・『滝平二郎作品集』(2)
当然、斎藤氏は各巻末、奥付の前の見開きにある「第×巻収録作品初出一覧」の、その前の見開きになっている解説風のエッセイを執筆するべき人物なのだけれども、当時健康を害しており(第15回配本の『15』が出た7ヶ月後に死去している)執筆していない。「月報」は、揃いで見た都内の公立図書館の全15巻には挟まれていなかったので、斎藤氏の執筆があったかどうか、まだ確認していない。
そのためか『13』108~109頁、「●最初の出会いは……」と題する、〈斎藤隆介/滝平二郎〉対談が、末尾(109頁下段29~30行め)に「(『滝平二郎の世界』すばる書房刊/一九七五年 ――|「ふるさと対談」より抜粋)との註記*1を添えて掲載されている。
そこで『滝平二郎の世界』を借りて見た。
・『滝平二郎の世界』昭和五十年十二月十五日 初版発行・昭和五十一年十二月五日 三版発行・¥ 1600円・すばる書房・163頁・B変型判並製本
それはともかくとして、この対談、107頁(頁付なし)は扉で、上半分は中央に明朝体太字の題、下は、どちらかの自宅らしき場所で、飲みながら、煙草を手に笑顔の斎藤氏と、肘を突いた右手を挙げて何か話している滝平氏の写真が掲載されている。108頁から本文で2段組、上段1行め、2行取り1字下げでやや小さく「■出会い」とある。だが、109~112頁はカラーの折図で表の110~109頁側が「花さき山(岩崎書店1969)より」、裏の112~111頁側が「モチモチの木(岩崎書店1971)より」である。この絵については別に取り上げる予定。対談の続きは113頁でこの節は115頁上段まで、下段は1行め「■『八郎』と『ベロ出しチョンマ』」で2行取りでなくやや小さくもなっていない。3節めは118頁上段12行め「■マンガから出発」で、前を1行空けていて、やはり2行取りでなくやや小さくもない。4節め「■ふるさとをめぐって」は120頁下段23行め、ここは3節めの見出しと同様、ただ、周囲に切り貼りした跡のような薄い線があって、或いは1節めの見出しとの不体裁と合わせて、急ごしらえの証拠かも知れぬと思って見たりするのだが、差当りメモして別の版と比較した上で考えることにする。
113頁下段の左下隅に『ベロ出しチョンマ』の「最初の装丁」の表紙(キャプションなし)、115頁下段左に「「ベロ出しチョンマ」より」のキャプションのあるカット、118頁下段右下隅と120頁上段中央上にキャプションのないカット、そして116頁中央に「斎藤隆介氏」117頁中央に「滝平二郎氏」のキャプションのある、107頁と同じときに撮影されたと思しき顔写真。
以上、4節になっているのだが『13』では、108頁上段1行め「■出会い」2行取り1字下げ、109頁中段18行めまで。これは「ふるさと対談」にほぼそのまま、全部取ってあるが一部削除、また細かい異同がある。秋田関連の発言は次回検討する予定なので、ここではそれ以外の箇所の異同を確認して置こう。なお「(笑)」が句点の前「(笑)。」にあったり後「。(笑)」にあったりするが『13』では「(笑)。」に統一されている。これは一々拾わなかった。
113頁上段21行め~下段14行めの「斎藤」氏の発言は『13』では最初の2段落(108頁中段28行め~下段11行め)のみ採られて、下段10~14行めは省かれている。
そんなふうな形で、大変わがままを言ってね。『ベロ/出しチョンマ』が出た年に『八郎』という二人の最初/の絵本が福音館から出たわけです。同じ年に『職人衆/昔ばなし』という本を出した。ぼくが五十歳でしたが、/一年間に三冊一ぺんに本が出たわけなんですよ。
114頁上段24行めの頭「でも、」の読点が『13』109頁上段3行めではなくなっている。115頁上段の最後の句点が落ちているが『13』109頁中段18行めでは、当然のことながら補われている。
そしてそして残りは「■マンガから出発」なのだが119頁上段9行めまで約1頁分省略して119頁上段10行めから始めている。そのため『13』109頁中段20行めの「斎藤」氏の発言、119頁上段10行めでは「斎藤 絵描きになろうと思い始めたのはいつ頃から?」となっていたのが、いきなり話題が変わるので「ところで、絵描きに‥‥」と接続詞を補っている。119頁上段20~21行め、滝平氏が列挙する人名は「‥‥。椛島勝一、伊藤幾久造、山口将吉郎、林唯一、/岩田専太郎、小林秀恒、小田富弥とか。‥‥」だったが『13』109頁中段31~33行めは「‥‥。伊藤彦造、椛島勝一、山口将吉|郎、伊藤幾久造、林唯一、岩田専太郎、小林秀恒、|小田富弥とか。‥‥」と1人増え、また順序が1箇所入れ替わっている。119頁下段7行め、雑誌名「みづえ」を『13』109頁下段5行め「みづゑ」に、11行め「まんが」を『13』109頁下段9行め「マンガ」に直している。119頁下段4行め~120頁上段15行めの「滝平」氏の長い発言を『13』109頁では前半で切って下段2~23行め、この発言の後半からこの節の最後まで、農学校の先生たちの絵を描いて褒められた件について語り合っているが、その絵に触れない120頁下段7~12行めの「滝平」氏と「斎藤」氏の発言を抜いて『13』は切り上げている。そのため『13』109頁下段2行め「滝平」の次が、対談なのに23行め、また「滝平」の発言、と云う不思議なことになっている。
2節めと4節めは省かれている。3節めの抄録も「最初の出会いは……」に関連した内容ではない。
次回、「■出会い」の節の、秋田で知り合った頃の回想を検討して見ることにする。(以下続稿)
*1:「/」が使用されているので改行位置は「|」で示した。