瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

大和田刑場跡(10)

 ここで11月25日付「清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(06)」に挙げた、『八王子ふるさとのむかし話』の大和田刑場跡に関する記述について確認して置こう。
・清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』巻一83~84頁《12》大和田河原刑場(八王子市大和田町
 83頁下段4行め、3行取り3字半下げで「そ   の   二」とあるがその前に「その一」はない。しかしながらその前の本文全部が「その一」なのだろう。
「その一」は4段落11行。1段落め83頁上段1~6行め、刑場の役人を列挙した箇所は11月17日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(2)」に挙げた、清水成夫 編『八王子周辺の民話』15頁【11】大和田河原の刑場<八王子市大和田町>の15頁上段9~14行めにほぼ同じなのだが、句読点や括弧が混乱し若干の脱落もあって『八王子周辺の民話』は明快なのに、本書では殆ど意味が通じない。だからわざわざ引用しないで置く。残りの3段落はそのまま抜いて置こう。

 番頭内藤某、近く白山神社に祀ってあ/る。【83上】
 奈良平安鎌倉室町徳川期に至る非人扱/の刑場である。
 後に竹の鼻に移される。


 2段落めは『八王子周辺の民話』15頁下段2~3行め、

 この刑場の番頭は内前某で八王子初期には治安の為に/非常なる活躍をしたものである。

に対応すると思うのだが苗字が違っている。かつ「近く」に「白山神社」が見当らない。
 3段落めは1段落め冒頭(83頁上段1行め)が「昔からの刑場で‥‥」と書き出しているのを妙に時期を引き伸ばして繰り返している。
 4段落めは『八王子周辺の民話』には対応する記述はない。
 続く83頁下段4行め~84頁「その二」は『ふるさと八王子』40~41頁、1章め「ふるさと八王子」の【17】「大和田河原の刑場」(47・10・1)の転載だが出典を示していない。
 この『ふるさと八王子』の「大和田河原の刑場」だが、11月7日付(01)に事故と慰霊碑の件のみ引用して検討した。その前にあった刑場の説明は『八王子周辺の民話』に拠っていると思われる。但し上に挙げた刑場の役人の編成は取り上げていない。
 すなわち、『八王子周辺の民話』の1段落め(15頁上段2~8行め)は『八王子ふるさとのむかし話』の「その一」には採られていないが、『ふるさと八王子』40頁下段4行め~41頁上段1行めには対応する記述がある。但し『八王子周辺の民話』の段落末(7~8行め)「‥‥、また八王子総奉行大久保長安/罪悪発覚するや、子息雲十郎もここで処刑されている。」は『ふるさと八王子』には採られていない。『ふるさと八王子』が挙げるのは41頁上段1行め「大物怪盗大島逸平次*1」でこれは大鳥逸平のことだろう。『八王子周辺の民話』が15頁上段5行め「怪盗大島逸平次」とするのを踏襲したものと思われる。この誤りは『八王子周辺の民話』の典拠である、八王子市立第八小学校編『郷土のはなし』に淵源するのであろうか。
 それはともかく、この『八王子周辺の民話』の刑場の説明に、新たに戦後の工場の慰霊碑について書き加えた『ふるさと八王子』の記事を、『八王子周辺の民話』の編者であった清水成夫が改めて自著『八王子ふるさとのむかし話』の「その二」に、人名の誤りをそのままにして引用している訳である。
 異同を確認して置こう。その多くは清水氏の誤写と思われる。
・83頁下段5行め「天正十八年八王子城の‥‥」、
 『ふるさと八王子』40頁上段1行め「天正十八年、八王子城の‥‥」
・84頁上段2行め「‥‥/をみせてきた。まちが大きくなるにつれ/‥‥」
 『ふるさと八王子』40頁下段1~2行め「‥‥を見せてき/た。まちが大きくなるにつれ、‥‥」
・84頁上段5~6行め「‥‥大和田橋のたも/と附近(現在の製紙工場構内)に、‥‥」
 『ふるさと八王子』40頁下段5~6行め「‥‥大和田橋のたもと付近(現在/の紙工工場構内)に‥‥」
・84頁上段9行め「雰囲気」『ふるさと八王子』40頁下段8行め、ルビ「ふん い き 」。
・84頁下段1行め「‥‥/大物怪盗大島逸平次も、ここでバツサリ。」
 『ふるさと八王子』41頁上段1行め「‥‥/大物怪盗大島逸平次*2も、ここでバッサリ。」
・84頁下段5~6行め「 製紙工場ができてからは、とかく死亡事故などの大事故が多く、‥‥」
 『ふるさと八王子』41頁上段4~5行め「 紙工工場ができてからは、大きな事故など/が多く、‥‥」
『ふるさと八王子』の「紙工工場」が本書では「製紙工場」となっているのは、初出の八王子市広報「はちおうじ」に連載されていた「ふるさと八王子」では「製紙工場」となっていたのかも知れない。本書は『ふるさと八王子』刊行前に纏められているので、連載に拠っているはずだからである。「大きな事故などが多く、」も据わりの悪い表現で初出はやはり本書のように「とかく死亡事故などの大事故が多く、」となっていたのではないか。いづれ初出を確認するべきかも知れない。もちろん『ふるさと八王子』での追記[いま]に当たる記述は本書には存しない。(以下続稿)

*1:ルビ「おおしまいつぺい じ 」。

*2:ルビ「おおしまいつぺい じ 」。

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(11)

・「ふるさと八王子」の転載
 本書は「ふるさと八王子」の記事を多く、ほぼそのまま転載している。しかし、その殆どが明示されていない。
 そこで、ここに一覧にして纏めて置いた。巻二については、ここに追加するか、それとも別に纏めるか、改めて考えることにする。
八王子地区《30》古い石べい(八王子市南新町)53~54頁3行め
  典拠(成田山伝法院)
  ※「ふるさと八王子」【4】14~15頁「成田山伝法院の石塀」(46・8・1)
八王子地区《19》明治の宿場のなごり(八王子市八幡町)41頁3行め~42頁4行め
  ※「ふるさと八王子」【6】18~19頁「宿場町のなごり」(46・10・1)
八王子地区《23》お十夜(八王子市大横町)44頁5行め~45頁
  ※「ふるさと八王子」【7】20~21頁「お十夜」(46・11・1)
<加住地区>《9》明化小学校(八王子市戸吹町)143頁3行め~144頁5行め
  ※「ふるさと八王子」【9】24~25頁「明化学校」(47・2・1)
八王子地区《40》八王子の機関庫(八王子市子安町)62頁4行め~63頁6行め
  ※「ふるさと八王子」【10】26~27頁「八王子機関庫」(47・3・1)
<小宮地区>《25》キンセン平(八王子市子宮町 俗にキンセン平)99~100頁
       ◯その二 100頁上段4行め~下段
  ※「ふるさと八王子」【13】32~33頁「平の渡し」(47・6・1)
<小宮地区>《12》大和田河原刑場(八王子市大和田町)83~84頁
       ◯その二 83頁下段4行め~84頁
  ※「ふるさと八王子」【17】40~41頁「大和田河原の刑場」(47・10・1)
八王子地区《3》甲州道(二)(八王子市内)18頁7行め~20頁2行め
  典拠(はちおうじ)
  ※「ふるさと八王子」【20】46~47頁「甲州街道の市内電車」(48・2・1)
<小宮地区>《15》旗競馬(八王子市)87頁4行め~88頁
  典拠(ふるさと二一号)
  ※「ふるさと八王子」【21】48~49頁「旗競馬」(48・3・1)
八王子地区《18》とうもろこし地蔵(八王子市小門町)40頁5行め~41頁2行め
  ※「ふるさと八王子」【25】56~57頁「とうもろこし地蔵」(48・7・1)
八王子地区《32》あんま横町(八王子市東町)55~56頁6行め
  ※「ふるさと八王子」【26】58~59頁「あんま横丁」(48・8・1)
<加住地区>《7》近藤三助と天然理心流(八王子市戸吹町)141~142頁4行め
  ※「ふるさと八王子」【28】62~63頁「天然理心流剣道場」(48・10・1)
  *前半の典拠。
<浅川地区>《1》恋もかなう樫の木(八王子市東浅川町)144頁7行め~145頁
  ※「ふるさと八王子」【29】64~65頁「恋もかなう樫の木」(48・11・1)
八王子地区《3》甲州道(八王子市内)17~18頁6行め
  典拠「はちおうじ」
  ※「ふるさと八王子」【30】66~67頁「旧甲州街道」(48・12・1)
<小宮地区>《10》大和田坂の庚申塚(八王子市大和田町)80頁7行め~81頁
  典拠(市公報)
  ※「ふるさと八王子」【33】72~73頁「大和田坂の庚申塚」(49・4・1)
<横山地区>《3》さいかちの木(八王子市長房町)104頁7行め~105頁
  ※「ふるさと八王子」【34】74~75頁「皁莢の木」(49・5・1)
<横山地区>《2》十十里(二)(八王子市長房町)103頁3行め~104頁6行め
  ※「ふるさと八王子」【35】76~77頁「廿里山」(49・6・1)
<小宮地区>《21》笛継観音(八王子市小宮町)94~96頁5行め
       ◯その二 95頁上段6行め~96頁5行め
  ※「ふるさと八王子」【38】82~83頁「笛継観音」(49・9・1)
<小宮地区>《24》おちやの松(八王子市小宮町)98頁5~11行め
  ※「ふるさと八王子」【40】86~87頁「おちゃやの松」(49・11・1)
  *僅かな一致
 本当は異同を細かく挙げて置くつもりであったが、その余裕はなかった。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(10)

 昨日に続けて清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』巻二の内容を眺めて置きたいところでなのですが、本シリーズは都内の公立図書館には揃いで所蔵しているところがなく、都下の公立図書館にも殆ど所蔵されておりません。しかしながら、それでも巻二を所蔵しているところは若干多く、国立国会図書館(東京本館)にも巻二のみ所蔵されております。この国立国会図書館の蔵書は現在「作業中 デジタル化のため」とのことですから、遠からず国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧可能になるでしょう。しかし巻一はゆっくり閲覧する機会を作るのが今後も難しそうなので、先に巻一について、気になった点を確認して置きたいのです。
 気になるのは東京都立多摩図書館に所蔵されている巻一が、昭和55年(1980)7月刊で202頁とあることです。私の手許にある昭和52年(1977)4月刊本は扉や目次を足しても188頁しかありませんから、どうも、ただの増刷ではなく、組み直し、もしくは増補が為されているらしいのです。――以前の私であれば見に行ったと思うのですが、コロナ以後、いえ、コロナ以前から鼻中隔彎曲症の影響で出勤日を減らしておったのですが、いよいよ出勤日以外は外出が億劫になってしまって、出勤日には職場近くの図書館に寄るくらいしか出来ませんし、ゆっくりしている時間もありません。かつ、出掛けなくてそういう疲れがないせいか、中々寝付かれない。しかし朝は早く目が覚める。中々、思い立ってさぁ出掛けようと云う気分にならぬのです。都内に勤めていた頃は定期券を買っていましたので出勤日以外にも出掛けたものでしたが、今は乗る分だけ払いますので、いよいよそういう気分になりません。国立国会図書館デジタルコレクションも公開範囲が広がって、例えば大和田刑場跡にあった工場についても、中々短時日に処理しきれないくらいの情報に、居ながらにしてアクセスすることが可能となりましたし。
 そんな訳で、巻一の内容についても、昭和52年版と昭和55年版の比較など、色々と検討課題が残っておるのですが、色々やっておる余裕もありませんし、かつ、私の手許にある昭和52年版は化粧裁ちが為されていなくて、どうも素人臭い製本なのですが、読んでいる内に頁が外れて来るような按配で、複写なども躊躇される状態です。或いは巻二のみ所蔵している図書館が若干多い理由は、製本がしっかりしている巻二に比して、巻一は落丁で修復不能になって、除籍処分にされてしまったのかも知れません。昭和55年版は巻二と同様のしっかりした製本かも知れませんが、既に昭和52年版を所蔵している館が改めて買うようなことはないでしょうから、利用者の手に(多くはなかったでしょうけれども)触れるうち、結果、不揃いになってしまった、と云う筋を想像して見るのです。
 ネットの古本屋やオークションにも出ておりません。大学図書館や研究機関にも所蔵されておりません。八王子市内には刊行当時に本書を購入し仕舞い込んだままにしている家が少なからずあると思うのですけれども。――巻二のみ所蔵している館は寄贈を受付けて揃いにしてもらえないでしょうか。
 以下、個別の箇条若干を検討して行きますが、全体的な検討を一旦切り上げるに際して、細目作成のために通覧(通読する余裕はなかったので)した際に気付いた誤植その他の疑問箇所を指摘して置きましょう。
 八王子地区 
《2》丹前勝山 14~16頁
・15頁上段12~13行め「‥‥、庄司/道怒斎はその著「異本洞房梧園」の中で/‥‥」とありますが書名は『洞房語園』ですなわち「異本洞房語園」とすべきで、かつ庄司勝富(1668~1745)の号は「道恕斎」です。
・16頁上段9行め「洞房梧園」も同じく「洞房語園」。
《24》大善寺で死んだ稚子(八王子市大横町大善寺)46頁
・46頁下段4行め「安土」の「土」の上の横棒がかすれており、私の見た本では手書きで補ってあります。
<小宮地区>
《5》代官渕(八王子市中野町)75頁9行め~76頁7行め
・76頁上段4~6行め「‥‥、嫡子雲十郎が未だ幼年で/大和田刑場で死罪が旋行せられし折、皆知り/合ものにて施行出来兼ね逃がしたが、/‥‥」5行め「旋行」は6行めの如く「施行」でしょう。
《16》石川七名字七氏子(八王子市石川町日向)89頁
・89頁下段2~3行め「 享保五年(一八〇五)台風で全部つぶ/れた由。」この「七名字七氏子」の神社についての説明は、原典(?)の『八王子周辺の民話』には存しません。西暦換算は誤り、享保五年(1720)が正しい。享和年間(1801~1804)は享和元年(1801)から享和四年(1804)まで、五年があったとすれば1805年なのですけれども。
<横山地区>
《3》さいかちの木(八王子市長房町)104頁7行め~105頁
・105頁上段4行め「天平年間」は「天正年間」。
 「大和田刑場跡」「首なし地蔵」「笛継観音」は独立した記事として取り上げる予定です。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(09)

・巻一(6)浅川地区
 昨日の続きで5章めを眺めて置く。要領は11月24日付(05)に同じ。
144頁6行め~「<浅川地区>」
*「目次」4頁め上段2行めには1字下げでやや大きく「浅川地区(三十話)」とある。
《1》恋もかなう樫の木(八王子市東浅川町)144頁7行め~145頁
  ※「ふるさと八王子」【29】64~65頁「恋もかなう樫の木」(48・11・1)
《2》泰原庵の由来(八王子市東浅川町)146頁
  典拠(大貫常一氏)
《3》飯盛杉とたこ杉(八王子市高尾山薬王院)147頁
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』36「名木と伝説⑶」
◯その二 147頁下段
《4》泥棒の耳附板(八王子市高尾山薬王院)148頁
  典拠(露草雙紙)
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』16「泥棒の耳附板」
  ※『八王子周辺の民話』【26】高尾の天狗<八王子市高尾町>28~29頁
《5》七度返り刀(高尾山薬王院)149~150頁4行め
  典拠 露草雙紙より/不老軒宇多多/著者 宮崎伊八
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』16「泥棒の耳附板」
  ※『八王子周辺の民話』【25】七度返りの刀<八王子市高尾町>27頁
《6》テングの腰掛け松(南多摩郡浅川町高尾山)150頁5行め~153頁1行め
《7》天狗の花(浅川地区高尾)153頁2~10行め
  典拠(創価大学民話研究会)
《8》やにつぶて(浅川地区高尾)154頁
  典拠(創価大学民話研究会)
  ※『はちおうじの昔話』103~105頁「やにつぶて」
《9》高尾の天狗(浅川地区高尾)155~156頁3行め
  典拠(創価大学民話研究会)
  ※『はちおうじの昔話』180~184頁「天狗にさらわれた男」
《10》雨滝の観音(八王子市裏高尾町)156頁4行め~157頁3行め
  典拠(逸見敏刀氏)
  ※『八王子周辺の民話』【31】雨滝の観音<八王子市裏高尾町>34頁下
《11》鰻となった娘(八王子市裏高尾町)157頁4行め~158頁5行め
  典拠(逸見敏刀氏)
  ※『八王子周辺の民話』【27】鰻になった娘<八王子市裏高尾町>30頁上~下2行め
《12》景信山(八王子市裏高尾町)158頁6行め~159頁
  典拠(門倉好馬氏)
《13》蘆毛の渕(八王子市裏高尾町)160~161頁3行め
  典拠(逸見敏刀氏)
《14》脆い藤づるとやまめの片眼(南多摩郡浅川町景信山)161頁4行め~162頁1行め
  典拠(逸見敏刀氏)
《15》景信霊渕にクモよう怪(八王子市裏高尾景信山)162頁2行め~164頁
  典拠(逸見敏刀氏)
  ※『八王子周辺の民話』【29】蜘蛛の妖怪<八王子市裏高尾町>31~32頁
《16》景信山と木下沢(八王子市裏高尾町)165頁
  典拠(逸見敏刀氏)
  ※『八王子周辺の民話』【28】景信山と木下沢<八王子市裏高尾町>30頁下3~11行め
《17》矢渕(八王子市裏高尾町)166頁1~5行め
  典拠(逸見敏刀氏)
《17》その二 (あかはげ水)(八王子市裏高尾町)166頁6行め~167頁3行め
  典拠(逸見敏刀氏)
《18》蛇の鏡(八王子市西高尾町)167頁4~8行め
  典拠(逸見敏刀氏)
《19》大仏と小仏(八王子市裏高尾町)168頁
  ※『八王子周辺の民話』【32】大仏と小仏<八王子市裏高尾町>35頁
《20》小仏の怪女(八王子市裏高尾町)169~170頁
  典拠(清水庫之祐氏)
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』19「小仏峠の怪女」(梅翁随筆)
  ※『八王子周辺の民話』【30】小仏峠の怪女<八王子市裏高尾町>33~34頁上
《21》奇木珍木こぶモミ(八王子市東浅川大平御林釜ケ谷戸奥)171頁
《22》朝茶(浅川町その周囲辺一体)172~173頁3行め
《23》おひなさまの話(浅川地区高尾(落合))173頁4行め~174頁2行め
  典拠(創価大学民話研究会)
  ※『はちおうじの昔話』76~77頁「おひなさまの話」
《24》狸の提灯(浅川地区高尾(小坂))174頁3~10行め
  典拠(創価大学民話研究会)
《25》道上人の大池(浅川地区高尾)175頁
  典拠(創価大学民話研究会)
  ※『はちおうじの昔話』78~81頁「道上寺の大池」
《26》小仏峠の天神様(八王子市高尾町小仏)176頁
  典拠(黒沢卯一氏)
《27》長ま爺(八王子市小仏)177~178頁
《28》蛇滝(八王子市高尾町高尾山)179~180頁6行め
《29》びわ滝(八王子市高尾町高尾山)180頁7行め~181頁2行め
  典拠(高城正次氏)
《30》景信神社の龍骨(八王子市高尾町)181頁3行め~182頁3行め
 本文はここまでで写真は挿入されていない。余白には(恐らく出来合の)カットが挿入されていることがある。次の頁は奥付で、後記の類はない。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(08)

・巻一(5)加住地区
 昨日の続きで4章めを眺めて置く。要領は11月24日付(05)に同じ。
135~144頁5行め「<加住地区>」
*「目次」3頁め下段10行めには1字下げでやや大きく「加住地区(九話)」とある。
《1》滝は落ちると移った滝山城(八王子市丹木町)135頁2~11行め
《2》滝山城は霞の城(八王子市高月町滝町)136頁
  典拠(小池益男氏)
《3》眼鏡井戸(八王子市滝山二丁目)137頁1~6行め
  典拠(多摩の伝説)
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』68「井戸の伝説(下)」
《4》五穀石(八王子市加住地区)137頁7行め~138頁
  典拠(清水庫之祐氏)
《5》黒八丈の原料(八王子市高月町滝町)139頁1~4行め
  典拠(清水庫之祐氏)
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』14「黒八丈の由来」
《6》因果物語(八王子市高月町滝町)139頁5行め~140頁
  典拠 清水庫之祐先生
  ※『八王子周辺の民話』【18】因果物語<八王子市高月町>21頁下
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』18「多摩の因果物語」(因果物語)
  ※『因果物語』上ノ十「罪無シテ殺サルヽ者怨㚑ト成事*1
《7》近藤三助と天然理心流(八王子市戸吹町)141~142頁4行め
  ※「ふるさと八王子」【28】62~63頁「天然理心流剣道場」(48・10・1)(前半の典拠)
《8》八木岡家の伝説(八王子市戸吹町)142頁5行め~143頁2行め
《9》明化小学校(八王子市戸吹町)143頁3行め~144頁5行め
  ※「ふるさと八王子」【9】24~25頁「明化学校」(47・2・1)
 「因果物語」の原典は現在ではネットで閲覧出来る。愛知県図書館の貴重和本デジタルライブラリーの寛文元年(1661)十二月刊『因果物語』上ノ十六丁表3~8行め、同題(十四丁裏6行め~十六丁裏6行め)に4話纏められているうちの3話め。

武州瀧山。某代官ノ時。火事出來ス。下代某下女ヲ捉。是*2/ヲ科人ト爲。村中ヲ引廻テ後。火炙ニス。餘口ヲキクト云テ。*3/口ヲ破テ物ヲ言セズ。然ニ火ノ中ヨリ。大ナル黒虵。火ノ上ヱ四*4/尺程高。頭ヲ上テ見ケルガ。頓家ノ中ヘ來。先下代ヲ妻子共*5/ニ取殺。次ニ家老ヲモ先子供ヲ取殺シテ。後夫婦残無取殺。*6/扨主人ワ癩病ヲ受。久ク乞食シテ死セリ。慶長十年ノ比也。*7


 慶長十年(1605)頃の滝山の代官は誰だったのだろう。最初に出て来る「某」が「代官」で、最後に登場する「主人」である。
 清水庫之祐がこの話をどうやって知ったのか、これも追々考えて見ることとしよう。(以下続稿)

*1:振仮名「ツミナク・コロ・モノヲンリヨウ・ナル」。

*2:振仮名「ブシウタキヤマ・ナニカシダイクハン・トキ・クハジシユツライ・ゲダイナニカシゲヂヨ・トラエ・コレ」。

*3:振仮名「トガニン・ナシテ・ムラジウ・ヒキマワシ・ノチ・ヒアブリ・アマリクチ」。

*4:振仮名「クチ・ワツ・モノ・イワ・シカル・ヒ・ウチ・ヲヽキ・クロヘビ・ヒ・ウエ」。

*5:振仮名「シヤクホドタカク・カシラ・アゲ・ミエ・ヤガテイエ・ウチ・キタリ・マヅゲダイサイシトモ」。

*6:振仮名「トリコロス・ツギ・カロウ・マヅコドモ・トリコロ・ノチフウフノコリナクトリコロス」。

*7:振仮名「サテシユヂン・ライビヨウ・ウケ・ヒサシ・コツジキ・シ・ケイチヨウ」。

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(07)

・巻一(4)横山地区
 昨日の続きで3章めを眺めて置く。要領は一昨日に同じ。
101~134頁「<横山地区>」
*「目次」3頁め上段2行めには1字下げでやや大きく「横山地区(二十五話)」とある。
《1》神龍の伝説(八王子市長房町)101頁2行め~102頁3行め
  ※『八王子周辺の民話』【42】神竜の伝説<八王子市長房町>45頁
《2》十十里(八王子市長房町)102頁4行め~103頁上段2行め
  典拠(逸見敏刀氏)
《2》十十里(二)(八王子市長房町)103頁3行め~104頁6行め
  ※「ふるさと八王子」【35】76~77頁「廿里山」(49・6・1)
《3》さいかちの木(八王子市長房町)104頁7行め~105頁
  ※「ふるさと八王子」【34】74~75頁「皁莢の木」(49・5・1)
《4》底知れずの田(八王子市長房町)106頁
《5》縁切り橋(八王子市長房町)107~108頁3行め
  典拠(井上知子氏)
《6》広園寺の七不思議(八王子市山田町)108頁4行め~109頁8行め
  典拠(峰尾治兵ヱ氏)
《6》広園寺の七不思議(二)(八王子市山田町)109頁9行め~112頁1行め
  典拠(峰尾治兵ヱ氏)
《7》巨海大和尚と達磨(八王子市山田町広園寺)112頁2行め~113頁8行め
《7》巨海大和尚と達磨(二)(八王子市山田町広園寺)113頁9行め~114頁5行め
  典拠(菱山栄一氏)
《8》山田散田新地(南多摩郡横山村山田散田)114頁6~10行め
《9》館大日堂(八王子市館町殿入)115~116頁5行め
  典拠(禅東院老師 談)
《10》要石(八王子市下椚田)116頁6~11行め
  典拠(大貫房五郎氏)
《11》椚塚(八王子市下椚田町大巻)117頁
  典拠(大貫房五郎氏)
  ※『八王子周辺の民話』【45】椚坂<八王子市椚田町>47頁
《12》館には節句なし(南多摩郡横山村館)118頁
  ※『八王子周辺の民話』【44】館に節句はない<八王子市館町>46頁下3~10
《13》榛名神社南多摩郡横山村寺田)119頁
《13》榛名神社(二)(八王子市寺田町)120頁1~5行め
《14》寺田の地名(八王子市寺田町)120頁6行め~121頁7行め
《15》盗賊のだんござし(八王子市寺田町)121頁8行め~122頁6行め
  典拠(村下要助氏)
《15》盗賊のだんござし(二)(八王子市寺田町)122頁7行め~123頁6行め
《16》物見の鐘(八王子市寺田町)123頁7行め~124頁
  典拠(沢田鶴吉氏)
*124頁上段4行めにも(寺田 沢田鶴吉)とあり。
《17》まむし地蔵(八王子市初沢町)125頁
  典拠(高乗寺由来記)
《18》弘法岩(八王子市初沢町)126頁
  典拠(高乗寺由来記)
《19》生きた墓石(八王子市初沢町)127~128頁3行め
  典拠(高乗寺由来記)
《20》一段地蔵尊(八王子市狭間町)128頁3行め~129頁
《21》十王堂松の木(八王子市狭間町)130頁
  典拠(峰尾丈一氏)
《22》みこし入道(横山地区狭間)131頁
  典拠(創価大学民話研究会、加藤氏)
《23》とんだ訪問者(横山地区狭間)132頁
  典拠(創価大学民話研究会)
《24》ほうの葉パラリ(横山地区狭間)133頁
  典拠(創価大学民話研究会、加藤氏)
  ※『はちおうじの昔話』86~88頁「ほうの葉パラリ」
《25》椚坂(八王子市狭間町)134頁
 怱卒の間にざっと点検しているので見落しも多かろうと思う。気付き次第追記することとする。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(06)

・巻一(3)小宮地区
 昨日の続きで2章めを眺めて置く。要領は昨日に同じ。
 1点、典拠を追加して置く。
創価大学民話研究会 編著『はちおうじの昔話』昭和59年9月10日発行・定価1200円・有峰書店・188頁・四六判並製本
 これも本書以降に刊行されているので、185~188頁「あとがき」に、185頁5~6行め「‥‥四十七年の創部‥‥。創部から間もない第/二回創大祭で発刊した『民話集その一』‥‥」とある、昭和47年(1972)以降学園祭などの折に刊行された会誌を清水氏は見ていることになる。
68~100頁「<小宮地区>」
*「目次」2頁め上段13行めには1字下げでやや大きく「小宮地区(二十五話)」とある。
《1》中野町の地名(八王子市中野町)68頁2行め~69頁
◯鵯山 69頁上段1~3行め
◯安土 69頁上段4~6行め
◯中田 69頁下段1~3行め
◯金子田 69頁下段4~5行め
柳橋 70頁上段1~2行め
◯前田 70頁上段3~4行め
◯山王林 70頁上段5~7行め
◯清水 70頁上段8~9行め
◯津久田 70頁下段1~2行め
◯原屋敷通・原屋敷 70頁下段3~5行め
◯根付屋敷通・上屋敷通 70頁下段6~7行め
◯甲の原 70頁下段8~11行め
《2》中野七不思議の清水(八王子市中野町東二丁目)70頁
《3》川中島の槍(八王子市中野町山田)71頁
  典拠(清水庫之祐氏)
◯ 72頁1~3行め
  典拠(清水庫之祐氏)
《4》喜福寺の化猫(八王子市中野町)72頁4行め~75頁8行め
  典拠(村田光音氏)
  ※『八王子周辺の民話』喜福寺の化け猫<八王子市中野町>12~13頁
《5》代官渕(八王子市中野町)75頁9行め~76頁7行め
《6》古刀塚(中野町九小プールそば)76頁8行め~77頁6行め
《7》せきもり様(八王子市中野町三丁目染谷氏傍)77頁7~10行め
《8》なずなの森(八王子市西中野安土)78頁
《8》なずなの森(二)(南多摩郡小宮町西中野安土)79頁
《9》姿見橋(南多摩郡小宮町西中野安土)80頁1~6行め
《10》大和田坂の庚申塚(八王子市大和田町)80頁7行め~81頁
  典拠(市公報)
  ※「ふるさと八王子」【33】72~73頁「大和田坂の庚申塚」(49・4・1)
《11》大谷の弁天池(八王子市大谷町)82頁
  典拠(郷土昔ばなし)
  ※『八王子周辺の民話』【10】大谷弁天池<八王子市大谷町>14頁
《12》大和田河原刑場(八王子市大和田町)83~84頁
  ※『八王子周辺の民話』【11】大和田河原の刑場<八王子市大和田町>15頁
◯その二 83頁下段4行め~84頁
  ※「ふるさと八王子」【17】40~41頁「大和田河原の刑場」(47・10・1)
《13》大蛇を退治した話(南多摩郡小宮町下大和田)85~86頁4行め
  典拠(木下亦蔵氏)
  ※『八王子周辺の民話』【12】関根父子の大蛇退治<八王子市大和田町>16頁
*「目次」2頁め下段8行め「関根父子が大蛇を退治した話・・・・・・ 85」とある。
《14》高倉の三軒家(八王子市高倉町)86頁5行め~87頁3行め
  典拠(郷土昔ばなし)
《15》旗競馬(八王子市)87頁4行め~88頁
  典拠(ふるさと二一号)
  ※「ふるさと八王子」【21】48~49頁「旗競馬」(48・3・1)
《16》石川七名字七氏子(八王子市石川町日向)89頁
  典拠(塚場・和田ひやく氏)
  ※『八王子周辺の民話』【13】玉蜀黍を嫌う<八王子市石川町>17頁
*「目次」2頁め下段11行め「石川七名字七氏子・・・・・・・・・・・・・・・・ 89」とある。
《17》首なし地蔵(八王子市石川町)90~91頁6行め
  典拠(郷土ばなし)
  ※『八王子周辺の民話』【14】首なし地蔵<八王子市石川町>18頁
《18》五輪様と耳疾(八王子市石川町日向)91頁7~11行め
  典拠(渡辺ヨシ氏)
《19》姫宮八幡(八王子市宇津木町)92~93頁2行め
  典拠(坂本団蔵氏)
  ※『八王子周辺の民話』【15】姫宮八幡(青木神社)<八王子市宇津木町>19頁
《20》うなぎ沼(八王子市宇津木町)93頁3~10行め
《21》笛継観音(八王子市小宮町)94~96頁5行め
◯その二 95頁上段6行め~96頁5行め
  ※「ふるさと八王子」【38】82~83頁「笛継観音」(49・9・1)
  ※『八王子周辺の民話』【16】笛継観音<八王子市小宮町>20頁
《22》お手引地蔵(八王子市小宮町)96頁6行め~97頁6行め
  典拠(郷土はなしより)
《23》ざっくりばばあ(小宮地区小宮)97頁7行め~98頁4行め
  典拠(創価大学民話研究会、関根ミヨ氏)
  ※『はちおうじの昔話』131頁「小豆洗い」
《24》おちやの松(八王子市小宮町)98頁5~11行め
  ※「ふるさと八王子」【40】86~87頁「おちゃやの松」(49・11・1)
《25》キンセン平(八王子市子宮町 俗にキンセン平)99~100頁
  典拠(桑都日記)99頁左下
  ※『八王子周辺の民話』【17】きんせん平<八王子市平町>21頁上
◯その二 100頁上段4行め~下段
  ※「ふるさと八王子」【13】32~33頁「平の渡し」(47・6・1)
 どうも、伝説とは言い難い記事をそのまま抜いているものが少なくない。そこに清水氏の解釈や、異聞等の追加も見られないようだ。それが欲しいような気もするし、余計な追加や書き換えがない方が良いようにも思う。しかし典拠についてはもう少し丁寧に記録して置いて欲しかったと思うのである。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(05)

・巻一(2)八王子地区
 本書には、前回引いた「まえがき」にあったように、八王子市内の5つの地区の伝説等が纏められている。
 以下、地区ごとに、仮に《番号》を打って細目を眺めて置くこととしよう。4行取り2段抜きの題の左下に添えてある(地名)は、仮に題下に添え、その下に収録位置を示した。目次に添えてある話数に従って番号を附したが、なお目次には挙がっていない同題のダブリは、1話めと番号を同じくして同じように挙げて置いた。また、1つの題に幾つかの項が纏められている場合、各項に仮に「◯」を冠し、その題と収録位置等を附した。「典拠」として本文末に下詰めで入っている書名、人名を行を改めて添えた。加えて、※に私の気付いた典拠となった文献、共通する話を載せる文献、本書を利用した文献を註記した。
 私が今回対照した文献は以下の通り。
・清水庫之祐「多摩の傳説」‥‥「商工日日新聞」連載。私は二代目清水庫之祐編『多摩の傳説』に拠ったが、本書刊行後に出ているので清水氏は連載の切抜きに拠ったものと思われる。
・『八王子周辺の民話』‥‥清水氏の編著で東京都立八王子図書館の『郷土資料シリーズ(4)』。但し清水氏はこの本には拠らずに原資料に拠ったらしい。細目は11月17日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(2)」に示した。
・八王子市「ふるさと八王子」‥‥八王子市の広報に連載。これも1冊に纏められたのは本書刊行後なので清水氏は切抜きを使用したものと思われる。私は書籍版に拠った。細目は11月1日付「東京都八王子市『ふるさと八王子』(1)」に示した。
・八王子市「東西南北」‥‥八王子市の広報に本書刊行後に連載。「ふるさと八王子」と抱き合わせて1冊に纏められており、本書を利用した記述がある。細目は11月3日付「東京都八王子市『ふるさと八王子』(3)」に示した。
4~67頁「八王子地区」
*「目次」1頁め上段3行めには1字下げでやや大きく「八王子地区(四十三話)」とある。
《1》八王子の地名(八王子市)4頁2行め~13頁
◯横山町 4頁上
八日市(八日町) 4頁下
  典拠(八王子市)
八木町 5頁上1~5行め
◯平岡町 5頁上6~13行め
◯小門町 5頁下1~6行め
◯千人町 5頁下7~12行め
◯馬乗 6頁上1~6行め
◯八幡宿 6頁上7~13行め
◯日吉 6頁下1~3行め
◯久保 6頁下4~5行め
◯島ノ坊 6頁下6~9行め
◯寺町 6頁下10~12行め
◯三崎町 7頁上1~4行め
◯本郷町元本郷 7頁上5~13行め
◯富士見町 7頁下1~4行め
◯竹の鼻船森 7頁下5~14行め
◯藪の内 8頁上1~6行め
◯大横町 8頁上7~10行め
◯梅原横町 8頁上11~12行め
◯あんま横町 8頁下1~3行め
◯御無沙汰横町 8頁下4~5行め
◯馬場横町 8頁下6~7行め
◯南横町 8頁下8~9行め
◯小谷横町 8頁下10~11行め
  典拠(八王子市)
◯八王子八景(八王子風土記)9~10頁
◯明治初年八王子八景 11~12頁
◯明治三十年頃/八王子の八景 奥津涯江 13頁上
◯八王子八勝記 澳津涯江 13頁下
《2》丹前勝山 14~16頁
  ※『八王子周辺の民話』【2】丹前勝山<八王子市横山町>3~4頁
《3》甲州道(八王子市内)17~18頁6行め
  典拠「はちおうじ」
  ※「ふるさと八王子」【30】66~67頁「旧甲州街道」(48・12・1)
《3》甲州道(二)(八王子市内)18頁7行め~20頁2行め
  典拠(はちおうじ)
  ※「ふるさと八王子」【20】46~47頁「甲州街道の市内電車」(48・2・1)
《4》弘法大師と水無河原(八王子市)20頁3行め~21頁4行め
  典拠「八王子」昭和八年
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』11「水無し河原」(郷土教育資料)
  ※『八王子周辺の民話』【6】水無河原<八王子市日吉町>8頁
《5》富士塚(八王子市上野町)21頁5行め~22頁4行め
  典拠「八王子」
  ※『八王子周辺の民話』【8】富士塚<八王子市上野町>11頁
《6》だんご祭(八王子市上野町)22頁5~10行め
《7》御所水(八王子市台町 御所水 )23頁
《8》良寛和尚と秋山義方(八王子市子安町)24頁
  典拠(天野佐一郎氏)
《9》セーキ地蔵(八王子市千人町)25頁1~5行め
  典拠「八王子」
《10》飼犬大黒(八王子市千人町)25頁6行め~26頁8行め
  典拠「桑都日記」
《11》千人頭原半左ェ門と馬(八王子市千人町)26頁9行め~27頁
  典拠「新事著聞書」清水庫之祐氏
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』42「馬の話」(新著聞集)
  ※『八王子周辺の民話』【5】原半左衛門と馬<八王子市千人町>7頁
《12》文護稲荷(八王子市追分町)28~29頁8行め
  典拠(大野清次郎氏談)
《13》車地蔵(八王子市八木町)29頁9行め~30頁9行め
  典拠(小沢佐吉氏談)
《14》三年坂(八王子市八木町追分町・第二小学校の横道)30頁10行め~32頁6行め
  典拠(東京日々新聞)
《15》現宝稲荷(八王子市本郷町)32頁7行め~35頁
  典拠(山本正夫氏)
  ※『八王子周辺の民話』【7】現宝稲荷社<八王子市本郷町>9~10頁
《16》賭け事にきく黄金地蔵(八王子市八木町三〇)36~37頁
  典拠(読売新聞)
《16》黄金地蔵(二)(八王子市八木町雲龍寺内)38頁
《17》産千代稲荷(八王子市小門町)39~40頁4行め
《18》とうもろこし地蔵(八王子市小門町)40頁5行め~41頁2行め
  ※「ふるさと八王子」【25】56~57頁「とうもろこし地蔵」(48・7・1)
《19》明治の宿場のなごり(八王子市八幡町)41頁3行め~42頁4行め
  ※「ふるさと八王子」【6】18~19頁「宿場町のなごり」(46・10・1)
《20》鼻取り如来(八王子市大横町)42頁5行め~43頁2行め
  ※『八王子周辺の民話』【3】鼻取如來<八王子市大横町>5頁
《21》歯吹阿弥陀如来(八王子市大横町極楽寺)43頁3~10行め
  典拠(八王子市)
《22》首地蔵(八王子市大横町)44頁1~4行め
《23》お十夜(八王子市大横町)44頁5行め~45頁
  ※「ふるさと八王子」【7】20~21頁「お十夜」(46・11・1)
《24》大善寺で死んだ稚子(八王子市大横町大善寺)46頁
  典拠(清水庫之祐氏)
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』46「寺や社の伝説」
《25》笠守稲荷(八王子市大横町)47頁1~5行め
《26》機守様(八王子市大横町)47頁6行め~48頁6行め
  典拠「八王子より」
《27》亀屋の徳利(八王子市八日町)48頁7行め~50頁
  典拠(八王子)
  ※『八王子周辺の民話』【1】亀屋の徳利<八王子市八日町>1~2頁
  ※清水庫之祐『多摩の傳説』61「徳利亀屋」(郷土教育資料)
《28》八日市十文字桑(八王子市八日町)51頁
  典拠(八王子)
《29》とんがらし地蔵(八王子市本町「禅東院」)52頁
  典拠(大石俊一氏談)
《30》古い石べい(八王子市南新町)53~54頁3行め
  典拠(成田山伝法院)
  ※「ふるさと八王子」【4】14~15頁「成田山伝法院の石塀」(46・8・1)
《31》祐天面と血の雨(八王子市寺町)54頁4~10行め
  典拠(小俣進一氏談)
《32》あんま横町(八王子市東町)55~56頁6行め
  ※「ふるさと八王子」【26】58~59頁「あんま横丁」(48・8・1)
《33》小豆買の僧侶 56頁7行め~57頁6行め
《34》空より石が降る(八王子市旭町)57頁7行め~58頁8行め
《35》横山様(八王子市元横山町)58頁9行め~59頁5行め
《36》竹の鼻の生姜祭り(八王子市新町)59頁6行め~60頁2行め
《37》さいかち様(八王子市新町)60頁3~10行め
《38》安産の神様(八王子市明神町)61頁1~5行め
《39》せき守様(八王子市明神町)61頁6行め~62頁3行め
《40》八王子の機関庫(八王子市子安町)62頁4行め~63頁6行め
  ※「ふるさと八王子」【10】26~27頁「八王子機関庫」(47・3・1)
《41》藤井の行者(八王子市子安町一丁目)63頁7行め~64頁
《42》馬場横町(八王子市千人町)65頁
《43》子安神社と新年松飾り(八王子市子安町)66~67頁
 典拠を示さない話が多く、かつ市の広報に連載されていた、伝説とは言い難い文章を載せているのが気になる。folklore や legend ではなく reminiscence の意味の「昔話」と云うことには、なるのだろうけれども。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(4)

・巻一(1)まえがき
 扉の裏から2段組の「目  次」が4頁(頁付なし)ある。
 その次の見開き、2~3頁が「ま  え  が  き」である。――これだと「目次」の4頁めが1頁と云う勘定になるが、扉(頁付なし)が1頁と云うことになろうか。2行めから抜いて置こう。

 私は,八王子に生まれ育ってきたもので、若い頃より村々の古老方と交り/又文書で珍らしい事柄を少しづつ伝え聞いた儘、書き残したものを、今回ま/とめるに当り、永い間集めたので、市町村合併の町名変更等に依り読み違い/重復、誤記等があると思いますが御諒承して下さい。


 各話の末尾に『八王子周辺の民話』と同じように典拠が表示されているのだが、これがない話も多い。「若い頃より‥‥永い間集めた」ため、何に拠って知った話なのか、分からなくなってしまった話が多いのか、とも思ったのだが、近年の文献から採ったものでも記載のないものが多々あって、どうも清水氏はこう云った辺りに頓着しない傾向があったようである。
 2~3段落め(6~9行め)を見て置こう。2段落めが字下げしていないのは原文のママ。

歴史と違い伝説なので馬鹿なことと思いになるような箇所もあるとおもいま/すが、あくまで「八王子昔ばなし」としてお読みください。
 また、歴史を肯定否定するものもありますが、あくまで伝説としておよみ/になって判断して下さるなら誠に幸いです。


 同趣旨の繰り返しになっている。
 4段落め(10行め~3頁2行め)、

 八王子昔ばなし(八王子)旧市、小宮・横山・加住・浅川を巻一として出/【2】版、恩方・元八王子・由井・由木を巻二として、早速に出版する予定です。/是非共つづいてご購読をお願いいたします。

とあるが巻二が刊行されたのは3年後である。定価などは入っていないが「ご購読」とあるので、配り本ではなく(配ったものも少なくなかったろうが)市内の書店などで販売していたようである。
 最後の段落は出版の関係者への謝辞、1行分空けて5行め2字下げで「昭 和 五 二 年 春」、さらに1行空けて下寄せで「(清  水  成  夫) /号  睦  敬  」とある。
 清水氏の号については、11月18日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(3)」に参照した橋本義夫「清水成夫」(『雲の碑 地方史の人びとⅡ』所収)242頁13行め~243頁1行めに、

 本名は「成夫」と書く。スーパーマン水野成夫と同じ名だ。歴史の方では「睦元」と自/書している。私は「ムツモト」とよむのだろうと思つていたら、或る時、日野の古谷郷次郎/老が「ボクゲン」といつていた。氏から史号のことは一言もきいていないが、郷土史の元締/【242】「稲村担元」あたりから出ているのではないか?日本仏教史上の名僧、道元、祖元、隠元と/いつた人物になぞられたのかも知れない。

とある。実業家の水野成夫(1899.11.13~1972.5.4)と同じ読み方だと云う訳だが、私は水野氏についての知識がなく「スーパーマン」と称されていた理由も分からない。古谷郷次郎は戦前の日野尋常高等小学校校長で終戦時の日野町長だった古谷剛次郎だろう。稲村担元は曹洞宗の僧侶で、東京と埼玉県の「郷土史の元締」だった稲村坦元(1893.4.19~1988.4.17)、全て当時現存の人物である。
 しかしながら、本書では「睦敬」と号しており、OPAC その他で検索しても清水睦敬しかヒットしないのである。すなわち、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来る、武蔵野文化協会の機関誌「武蔵野」への寄稿を見るに、いづれも「清水睦敬」である。
・「峻翁令山法光圓融禪師の開山の広園略史」「武蔵野」第四十九巻第一・二号(新春合併号)19~32頁(昭和四十五年一月十五日発行・48頁)
・「横山党の居館について」「武蔵野」第五十二巻第一号(通巻)第二八四号22~29頁(昭和四十八年四月十五日発行・63頁)
・「廻国雑記標註を著した/関岡野州良」「武蔵野」第五十六巻第二号「通巻第二九四号」28頁(昭和五十三年五月三十日発行・43頁)
 それから「たましん地域文化財団/デジタルアーカイブ」で閲覧出来る、多摩中央信用金庫(現・多摩信用金庫)が刊行していた「多摩のあゆみ」への寄稿も、やはり全て「清水睦敬」である。
・「多摩の古道雑感」「多摩のあゆみ」第五号28~29頁(昭和五十一年十一月十五日発行・80頁)
・「〈中 世 多 摩/最大の悲劇〉 横山残党掃蕩作戦」「多摩のあゆみ」第十七号30~31頁(昭和五十四年十一月十五日発行・88頁)
・「「多摩の歴史研究者たち」/―大 正 編―」「多摩のあゆみ」第四十一号135~137頁(昭和六十年十一月十五日印刷・発行・268頁)
・「後北条氏の多摩進出と在地領主達の興亡」「多摩のあゆみ」第五十号190~202頁(昭和六十三年二月十五日印刷 発行・208頁)
 第五十号202頁左下に「しみず ぼくけい」との読みが、初めて示される。
 そうすると『雲の碑』には誤植も多いし、橋本氏は何らかの勘違いで「睦元」と思い込んでいたのではないか、との疑いも覚えたのだけれども、八王子撚糸産業組合 編集『繊維産業史資料八王子撚糸業史稿』(昭和三十六年九月二十日印刷・昭和三十六年十月 一日発行・多摩文化研究会・248頁)115頁11行めに「‥/‥。これらについては別項、清水睦元氏、橋本義夫氏の研究より、‥‥」とあるから、昭和30年代までは「睦元」と号していたもののようである。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(3)

 巻一には昭和55年(1980)版、すなわち巻二刊行に合わせた増刷があったようだ。昭和52年(1977)版の巻一を借りている間に、並べて見たいとは思うのだけれども、ちょっとその余裕はなさそうだ。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 巻二の〔A〕と〔B〕の異同だが、〔A〕は191頁と奥付の間に折込みの「圖 總 郡 摩 多 南」がある。但し「間鶴」までは載っているがそこから南が切れている。何かの地図の一部らしいが出典を書いていない。神奈川県ではないこと、町制施行しているのが八王子町と日野町のみで、豊田駅の辺りにあった桑田村がなくなって日野町に含まれているところから明治34年(1901)4月1日以降、いや、中央本線が八王子より先、浅川駅(現・高尾駅)があって東小佛隧道線(小仏トンネル)が開通しているところから同年8月1日以降、横浜鉄道(現・横浜線)が通じているところから明治41年(1908)9月23日以降、そして「町田村」として載っている現在の町田市が町制施行して町田町になったのが大正2年(1913)4月1日である。そうすると明治41年9月から大正2年3月までの地図と云うことになる。他にも子細に点検すれば時期を絞り込む手懸りがあるかも知れぬ。
 大体の時期の見当が付いたから、今後、この時期の資料に注意して見ることとしよう。
 この地図が〔B〕にはない。初めからなかったのか、取れてしまったのか、よく分からない。前者らしく見えるのだけれども。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 巻一は奥付にも下部小口側に「183」の頁付があり、裏の、中央に11月20日付(1)に注意した、牡丹の花らしきカットがあるがこの頁にも「184」の頁付がある。
 巻二〔B〕にも奥付の裏、中央に同じカットがあるが〔A〕にはない。〔B〕にはもう1枚、何も印刷されていない本文と同じ用紙があって、カットが薄く写っている。
 なお、巻二は〔A〕〔B〕とも化粧裁ちが施されているが、巻一は化粧裁ちしていないので、少々めくりづらい。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(2)

・奥付
 昨日、私の手許にある2冊の巻二の、装幀が微妙に異なっていることを述べた。
 奥付の発行年月は同じである。どちらが先か、俄に分からない。しかしながら、奥付も少し違うのである。
 そこで今回は、巻一・1冊と巻二・2冊の合計3冊の奥付について見て置くことにする。
 奥付は頁の下部に、2本の縦線で3つに仕切った大きな枠に記載されていることは3冊共通。
 巻一(7.5×6.2cm)は定規で引いたように見える太い枠で、右枠(1.5cm)には「八 王 子 ふ る さ と の/   む か し 話 (巻一)」とやや大きく標題、中央の枠(3.6cm)には、まづ「昭和五二年四月一日発行」とあり、少し空けて「〈著   者/発 行 者〉  清  水  成  夫」少し空けてやや小さく3行詰めて、まづ下寄せで「郵便番号 一九二」とあり、次いで「東京都八王子市中野町五〇八/ 電話(〇四★六)★★―★八七★」とある。電話番号は同じ数字を伏せて仮に★にして置く。左枠(1.1cm)には「〈印   刷/製   本〉  佐  藤  タ  イ  プ」とある。そして左欄外に「※ 万一落丁のときはお取替いたします。」と少し下辺よりはみ出して、ある。
 全体に上に余白が出来ている。巻二ではこれが解消されている。
 巻二〔A〕(7.6×6.2cm)は細い線で右枠(1.6cm)にはゴシック体で「八王子ふるさとのむかし話(巻二)」とあり、次いで中央の枠(3.4cm)にはまづ「昭 和 五 十 五 年 七 月 発 行」とあり、少し空けて「〈著   者/発 行 者〉  清  水  成  夫」また少し空けて「 192 東京都八王子市中野町暁町二―十六/    電話 (〇四★六)★★―★八七★」とある。左枠(1.2cm)には「〈印   刷/製   版〉   株 式 会 社  甲  文  社」とあり左欄外に下詰めで「※ 万一落丁のときはお取替いたします。」とある。
 巻二〔B〕は枠の大きさは〔A〕に同じ、右枠と中央枠の発行年月・著者/発行者は同版に見える。しかし次の住所が「    192 東京都八王子市暁町二―十六/    電話 (〇四★六)★★―★八七★」となっている。左枠は「〈印   刷/製   本〉    ソーイン企画印刷」とあって印刷所名は大きい。左欄外の文字も同版に見える。
 八王子市中野町508番地は現存しない。八王子市暁町2-16も良く分からない。但し暁町は昭和52年(1977)10月1日に住居表示実施に伴い成立した町で、中野町も一部編入されている。3年近く後のはずの巻二〔A〕が「中野町暁町」としている理由はよく分からない。或いは、清水氏は2021年5月12日付「和楽路屋『東京区分地図帖コンパクト版』(2)」に回想した、横浜(?)の郷土史家(?)のような意識の持ち主で、敢えて「本当の地名」を残し、新旧町名を並記したのかも知れない。しかし「中野町」がなくなった訳ではないので、どちらか分かりにくいと云うことになり、〔B〕増刷の際に「中野町」を削った、と云う筋が考えて見たのだがどうだろう。
 とにかく、著者/発行者の住所が3冊で3通りになっていると云う、変わったことになっているのである。(以下続稿)

清水成夫『八王子ふるさとのむかし話』(1)

 清水成夫の伝説蒐集に関しては、11月18日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(3)」及び11月19日付「清水成夫 編『八王子周辺の民話』(4)」に、昭和43年(1968)8月刊『八王子周辺の民話』の橋本義夫「跋」にある、清水氏が「前々から長年蒐集につとめていた」また「この資料の数倍にわたるものがすでに集録されてある」との記述に注意して置いたのですが、清水氏はこれを10年程後に刊行しております。
・清水成夫『八王子ふるさとのむかし話(巻一)』昭和五二年四月一日発行・清水成夫・184頁・新書判並製本
・清水成夫『八王子ふるさとのむかし話(巻二)』昭和五五年七月発行・清水成夫・191頁・新書判並製本
 巻一は淡い緑色地のカバー、巻二は淡い黄色地のカバーが掛かっている。
 カバー表紙上部に墨書の枠(約7.5×約6.5cm)があって、右から 2.2cm 程のところに縦線を引いて仕切っている。その右の狭い枠に「八王子ふるさとの」と墨書、左の広い枠に大きく「むかし話/  (巻一)」とある。これは巻二にも使い回しているが「巻一」の「一」の下に横棒を足して「巻二」にしている。下部にゴシック体横組みで「清 水 成 夫 著」とほぼ同じ辺りにあるがこれは使い回しではない。
 カバー背表紙、細いゴシック体で上部に「八王子ふるさとのむかし話(巻一)」下部に「清 水 成 夫  編 著」とある。今、私の手許には巻二が2冊あるが少々異なる。仮に〔A〕〔B〕として置こう。〔A〕は巻一と全く同じ字体・字配りで(巻二)になっているだけが違う。〔B〕は丸ゴシック体で字間も詰めて「八王子ふるさとの民話 (巻二)」そして下部に「清 水 成 夫 編 著」とある。
 別に間違いがある訳でもなさそうで、何故2種類あるのかはよく分からない。
 カバー裏表紙、中央に牡丹の花らしきカットがあるのは私の見た3冊とも同じ。
 見返しは巻一は桃色の模造紙、巻二の〔A〕は淡い青緑色の模造紙、〔B〕は黄色の模造紙、但しカバーの裏に貼り付けられておらず、本体表紙の養子が濃い橙色の皮革風のエンボスであることが良く分かる。巻一と巻二〔A〕はカバーと見返し、そしてブックコートフィルムでほぼ完全に覆われているので見づらいが、巻一の本体表紙はクリーム色の厚紙、巻二〔A〕は橙色の目の粗い麻布風のエンボスである。本体背表紙には3冊ともカバー背表紙と同じ文字が入っているようだ。本体の表紙・背表紙は流石に確認出来ない。
 扉は3冊とも、上部にカバー表紙と同じ墨書の枠と標題があって、下に横組みで、巻一はやや縦長のワープロで打ち出したような明朝体で「清 水 成 夫 編著」とある。巻二は〔A〕〔B〕同版でゴシック体で「清 水 成 夫 著」とあるが、字体は〔A〕のカバー表紙に一致するようだ。してみるとカバー表紙と扉が一致する巻二〔A〕が早い(或いは当初の)刷で、〔B〕は増刷らしい。元より断定は出来ないが。実は、巻二の〔A〕〔B〕は、奥付の発行年月は一致していて書誌データを取る上では違いが表面化しないのだが、著者/発行者の清水氏の住所、そして印刷所が異なっているのである。――内容に変更がないのであれば、発行年月を改めなくても(本書を使用する上では)構わぬのかも知れぬが。
 それはともかく、1冊だけではなく、念のためもう1冊、利用資格のない他市の図書館から取り寄せて置いたことの効用(?)を改めて思うのである。巻一は1冊しか手許にないが、実は増刷されているかも知れない。しかしこちらは複数の館で借り出すのは困難で、今は出来るだけ細かくメモを取って、閲覧の機会にある程度のことが分かるようにして置くより仕様がない。
 次回は、巻一も含めた3冊の奥付を比較して見ることとしよう。(以下続稿)

清水成夫 編『八王子周辺の民話』(4)

・郷土資料シリーズ⑷『八王子周辺の民話』(4)跋②
 昨日は典拠の問題で終わってしまったが、今回は橋本義夫「跋」のうち、編集について述べた箇所を見て置こう。67頁上段3~8行め、

 本シリーズには都合により五十六篇だけ採録されてあ/るが、氏の手元にはこの資料の数倍にわたるものがすで/に集録されてある。
 終りに本書刊行努力の各位に深甚な感謝を捧げたい。/なお清水夫人伊志子さん、および令弟の清水武夫氏写真/担当など陰の努力にも敬意を表したい。


「五十六篇」とあるが11月17日付(2)に見たように本書には65篇が収録されている。尤も、八王子市域の話だけであれば56篇である。但し、昨日引いたように橋本氏は本書が『八王子周辺の民話』として企画されていることを知っている訳で、当初、八王子市域のみ56篇で編纂されていたと云う訳でもなさそうだ。――このとき「集録されてあ」った「数倍にわたる」資料だが、後年清水氏が自刊している。
 そして、本書の図版は【2】の「勝山髷」以外は全て写真なのだけれども、これらは清水氏の弟清水武夫の撮影であることが分かる。
 67頁頁上段は12行めまでで、下段は同じ幅の囲みで「編 者 略 歴」がある。2~4行めの1項め2項めを抜いて置こう。

一、明治四十年二月、八王子市旭町二十五番地に生る。
一、昭和元年三月  東京府立第二商業学校卒業、家業飼糧/  業を自営かたがた地方史の研究に専念。


 明治40年(1907)2月生で大正15年(1926)3月に東京府立第二商業学校を卒業している。ちなみに第一商業学校(東京府豊多摩郡渋谷町下渋谷737番地)は大正7年(1918)10月1日設立認可、大正8年(1919)4月に第一期生が入学した現在の東京都立第一商業高等学校で、大正9年(1920)2月19日に第二商業学校の開校に伴い東京都立商業学校から改称している。こちらは創立の地(東京都渋谷区鉢山町8-1)に現在もあるが第二商業学校は東京都立八王子工業高等学校と統合されて東京都立八王子桑志高等学校となっており*1、現存しない。
 私は浪人時代に代官山や、今のように賑やかになる前の中目黒、目黒川沿いをぶらついていて、まだ同潤会アパートがあって今とは様子の違う代官山駅で、大勢の女子高生が乗り込んで来て、それで近くに商業高校があることを知ったのだが、第二商業が何処にあったのかこれまで意識したことがなかった。いや、浪人時代に上京して来た私は都立高校の知識に乏しいので、一商から五商まであって現在二商だけが欠けていることも知らなかった。いや、大学院の先輩が東京都立芝商業高等学校に勤めていて、26年前の秋、一度だけ訪ねたことがある。しかし何故第一商業と違って地名を冠しているのか考えたこともなかった。今日初めて、芝商は東京市京橋商業学校、のち東京市立芝商業学校だったので、東京府として創立された一商から五商と違ってナンバースクールになっていないことを知ったのである。しかし32年前の中目黒は、何だかうらぶれた、安っぽい感じの街で、搔揚げに南瓜の入っていた立喰蕎麦屋と、道幅は広いのに人通りが少なく車も殆ど通らないので真ん中を歩いても余り危ない感じのしなかった目黒銀座と、そしてとにかく日が照って明るい、しかし今よりもずっと狭かった山手通りの印象ばかりあって、今や花見の時期に交通規制が掛かるようなところだとは到底信じられないのである。
 なお第二商業高等学校の校地・校舎(東京都八王子市台町3丁目25番1号)は、第二商業高等学校と近隣の都立高等学校の定時制課程を統合した東京都立八王子拓真高等学校となっている。清水氏が通った頃は八王子市上野町75番地、八王子市郷土資料館と八王子市消防署、南大通りを挟んで南側に広がる空地の辺りにあったが*2昭和31年(1956)に区画整理により台町に移転している。その後南大通りが作られ、その南側には八王子市民会館が建設されたのだがそれも今はない。八王子市郷土資料館も閉館してしまった。
 3項め(5~7行め)は著作、4項め(8行め)は所属の学会等、5項め(9行め)は現住所である。
 次いで横組み(左開き)の「索  引」が4頁ある。題の50音順で目次と同じく括弧に話の舞台、そして頁を示すが話の題の50音順で引けるようになったところで大して役に立つとも思えない。話は地域別に収録されていると思われるので地域別の索引も不要だが、敢えて入れるとすれば人名や地名、神社仏閣などの索引ではなかったろうか。或いは話の内容による分類索引でも良かったかも知れない。
 最後に奥付。「編者」に「し  みず しげ お 」のルビ、それから発行者に「あき ま  よし え 」のルビがある。清水氏は郷土資料シリーズで本書のみの担当だが、本書まで4集の発行者として名の見える秋間節愛の名前の読み方は、これまでの3集には示されていなかったので、貴重な情報と云えよう。(以下続稿)

*1:この統合による閉校については、10月20日付「小泉二三『思い出の鑓水』(3)」に触れたことがある。

*2:村内伸弘(1968.2.15生)のブログ「ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログが好き」の2020/10/23「杖と蛇のマーク!昭和5年/1930年 府立二商(東京府立第二商業学校)の卒業記念章」に、祖父村内村雄の昭和5年(1930)の卒業記念章と昭和2年(1927)の記章が紹介されている。

清水成夫 編『八王子周辺の民話』(3)

・郷土資料シリーズ⑷『八王子周辺の民話』(3)跋①
 66~67頁上段に橋本義夫「跋」を見て置こう。66頁上段1~4行め、

 編者清水成夫氏は武相地方に知られた地方史家であ/る。今日まで四十余年、生活の三分二ほどの傾けるとい/う地方紙のマニヤ的な熱心家である。(同氏については/拙著『雲の碑』Ⅱ二四一―二四四頁を参照されたい)


 1行分空けて多摩丘陵の「谷*1」とともにあった民話が「谷*2」の開発とともに亡失の運命にあることを述べ、また1行分空けて下段2~9行め、

 数年前より都立八王子図書館は時代の変遷とともに亡/失の運命にある貴重な存在たる資料の保存につとめ、/『郷土資料シリーズ』として年々刊行を重ね、ここに第/四集『八王子周辺の民話』の企画となった。この地方で/は一部のある土地では既に民話を編した所もあるが、通/じての編著は無く、今回がはじめてである。
 編者清水氏はこの企画にうってつけであるし、幸にも/前々から長年蒐集につとめていた。


 この「前々から長年蒐集につとめていた」と云った辺りは、稀覯の文献からの引用があることからも察せられる。
 すなわち、【5】「原半左衛門と馬」の典拠として「清水庫之祐 編者『新著聞集』」とあるが、清水庫之祐(1894~1951.6)は2021年11月6日付「白石實三『武藏野から大東京へ』(1)」に見たように戦前の八王子市八日町の住人であり、元より寛延二年(1749)三月刊の説話集『新著聞集』の「編著」者ではない。
 この話は『新著聞集』四ノ十三裏2行め~四ノ十四表6行め、報仇篇第四ノ11「馬の筋骨をいためて神前に血を見る*3」を口語訳したものだが、清水庫之祐は八王子で刊行していた「商工日日新聞」に死去の直前まで「多摩の傳説」を連載していた、その1話なのである。もちろん版本ではなく『日本随筆大成』等の活字本に拠ったのであろう。この連載は子息の二代目清水庫之祐(1924生)が都立高校の校長退職後の昭和60年(1985)に1冊に纏めて刊行しているが、もちろん本書より後のことなので、清水成夫は連載時に切り抜いてスクラップしていたのを活用したのであろう。『多摩の傳説』の詳細については別に記事にする予定である。
 それはともかく、ここで橋本義夫「跋」に挙がっている「拙著『雲の碑』Ⅱ」の記述が思い合わされる。橋本義夫『雲の碑 地方史の人びと』(昭和四十一年六月十五日 印刷・昭和四十一年七月十五日 発行、定価二冊組・金千円、多摩文化研究会)は第一巻(4+2+3+111+3頁、印刷所 青少年技術指導所/八王子市大和田町)第二巻(273頁・印刷所 八王子印刷所/八王子市平岡町)の2冊から成る。第一巻巻頭の多摩文化研究会主幹鈴木龍二「序」(前付4頁)に拠ると「思いもかけぬ事故の連発」のため「印刷は延期に延期を重ねて」しまい、どんなトラブルなのだが詳しくは分からぬが「やむなく窮余の余りとは言へ小分冊に分けて上梓を急」いだ結果が、薄い第一冊と倍以上の頁の第二冊、前者は活版、後者は和文タイプ印刷と云う不体裁になったもののようである。但し表紙や扉など装幀は統一されている。
 さて、このⅡ241~244頁「清水成夫」に、やや詳しい清水氏の紹介がある。この文章は末尾(244頁2行め下詰め)に(六四・一一・一二)とある。241頁9~10行め「‥‥、父は八王子駅前の有名な肥料屋で、町/の有志だった清水保貴の次男、‥‥」とあり、242頁2~5行め、

 二商時代にコレクシヨンがはじまり、古銭、書画、切手、本 ・・・・・・・・・といつたものをた/めはじめたのだという。
 郷土史家とか、歴史道楽には、その出にいろいろなタイプがある。物識型、文学型、神主/坊主型、老人型、コレクシヨン型、等々、清水氏のは、コレクシヨン型らしい。

と評されているが、伝説類もその資料として早くから「コレクシヨン」されていたもののようである。
 最後の【64】【65】の日野市の2話は『武蔵野手帳』を典拠として挙げているが、これも清水庫之祐「多摩の傳説」と同じ頃のもので、武蔵野文化協会が昭和26年(1951)から翌年に掛けて12号刊行しているが、東京都立中央図書館は第2号・第3号・第4号を欠いており、揃いで所蔵しているのは東京都立大学図書館のみらしい。オークションサイトに「武蔵野手帳」第2号・第3号・第4号・第6号が1500円で出品されていたことがあり、その画像と説明に拠ると、「手帳」と称しているが〈發行兼/編 集〉武藏野文化協會の6段組の会報(26.5×19.5cm)のようだ。都立図書館が落札していたら揃うのだがどうなったろうか。それはともかく、彼此綜合するに、昭和26年(1951)7月に第1号、「昭和26年8月1日」に「第2號」、9月に第3号、「昭和26年10月1日」に「第4號」、「第6號」は最終頁左下の奥付の写真に拠ると「昭和二十六年十二月一日」発行で「定價十圓」、版元の所在地は「東京都武藏野市吉祥寺/自然文化園内」である。頁付は「― 20 ―」らしく見える。そして昭和27年(1952)1月に第7号、昭和27年12月12日に第12号が出ている。
 しかし、どうも清水成夫は、あちこちにアンテナを張り巡らせて数多く蒐めることには長けているものの、余り丁寧にコレクションするタイプではなかったようだ。前記「清水庫之祐 編者『新著聞集』」も「『新著聞集』」として置けば(伝説類の場合、直接拠った資料を省くような慣例があるから)問題なかったのを「清水庫之祐 編者」なる直接依拠した資料の情報を、中途半端に付け加えてしまっている。いや「清水庫之祐」の名を挙げているのはここだけだが、これ以外にも幾つか、その「多摩の傳説」から採った話があるらしいのである。詳細は清水庫之祐『多摩の傳説』について検討する際に報告することとしよう。――出典を示していない話が幾つもあるが、これらももちろん何らかの文献から引いたので、「多摩の傳説」のように隠れた典拠が多々存するはずである。かつ典拠をきちんと記録して置かなかったための記載漏れ、そしてそれを特に問題と思わず(当時の慣行からすれば当然と云っても良いようなことなのだけれども)そのまま載せたものらしいのである。(以下続稿)

*1:ルビ「やつ」。

*2:ルビ「やつ」。

*3:振仮名「むま・すじほね・しんぜん・ち」。目録では「馬の筋骨を殤て神前に血を見る」振仮名「すじほね・いため・ち・み」。

清水成夫 編『八王子周辺の民話』(2)

・郷土資料シリーズ⑷『八王子周辺の民話』(2)
 扉の裏に東京都立八王子図書館長の秋間節愛「まえがき」がある。「昭和四十三年八月一日」付で、まづ最初の2段落で民話の意義について述べ、そして範囲と編輯については3段落め、6~8行めに、

 民話の解釈には、伝説を含めないいわゆる「昔話」だけに限定する考えかたもあるが、本集においては編者・清水成/夫氏に依頼して、伝説をも含めた、広い意味での民話として、それも民衆自身の生活のなかで語られたものを主として/集録してもらい、当館郷土資料シリーズ第四集として刊行することとした。

と説明している。ついで「目次」が2頁(頁付なし)、2段組で、1頁めの上段はまづ4字下げ3行取りでやや大きく「目  次」とあり、以下14話の題と(場所)頁を、「亀屋の徳利………………………(八王子市八日町)…1」の如く示す。下段17話、2頁め上段17話、下段17話のうち8話めまで合計56話が八王子市、次いで町田市4話、多摩町3話、日野市2話,総計65話である。「昔話」は殆ど入っていない。
 本文も2段組で、最初に3行取りで上段の中央辺りにやや大きく題「亀 屋 の 徳 利*1」下段の下詰めで小さく「<八王子市八日町>」と場所を示す。頁付は下部中央に「― 1 ―」。1段17行、1行25字、図版がある場合は文章の後に添えている。そして典拠は最後の頁(上段もしくは下段に収まってしまう場合は段)の左下に示している。
 以下、整理のために仮に【番号】を打ち、話の題と<場所>、収録位置、典拠、図版がある場合はその収録位置とキャプションを示した。題とキャプションは字間を空けているものが多いが検索の便宜を考えて詰めた。
【1】亀屋の徳利*2<八王子市八日町>1~2頁
 典拠「八王子市役所編 『八 王 子』」
 図版2頁下「徳利亀屋の広告(昭和十五年)*3」キャプション右
【2】丹前勝山<八王子市横山町>3~4頁
 図版4頁下「勝山髷」キャプション上「<金沢康隆著「江戸結髪史」挿図より模写>」キャプション左
【3】鼻取如來<八王子市大横町>5頁
 典拠「『桑 都 日 記』」
【4】蛇姫物語<八王子市千人町>6頁
 典拠「大野清次郎・談」
【5】原半左衛門と馬<八王子市千人町>7頁
 典拠「清水庫之祐 編者『新著聞集』」
【6】水無河原<八王子市日吉町>8頁
 図版8頁左下「水無瀬橋」キャプション上
【7】現宝稲荷社<八王子市本郷町>9~10頁
 典拠「山本正夫・談」
【8】富士塚<八王子市上野町>11頁
 典拠「峰尾甚八・談話」上段左下
 図版11頁下「富士塚」キャプション下
【9】喜福寺の化け猫*4<八王子市中野町>12~13頁
 典拠「村田光彦著『炉辺談話』」
 図版13頁下「喜福寺」キャプション下
【10】大谷弁天池<八王子市大谷町>14頁
 典拠「第八小学校編『郷土のはなし』」
 図版「大谷弁天池」キャプション右
【11】大和田河原の刑場<八王子市大和田町>15頁
 典拠「第八小学校編『郷土のはなし』」
 図版「大和田刑場跡(旧岳南製紙構内)
【12】関根父子の大蛇退治<八王子市大和田町>16頁
 典拠「木下止・談」
【13】玉蜀黍を嫌う*5<八王子市石川町>17頁
 典拠「和田ひやく・談」
【14】首なし地蔵<八王子市石川町>18頁
 図版18頁下左「首なし地蔵(現在跡形もない)」キャプション左
【15】姫宮八幡(青木神社)<八王子市宇津木町>19頁
 典拠「坂本団蔵・談」
 図版19頁下「姫宮八幡」キャプション下
【16】笛継観音<八王子市小宮町>20頁
 図版20頁下「笛継観音」キャプション上
【17】きんせん平<八王子市平町>21頁上
【18】因果物語<八王子市高月町>21頁下
 典拠「『因果物語』」
【19】徳蔵塚<八王子市楢原町>22頁
 典拠「橋本義夫・談」
【20】石畳と化け狐<八王子市楢原町>23頁
 典拠「橋本義夫・談」
【21】縄切れ丘<八王子市美山町>24頁
【22】天狗の爪*6<八王子市元八王子町>25頁上
【23】眼と魚と轡虫*7<八王子市元八王子町>25頁下
【24】奇僧の呪文<八王子市大楽寺町>26頁
 典拠「村田光彦著『炉辺談話』」
【25】七度返りの刀<八王子市高尾町>27頁
 典拠「不老軒宅多多著『露草雙紙』」
 図版27頁下左「露草雙紙の挿画」キャプション上
【26】高尾の天狗*8<八王子市高尾町>28~29頁
 典拠「『露草雙紙』」
 図版29頁左上「高尾の天狗」キャプション下
【27】鰻になった娘<八王子市裏高尾町>30頁上~下2行め
【28】景信山と木下沢<八王子市裏高尾町>30頁下3~11行め
 典拠「逸見敏刀・談」
【29】蜘蛛の妖怪<八王子市裏高尾町>31~32頁
 典拠「逸見敏刀・談」
【30】小仏峠の怪女<八王子市裏高尾町>33~34頁上
 典拠「『梅翁随筆』」
 図版34頁上左「小仏の村家」キャプション上
【31】雨滝の観音<八王子市裏高尾町>34頁下
【32】大仏と小仏<八王子市裏高尾町>35頁
【33】さす<八王子市小津町>36頁上
【34】雨乞い祭り<八王子市西寺方町>36頁下
【35】埋めた軍用金<八王子市恩方町*9>37~38頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
 図版38頁下「恩方の山々」キャプション上
【36】枕を返した不動様<八王子市下恩方町>39頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
【37】狢の空死に*10<八王子市上恩方町*11>40頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
【38】蛇山*12<八王子市上恩方町>41頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
 図版41頁下「蛇山」キャプション上
【39】まさか様の御神体<八王子市上恩方町>42頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
 図版「まさか様(この石の下に御神体が埋めてある)」
【40】川を逆さに流れた不動様<八王子市上恩方町>43頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
【41】勝負地蔵と『ろくかげ』<八王子市上恩方町>44頁
 典拠「塩田真八編『恩方村の伝説』」
【42】神竜の伝説<八王子市長房町>45頁
【43】おしめり祭り<八王子市館町>46頁上~下2
【44】館に節句はない<八王子市館町>46頁下3~10
【45】椚坂<八王子市椚田町>47頁
 典拠「大貫房五郎・談」
 図版47頁下「椚坂」
【46】こりとり<八王子市椚田町>48頁上
【47】稚児塚と月見橋<八王子市小比企町>48頁下
【48】袋谷戸<八王子市宇津貫町>49頁上
【49】地蔵畑<八王子市宇津貫町>49頁下
 典拠「『多摩史談』」
【50】出世の薬罐*13<八王子市松木>50頁
【51】山の神<八王子市松木>51頁
 典拠「由木郷土研究会編『由木民話集』」
【52】蓮生寺長池*14<八王子市松木>51頁
 典拠「由木郷土研究会編『由木民話集』」
【53】沈んだ鐘<八王子市中山町>53頁上1~11
【54】嫁入り谷口<八王子市鑓水>53頁上12~下
【55】焼餅石<八王子市上柚木>54頁
 典拠「『由木民話集』」
 図版54頁下「路傍の石仏」キャプション上
【56】根っこ八<八王子市南大沢>55頁
 典拠「由木郷土研究会編『由木民話集』」
【57】大日如来埋没記<町田市小山町>56頁
 典拠「八木純一・述」
【58】盲者の祟り<町田市小山田町>57~58頁
 典拠「『多摩史談』」
【59】野盗塚<町田市原町田町>59~60頁
 典拠「『相原農蚕校友誌』」
【60】こうせん塚<町田市小野路町>61頁
 典拠「『多摩史談』」
【61】巖耕地の怒り井戸*15<多摩町落合>62頁
 典拠「高村仁平の母・談」
【62】五兵衛<多摩郡落合*16>63頁上~下1
 典拠「古沢勇助・談」
【63】三本松<多摩町落合町*17>63頁下3~9
【64】ぬすっと薬師<日野市宮町>64頁
 典拠「『武蔵野手帳』」
【65】挙観音*18<日野市日野町>65頁
 典拠「『武蔵野手帳』」
 図版65頁下「挙観音」キャプション上

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 続く橋本義夫「跋」と「索引」は次回に回す。(以下続稿)

*1:ルビ「とつ くり」。

*2:ルビ「とつ くり」。

*3:徳利亀屋の廃業が2頁上段14~16行め「昭和六年六月」であること、広告に「年週十行施制市祝」とあることから「昭和」ではなく「大正」のはず。

*4:ルビ「ば・ねこ」。

*5:ルビ「とうもろこし」。

*6:ルビ「てん ぐ 」。

*7:ルビ「くつわむし」。

*8:ルビ「てん ぐ 」。

*9:「目次」と「索引」には「下恩方町」とあり。

*10:ルビ「むじな・そら じ 」。

*11:「目次」と「索引」には「恩方町」とあり。

*12:ルビ「じゃ やま」。

*13:ルビ「や  かん」。

*14:ルビ「れんしようじ」。また場所は松木ではなく別所。

*15:ルビ「げんこうじ 」。

*16:「目次」には「 〃  〃 」、「索引」には「多摩町・落合」とあり。

*17:「目次」には「 〃  〃 」、「索引」には「多摩町・落合」とあり。

*18:ルビ「もちあげ」。