瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『斎藤隆介全集』月報(22)

 年明けにまた「月報」の揃いを借りて来るまでの繋ぎとして、斎藤氏と組んで仕事をすることの多かった滝平二郎の著書の方を眺めて見ることにした。現在、唯一通っている都内の公立図書館に、たまたま開架に滝平二郎作品集』全15巻が並んでいることに11月に気が付いて、しかし重たいので、ざっと眼を通して『5』『13』『15』の3冊が差当り入用だとメモして帰り、その後、近所の市立図書館には所蔵がないので隣の市の図書館に予約して、先月借りに行った。
 ところが、メモを見ずに記憶に頼って予約したので『5』ではなく『3』を頼んでいた。
 しかし、この『3』に、秋田でのスケッチが収録されていて、怱卒の間に見ると見落すことになるわい、と嘆息したことだった。
 そこで、先月、都内の公立図書館に再度出掛けた折に『3』を借りて来た。いや、全冊を改めて見直すべきなのだけれども、時間がなかったので差当り『3』だけ、借りて帰ったのである。
 そんな訳で、昨年末には取り掛かるつもりだったのだけれども、今、手許に『滝平二郎作品集』のうち4冊がある。
・『滝平二郎作品集』岩崎書店・B4変型判上製本

3『ふるさとの歳時記』一九八四年六月三十日 第一刷発行・定価2800円・111頁5『花のある風景』一九八四年二月二十八日 第一刷発行・定価2800円・111頁13『風の吹く日』一九八五年一月三十日 第一刷発行・定価2800円・111頁15『夕焼け小焼け』一九八五年三月二十日 第一刷発行・定価2800円・113頁
 各巻の最後の頁(頁付なし)の左側に明朝体縦組みで奥付(右側は余白)、左右の子持線の間を縦罫で8行に仕切って、1行めに明朝体太字で標題、『3』を例に取ると「滝平二郎作品集 3 ふるさとの歳時記」、2行め「著者/滝平二郎  編集・レイアウト/村田哲朗」は共通、3行めは発行日、4行め「発行者/大川松利  編集・製作/小西正保」、5行め「発行所/岩崎書店 〒112東京都文京区水道一―九―二 電話〇三―八一二―九一三一 振替(東京)七―九六八二二」、6行め「印刷所/金羊社  製本所/小高製本工業」も共通、7行めには上詰めで横転したISBNコードとCコード、下寄せで「●乱丁・落丁本はおとりかえします   」、最後の行は横転した「©Jiro Takidaira 1984. Published by IWASAKI SHOTEN, Tokyo, Japan.」とあってこれは「1985」になっているものもある訳である。
 2024年10月1日付(08)に見たように、斎藤氏と滝平氏は、昭和26年(1951)に秋田で初めて会っている。これを滝平二郎作品集』で確認すると『15』94~109頁、村田哲朗 編「年譜」の99頁中段26行め~下段12行め「[一九五一年(昭和26)三十歳  ]」条、中段30行め~下段4行め、

1月、秋田に行き、新居広治、牧大介らと花/岡事件(戦時中、秋田の花岡鉱山で、強制連/行された中国人労務者多数を鉱山関係者が虐/殺した事件)の連作版画集『花岡ものがたり』/を合作刊行。一ヵ月くらい秋田に滞在。この/とき疎開流れで秋田にいた斎藤隆介と知りあ/う。【中】
滞在中に「秋田にて」を制作し、2月の第4/回日本アンデパンダン展に出品。
秋田から帰った後、子供を題材にした多色摺/りの「土橋」「どじょう掘り」を制作。‥‥

とある。わざわざそんな寒い時期に来たのか、と思ったのだが、『3』47頁上「秋田・横手にて(その1) 1951年」は籠を背負った若い女性のスケッチ、下「秋田・横手にて(その2) 1951年」はその全身、斜め後ろから、また横から籠を下ろした姿を3通りに略して描くがともに「51.1」の書入れがある。48頁上「秋田・横手にて(その3) 1951年」は「はらまき」の書入れがある、エプロンのようなものを着けた人物の略画でやはり「51.1」そして、48頁下「秋田・横手にて(その4) 1951年」は「タテヅチ」「ヨコヅチ」の農具2つと「マルキサンペ/(スネサンペ)」の藁の長靴のスケッチで「1951.1」とある。なお110~111頁「第3巻収録作品初出一覧」には、111頁4行め「47~48――秋田・横手にて 鉛筆 一九五一年」とあって、未刊(未発表)のスケッチである。とにかく昭和26年(1951)1月に秋田に来ていることは間違いないようだ。(以下続稿)