瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

地理

赤堀又次郎伝記考証(09)

3月24日付(03)の最後に予告してから随分迂回したが、ここで市谷加賀町の赤堀家を何度となく訪問している人物の回想を見て置こう。 ・反町茂雄『一古書肆の思い出』2 賈を待つ者(1) 以下単行本を①、平凡社ライブラリー(HL)版を②とし、前者の改行位…

赤堀又次郎伝記考証(08)

・神宮教院本教館と古典講習科 「犬山壮年會雜誌」に「古典講修科」とあったのに引っ掛かってしまい滞っていたのだが「古典講習科」ならば幾らも論文がある。登場する人名も、全く知らない人ではない。ただ、私の専門の先行研究は、江戸時代後期の考証家の次…

赤堀又次郎伝記考証(07)

これまで、近年の赤堀氏に関する論文・言及を取り上げて来なかった。ここまで手を拡げるつもりではなかったからである。 しかし、ここまで来るとそれらも押さえて置くべきであろう。――例えば、赤堀氏と東洋大学の関係に気付いたところで、次の論文の存在に気…

赤堀又次郎伝記考証(06)

今日は市谷加賀町二丁目、そして早稲田南町への転居について筆を及ぼすつもりであったが、もう少々それ以前の学歴・職歴・住所に関する資料を漁って置きたい。 ・『東京帝国大学一覧』 「大学一覧」は大学の年間予定、沿革、法令、規程、在職の教員と在学生…

赤堀又次郎伝記考証(05)

昨日の続き。 ・「犬山壮年會雜誌」(2) 第十三号から第三十七号までは国立国会図書館には所蔵がない。番号を打ち直して「第一輯」として「第十二輯」まで刊行された12冊は国立国会図書館に所蔵されており、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧出来…

赤堀又次郎伝記考証(04)

・「犬山壮年會雜誌」の連載と住所(1) 昨日の最後に見た『國語國文學年鑑』第貳輯に、当時の赤堀氏の住所が牛込区早稲田南町四番地とあることについて、その転居時期に触れた文献を取り上げる予定であったが、その前に赤堀氏の学歴に関連して、昨日の最初…

赤堀又次郎伝記考証(03)

・住所と原籍 ところで『御即位及大嘗祭』自跋に明治45年(1912)5月1日に「電車の為に負傷」とあることから、この辺りに絞って国立国会図書館デジタルコレクションを検索して見るに、事故のことは判らなかったが、当時の赤堀氏の住所と生年月日が判明した。…

竹中労の前半生(08)

・竹中英太郎の住所① 昨日取り上げた昭和七年版『現代日本名士録』に、竹中英太郎の住所が「中野町西町一五」とあった。竹中英太郎が中野に住んでいたことは、従来知られていなかった(と思う)、 そこで、この頃の竹中英太郎の住所を、年鑑類で確認して見よ…

道了堂(119)

・Wikipedia「道了堂跡」項の修正 以前から私は Wikipedia「道了堂跡」項の記述には問題があると思っておったのですが、2022年5月16日付(054)に述べたように、2022年5月10日に為された加筆を切っ掛けにして、下線を引いた箇所(Wikipedia では点線で表示)…

赤いマント(362)

昨日の続き。 ・關寛之『日本児童宗教の研究』(4) 次に来るのは、三三四~三三八頁「3 宗教及び傳承の傳播の文獻的研究」で、「序説」の「研究の範圍」では「民族的研究―その穩和傳播型―」の次にあった「民族的研究―その急激傳播型―」は、飛ばされた恰好…

赤いマント(358)

昨日の続き。 ・「大日」第二百三十四號(昭和十五年 十 月廿八日 印刷納本・昭和十五年十一月 一 日 發 行・定 價 金 參 拾 錢・八二頁) 七五~七六頁*1、水島爾保布「巢鴨より」は全体が流言を扱ったものとなっている。冒頭から中段13行めまで抜いて置こ…

赤いマント(357)

水島爾保布(1884.12.8~1958.12.30)のことは、次の文庫本で知っているだけだった。人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫 た 30-11)作者:谷崎 潤一郎中央公論新社Amazon だから随筆家であったことも知らなかったのだが、昭和6年(1931)2月15日創刊、昭和20年(194…

道了堂(118)

・広坂朋信『東京怪談ディテクション――都市伝説の現場検証』 この本は2016年8月30日付「広坂朋信『東京怪談ディテクション』(1)」に述べたように、典拠を明示した怪談検証本として前々から本格的に取り上げるつもりだったが、その典拠が明示してある=典…

道了堂(117)

昨日取り上げた柴田隆行 編集兼発行「片倉の自然」及びその臨時増刊号「絹の道―歴史と自然―」から、道了堂に関する記述を抜いて置こう。但し昨年12月に僅かな時間に取ったメモに基づいているので、誤りがあるかも知れない。かつ、もう少し他の項目についても…

柴田隆行『片倉の自然』(6)

1月21日付(5)の続き。 さて、1月17日付(1)に引いた「改訂版あとがき」にあった、「片倉の自然環境」の変化による「改訂版」は結局刊行されなかった。それは「まだ資料不足」と云うより昭和60年(1985)から柴田氏が、従来の東洋大学に加えて神奈川大学…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(7)

本書を取り上げた目的は一応昨日の記事で達成された。また機会があれば取り上げたいと思っているが、今回は1月30日付(6)の補足と、若干の地理的考証を済ませて置こう。 筑土鈴寛のことは「終 章 上野の森の空のかなたに」にも、274頁1~4行め、 その裏手…

赤いマント(340)

・先崎昭雄『昭和初期情念史』(2) 本書では220~244頁「第19章 子どもと戦争責任」で、赤マント流言を取り上げているのだけれども、流言ではなく近所の少年のホラ話と云う扱いになっている。少々長くなるがこの少年の紹介から抜いて置こう。1行分空白があ…

赤いマント(339)

昨日まで先崎昭雄『昭和初期情念史』を取り上げたのは、例えば Amazon 詳細ページに引かれる、データベースの内容紹介が検索で引っ掛かったからであった。 内容(「BOOK」データベースより) 女性史と児童史を探る。お葉さん阿部定さん黒ヒョウ赤マント千人…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(6)

昭和20年(1945)3月9日夜半から10日未明までの東京大空襲のことは「第24章 東京大炎上の日」に述べてある。 263頁8~11行め、 その間、私の家のものは近所の人たちと共に、すぐ近くの上野寛永寺に避難していた。 十五歳、旧制中学三年最終学期の私は、一人…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(4)

・旧制中学から新制高校 著者の中学時代のことは「第23章 旧制中学の日々」の冒頭、258頁2~10行め、 私が入った旧制の東京府立五中は大正八(一九一九)年四月開校、まさに大正デモクラ/シー&大正リベラリズムの申し子のような学校で、立志と開拓と創作の…

先崎昭雄『昭和初期情念史』(3)

家族に関する記述は、特に後半は流し読みになってしまったので漏れがあるかも知れない。住所も同様で、精読した訳ではないから漏れがあろう。ただ、今後本書の内容を活用する際の指標として、拵えて置きたいのである。 ・河本(先崎)家の住所 52頁15行め「 …

先崎昭雄『昭和初期情念史』(2)

自分の人生を、その時代と絡めながら述べるには余りにもその道具立てに乏しい私には、先崎氏の環境が如何にも眩く見える。婦人参政権運動家だった母、その派出婦人会の派出婦たちの見聞、戦前の、寛永寺の鐘や東京音楽学校の歌声が聞こえて来る下谷区上野桜…

柴田隆行『片倉の自然』(5)

一旦切り上げるに際し、幾つか気になったところをメモして置こう。 ・①48頁5行め③48頁1行め「宮沢賢二」は「宮沢賢治」。 ・①50頁11~12行め③50頁7~8行め「‥‥思い返した(ただ残念なことに、この雑木林も近日|中に私立高校/建設の為*1、姿を消すそうだ)…

柴田隆行『片倉の自然』(4)

柴田氏の出身地は①38頁8~9行め③39頁2~3行め「‥‥、多摩川辺り*1|で子供時代/を過した私にとっては、*2旧知のもので、今でもこの声を聞くと少年の日々を|思い出す。」とあるが、①56頁1~8行め③55頁12行め~56頁5行め、 片倉に越して来てから、夏の楽しみ…

柴田隆行『片倉の自然』(3)

2022年2月27日付「八王子事典の会 編『八王子事典』(12)」に参照した、科学技術振興機構のデータベース型研究者総覧「researchmap」の「柴田 隆行/シバタ タカユキ (Takayuki Shibata)」項は、現在(更新日: 2022/09/19)となっている。柴田氏の所属は「…

柴田隆行『片倉の自然』(2)

①1980年初版と③1987年改訂版の比較。細かい改訂が多いので、まづは時期についての処理を拾って置こう。改行位置は①「/」③「|」で示した。 なお、この間に挟まる②1982年改訂版は未見だが、昨日の最後に述べたように、③は②をほぼそのまま増刷したもののよう…

柴田隆行『片倉の自然』(1)

著者の柴田隆行(1949~2021.11)は『八王子事典』の編著者「八王子事典の会」の結成当初からのメンバーであった。 同じく「八王子事典の会」結成当初からのメンバーである相原悦夫の著書、かたくら書店新書51『随想 春秋一会 私の人ごよみ』の記述に拠りな…

道了堂(116)

昨日の続き。 ・『稲川怪談 昭和・平成・令和 長編集』第三章「怖い場所」の4話め、154~170頁「八王子の首なし地蔵」は、154頁2行め~161頁「お地蔵さんの祟り」に続いて、162~170頁「八王子怨霊地帯」と題する、道了堂跡の首なし地蔵の話になる。冒頭を抜…

道了堂(115)

・東京都立八王子工業高等学校百年史編集委員会 編集『百年史』昭和62年10月25日 印刷・昭和62年10月30日 発行・非売品・東京都立八王子工業高等学校・587頁・B5判上製本 本書には、既に2022年5月24日付(61)に書名を示さずに予告したのだけれども、道了堂…

赤いマント(335)

・竹中労の赤マント体験(2) さて、竹中労が赤マント流言に接した時期と場所だが、①昭和3年(1928)3月生説の場合、2019年6月25日付(183)に見た田辺聖子と3日違いの生れで昭和9年(1934)4月小学校入学、昭和15年(1940)3月卒業、昭和14年(1939)2月の…