瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

岡谷公二『柳田国男の青春』(2)

 昨日の続き。
 扉をめくると「目  次」は2頁あるが前付部分で頁付なし。
 さて、前回指摘したように、②では「筑摩叢書版あとがき」が追加されているのだが、その辺りの処理が少々おかしい。
 「目次」の裏、2頁めの、最後、それまで章題を挙げていたところよりも一回り小さな活字の部分を並べて見る。

あとがき………………………………………………267
年  譜………………………………………………270
人名索引


 これが、もちろん原本は縦組みである。は次のようになっている。

あとがき………………………………………………267
筑摩叢書版あとがき…………………………………270
年  譜
人名索引


 左開き、すなわち横組み左右2列の「人名索引」は、ローマ数字(小文字)の頁付になっている。従って「目次」に頁が示されないのは分かる。しかしながら、が「年譜」の頁を示さないのはおかしい。尤も、最後の最後だから示さなくても行き着けるのだけれども。
 1頁(頁付なし)中扉で縦組みで標題。以下269頁までは、たぶん一致。或いは誤植の修正くらいはあるのかも知れないが、270〜271頁に追加された「筑摩叢書版あとがき」を見るに、その冒頭の1段に

 一九七七年に出た『柳田国男の青春』は、私にとっては最初の著書である。訂正したい個所、し/なければならない個所もあるのだが、ひとつの記念として、文章には一切手を触れないことにした。

とあるのを信用して細かく比較しなかった。「一九九一年二月」付の「筑摩叢書版あとがき」では続けて「新体詩に歌われた恋愛が、国男の実際の体験であることを示そうとして」124頁に『定本柳田國男集』第二十六巻に収録される「小バーンス」という一文からの引用を行なったのだが、「最近になって」この小文は「どうやら松本烝治の筆になるらしいことが判明した」ために、「小バーンズ」に触れた124頁1行めと5〜11行めが「訂正すべき個所」になったというのである。それから刊行後の状況として、「彼の恋愛」に関しては「最近、西垣晴次氏の手により、館林の田山花袋記念館において、花袋宛の若き日の国男の手紙が多数発見され、恋人の名が「いね子」であり、明治二十九年の時点で十六歳の、母のない少女であることがあきらかになった」こと、「今年の二月に刊行されたちくま文庫版『柳田國男全集』の三十二巻」に「柳田国男が『定本』に収録することを峻拒したその新体詩」と「やはり『定本』に洩れている詩的散文のすべてが収められ …… やっと新体詩人松岡国男の全貌を、手軽に読むことができるようになった」こと、それから「その新体詩と、後年の柳田学とがどのような関係にあるのかについても、近年、関心が持たれるようになってきた」ことを挙げて「こうした一連の動きに、本書がささやかながらも寄与したとすれば、大変にうれしいことである」と述べている。(以下続稿)