瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(152)

・青木純二の経歴(20) 昨日までの書誌書目シリーズ(78)『戦前期『週刊朝日』総目次』や国立国会図書館サーチでの検索結果を、取り敢えず(本当に簡単に見られるものにしか当たっていないのだけれども、それでも相当な数になって来たので、ここで)一纏めに…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(151)

・青木純二の経歴(19)「青葉しげる」での執筆活動 この「青葉しげる」と云う筆名(仮名)も、「青葉茂」同様、青木純二以外にも使用する人がいて、国立国会図書館サーチ及び国立国会図書館デジタルコレクションにて検索するに、古いところでは青木純二が生…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(150)

・青木純二の経歴(18)「週刊朝日」の青葉しげる 青木氏が「青葉茂」の筆名を用いていたことは、昨日述べたように『横浜の本と文化』により判明していたが、この筆名での「週刊朝日」への執筆は1点しかない。しかし「青葉しげる」では、昨日引いた書誌書目…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(149)

・青木純二の経歴(17)「青葉茂」での執筆活動 青木氏が横浜時代に「青葉茂」の筆名を使っていたことは、2019年10月28日付(142)に引いた『横浜の本と文化』の「戦後の新聞事情」の節に見えていた。唱歌「櫻井の訣別」の歌い出し「青葉茂れる桜井の」から…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(148)

・青木純二の経歴(16)「週刊朝日」の青木純二 昨日、国立国会図書館サーチの検索結果を示したが、これは全てではない。国立国会図書館サーチに採録されている、国立国会図書館デジタルコレクションに登録されている雑誌や図書がヒットするので、デジタル化…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(147)

・青木純二の経歴(15)「青木純二」での執筆活動 国立国会図書館サーチ及び国立国会図書館デジタルコレクションにて検索した結果を示して置く。もちろんこんな作業は青木氏の存在に気付いた段階で済ませていたのだが、どのように示すか、考えあぐねて今に至…

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(146)

・青木純二の経歴(14) 2019年10月30日付(144)から随分経ってしまった。その間、それなりに準備していたのだが、なかなか先に進められずにいたのだが、今回、纏まった材料を得たので報告して置くこととする。 青木純二(1895.6.10~?)が当初、牛尾兵志…

田口道子『東京青山1940』(4)

・細目(3) 一昨日からの続き。要領は一昨日述べた通り。 第三章 国ごと破滅までのエネルギー 【1】防空演習のはしりの頃 148(1) 【2】みんなが感じていた防空演習と実戦のちがい 150(6) 【3】子どもだけ真面目だった? 興亜奉公日 152(4) 153頁写真…

田口道子『東京青山1940』(3)

・細目(2) 昨日の続きで第二章について。要領は昨日と同じ。 第二章 昭和戦前「青山」の街・人・暮らし 【1】お屋敷も大正モダンもあった街 68(1) 【2】岡本一平・かの子のいた青山高樹町という街 69(5) 【3】お屋敷の名残が…… 70(6~72・13) 71頁写…

田口道子『東京青山1940』(2)

・細目(1) 昨日の続きで、細目を確認して置こう。 目次は1頁14行、目次の文字は各節に Times New Roman の算用数字で頁を示す他は全てゴシック体。各章とプロローグ・エピローグの文字は大きく、プロローグを除いて前1行分を空ける。各章には1字下げで節…

田口道子『東京青山1940』(1)

『東京青山1940 陽が落ちても朝はくる』二〇〇二年五月二十五日 第一刷 発行・定価1,600円・岳陽舎・285頁・A5判並製本東京青山1940―陽が落ちても朝はくる作者:田口 道子出版社/メーカー: 岳陽舎発売日: 2002/05メディア: 単行本 カバー表紙、左上に95頁…

森川直司『裏町の唄』(20)

・「投稿 風便り」(13) 昨日取り上げた op.67 の続き。 op.68 海の記憶1 安乗の稚児 森川秀安さん(小諸市)H26/04/10 伊良子清白「安乗の稚児」を引用して解説。 op.69 海の記憶2 龍飛崎 森川秀安さん(小諸市)H26/06/27 書き出しは以下の通り。 東京…

森川直司『裏町の唄』(19)

・「投稿 風便り」(12) 当初、本書と『昭和下町人情風景』を比較し、20歳くらいまでの森川氏の経歴と確認した上で、赤マント流言を初めとする幾つかの項を取り上げて検討するつもりだったのだが、これらの本と相補う内容のネット投稿を見付けてしまったこ…

森川直司『裏町の唄』(18)

・「投稿 風便り」(11) 昨日の続き。 op.52 潮干狩り 森川秀安さん(小諸市) H22/7/5 末尾に「註 平成17年4月某紙に寄稿したものを補筆」とある。冒頭、 有名日刊紙三月上旬のコラムに「信じがたい気もするが、東京の湾奥でアサリ、ハマグリがじゃんじ…

森川直司『裏町の唄』(17)

・「投稿 風便り」(10)教練・唱歌 昨日の続き。 op.31 裾野の小鳥 森川秀安さん(小諸市) H21/6/27 旧制中学の教練については、『昭和下町人情風景』Ⅳ 風 景【8】「草いきれ」に、「四年生の七月(昭和十七年)」の富士の裾野での訓練で体験した、日本軍…

森川直司『裏町の唄』(16)

・「投稿 風便り」(09)転居歴・渥美清追悼 昨日の続き。op.27 からは1年以上を経過している。 op.28 小諸なる古城のほとり 森川秀安さん(東京都) H20/1/21 平成20年(2008)5月末に長野県小諸市に妻と共に転居することになった顚末について。 前置きとし…

森川直司『裏町の唄』(15)

・「投稿 風便り」(08)鰻 ここまで細かく確認して行くつもりではなかったのだが、後日参照する機会があるかも知れないから(ないかも知れないけれども)一通りメモして置くこととする。 op.19 うなぎ その1 森川秀安さん(東京都) H18/2/27 長崎市の野…

森川直司『裏町の唄』(14)

・「投稿 風便り」(7)三丁目の夕日③ 昨日の続き。 op.18 三丁目の夕日DVDを観ました 森川秀安さん(東京都) H18/2/9 HP管理人でもある活禅寺管長徹空無厳(中城無厳)は、「op.17 映画 「三丁目の夕日」 を観て 森川秀安さん(東京都) H18/1/20」…

森川直司『裏町の唄』(13)

中学に入学して初めて受けた眼科検診で結膜炎と診断され、駅前の病院が雑居していたアパートの2階にあった校医の眼科に毎日通っていた。今で云えば医療モールと云うことになるのだろうが、昭和20年代に建てたらしい古アパートの、木の階段を上ってすぐのドア…

森川直司『裏町の唄』(12)

・「投稿 風便り」(5)三丁目の夕日① 昨日の続き。 op.17 映画 「三丁目の夕日」 を観て 森川秀安さん(東京都) H18/1/20 「無厳さん推奨の」とあるから、例の「Nostalgia」に言及があるのかと思ったが、現在公開されている「Nostalgia」にはこの映画に…

森川直司『裏町の唄』(11)

・「投稿 風便り」(4)家族の年齢 昨日の続き。 op.14 寿命 森川秀安さん(東京都) H17/2/21 本項は家族の年齢に触れているのが貴重である。 全くこだわらない人もいるが、私は読解の際、是非とも考慮すべき条件だと思っている。 まづ「私の身近にも88…

森川直司『裏町の唄』(10)

・「投稿 風便り」(3)エチオピア関連 一昨日からの続き。 op.9 秋野君はいま何処に 森川秀安さん(東京都) H15/10/21 色が黒かったので「エチオピア」後に略して「エチョ」と渾名されていた同級生秋野君の回想。但し末尾に「(秋野は仮名) (シリーズ…

森川直司『裏町の唄』(09)

・「投稿 風便り」(2) 昨日の続き。森川氏以外の人の投稿については、森川氏の投稿内容に絡めていない限り、薄い灰色で題と投稿者・公開(もしくは投稿)日の1行を示すに止めた。 op.3 霊巌山寺の輦台(れんだい) 森川秀安さん(東京都) H14/11/8 平成…

森川直司『裏町の唄』(08)

・「投稿 風便り」(1) さて、2019年12月31日付(06)に、森川氏の執筆活動が数年前まで確認出来ると書いたのは「参禅専門道場 大本山活禅寺」HPへの投稿に拠ってである。 2019年12月25日付(02)に引いた『昭和下町人情風景』奥付の略歴に「活禅寺徹禅無…

森川直司『裏町の唄』(07)

・『昭和下町人情風景』の「あとがき」(2) 2019年12月31日付(06)の続き。 続けて『昭和下町人情風景』の「あとがき」を見て置こう。234頁12行め~235頁3行め、 作品は、昭和四十七年(一九七二年)六月から平成二年(一九九〇年)十月まで一八年間に/…

在阪ラジオ局の思ひ出(4)

・スポットCM(2) 昨日は関西でしかやっていなかったと思われるCM4種を取り上げた。 小学2年生までを過ごした静岡県では、特にラジオ番組やCMの記憶はない。母が数年前までラジオ番組を聞くのに使っていたラジカセはその頃からあったのだが、父が「真夜中…

在阪ラジオ局の思ひ出(3)

・スポットCM(1) 関西にいると、いや、兵庫県だったからかも知れぬが、阪神ファシズムと云うべき状況に直面させられる。 私の部活にも熱狂的阪神ファンがいて、当時は私の経験していない(せずに済んだ)昭和60年(1985)の日本一からまだ1年半にしかなら…

在阪ラジオ局の思ひ出(2)

・「おはようパーソナリティ道上洋三です」 1月2日付(1)の最後、テレビを殆ど見なかったのに放送に毎日接していた、と云うのはもちろんラジオによってである。 私にはラジオを聞く習慣もなかったのだけれども、母が家事をしながらラジオを聞くので、朝夕…

英語の思ひ出(1)

昨日の続きとして書き始めたのだが、在阪ラジオ局とは全く関係のない文章となったので改題した。 * * * * * * * * * * 1度めの兵庫県への転居の折――小学3年生の私は、静岡弁をさんざん馬鹿にされた。変な言葉を話す奴だと云うのである。しかし、私…

在阪ラジオ局の思ひ出(1)

私は兵庫県明石市の生れだけれども、生後43日で新幹線に乗って神奈川県に移ったので、播州弁を母語として生育していない。 しかし、一応兵庫県出身と云っても宜しかろう、と思うのは、小・中の義務教育と今や義務教育と云っても良さそうな高校の12年間のうち…