瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(42)

 これもやはり11月28日付(38)及び11月29日付(39)で見た、2月24日(金曜日)夕刊よりも前の記事です。
 昭和十四年二月二十五日(土曜日)付「報知新聞」第二萬二千三百三十六號、(一)面の題字の上に「版午正」、題字の下に「行發日四十二」とあって24日の昼の新聞、その(二)面、記事は12段、その下2段分が「愛馬進軍歌」の広告です。記事の6〜9段め、うち6〜7段めの2段抜きのロゴ「醫學談義」欄で、やはり2段抜きで見出しが「赤マントの正體?」とあります。年齢の漢数字は小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。1字下げの箇所はルビがありません。

…最近市内に赤マントのせむし/男が出沒して兒童、婦女子の生血/を吸ふといふ惡質のデマが流布さ/れ放送犯人の檢擧に警視廳を惱ま/してゐるが、一體この赤マントと/*1【6段め】生血と兒童とはどんな關係がある/のだらうか、記憶のよい讀者は昨/年六月名古屋に少年を絞殺して生/膽を取り二つに割つて惡鬼の如く/鮮血をすゝつたといふ殘虐事件の/*2【7段め】あつたことを思ひ出されるであら/う“犯人の顔に腫物があつた”と/いふ難を免れた他の少年の證言に/よつて當局は癩病患者崔東雲(二四)/を犯人と推定、彼を引致せんと/した*3
    ―――
 …崔は最早逃れぬものと觀念/ して巧に捜査網をくゞり鐡道自/
 殺を遂げ事件は解決した、とこ/ ろで昔から癩病は若い者の血を/
 吸ひ生膽を食へば治るといふ恐/ るべき迷信がある、そのためこ/
 の犯人のやうな惡性の者や墓場/【8段め】 死體を發掘して膽囊や肝臟を/
 ゑぐり取るグロ犯人が出現する/ 譯である。
…次に赤マントだがこれは矢張/り昨報の天然痘と赤布の關係と同/樣實驗上の理由からで赤いマント/を着たが故に紫外線の刺戟を避け/病状を好轉せしめるといふ醫學的/根據から來たもの、だからデマは/デマとして排撃するが赤マントを/着て生血を吸ふなどゝいふことは/何か病氣からの迷信などに起因し/てゐるかも知れない*4


 「赤マントと生血と児童」の関係如何と言いつつ、癩病患者が子供の生肝を取ったという事件を挙げています。この事件についてもピストル強盗と同様に当時の扱われ方を確認しないといけませんが、これでは赤マントが関係して来ません。赤マントは天然痘の治療法らしく「昨報」というのですから未見ですがそのような記事も出たのでしょう。さらに大宅壮一「「赤マント」社會學」でも触れていたような、11月21日付(31)にて見た天然痘と赤の迷信、そこから11月20日付(30)にて見た赤マントの業病が天然痘であるとする説が登場して来るようですが、とにかく関係のありそうな・なさそうな別箇のことを無理矢理綯い交ぜにしたような説で、「報知新聞」は11月15日付(25)に引いた2月23日夕刊でも別に奇怪な説を唱えていたので、これは一応その前日の見解に対する改良版として、位置づけられるもののようです。

*1:ルビ「さいきんしない・あか/しゆつぼつ・じどう・ふちよ・ち/す・あくしつ・ふ/はうそうはんにん・けんきよ・けいしちやう/たい・あか」。

*2:【追記】この段のルビを落としていましたがすぐに調べに出られないので一応断って、しばらくそのままにして置きます。今月中には他記事の校正も兼ねて確認するつもりです。

*3:ルビ「/はんにん・かほ・もつ/なん・まぬか・た・せうねん・しよう/たうきよく・らいびやうくわんじや/はんにん・すゐてい・ち/」。

*4:ルビ「あか・は/さくはう・ねんとう・くわんけい・どう/やうじつけんじやう・り・あか/き・ゆゑ・しぐわいせん・しげき・さ/びやうじやう・かうてん・いがくてき/こんきよ/はいげき・あか/き・ち・す/なに・びやうき・めいしん・きいん/し」。