2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』の「解題」の「赤堀又次郎について」については、ほぼ点検し尽くしたと思うのだが『読史随筆』そのものの解題と、第二巻『赤堀又次郎『紙魚の跡』』については、出身大学の図書館が遠からず卒業生の利…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(9) 斎藤精輔『辞書生活五十年史』に関しては昨日で切り上げようと思っていたのだが纏まらなかったので、続き。 稲村徹元(1928生)とは何処かで見たような名前だと思ったら、2022年11月23日付「…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(8) 佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」の検討の続き。しばらくブログ記事に言及していなかったが、当記事では4月20日付(30)に与えた整理番号により、これにHNを添えた4月21日付(31)…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(7) さて、佐藤哲彦「解題」では一言触れているだけの早稲田大学での講義だが、これには当時学生だった人物の回想があって、どのようなものであったかを窺うことが出来る。 ・「國文學研究」第七…
陸軍教授の肩書の赤堀氏の著述も幾つかあるが、著述については追って纏めて取り扱うこととしよう。 さて、昨日、赤堀氏が陸軍中央幼年学校の教官になったのがいつなのか、憶測を述べたのであるが、国立公文書館デジタルアーカイブで任免裁可書を遡っていくと…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(6) 昨日の続き。――佐藤氏の「解題」は続いて、15行め~ⅲ頁2行め、 ‥‥。それでも明治三十五年頃は「 (陸軍)中央幼年学校教授、東京帝国大学文科大学講師」の肩書/きがあり(『日本紳士録』第八…
昨日の続き。 ・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(5) 佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」は、続いてⅱ頁5~15行め、古典講習科について説明する。これは石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』の「赤堀又次郎」項に拠…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(4) 昨日及び一昨日の続き。 国立国会図書館デジタルコレクションは『国語学書目解題』を2つ公開しているが、どちらも改装本らしく元の表紙がどうなっていたかが分からない。扉に「東京帝國大學御…
ここで、赤堀氏の主著と目されている『国語学書目解題』を見て置こう。 ・『國語學書目解題』明治三十五年六月五日印刷・明治三十五年六月九日發行・吉川半七 扉には毛筆の標題、右の枠に「東京帝國大學御藏版」左の枠に「 東京 吉川半七發行」とある。 以下…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(3) 昨日の続きで、しばらく佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」の出典(及び直接の依拠資料)について確認することとしたい。昨日列挙したブログ記事については【①空山】の如く、記事公開…
・『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』(2) さて、4月16日付(26)に佐藤哲彦「解題」の「赤堀又次郎について」の最初と最後を抜いて、HN「神保町のオタ」のブログ「神保町系オタオタ日記」とHN「書物蔵」のブログ「書物蔵 古本オモシロ…
昨日の続き。 ・石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』(3) もちろん、石井氏は不完全であることを謙退しつつも、4頁23~25行め「‥‥,/今回のチャンスに,少しでも多くの研究者に役立てば,/と,全くの未定稿のままだけれど,お贈りすることに…
・石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』(2) さて、私は取り上げた資料は一通りどのような素姓のものであるか、眺めて置くことにしている。大して分からずに(まぁ調べ方が悪くて、だけれども)誤魔化していることも少なくないが、今回もまづは…
昨日の続き。 ・石井敦 編著『簡約日本図書館先賢事典(未定稿)』1995年3月30日 初版発行・非売品・石井敦(横須賀)・150頁・新書判並製本 石井敦(1925.9.20~2009.5)は「近代日本図書館史研究の先駆者」なのだそうだが、ネットで検索すると書籍通販サイト…
3月28日付(07)に触れた、書誌書目シリーズ(97)『書物通の書物随筆』全8巻*1のうち、赤堀氏の著作2点を借りて来た。 ・宮里立士/佐藤哲彦[編集・解題] 書誌書目シリーズ(97)『書物通の書物随筆』ゆまに書房・A5判上製本 ・第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』…
・赤堀象万侶⑩好古會 赤堀象万侶は4月8日付(18)に見たように、明治8年(1875)以来明治30年(1897)4月まで、岐阜県武儀郡関町に住んで幾つかの神社の神職を兼ねていたらしい。 その後であるが、東京で開かれていた好古会の記事に姿を見せている。 ・宮崎…
・赤堀象万侶⑨赤堀佐渡子・中島セキ 昨日は「群馬県立歴史博物館紀要」第20号掲載「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」の、簗瀬大輔が担当した「二 赤堀鉊三郎の記録 ―近世の赤堀氏―」の「(二)今井赤堀氏の系譜」に「前述」されている【赤堀瀬兵衛】に関す…
・赤堀象万侶⑧『赤堀氏旧記』3 昨日の続きで「群馬県立歴史博物館紀要」第20号掲載「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」の、簗瀬大輔が担当した「二 赤堀鉊三郎の記録 ―近世の赤堀氏―」の「(三)県外赤堀氏の系譜に関する記述」の節の纏めを見て置こう。 赤…
赤堀象万侶⑦『赤堀氏旧記』2 昨日の続きで「群馬県立歴史博物館紀要」第20号掲載「秀郷流赤堀氏の伝承と資料の調査」の、簗瀬大輔が担当した「二 赤堀鉊三郎の記録 ―近世の赤堀氏―」の、群馬県佐波郡赤堀村今井(現・伊勢崎市赤堀今井町)の赤堀鉊三郎が纏…
・赤堀象万侶⑥「赤堀氏旧記」1 赤堀氏は、東京帝国大学文科大学講師時代「三重」を本籍地としていた。 しかし明治初年まで犬山針綱神社神官であった赤堀象万侶の子である。かつ、明治20年代には犬山壮年會に参加、同年生れの犬山藩士の長男・水谷叔彦の英国…
・赤堀象万侶⑤水谷眞清・叔彦 赤堀象万侶は神官にして国学者・歌人であったのだがその著作は伝わっていないようだ。 ・『犬山』明治三十八年八月十五日印刷・明治三十八年八月二十日發行・犬山壮年會(東京)・目次+口絵+六十頁 口絵の次にある序に当たる…
・赤堀象万侶④上田仲敏 最初「犬山壮年會雜誌」に赤堀象万侶の名を見付けたとき、親類だろうと思った。その後近藤秀胤書写本『犬山里語記』に赤堀象麻呂藤原朝臣秀雅の名を見て、赤堀氏の祖父か父ではないか、と思った。その後気を付けていると、赤堀氏と赤…
・赤堀象万侶③武儀郡諸社の神官 ・倉知土地改良編集委員会 編『山野豊/倉知の土地改良史と倉知の歴史』昭和六一年三月二〇日 印刷・昭和六一年四月 一 日 発行・倉知土地改良区・口絵+八八一頁 八八一頁に顔写真付で〈監修者紹介〉として吉岡勲(1914.3.23…
・赤堀象万侶②和歌 赤堀象万侶の名は「犬山壮年會雑誌」にも見える。3月25日付(04)に、印刷発行日と本体の頁数のみメモした、明治22年(1889)2月23日印刷・出版の第五號、「講義」に続いてノドが綴じ込まれているので見えないが、第六號と同様の「犬山壮…
・赤堀象万侶①『犬山里語記』著者自筆本所蔵者 私は赤堀秀雅を、赤堀又次郎の一人息子と前提して組み立てて来た。その理由はまづ、①同姓で住所が同じこと。②慶應二年(1866)生と明治32年(1899)生の年齢差が如何にも親子らしく思われること。ちなみに赤堀…
・赤堀秀雅③ 赤堀秀雅の名は、ダイヤモンド社が刊行していた『ポケツト/会社職員録』にも見えている。 ・第四回〔昭和十四年版〕昭和十三年十二月 十 日 印 刷・昭和十三年十二月十三日 發 行・定價二圓五十錢・一四+五+八四五+一四五頁 第三回までは自…
・赤堀秀雅② 赤堀氏の子息と思われる(ほぼ間違いないと思っているのだが確証は得ていない)赤堀秀雅について、大学以降の履歴を見て置こう。 ・『京都帝國大學一覽』京都帝國大學 ・〈自大正 九 年/至大正十一年〉大正十年十二月二十八日發行*1・五四二頁 …
・赤堀秀雅① さて、赤堀氏の家族であるが、昨日まで引用した反町茂雄『一古書肆の思い出』には「奥さん」しか登場しない。従って、市谷加賀町及び早稲田南町の古家で赤堀氏は老妻と2人で侘住いをしており、赤堀氏が病歿した後は未亡人が独居していて戦災に遭…
・反町茂雄『一古書肆の思い出』3 古典籍の奔流横溢(1) 書影や刊年、初出等については3月12日付「反町茂雄『一古書肆の思い出』(2)」に示した。以下単行本を①、平凡社ライブラリー(HL)版を②とし、前者の改行位置を「/」後者のそれを「|」で示す…
・反町茂雄『一古書肆の思い出』2 賈を待つ者(3) 少し飛ばして「稀書を、ポツポツと」の項の最後の段落を見て置こう。①121頁1~5行め②127頁1~6行め、要領は一昨日に同じ。 昭和十五年を限りとして、赤堀さんからのハガキは、いつからとはなく届かなくな…