瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

記述の方針

Twitter(2)

4月が終わって5月になりました。 赤マントの一件、現在、烏山氏の申告を信じて、結果的に似たのだ、と云う解釈を取ることにしましたが、烏山氏が当ブログを見た(知った)上で、番号付きの連載をきちんと辿っていなかった、或いは辿った上で似た報告をしよう…

文体について

【4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら、「赤いマント」記事の一部を『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。本文中の番号のズレ(177)を(175)に修正…

赤いマント(175)

【4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」…

赤いマント(174)

【4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」…

赤いマント(173)

【4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」…

赤いマント(172)

【4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」…

赤いマント(171)

【4月10日追記】 以下の内容については、先方より誠意ある回答を得て解決しました。 記事については備忘と自戒のため、そのままとして置きますが、現在何の問題もなきことをお断りして置きます。 * * * * * * * * * * 昨日のうちに主張したいとこ…

赤いマント(169)

【4月10日追記】 以下の内容については、先方より誠意ある回答を得て解決しました。 記事については備忘と自戒のため、そのままとして置きますが、現在何の問題もなきことをお断りして置きます。 * * * * * * * * * * 昨日の一件に関しては、四月…

赤いマント(168)

【4月10日追記】 以下の内容については、先方より誠意ある回答を得て解決しました。 記事については備忘と自戒のため、そのままとして置きますが、現在何の問題もなきことをお断りして置きます。 * * * * * * * * * * 私は西暦は余り好きではない…

森類『鴎外の子供たち』(4)

昨日の続き。 ・山﨑國紀『鴎外の三男坊 森 類の生涯』(3) 本当なら頭から順にメモを取りながら読むところなのだけれども、なかなかその余裕がない。だから、風呂上りの湯冷ましなどに読んで、粗方読み終えてしまった。細かいところでいろいろ気になった…

改めて御挨拶

昨日10時50分にはてなダイアリーに最後の記事を投稿し、22時50分にはてなブログへのインポートを完了しました。 8年と1ヶ月、日々見慣れたはてなダイアリーには愛着がありましたが、ダイアリーとブログの二重生活(?)を続ける自信もないのでリダイレクトま…

はてなダイアリー

1月18日付「新聞夕刊の日付(2)」の前置きに述べたように、はてなダイアリーが終了するので「下書き記事」を手作業(?)で移行しつつあるが、数年前の旧稿に「創作」が混ざっていた。――当時、都内に出勤していて度々遅延に巻き込まれて遅刻することがあり…

美術の思ひ出(3)

昨日今日に述べた出来事については、20年余り前に書き留めて置いたので、それで今でもある程度思い出せるのだ、と思っていたのですが、どうもそうではなくて、他に書いたことのない中学の時のことをいろいろ、思い出しています。 11月9日付「校舎屋上の焼身…

鉄道人身事故の怪異(10)

2014年5月10日付(09)から随分間が空いてしまった。すぐにも続稿を上げるつもりだったのだが、小池壮彦『日本の幽霊事件』が取り上げる、昭和35年(1960)7月の常磐線中川鉄橋での男性工員(18)の自殺について、「朝日新聞」や「読売新聞」のデータベース…

広坂朋信『東京怪談ディテクション』(1)

・『東京怪談ディテクション――都市伝説の現場検証』1998年8月20日初版第1刷発行・定価1700円・希林館・246頁・四六判並製本東京怪談ディテクション―都市伝説の現場検証作者: 広坂朋信出版社/メーカー: 希林館発売日: 1998/08/01メディア: 単行本この商品を…

試行錯誤と訂正

これはもともと10月17日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(10)」の前置きとして用意したものなのだけれども、長くなってしまったので本題の方を先にして、別に投稿することにしました。 * * * * * * * * * * 私は山本禾太郎という名前を意識したの…

ブログ名について

山岸凉子の漫画本の書誌について書いているうちに閲覧数が落ち着いて来た先月の下旬、急に閲覧数が増えたのです。リンク元が増えた訳ではないようです。当ブログが検索候補の上位に来ることはあまりないので(来ているとすればそれはあまり検索されない語だ…

ネタバレと引用

当ブログは、本を主とするブログということになるのだろうけれども、書評ブログではない。一応書物系(?)なのだけれども、別段、読んで感動した本の魅力を伝えたいとか、そんな気持ちは、ない訳ではないけれども、常にある訳ではない。 基本は、突っ込みで…

中島京子『小さいおうち』(39)

前回7月15日付(38)に疑いとして示して置いた、著者が同時期を実際に生きた人間が書いた『楡家の人びと』のような同じ時期を扱った作品を全く読んでいないのかどうか、それから「都新聞」を調べなかったのか、については、そう感ぜられるというばかりで、――…

赤いマント(139)

中島京子『小さいおうち』の続き、として書き始めたのだけれども、全く登場しないままになったので標題を替えた。なお、「赤いマント」の記事は敬体で書いていたのだけれども、今回は常体で書き始めたのでそのままにして置く。 * * * * * * * * * …

楠勝平『おせん』(1)

東京に出て来て浪人していた当時、教科によって出来に酷い偏りがあったので、予備校は英語を専門としているところに入り、他に大手予備校の単科の国語と世界史を受講した。正直、国語と世界史は受講しなくても良かったかも知れない。それで、かなり自由にな…

記述の方針について

12月3日付「赤いマント(43)」にて予告した通り、今日は「赤いマント」ではなく、長くやっているうちに乱れて来た記述の方針について自分でも確認して置こうと思った次第です。 当ブログの基本方針は開設時の2010年12月30日付「御挨拶」にて述べた通りです…

謬説の指摘(4)

「批判」に腹を立ててしまうような「先生」が、万事このような頑なで、権威主義的だったりしたら、話は単純なのですが、そうではありません。自分に「論」のある事柄については、話が出来なくても、そういうものがない題目に関しては、驚くほど鋭い判断力を…

謬説の指摘(3)

ところで、従来の通説への対し方も、さまざまです。「いけない」説を徹底的に批判する場合もありますし、そっちを殆ど無視して専ら自らの「よい」説の正当性を強調するか、いろいろですが、それはまぁ、戦略です。効果的な出し方をする訳です。死後も崇拝者…

謬説の指摘(2)

ところが、学界というところは基本的に「金持ち喧嘩せず」の世界で、謬説の修正ということに消極的です。 ある主題について、その時代の専門家でもない人物が思い付きで乗り込んできて、少々怪しい説を唱え、その説がそれなりに有名になってしまう、というこ…

謬説の指摘(1)

私は古典文学研究をやっておったのですが、そのとき、驚いたのは、古典の本文に基づかない、妙な理屈を展開した「論文」が少なからず存在することでした。本文を読む限りではこんな解釈は出来んだろう、と云うようなことを堂々と書いている。何故こうなった…

再びコメント欄について(5)

話が脇に逸れたついでに書いて置くと、――返事が来なかった、ということでは、このときも編集担当から返事が来ませんでした。査読結果を送ってしまってから、「掲載可」と返したのなら別に気にする必要もなかったのですが、「掲載不可」として返したので、そ…

再びコメント欄について(4)

後輩との一件は、こんなことになるなら、いっそ初めから私の名前で発表した方がマシなくらいでした。が、私の専門と時代は一致していましたが、正直興味のある分野ではなかったので、第一、その研究に、全く意義を感じなかったのですから。……何も教えてやら…

再びコメント欄について(3)

けれども、私にとって、このブログは交流よりも継続することに意味があるので、それに目下、毎日書き継ぐのでやっとなのです。私は、大学院では本当に酷い目に遭いました。途中、何度も無気力になり、不登校になったこともありました。たまたま職場に恵まれ…

再びコメント欄について(2)

続き。今回から文体を常体から敬体に変えます*1。 * * * * * * * * * * それから、これは育ち方のせいなのだけれども、手紙を出さないで縁の切れたことが、何度もありました。 父の仕事の都合で、小学校を3つ、中学と高校は別の地方に通ったのです…