瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

処分書籍目録(09)

・浅井了意全集刊行会 編『浅井了意全集』岩田書院
 私も下働きのような形で関係していたのだが、学界から足を洗おうとしていたところで、もう仕官の望みを持っていないのに、こんな面倒な仕事をするのはちょっと勘弁蒙りたいと中途で辞退して、或いはこれが学界隠退の決定打になったかも知れぬ。
 企画を聞いた段階から『假名草子集成』と「仮名草子編」の書目の殆どがダブってしまうであろうことに疑問を持っていた。その『假名草子集成』で、私はある大部な作品の翻刻を某大学教授と組んで担当させられたのだが、本当に大変だった。で、その経験とデータがあるだろう、ということで『浅井了意全集』でも同じ作品の担当を割り当てられていたのだが、ただでさえ学術書が売れぬ状況下、ダブったものを出す必要があるのか、と思った。そして今『假名草子集成』の処分に苦慮した体験を経て改めて、やはりダブリで出す必要はなかろう、と思ったことだった。いっそ翻刻ではなく影印で出すべきだろう、と思っていた。
 それで私が下りたら、この面倒臭い作品を代わって担当しようと云う者は現れなかったらしく、中途で滞ってもう10年続刊されずにいる。しかし、浅井了意は仮名草子時代の作者の中でも有名人だから、全集があれば便利ではあるけれども、個別の作品は個別に翻刻が備わっている。それを探せば良いだけである。
 いや、当時、私は花粉症と鼻中隔彎曲症に拠る緩慢な体調不良が慢性化していて、この全集が続刊されなくなった頃に2度職場を馘首されている*1。とてもでないが、こんな現物支給しかない(稿料は出なかったと思う)仕事に大幅な時間を割く余裕などなかったのである。
 しかし、本当に、こんな需要の限られる作品の翻刻を、しかも註解などなしの本文だけの翻刻を、続けざまに2種類出す必要があるのだろうか。ないだろう*2*3。私は合理主義者なので、どうして調整出来ないのか、と思ってしまう。
仮名草子(菊判上製本函入)
『1』平成19年(2007年)8月 第1刷 500部発行・定価15000円・497頁
『2』平成23年(2011年)2月 第1刷 350部発行・定価18800円・466頁
※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
『3』平成23年(2011年)5月 第1刷 350部発行・定価18800円・476頁

※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
『4』平成25年(2013年)11月 第1刷 300部発行・定価23800円・581頁
※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
『5』平成27年(2015年)9月 第1刷 300部発行・定価18800円・439頁※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
・仏書編(B5判上製本函入)
『1』平成20年(2008年)9月25日 第1刷 500部発行・定価18800円・709頁※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
『2』平成21年(2009年)5月 第1刷 500部発行・定価18800円・647頁※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
『3』平成22年(2010年)4月 第1刷 400部発行・定価18800円・747頁
※「補充注文カード/売上カード」黄緑色、挟まる。
 これも持っていても仕方がないので、幾らにもなるまいが古書店に持ち込むつもり。『仮名草子編1』の函、置いてあるうちに恐ろしく汚れてしまって、少しどうかと思うのだが、一応既刊の揃いである。『仏書編 1』と『仏書編 2』の函も若干汚れているが、『仮名草子編1』を見た後では大したことない。――それにしても、部数の減少が需要の低下を如実に表している。図書館や寺院にはあっても良いかも知れぬが、一般読者には必要ない本である。図書館で借りれば良い、と正直思う。本当に、もう置いておく場所もないし、持ち続けても遠からず処分に困るだけである。(以下続稿)

*1:1度めは雇い止め(導入前の厄介払い)が主要因だったろうが2度めは明らかにこちらが原因だった。

*2:2024年12月30日付「廃棄物目録(01)」の「・スキャナ」に書いたように、私はこの全集のある巻の本文入力を1人で請け負わされたのだが、途中から大学図書館で借りた『假名草子集成』をスキャンして進めたのである。――『假名草子集成』をコピーして使い回しているようなもので、正直『假名草子集成』があれば十分だろうと思ったことだった。

*3:私が『假名草子集成』でやらされた作品は未翻刻だったので一々入力する必要があった。影印本は早くに出ていて読みづらくはないのだが漢字が多用されていてそれを調べて確定させる作業が恐ろしく面倒だった。今、その元原稿と校正刷を職場で裏紙として使っているが、裏面を見る度に、つくづく良くやったものだと思う。しかし残して置いても仕方がない。