2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧
・『新書 太閤記』六興出版部・B6判並製本 寝間の本棚に纏めて置いてあった。私は吉川英治の読者ではないのでこの作品についての知識も全くなかったのだが、揃っているようだ。 かつ、吉川氏の作品には初出(連載)から始まって複数の版があるのだが、何番目…
昨日の記事(の冒頭)を見た家人から「拗らせてるみたいだ(から止しなさい)」と言われたのですけれども、この件に関して、私はかなり(近年諦念に支配されて激するようなことはないものの)立腹しているので、一昨日書いたことは当然の苦情であり、是非と…
昨日の記事について、今日の午前に Twitter(現 X)に投稿したところ、東氏がをしてくれたのだが Repost はしてくれませんでした。よって当該 Tweet の閲覧数は1桁、記事の閲覧数の方はその2倍強*1と、過去最低レベルで推移しております。どうも、力作(!)…
他のことにかまけて後回しにしているけれども、材料がない訳でもなく、追究を止めた訳ではないので、この題で年に1回は投稿して置きたいと思っておるのですが、いざ、過去に集めた材料に取り掛かろうとしても中々確認が難しい。しかし、このままだと当記事の…
昨年の10月11日に「祖母の遺品(1)花瓶」として草稿を作り、18日に宛名書の解説を加筆したままになっていた。さらに少々(調査を要しない)加筆をして投稿することにした。 * * * * * * * * * * 箱とは別にあった板には、 名古屋市外堀町 師團長…
白馬岳の雪女は、柳田國男「山と傳説」を序文のように載せている青木純二『山の傳説 日本アルプス篇』に載ったこともあってか、民俗学の文献にも早い時期から取り上げられている。 ・中山太郎 編『日本民俗學辭典』 ①初版(昭和書房)昭和八年十一月一日 印 …
何度も言及しているが、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」は、本作の題を「濤江之介正近」と誤るところが、少なからぬブログや Twitter(現 X)に踏襲されているところ(!)から却って察…
私はこの小説を、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」によって知ったのだけれども、東屋氏は何故か題を、本作を収録する短篇小説集を紹介した2015/10/08「森満喜子『沖田総司抄』」でも「濤…
昨日で書きたいところは書き終えてしまったので、もう止めにしたいところなのだが、ここまで来たら最後まで見て置こう。 1行分空けて94頁13~15行め、 水無瀬*1河原と呼ばれている河原に濤江介は連行された。多摩川の支流、南浅川の上流で、どう/いうものか…
濤江介が江戸に戻って、両国橋で偶然、尚武堂新兵衛に再会したのは、いつだったろうか。 濤江介が新選組の壬生の屯所に身を寄せたのは文久三年(1863)六月、することがなくて退屈の余り、隊服を着て町中を出歩き、新選組隊士になりすまして豪商を強請ってい…
昨日の続き。 もちろん、濤江介は近藤勇や沖田総司に偽刀作りの詳細を明かしたりはしないので、こうなるまでの経緯は87頁17行め~89頁7行めに、回想のような形で説明されている。――87頁17行め「小萩を連れて江戸の町を放浪している時、両国橋の上で偶然、尚武…
前回長々と引用した場面は「冬の半ば」から「二カ月程」後だから文久四年(1864)正月と云う勘定になる。そして「二」節の最後の行(81頁10行め)は、 沖田が濤江介の声を聞いたのはそれから四年の後である。 となっていて、最後の「三」節は慶応四年(1868…
それでは「二」節めの検討に入ろう。 この節は、70頁8行め「夏の陽」が照りつけて暑い日に、4行め「新選組副長助勤」の、2行め「沖田総司」が「部下を引きつれて市中巡察をしてい」る場面から始まる。文久三年(1863)六月であろう。文久三年は前年に閏月が…
昨日の続き。 さて前回は、文久二年(1862)の「春の終り」に請け負った偽物の五郎正宗の大刀によって五十両もの大金を手にしながら、11ヶ月も経った文久三年(1863)二月になっても*1まだ、武蔵太郎安定の許での食客生活を濤江介が続けていることについて、…
12月15日付(07)の続き。 57頁18行め~58頁8行め、 時代は安政から万延、文久と年号が変り、ペルリ来航に始まった幕末の世相は大きくゆれ動い/ていた。刀鍛治の間でも剣術を習う者が多くなって来た。世情不安のため、自己防衛の手段でも/【57】あるが、男…
森氏が名和弓雄に会ったのが恐らく昭和48年(1973)、余り時間を置かずに上京の際に村上孝介に会って「浮州」銘の短刀を見せ、その礼として昭和44年(1969)刊『刀工下原鍛冶』を贈られ、それを参考に12月刊行『沖田総司抄』に収録すべく本作を書き上げた、…
一念発起した濤江介は50頁18行め、その「翌日、突然、日野から消えて」19行め「武州八王子在恩方村字下原とその周辺*1」の「下原鍛冶と呼ばれる刀工の集落」に行き、51頁3行め「その刀鍛冶の最も大きな家の玄関に立」ち、入門を願う。しかし17行め「確かな添…
前置きが長くなったが、森満喜子『沖田総司抄』所収「濤江介正近」の本文を見て行くこととしよう。 森氏は昭和48年(1973)に村上孝介に会って浮州の短刀を見せた際に、昭和44年(1969)刊『刀工下原鍛冶』をもらったはずである。会わずに送ってもらったのか…
なかなか先に進まないが、瑣事に拘泥わるのが当ブログの謳い文句なので、もうしばらく名和弓雄『続 間違いだらけの時代劇』の「沖田総司君の需めに応じ」の解釈(のやり直し)を続けよう。 とにかく「浮州」銘の刀が出て来ないのである。偽物だとしても――近…
昨日の記事は、名和弓雄が森満喜子と村上孝介を引き合わせた(のだろう)と云う筋まで引いて置くつもりだったのである。 ところが書き始めて、改めて名和弓雄『続 間違いだらけの時代劇』を読み返し、その後仕入れた知識とも照らし合せて考えて見るに、どう…
昨日の続き。――『沖田総司抄』は短篇小説8篇を収録するが、3篇め(47~96頁)が「濤江介正近*1」である。「あとがき」はまづ244頁2~3行め、 人間は一生のうちに様々な人との縁ができるものである。沖田総司と彼を廻る人びとについて/書いてみた。 として、…
私は高校3年生のときだけ、誰に誘われたのだったか忘れたが文芸部に所属して、小説みたいなものを書いたことがあるのだが、そのとき隣のクラスの新選組ファンの女子生徒が実に堂々たる、長州の間者として新選組に紛れ込んだ若者を主人公にした小説を書いて、…
森満喜子の本を何冊か借りて来た。いづれも版元は新人物往来社で四六判上製本である。 ・『沖田総司抄』昭和四十八年十二月十五日 第一刷発行・昭和五十二年十一月 五 日 第七刷発行・定価980円・246頁沖田総司抄 (1973年)Amazon・『沖田総司幻歌』昭和四…
・板橋刑場 ①文庫版『下』43~60頁「中山道と岩槻街道」は45頁~「一 巣鴨界わい」49頁5行め~「二 板橋宿と川越街道」55頁5行め~「三 岩槻街道」の3節、その「二」節めは49頁6行め「板 橋 宿」51頁~「志村一里塚*1」52頁9行め~「松月院と赤塚城跡*2」53…
・鈴ヶ森刑場 ①文庫版・②新書判・③B6変型判とも、小塚原刑場について述べた箇所では、必ず鈴ヶ森に言及してあった。今回は③から遡る形で見て行こう。 ③B6変型判『中』山手223~254頁「東海道に沿って」は6節から成り、244~247頁「➍日本考古学発祥の地,大森…
昨日の続きで③B6変型判『上』下町の記述を見て置こう。 ・小塚原刑場(3) ②新書判『上』下町は7章から成り、「皇 居」「皇 居 周 辺」「日本橋・銀座」「上野の山周辺」「浅 草」「江 東」「日光街道と葛飾・江戸川」の順に排列されていたが、③B6変型判『…
昨日は以前借りたときには気付かなかった訂正シールに気付いてその確認なぞをしてしまった。――こんなのはまぁ詰まらない間違いの確認に過ぎないが、大きな変化のあった場所を詳細に見て行くと、昔の夏休みの自由研究くらいには十分なりそうだ。そして今の東…
昨日の続き。 私が借りている①文庫版は『上』1版10刷『下』1版7刷、②新書判は上中下3冊とも1版1刷、③B6変型判も上中下3冊とも1版1刷である。 ・小塚原刑場(1) まづ、小塚原刑場について見て置こう。 ①文庫版『下』61~72頁「日 光 街 道」63~68頁…
久し振りに①文庫版上下2冊、②新書判上中下3冊、③B6変型判上中下3冊を揃えて見ました。 と云うのは、大和田刑場と云う、現在の八王子市に「あった」ことは確かだと思うのですが、実態がまるでよく分からない刑場が、この20年程の間に「江戸三大刑場の一つ」な…
『文明六年本節用集』の伝来については、5月9日付(049)に見たように川瀬一馬『古辭書の研究』に説が示されていた。川瀬氏は『文明六年本節用集』を実見する以前「或は鹿島氏櫻山文庫の藏本なるべし。」との推測を持っていた。――恐らく桜山文庫に現在も所蔵…