瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

柳田國男『遠野物語』の文庫本(16)

次に角川文庫。初めに新潮文庫版を買ってしまい、その後『山の人生』と抱き合わせた岩波文庫版を買ったりしたためか、古くから出ているのにあまり縁がなかった。遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)作者: 柳田国男出版社/メーカー: 角川学芸出版発…

柳田國男『妖怪談義』(6)

講談社学術文庫版が初出情報を落とした理由は、もちろん不注意としか言いようがないのだが、要するに『定本 柳田國男集』第四卷を底本にして、巻末の「第四卷 内容細目」を参照せずに編集したためであろう。「索引」がないのも、修道社版を参照していればそ…

柳田國男『妖怪談義』(5)

そこで、講談社学術文庫で省かれている、修道社版の各題下に小さい字で割書で示されている初出の情報を示しておく。/は割書の改行位置。 * * * * * * * * * *妖怪談義(一三〜三八頁)「日本評論」十一卷/三號昭和十一年三月 かはたれ時(三九〜…

柳田國男『妖怪談義』(4)

5月25日付(1)に指摘した、講談社学術文庫の問題点の確認。まず、 62頁の(附記)に「家庭朝日という雑誌」について縷々述べている理由がよく分からない。 についてだが、これは「お化けの聲」という文の(附記)で、講談社学術文庫版では62頁、修道社版では…

柳田國男『妖怪談義』(3)

梅雨入したそうだ。洗濯物をいつ片付ければ良いのか、電力不足以前から自然エネルギーによる乾燥しか方法のなかった人間には頭の痛い季節になった。尤も、今年は梅雨入前から困っていた。休日にまとめ洗いしているのだが、どうも休日の天気が悪いので遅刻し…

柳田國男『妖怪談義』(2)

12年半前のメモに言い尽くしてあったのを見て、何だか拍子抜けしているのだが、あれはあくまでも未公開のメモなのだからと気を取り直して、言葉を補いながらなんのかのと突っ込みを入れて行きたい。妖怪談義 (講談社学術文庫)作者: 柳田國男出版社/メーカー:…

柳田國男『妖怪談義』(1)

あまり妖怪には興味がないながらも、『妖怪談義』は教養として読んだ。民俗学的な発想に付いていけない人間なので、正直あまり面白くない本だな、と思ったが、1題1題が短いので、1日1題でだらだらと、平成10年(1998)11月25日から12月26日まで1ヶ月かけて読…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(15)

旧版と新版とでどこが違うのかというと、内容は違わないようである*1。見た目の印象はかなり違う。扉・目次・中扉など、若干組み方が違っているし、本文は旧版では1頁15行/1行43字(12.0×7.7cm)であったのが、新版は1頁16行/1行39字(11.7×8.0cm)で、活…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(14)

新潮文庫については、最初に結論を示してから各論という順序にしてしまったので、あまり気乗りがしない。そこで、別の文庫本について述べておく。新潮文庫についても、やり始めたことではあるし、メモは取ったのでまた気が向いたら続けたい。 * * * * *…

「波の中から」(1)

画博堂の怪談会*1の写真が掲載されてしばらく後の「讀賣新聞」大正3年(1914)7月26日(日曜日)第13379号、(三)面「よみうり婦人附録」に、次の怪談が掲載されている。当時の紙面は9段組であったが、その8〜9段め*2。改行箇所は 』 で示した。 ●波の中から …

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(13)

従って、岡田章雄訳『エルギン卿遣日使節録(新異国叢書9)』(昭和43年11月10日初版発行・定価2600円・雄松堂書店・前付14+298+索引13頁)*1の62頁の訳注〔開聞岳と桜島〕は〔開聞岳と硫黄島〕と訂正すべきであり、「索引」件名索引の5頁「硫黄島 59」は…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(12)

昨日の引用部分に注釈を加えてみよう。 「われわれは日のあるうちに」とあるが、これは長崎出航当日(8月5日)ではなく、翌日(8月6日)のうちに大隅海峡を抜ける、ということである。ここを抜けてしまえば、何の障害もなく日本沿岸の太平洋を航行することに…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(11)

さて前回5月6日付(10)に、岡田章雄訳『エルギン卿遣日使節録(新異国叢書9)』(昭和43年11月10日初版発行・定価2600円・雄松堂書店・前付14+298+索引13頁*1)から59頁の硫黄ケ島 Ivogasima の記述を引用したのであったが、これは第三章の、章の頭に、…

明治期の学校の怪談(4)

続くこの章の最後の段落で、石井氏はこんなことを述べている。 こうした「学校の怪談」が日本の中でもとりわけ早く遠野で生まれたのは、偶然ではなかったと思われます。豊かな伝承を育んできた一万石の城下町に学校が建てられれば、そこを舞台に新しい話が生…

明治期の学校の怪談(3)

石井氏は、昨日少し注意して置いたように、この小学校にザシキワラシが出たという話の紹介を「実は、」で書き始めている。前の段落まで動物に関する怪異な噂について述べていたのがいきなり「実は、」と来るので、一瞬何が「実は、」なのだか分からず少々面…

明治期の学校の怪談(2)

昨日「讀賣新聞」の記事を引っ張り出して来たのは、先日来、血迷って『遠野物語』の関連本をあれやこれやと借りて来てしまって、――こんなにいろいろな文献が出ていて、こんなものに目を通していたらどっぷり浸かることにならざるを得ない、だから勿体なくて…

明治期の学校の怪談(1)

「讀賣新聞」第1044号、明治11年(1878)7月10日水曜日、4面の紙面の2面(頁付なし)3段組の1段めに次の記事がある。「新聞」という欄である。改行箇所は 』 で示した。 ○あの雪隱から幽靈が出ると本とうか本とうとも/\』確に見た人がいくらもある姿ハ美く…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(13)

いろいろ書いて来たが、たぶんこんなことはもう誰か研究者が問題にしていることなのだろう。問題にしていなかったとすれば、それこそ怠慢である。しかし文庫本への突っ込みとしてはやや瑣事に入り込み過ぎている感はあるが、研究論文じゃあないんだし、たぶ…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(12)

ついで、吉本氏は「事実体」の説明を始める(106頁4〜109頁15)。 ……。この事実体とはいってみれば『今昔物語』のような古典物語とまったくおなじではないが、古典物語の記述の仕方をしているものだ。これが七十何篇あるということは、大部分が古典物語とお…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(11)

昨日の文は投稿後見直す余裕がなかったので今日になって冷や汗を掻いた。翌日の記事までに修正を加える旨、断ってあるし、論旨に変更を来すような修正はないので、先刻直して置いた。 * * * * * * * * * * だから「山男なるべしと云へり」は「山男…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(10)

昨日の分、体験譚という語の使用につき混乱があったので修正して置いた。 * * * * * * * * * * 吉本氏は「記述する人つまり作者と、体験した人とが途中から一緒になってしまうような文体」を特別視しているのだが、体験譚を話したり記述したりする…

柳田國男『遠野物語』の文庫本(09)

102頁16行目まで済んでいると思うので、その続きから。 * * * * * * * * * * 続いて吉本氏は「体験譚」について、作者・記述者(柳田氏)が体験したことではなく、遠野に実在する人物が体験した話だと注意する。そこでまた、何だかよく分からない…

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(6)

初版に於ける岩本氏の“サムトの婆”についての見解を確認した。 実は本書の内容については、4月28日付(1)に追補版のカバー裏表紙(追補版1)に掲載された目次を示したくらいであった。そこで4月30日付(3)に示した「刀水歴史全書」の目録から、本書の説…

岩本由輝『もう一つの遠野物語』(5)

昨日は5月1日付(4)の続きで、「〔追補版〕あとがき」の前半について書くつもりで、まずマクラとして「山神」碑のことを書いているうち、そのままあらぬ方角へ流れてしまった。 * * * * * * * * * * “サムトの婆”は『遠野物語』の中でもよく知ら…

柳田國男『遠野物語』(1)

『もう一つの遠野物語』カバー及び扉にある山神碑は、遠野市綾織町の愛宕神社の入口のものであることが分かった。これまで殆ど関連本を読んだことがなく、特にビジュアル本には反撥も覚えていたため、こういったことはまるで分からなかった。最近、山田野理…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(10)

硫黄島の記述について。岡田章雄訳『エルギン卿遣日使節録(新異国叢書9)』(昭和43年11月10日初版発行・定価2600円・雄松堂書店・前付14+298+索引13頁)は、凡例(前付7頁)の1項めに、次のように説明されている。 一、本書はローレンス・オリファント…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(09)

4月4日付(05)で触れた硫黄島について、当時の外国人の記述を拾ってみたので、以下ぼちぼち紹介して行くことにする。 まず、ロバート・フォーチュン『江戸と北京』から(5月3日付参照)。第二章、三宅馨訳では「貿易港としての評価」という章題と副題「横浜…

Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(08)

前回(4月27日付(07))、判型を記すのを忘れていた。菊判で紺色の布装、丸背の上製本。裏表紙の中央、函の同じ位置にあるのと同じ模様に窪ませてある。 奥付には左上に訳者略歴があり、下部に「シュリーマン日本中国旅行記/パンペリー日本踏査紀行 新異国…

Robert Fortune“YEDO AND PEKING”(1)

スコットランドの植物学者ロバート・フォーチュンRobert Fortune(1812.9.16〜1880.4.13)の著書で、1863年ジョン・マレーから出版された紀行である。 原文はGoogleブックスで読める。洋書のペーパーバックはAmazonに複数挙がっている。なぜこんな同じ表紙で…

改版・改装について

次の前書を付けてアップする予定だった記事がある。 別にこんなことを書く必要もないかと思うのだが、自分の見た本に特に異版についての情報がなければ、そんなものには思い至らないのが普通なので、その気付きにくい異版についてメモして置きたいと思って、…