も再現せずに詰めた。
 17頁(頁付なし)中央上部に大きく「奥  信  濃」。18頁(頁付なし)は左下に「上水内郡 下水内郡 上高井郡 下高井郡 更 級 郡/埴 科 郡 長 野 市 飯 山 市 中 野 市 須 坂 市」と範囲を示す。他の地域の扉も同様である。
【2】蛙綿の娘*1下高井郡〕19~27頁(挿絵19頁上)
   はなし  下高井郡山ノ内町佐野  湯本うめの
   採 集  中野実業高校      児玉信久
【3】姨捨山〔埴科郡・更級郡〕28~32頁(挿絵28頁上)
   はなし  埴科郡屋代町屋代  若林多助
【4】あさこ・ゆうこ〔下高井郡〕33~37頁(挿絵33頁上)
   はなし  下高井郡山ノ内町菅  池田利治
   採 集  中野実業高校     児玉信久
【5】屁をするお嫁さん〔下高井郡〕38~42頁(挿絵38頁上「ゆ」)
   はなし  下高井郡山ノ内町前坂  宮沢智江
   採 集  中野実業高校      児玉信久
【6】蛙になったぼた餅〔下高井郡〕43~44頁(挿絵43頁上「ゆ」)
   はなし  中野市間長瀬  望月きくえ
   採 集  中野実業高校  児玉信久
【7】黒姫物語〔下高井郡〕45~51頁(挿絵47頁「や.」)
   はなし  中野市中町  綿貫市郎
   はなし  中野市中町  松谷せつ
【8】おしになった娘〔上水内郡〕52~58頁(挿絵53頁)
   はなし  下高井郡山ノ内町上条  高橋忠治
【9】野々海の物語〔下水内郡〕59~63頁(挿絵59頁上「や.」)
   はなし  飯山市飯山  吉水清宏
   再 話         瀬川拓男
【10】猫檀家〔上水内郡〕64~69頁(挿絵64頁上「ゆ」)
   はなし  北安曇郡美麻村上条  下条幸三郎
【11】鳶の鉦たたき〔長野市〕70~72頁(挿絵70頁上「ゆ.」)
   採 集  牧内武司
【12】花さかじじい  73~79頁(挿絵74頁「ゆ」)
   採 集  下水内郡豊田村  村田宗之
【13】仙人の碁うち〔上高井郡〕80~81頁(挿絵80頁上「ゆ」)
   採 集  上高井郡東村  興津正朔
【14】池に浮んだ琵琶〔下高井郡〕82~88頁(挿絵83頁)
   はなし  中野市東町  寺沢宏三郎
【15】わらべうた  89~90頁
    どんどん焼きの唄(下高井郡木島平村)/(北信一帯)
    ねずみの年取りの唄(山ノ内町横倉、中野市竹原)
    塞の神勧進*2(北信一帯)
    ののさんどちら(北信一帯)
   採 集  児玉信久
    此ん中なんだ(下水内郡豊田村
   採 集  村田宗之
「わらべうた」は2行取り9字下げでやや大きく個々の歌の題、詞章は2字下げ、最後に下寄せの括弧で伝承地を小さく添え「採 集」者を附す。
 中野市下高井郡の中心都市で、松谷氏の疎開先であった。編集委員会のメンバーでは児玉信久(1911~1963)が【2】【4】【5】【6】と【15】を提供しており、【12】と【15】の村田宗之、【13】の興津正朔は居住地(もしくは出身地)の話(や歌)を報告したらしいが、注意を要するのは【11】の牧内武司で、追って検討することとなろう。
 なお【8】の話者は2019年10月17日付「須川池(5)」に書影を貼付した『信州の民話伝説集成【北信編】』の編著者高橋忠治(1927.5.15~2020.12)であろう。
 このまま最後まで一度に済ませてしまうと後々便利なのだがその余裕はないので地域ごとに片付けて行くこととしよう。(以下続稿)

*1:ルビ「けいろわた」。

*2:ルビ「さい・かんじ」。

日本の民話1『信濃の民話』(4)

 昨日の続きで、2019年12月20日付(1)に挙げた諸本のうち上製本(初版)第一刷にて、内容を見て置こう。排列であるが「はしがき」の昨日引用した箇所に続いて、2頁16~18行め、

 次に地域のわけ方については、長野県は、もともと、人文地理的にも自然地理的にも北信、東信、中信、南信/の四つに分けるべきでしたが、特に民話の文学性をも考慮し、「奥信濃」「塩田平・佐久平」と、あえて五つの/地域にわけてみました。【2】

とするのだが、4頁「〔信濃の地図〕」を見るに、「奥信濃」が北信、「塩田平・佐久平」は東信で従来の区分の呼称を変えただけである。「諏訪湖伊那谷」も南信の呼び換え、「五つ」と云うのは中信が「安曇野・筑摩の里」と「木曽路」の2つに分けられているからであった。
 描かれているのは「千曲川」と「犀川」、そして県外に出たところに「信濃川」、他に県外まで流れている川筋は南に「天竜川」と「木曽川」、姫川は青木湖から北流しているように描かれているが県外まで薄墨の線が延びておらず名称は書き込まれていない。青木湖の辺りが水源であることは確かだが、青木湖の北にある丘陵地が分水嶺になっていて、青木湖の水は姫川には入っていない。山の名称は全く書き込まれていないがそれらしき場所に▲がある。白馬岳の他北アルプスに2峰、御嶽山木曽駒ヶ岳八ヶ岳黒姫山と云った辺りで、特徴のある描かれ方がしてあるのは布引観音と白煙を吐いている浅間山の2つ。そして話の登場人物(?)が13話、話の題は11題書き込まれる。「奥信濃」では琵琶法師の絵に「池に浮んだ琵琶」、他に野尻湖善光寺が説明なしで書き込まれる。「塩田平・佐久平」では女性を乗せて疾走する馬に「望月の駒」、黒い龍に「竜になった甲賀三郎」。「安曇野・筑摩の里」は右手に鉄砲を持った「猟師澁右ェ門」と寝そべっている「ものぐさ太郎」、他に白い龍に乗った子供と、狐が描かれる。「木曽路」には髪を振り乱した「焼棚山の山姥」と姫が身投げ(?)する「姫ガ淵の歌」、「諏訪湖伊那谷」は諏訪湖が描かれ、そこから南へ、白犬の「早太郎犬」、太った狸「ずいとん坊」、相撲取りに近い体格の「大男尾科文吾」、そして南端近くにすらりとした「雪女」の立ち姿。――思わず、あんた、そことちゃうで、と突っ込みたくなった。
 この「雪女」の立ち位置――中央アルプスでも南の方、恵那山(2191m)と天龍川の間、標高2000mに達しない山並が続く辺りで、他の12話が伝承地(とされる場所)の近くに描かれているのに一人だけ道に迷ったようである。本来の位置である白馬岳の辺りには猟師渋右衛門が立っているので追い出されてしまったようだ。5~8頁(頁付なし)「目 次」で上部に狐と烏のカットがあるのは各頁共通。5頁は扉で中央に「信 濃 の 民 話 目 次」とある。6~8頁は頁の半ばが題と半角漢数字の頁を繋ぐ「……」で埋められている。最後、8頁21行め、下寄せで小さく「カバー絵・金沢佑光  さし絵・太郎座美術部  」とある。この目次のカットもカバーと同じ画家の作品に見えるから、金沢佑光(1935.2.15生)も当時、瀬川拓男が主宰していた人形劇団「太郎座」の美術部に所属していたのであろう。
 そしてまづ、「五つの地域」区分に属さない話から始める。検索の便宜のため、仮に番号を打った。
【1】でいだらぼっち・でいらん坊(9~15頁)
 本文は19頁2行めまで、余白があって左端に小さく「はなし   瀬 川 拓 男」。信濃の民話の総説のような位置付けなのである。各頁下部に絵、9頁は山野、10頁と11頁は同じ山並の絵、12頁と13頁も同じ、山野を走る子鹿を2頭連れた親鹿の3頭連れ、14頁の煙を吐く山は浅間山か。15頁は浅間山に息を吹きかける巨大な子供。獣皮を纏って縄で腰を縛る。裏は白紙。(以下続稿)
10月21日追記】目次5~8頁上部のカットに「ゆ.」、15頁左下隅にも「ゆ」のサインがある。すなわちこれらは金沢佑光(ゆうこう)の作であろう。以下の「ゆ」とある挿絵も金沢氏の作品と云うことになる。

白馬岳の雪女(068)

 昨日の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(29)「二」1節め②
 確かに、牧野陽子のように「白馬岳の雪女」はハーン「雪女」に基づくもので、原話などではない、と思っていたとしても、前回引用したように『信濃の民話』に載る「雪女」の最後に「採集 村沢武夫/再話 松谷みよ子」と添えてあれば、土地の伝承を村沢氏が「採集」したものだと普通は思う。松谷氏は村沢氏の「採集」した資料を提供されたのだと。そこを青木純二『山の傳説』からの書承であることを明らかにしたのは、遠田氏の手柄である。尤も、村沢氏が拠ったのは『山の傳説』ではなく別の本なのだけれども。
 それは良いとして、ここで牧野氏が批判するような「演出」が入る。それは「多くのハーン研究者同様、わたしも、この「村沢」を「信濃の民話編集委員会」の一人と思いこみ」との件である。
 「「信濃の民話」編集委員会」について、遠田氏はこれ以上説明していない。しかし、普通に、現地の資料提供者たちを共著者扱いしているのだろう、と思う。
 そこでこの辺りが実際はどうだったのか、先月隣の市の図書館で借りて今私の手許にある、2019年12月20日付「日本の民話1『信濃の民話』(1)」に挙げた諸本のうち、2020年3月12日付「日本の民話1『信濃の民話』(2)」及び2020年3月13日付「日本の民話1『信濃の民話』(3)」に取り上げた上製本(初版)第一刷にて見て置くこととしよう。
 1~3頁「は し が き」は、3頁5行め「一九五七年六月」付で、下寄せで3行、6行めは小さく「葛飾区金町四の三九」、そして7~8行めにやや大きく「瀬  川  拓  雄/松  谷  み  よ  子」連名である。さらに続けて頁の左側下半分に、9行め「編 集 委 員(アイウエオ順)」として2段に、13人を列挙する。1人に7字分でゆったり組んでいるが検索の便のため詰めた。上下段の間は2字分空けてある。上段「太田正治/興津正朔/楜沢龍吉/黒坂周平/児玉信久/瀬川拓男/高見沢博一」下段「田中磐/牧内武司/松谷みよ子/向山雅重/村田宗之/和田亀千代」で、瀬川氏の名前はこちらが正しい。
 それはともかく、ここに村沢武夫の名前はない。村沢氏は当時、恐らく飯田市在住で、下伊那郡の村誌執筆その他旺盛な著述活動を続けており、しばしば寄稿していた伊那史学会の機関誌「伊那」には、「信濃の民話」編集委員の牧内武司(1899.12.1~1989)や向山雅重(1904.7.6~1990.1.24)も寄稿しているから、連絡が付かなかったとも思えない。
 それはともかくとして、村沢武夫が「「信濃の民話」編集委員会」のメンバーでないことは「はしがき」によって直ちに判明するのだから「採集 村沢武夫」のカラクリが分かるまでメンバーと「思いこ」んでいたとは少々注意不足と云わざるを得ず、やはり「多くのハーン研究者」はこの件も「同様」に思われたくはないのではないか。
 いや、素で書いているのだとすれば注意不足だが、そうでない可能性、すなわち「演出」である可能性を(牧野氏のせいで)考えてしまうのである。そうだとすれば「左翼演劇青年でもあった瀬川の好み」と絡めて書きたかったからだと思うのだが、村沢氏が編集委員会のメンバーでない以上、そんなところを無理に結び付けて書く必要はないし、編集委員会に触れたいのであれば村沢氏はメンバーではないことを面倒がらずに書くべきであった。――すっきりした叙述にはならないが。
 さて、次回、『信濃の民話』の細目を点検して、13名の編集委員がどのように関わったのかを確認し、他に村沢氏のような関わり方になっている人がいないか、見て行くこととするが、まづ今回は「はしがき」から、編集委員会に関係しそうな箇所を抜いて置くこととする。1頁7行め~2行め3行め、

 信濃の民話を本にまとめよう……。この話ができたのは、一年前のちょうど今頃でした。幸い、信濃の昔/話や伝説については、柳田国男先生の御研究にもあり、また、すでに故人となられた小山真男、胡桃沢勘内、小/池真太郎、岩崎清美等の諸先輩の貴重な文献や資料も残されています。この他、編集委員である牧内武司氏をは/じめ、郷土の民俗研究者の、きわめて地味な活動が現にすすめられているとはいうものの、信濃全体の民話をま/とめ、しかも全国の人々に紹介するとなると、そこにはむずかしい問題がいくつも横たわっておりました。
 まづ、郷土の民俗研究者の横のつながりがなく、信濃全体にわたっての体系的な研究が不充分であること。次/に、方言で語られた原話をどのように再話するかが、学問の立場からも、文学の立場からも充分に明らかにされ/ていないこと。これらの基本的な問題にぶつかりながら、しかし、なによりも私たちをはげまし、勇気づけてく/れたのは、実に数多くの郷土の人たちの御協力でありました。
 養老院につとめながら、そこの老人たちの昔話を集めている木曾の山崎さん。狐の話にくわしく、桔梗原の狐/【1】の地図までそえて知らせて下さった松本の赤羽さん。その他、夜のふけるのも忘れて洪水に苦しんだ村の伝説や、/女の悲しみを話してくれた沢山の御老人や村の小母さんたち……。一人一人の名前はとてもあげることはできま/せんが、このような郷土の人々のかくれたご厚意と御協力によって、はじめてこの本がまとまっていきました。


 小池真太郎は『小谷口碑集』の編者小池直太郎(1894~1943)であろう。
 ついで13話の題を挙げて「信濃の特色ある物語」についてざっと説明し、2頁14~15行め、

 特に編集委員である和田亀千代氏のよせられた「鬼女紅葉」の大伝説。その他、多くの昔話や伝説についても、/私たちの研究の不足や紙数の関係ですべては次の機会にゆずらざるを得ませんでした。

とあるが、続刊されなかった。(以下続稿)

白馬岳の雪女(067)

 9月11日付(044)の続き。
・遠田勝『〈転生〉する物語』(28)「二」1節め①
 47頁7行め、3行取り2字下げでやや大きく「二 ハーンと「民話」の世界」とある。ここから68頁までが「二」章である。
 しかし、実は「二」章なのか不安があって、――「一」章の最後の段落、47頁2行めに8月22日付(26)に引いたように「本章の冒頭」とあって、だから「一」章「二」章と数えているのだけれども、その先を見て行くと「四」章4節め「母性の神話と父性の神話」の98頁4~5行めに「次節/でくわしく扱う」とあるのだが、そのような記述があるのは5節め「悲しみの正体」ではなく「五」章2節め「非白馬岳系の伝承」なのである。そうするとこの「次節」は「五」節と云うことになる。つまり、章なのか節なのか、遠田氏本人が統一していないのである。校正も引っ掛けるべきだったと思う。いや、校正は字句だけでなく内容でも怪しいところ、分かりにくいところ、矛盾するように感じられるところまで、とことん切り込んで欲しい。ここは単純に字句の問題だから、尚更である。
 「二」章は松谷みよ子の再話について検討した章である。――47頁8行め~48頁10行め、導入として昭和31年(1956)に『信濃の民話』取材の旅に出た松谷みよ子の回想を引き、これが出世作の『龍の子太郎』に繋がり、その後の松谷氏の活躍ぶり、『ちいさいモモちゃん』や『松谷みよ子全集』そして雑誌「民話の手帖」を主宰したことなどに触れてから1節め、48頁11行め~51頁1行め「松谷みよ子と民話「雪女」」で、松谷氏と信濃、民話、そして「白馬岳の雪女」との関わりについて述べ始める。
 しかし、この辺りのことを松谷氏の著述とも絡めて検討すると、そっちに手間取って松谷みよ子論みたいになってしまいそうなので『信濃の民話』と「白馬岳の雪女」に絞って進めよう。松谷氏の民話観や、再話についての私見2020年3月28日付「飯盒池(8)」に述べたことがあるので。
 49頁12行め~50頁13行め、

信濃の民話』は、木下順二の民話劇『夕鶴』とともに、一九五〇年代から七〇年代まで、ほぼ/三十年にわたる「民話の時代」を先導した歴史的な書物である。その編集は、左翼演劇青年でもあ/った瀬川の好みで「信濃の民話編集委員会」という、妙にモダンな集団名義になっているが、実質/的には、瀬川拓男・松谷みよ子夫妻の共著共編で、これをベストセラーにひきあげた原動力は、時/代の大きな流れとは別に、松谷みよ子個人の、それまでの口碑伝説の出版物にはなかった、知的で/あると同時にすぐれて大衆的な、明るい語り口にあったと思われる。そしてこの『信濃の民話』の/【49】なかに、「白馬岳の雪女伝説」は、安曇野の伝承として、四度目の、しかももっとも完成された姿/での登場を果たすのである。しかし、ほとんどの人が見逃していたのだが、そのみごとな民話「雪/女」の末尾には、小さな活字で短い二行の注記が記されていた。
 
  採集 村沢武夫
  再話 松谷みよ子
 
 松谷の「雪女」は、村沢の「雪女郎の正体」の再話だったのである。
 一般向けの民話集としては、こんなメモでも出典注記があるだけましなのだが、それにしても、/もう少し親切な書き方はできなかったものだろうか。多くのハーン研究者同様、わたしも、この/「村沢」を「信濃の民話編集委員会」の一人と思いこみ、松谷の「雪女」が、信濃山麓で語りつ/がれた口承伝説を「採集」したものだとばかり思い込んできた。結局、これで青木から松谷まで、/白馬岳の雪女伝説で、フィールドで採話されたものはひとつもなく、文献だけで一直線につながっ/てしまったのである。
 こういうことだったのかと、調べたわたし自身が、呆然としている。


 ここら辺りもやはり、8月19日付(23)に見たような、「ハーン研究者の多く」とか「多くのハーン研究者」とかが「わたしも」含めてこの問題に関して皆同じような認識をしていて、しかしその「ほとんどの人」よりも一足先に「わたし自身」は進み得たかのような書き方になっていて、最近の所謂「マウント」めいた按配になっている。いや、それだけでなく、ここにも牧野陽子が批判したような「演出」が、為されているように思われるのである。(以下続稿)

能美金之助『江戸ッ子百話』(10)

 さて、5月23日付「杉村恒『明治を伝えた手』(5)」に見たように、杉村恒『明治を伝えた手』の解説「職人の世界」に、江戸ッ子東魂会に触れたところがある。
 170頁12行め~172頁10行め、

 江戸っ子東魂会
 能美金之助氏は荒川区東尾久に住んでいる。十五年前から「江戸っ子東魂会」を主催している。「江戸っ子東魂会/の現在」というパンフレットには、こう記してある。
「江戸っ子東魂会は、十五年前の創立当時はいろいろ趣味本位に活動をし、殊に昭和二十八年より三十年までの春秋/に施行した、昔姿旅姿東海道五十三次徒歩旅行(一行三十名)三年間の大旅行には世人を驚かすような旅行を実行し、/【170】三条大橋まで行きました。その他色々の趣味に活躍致しましたが、現在は目覚しいことも面白いこともやっていませ/ん(会長の野生八十翁、古い会員幹部も努力の結果大分くたびれました)。
 ただ江戸っ子東魂会の誇りとしておりますのは、会員は今日の社会で立派な地位にある人々の団結であることです。/学者在り、大事業家・識者・俳人・画伯・法律家・数代続く江戸っ子通人・雅人など百人あまり、俺は江戸っ子だと/伝統精神を臍にしっかり納めている皆スッキリした方々の集団です。時には何かいたしますが、現在はたいしたこと/はいたしておりません。つまり別に面白いという会ではありません」
 能美さんは江戸の庶民の風俗歴史などをいろいろ書/いて残しているという。集大成が楽しみである。
 東海道五十三次旅姿は、先日の東京都主催明治百年/祭で、上野公園のパレードに参加している。


 2月25日付(01)に見たように『明治を伝えた手』刊行から3年経って「能美さん」が「いろいろ書いて残している」もの100話の「集大成」が出版された訳である。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 もう少し材料を集めてから投稿しようと思っていたのだが、揃わない。このまま忘れてしまいかねないので、取り敢えず上げて置くことにした。
 この江戸ッ子東魂会及び能美氏については、他にも本書刊行頃の文献に幾つか取り上げられているらしいのだが、まだ現物を確認していない。新聞記事の検索で、昔姿旅姿東海道五十三次徒歩旅行の記事を見付けているが、私が知りたいのは本書刊行後に江戸ッ子東魂会がどうなったのか、結局「江戸ッ子百話」は何話まで書き継がれたかなのである。しかしネットの調べでは限界があるようだ。鶴見俊輔が追悼文でも書いていないかと思ったのだけれども。(以下続稿)

夏目漱石『夢十夜』の文庫本(7)

 昨日の続きで、近藤ようこの漫画『夢十夜』について①単行本と②岩波現代文庫の比較。肝腎なところは既に済ませてしまったが。
 ①147頁の裏、奥付の前の頁は下部中央に縦組みで、まず太字でやや大きく「近藤ようこ」とあって、

一九五七年新潟市生まれ。漫画家、折口民俗学への関心から國學院/大學に進学し、在学中に漫画家としてデビュー。民俗学の素養を生/かして中世の説経節を積極的に描き、また、坂口安吾『夜長姫と耳/男』『桜の森の満開の下』『戦争と一人の女』、折口信夫死者の書』/の漫画化に取り組む。『水鏡綺譚』『説経 小栗判官』『見晴らし丘/にて』『ルームメイツ』など作品多数。

との紹介文、②のカバー表紙折返しと比較するに、まだ取り組んでいなかった澁澤龍彦『高丘親王航海記』がないのは当然として、『ルームメイツ』の前の『見晴らしガ丘にて』が、後の『アカシアの道』に差し替えられている。
 ②の奥付の前は白紙。
 奥付、下部に①は太線(7.4cm)2本の間(4.9cm)に、②は太線(7.3cm)2本の間(5.0cm)に、発行日、漫 画、原 作、発行者、発行所、印刷製本を並べるレウアウトは同じ。すなわち①は余白が広い。発行日以外の異同は、①は住所の下に詰めて「電話案内 03-5210-4000」とあったのが、②は半行分空けて「案内 03-5210-4000 営業部 03-5210-4111」になっている。2つめの太線の上、①「印刷製本・図書印刷」②「印刷・精興社 製本・中永製本」、1つめの太線の上、左詰めで標題「 夢十夜」。2つめの太線の下、中央やや左に①「© Yoko Kondo 2017」②は「2020」になっている。その下にそれぞれのISBNコード、2字分空けて「Printed in Japan」。②はここまでだが①は1行分空けて〈日本複製権センター委託出版物〉の断り書き5行。
 奥付の裏、①は中央に岩波文庫の『夢 十 夜 他二篇』など6点。②は「岩波現代文庫二〇年に際して」。最後に1頁5点ずつの、右下に「2020.1」とある「岩波現代文庫[文芸]」の目録が12頁。B248からB317まで。3冊組が1つ、2冊組のものが8点あるので60点70冊になっている。8頁め2点め「B293 夜長姫と耳男」3点め「B294 桜の森の満開の下」でともに「近藤ようこ漫画/坂口安吾原作」である。

 ともに単行本は小学館から刊行されており、10年ほどして岩波現代文庫に収録された訳である。 その辺りのことは、「近藤ようこファンサイト」に初出・単行本・再刊等の情報が纏められていて、非常に便利である。 その告知ブログ、漫画家・近藤ようこさんのファンサイトの新着情報「近藤ようこファンサイト お知らせ」には連載開始告知や新刊情報、原画展まで網羅されていて、2018年10月01日「「夢十夜」(夏目漱石原作)のフランス語版が刊行されました。」と、フランス語訳まで入手して紹介しているのである。(以下続稿)

夏目漱石『夢十夜』の文庫本(6)

 昨日の続きで近藤ようこの漫画の①単行本と②岩波現代文庫版を比較しつつ、今回は145~147頁「あとがき」について見て置こう。
 145頁(頁付なし)上部中央に小さく「あとがき」とあるのは同じだが組み直されている。146~147頁見開きもレイアウトは同じだがやはり組み直されている。
すなわち、①は1行35字だったのが②は34字である。146頁は①は18行だったのが②は19行である。147頁は①は17行、②は18行で最後に2行取り下寄せでやや大きく「近藤ようこ  」とあるのだが②は左に殆ど余白がなく窮屈である。下部に各頁に円が2つ、唐草風の装飾を時計で云うと4時と8時の位置の外側に伴い、1つめの下左と2つめの下右の装飾は接していて、そこに滴のようなものが描かれる。円の中には本篇から風景などを抜いて収めている。すなわち146頁右の円には47頁5コマめ、土手の上の藁葺きの家と柳(第四夜)、左の円には64頁の、楢の木に繋がれて草を食む白い馬(第五夜)、147頁の右の円には122頁3コマめ、「八幡宮」の額と鈴(第九夜)、左の円には132頁3コマめ、果物を盛った籐籠(第十夜)が、それぞれ若干縮小されて収められている。
 文章の冒頭を抜いて置こう。146頁①1~4行め②1~5行め、改行位置は①「/」②「|」で示した。

 初めて『夢十夜』を読んだのは大学時代、口承文芸の授業でのことだった。
 小泉八雲の再話でも知られる、「六部殺し」「こんな晩」系の怪談(民俗学は世間話というジャンルになる)と、『夢十夜』第三夜との関連について学|んだ。
 もう四十年も前のことで、よく覚えていないのだが、‥‥


 國學院大學文学部助教授であった野村純一(1935.3.10~2007.6.20)の授業であろう。――①では( )の注記を若干小さくして行数が増えないようにしていたが②は同じ大きさで、ここで1行増えている。
 146頁①8行め②9行め、

 今回、漫画化の話をいただいて改めて読むと、‥‥

 
とあるから、岩波書店側からの依頼であったようだ。現在の岩波書店ウェブサイトには掲載されていないので、初出がどんなものであったかは今から確認出来ないが、連載された2016年は漱石歿後100年、そして単行本刊行の2017年は漱石生誕150年と云うことでこのような企画が立てられたのであろう。
 当時、岩波文庫のカバーもこの漫画、8頁1コマめ(第一夜)の絵の、月を黄色に着色したものが掛けられていたようだ。岩波文庫創刊90年記念の企画でもあったようだ。


 さて、女の屍体が洋髪にネグリジェだが、これについては147頁1~4行めに説明がある。

 第一夜を読んだ時、ずいぶんと西洋風な話だと思った。だから漫画も純和|風/でなく無国籍な火事の風俗で描いた。あとで漱石は第一夜を、ラファエル|前派/の画家ロセッティの「祝福されし乙女」からインスパイアされて書いた|との説/を知り、我が意を得たりの気分になった。


 続いて、第二夜と第三夜についても工夫した点について少しずつ説明している。
 ①はここまでであるが、②は白紙1頁挟んで149頁(頁付なし)大きなコマ(12.8×8.5cm)の右上に宋朝体で「岩波現代文庫あとがきにかえて」少し空けて「に」の高さから大きく「第十一夜」、左下に座布団の真ん中で丸まった、首にリボンを付けた黒猫のカット。150~156頁の漫画はオリジナルだが154頁で主人公が擦れ違う女は2コマめ「ストレイシープ」と言うのである。(以下続稿)

夏目漱石『夢十夜』の文庫本(5)

 一昨日からの続きで、近藤ようこの漫画『夢十夜』について。
 ①の見返し(遊紙)は獣皮風のエンボスの紫色の紙。なお本体表紙は淡い紫色に細かく「十」字の入った楯のような模様を散らした柄になっている。文字等はカバーが外せないので良く見えない。扉はやや厚い黒い紙で、銀で左右・上下対照の蔓草の模様を刷り出す。中央を横長の楕円気味に丸く空けており(左と右は太い蔓1本で縦に直線に繋ぐ)、その中央に薄い二重丸、その外輪に上下左右とその間の8つ、同じ形に飾りが付く。文字ははっきりした銀の宋朝体で、この二重丸の中央から外へ、横組みで「近藤ようこ漫画夏目漱石原作」、下やや右寄りに小さく版元名、左に縦組みで小さく「*ゆめじゅうや*」、その左の黒地に大きく「十」。これは標題の真ん中で縦組みで大きく「夢 十 夜」とあるが上と下の1字は蔓草の上で、そこは文様が薄くしてある。この文様が10月8日付(3)に見た「目 次」裏の「文様 ©‥‥」を使用したものなのだろうか。
 ②の扉は岩波現代文庫の仕様通りでこんな凝った作りになっていない。すなわち、最上部に灰色で「 岩   波   現   代   文   庫 」とあって、以下も明朝体横組みで左寄せで、大きく標題、少し空けて「近藤ようこ [漫画]Yoko Kondo夏目漱石 [原作]Soseki Natsume」そして岩波現代文庫のマークとその下に「文芸 315」、最下部に小さく版元名。
 次の「目 次」から①②同じレイアウトになる。黒地だが印刷なので①は右側の扉裏の深い黒が際立つ。①はここから本文と同じ用紙になる。②は漫画の文庫本によく使用される白くて少し光沢のある紙なので印刷の黒地がテカテカする。
 この「目 次」、中央に①扉の中央にあった二重丸が、①ではごく薄く、②でははっきり分かる程度に入っている。文字は白抜き宋朝体で、まづ右に「目 次」下に17個の「*」①は灰色、②は白がはっきりしている。以下、この行と長さで右上から左下に斜めにスライドしつつ、次いで2段で大きく、上段は「第一夜 」から①は「第五夜 57」0.5字分ずつ下がって「第一夜」より2字分下がっている。算用数字はオールドスタイル。下段は「第一夜」の真下ではなくやや左にずれて「第六夜 73」、半行分上段より左にずれ、やはり2字分下がって「第十夜 129」そして最後の行は、1行めと対照させるように12個「*」があって「あとがき 145」となっていたが、②は「第六夜 73」を上段にやや窮屈に移して、下段は「第七夜 85」から「あとがき 145」までとなり、最後の行は3個「*」があって「岩波現代文庫あとがきにかえて第十一夜 149」となっている。
 「目 次」の裏、①は灰色地で10月8日付(3)に見たように但書きや【初出】が入っていたが、②は白紙。
 1頁(頁付なし)は「第一夜」の扉。以下①②で、余白の広さ程度しか異同はないようである。すなわち、コマをはみ出して紙の端まで刷られている絵は、②ではやや狭くなっている。144頁までは(一々確認した訳ではないが)一致する(ようだ)。(以下続稿)