瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2013-01-01から1年間の記事一覧

記述の方針について

12月3日付「赤いマント(43)」にて予告した通り、今日は「赤いマント」ではなく、長くやっているうちに乱れて来た記述の方針について自分でも確認して置こうと思った次第です。 当ブログの基本方針は開設時の2010年12月30日付「御挨拶」にて述べた通りです…

赤いマント(70)

今度は実際に体験した人の回想で、昭和14年(1939)と明確に述べた平成元年(1989)の文献を挙げて置きましょう。ちなみに今日取り上げる本と昨日の『大衆文化事典』は、図書館の書棚を巡っていて見付けたので、ネット上にはこれまでこれらの本に赤マントが…

赤いマント(69)

繰り返しになりますが、赤マントの東京での流行が昭和14年(1939)2月であったことは、久しく忘れられ、さらに加太氏の昭和15年説によって混乱させられていて、なかなか正確な時期が示されなかったのでした。 それが、昭和末年から平成初年に掛けて、昭和14…

赤いマント(68)

・常光徹 監修/京極夏彦 序文『みたい! しりたい! しらべたい! 日本の妖怪 すがた図鑑』 ①女のすがたをした妖怪 みたい!しりたい!しらべたい!日本の妖怪すがた図鑑〈1〉女のすがたをした妖怪作者: 常光徹出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2012/03…

赤いマント(67)

それでは、12月22日付(62)から検討を続けて来た中島公子『My Lost Childhood』所収「坂と赤マント」ですが、今日で一応切り上げて置きます。 9頁10行め〜10頁7行め、弘子たちは赤マントの姿を具体的に想像します。やはりそのイメージは、昭和14年(1939)2…

赤いマント(66)

さて、赤マント遊びというのも今のところ他に見ないのですが、「狙われるのはすべて男の子であった」というのも、他の例はむしろ女子、12月17日付(57)で見た同学年の種村氏も「好んで女学校の便所に出没するという説」を紹介していました。 そんないろいろ…

赤いマント(65)

今日も12月22日付(62)からの中島公子『My Lost Childhood』所収「坂と赤マント」の検討を続けます。 昭和14年(1939)4月に小学校に入学した弘子たちは、自分たちの入学する直前にも「赤マント」の訓示があったことを知りません。 それでは次に、6頁15行め…

赤いマント(64)

一昨日からの続きで中島公子『My Lost Childhood』所収「坂と赤マント」について。 * * * * * * * * * * 主人公の弘子は、作者が公子(こうこ)という名前ですので「こうこ」と読みたくなってしまいますが、読みは示されていません。弘子は問題の…

赤いマント(63)

昨日の続きで中島公子『My Lost Childhood』について。 * * * * * * * * * * 赤マントが登場するのはもちろん「坂と赤マント」で、舞台となっている「その坂」は、「電車通りからあがってきたまっすぐな道がゆるやかな勾配とともにしずかにくねり…

赤いマント(62)

それでは、中島京子が昭和16年(1941)、日米開戦の前に赤マントを位置させた根拠と思しき小説を確認して行くことにしましょう。 ・中島公子『My Lost Childhood』2004.4.10第一刷発行・定価1600円・近代文芸社・86頁・上製本 大きさは18.7×11.5cm。 カバー…

赤いマント(61)

昭和14年(1939)2月にまだ小学生でなかった種村氏の「小学生」時代の赤マントは、帝都を席捲したアレではありません。11月25日付(35)で見たように大宅壮一に拠ると「僅か一ケ月ばかり」とのことですから、種村氏等昭和7年度生れの学年が小学校に入学した…

赤いマント(60)

12月18日付(58)で昭和11年(1936)の流言に昭和8年(1933)生の種村氏の回想を絡めるのはアナクロニズムではないか、と突っ込んだのでしたが、思えば蘆原将軍だって昭和12年(1937)2月2日、赤マント流行の2年前に死んでいるので、まだ満4歳にならなかった…

赤いマント(59)

ここで話を12月17日付(57)に戻します。 まず、昭和14年(1939)2月に小学校中学年・低学年だった男子の回想に、当時は強調されていた「吸血セムシ男」という属性が欠落して、黄金バットや怪人二十面相等の「マントの怪人」の側面が強調されていることにつ…

赤いマント(58)

昨日の続きで種村季弘「蘆原将軍考」及び八本正幸「怪人二十面相の正体」について。 * * * * * * * * * * 八本氏は、赤マントを「昭和十一年の阿部定事件の直後」の流言だといっていて、昭和11年説なのですけれども、これを種村氏の小学生時代の回…

赤いマント(57)

昨日、12月15日付(55)に引いた、当時澁谷區在住の加藤氏の云う赤マントには畸形のイメージがないと指摘しましたが、11月26日付(36)で見た当時目黒區在住の粟津氏の赤マントにもセムシ男のようなイメージはまるでありません。10月24日付(03)に引いた、…

赤いマント(56)

昨日の続きで加藤秀俊「「赤マント」と「月光仮面」」について。 * * * * * * * * * * 昨日まで引用した箇所の次に10行の1段、5字下げ2行取りの「☆」があって、次のまとまりは17行と8行の2段落、2つめの段落の1行めまでが2段め。ここに「権力者、…

赤いマント(55)

大袈裟なことを書くと草臥れてしまうので、昨日書いたことはすぐには始めません。 しばらく、体験者の回想を引用して見ましょう。 評論家・社会学者の加藤秀俊(1930.4.26生)は東京府豊多摩郡澁谷町出身で、昭和7年(1932)4月に澁谷町は千駄ヶ谷町・代々幡…

赤いマント(54)

以前にも書いたと思うのですが、国文学界では人の誤りを指摘しないで済ませることが、多いです。狭い世界ですし、やはり「先生」はプライドが高いので、理詰めに遺漏なく駄目なことを証明して批判したとしても、自分のことを駄目だと言っている説を嬉々とし…

赤いマント(53)

それでは池内紀『悪魔の話』の次の節を見てみます。この節もやはり10月25日付(04)に引いた加太こうじ『紙芝居昭和史』に依拠して、独自の見解により標題である『悪魔の話』へと展開させています。新書版10〜12頁6行め、文庫版12頁12行め〜14頁13行め、 現…

赤いマント(52)

ところで、文庫版「あとがき」228頁6〜7行めに「‥‥たのしく連載の/一章ごとをつづけていった。‥‥」とあって、本書が雑誌連載をもとにしていることが察せられるのですが、何に連載したのか示されていません。新書版「あとがき」を見るに205頁14行め〜206頁1…

赤いマント(51)

ここまで、昭和14年(1939)2月末までの新聞記事を通覧しました。まだ見ていない新聞もありますが追々補って行くことにしましょう。2月分は実質最後の10日間の点検で済みましたが、3月は、何時立ち消えになったのか、一応月末まで確認して置こうと思っている…

赤いマント(50)

前回は登場する警察署や小學校に現存しないものがあるため、その確認に費やしたのでしたが、再び、昭和14年(1939)2月27日(月曜日)の夕刊を眺めて置きましょう。 「都新聞」昭和十四年二月廿八日(火曜日)付、第一万八千四百卅七號の「夕刊*1」、すなわ…

赤いマント(49)

ここで久し振りに2011年8月19日付「駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(11)」にて参照した、梅田厚 ガイド文/人文社編集部 企画・編集『古地図・現代図で歩く 昭和東京散歩[戦前](古地図ライブラリー別冊)』(2004年1月第1版第1刷発行・定価2,600円・人…

赤いマント(48)

それでは昭和14年(1939)2月27日(月曜日)に言問警察署で開かれた懇談会の様子を報じる、同日夕刊の記事を見て置きましょう。 「報知新聞」昭和十四年二月二十八日(火曜日)付、第二萬二千三百三十九號の「刊夕*1」、すなわち(一)面の題字の下に「行發…

赤いマント(47)

昭和14年(1939)2月27日(月曜日)夕刊に、早速この懇談会の様子が報じられるのですが、同じ27日の夕刊にまだ予告が出ております。 「東京日日新聞」は11月14日付(24)に23日夕刊の記事を紹介しました。問題の27日の夕刊ですが(一)面には日付「日八十二…

赤いマント(46)

これまで見てきた新聞記事からも、当局は取締のため巡査の巡回、密行内偵、そして町会掲示板や学校での訓示、ラジオ放送など種々努力を積み重ねています。これらの対応がどのくらい奏効したのか、それともそんなこととは無関係に収まったのだか、とにかくラ…

赤いマント(45)

ついで昭和14年2月26日(日曜日)夕刊を見て置きましょう。 「都新聞」昭和十四年二月廿七日(月曜日)付、第一万八千四百三十六號の「夕刊*1」、すなわち(一)面の題字の下に「行發日六十二」また上欄外に「(頁八刊夕日六廿)」とあって26日の午後の新聞…

赤いマント(44)

当時の「都新聞」の朝刊(一)面トップはこの「讀者と記者」欄で、毎日掲載されています。 昨日見たように昭和14年(1939)2月26日付「都新聞」では「流言と取締/愼重な態度で」で、匿名ということもありましょうが忌憚なく当局の「取締方法」の「間違」い…

赤いマント(43)

そろそろ体力的に厳しくなって来ました。けれども記事と日付の下1桁が揃っていると対照が楽なので、12月30日付(70)まではこのペースで行きたいと思っております。そのぐらいの材料はあるのです。新聞記事も先々月*1下旬に調べた分のストックがまだまだあり…

赤いマント(42)

これもやはり11月28日付(38)及び11月29日付(39)で見た、2月24日(金曜日)夕刊よりも前の記事です。 昭和十四年二月二十五日(土曜日)付「報知新聞」第二萬二千三百三十六號、(一)面の題字の上に「版午正」、題字の下に「行發日四十二」とあって24日…