そろそろ体力的に厳しくなって来ました。けれども記事と日付の下1桁が揃っていると対照が楽なので、12月30日付(70)まではこのペースで行きたいと思っております。そのぐらいの材料はあるのです。新聞記事も先々月*1下旬に調べた分のストックがまだまだあります。ただ新聞ごとに分けてあるので掲載順にしたときに乱れてしまいました。そのうち経過をまとめた目録を作成しましょう。
さて、その次に11月3日付(13)に引いた、昭和14年(1939)2月26日付、25日発行の「讀賣新聞」第一夕刊が来ます。この記事については補足があるのですが、これも又の機会にして、26日(日曜日)朝刊の記事を見て置きましょう。
「都新聞」昭和十四年二月廿六日(日刊)第一万八千四百三十五號の(一)面*2、記事は上半分の7段で下半分は東寶映画「沙羅乙女」の広告です。赤マントに触れているのは(一)面トップ、1〜3段めの「讀者と記者」欄で、欄名の両脇には波線があります。すなわち「読者」からの投書欄で、最後に1字下げ「記者」が簡単に答えています。投書の題は欄名の次に大きく明朝体で「流言と取締」とあり、次にやや大きく欄名と同じ大きさの明朝体で「愼重な態度で」とあります。
流言の取締方法について一言し/たい、私は市の一隅に住む者だが/例のセムシ男の話しは、家の者は/誰も知らなかつた、そこへ或日の/こと、お巡りさんがやつて來たの/で家内が出ていくと、最近變な流/言が飛んでゐるけれど知らないか/といふ、家内は何も知らないので/「知りませんけれど」と答へた、/するとお巡りさんは、例のセムシ/男の話しを長々と喋べり「しかし/これは單なる流言で、根も葉もな/*3【1段め】いことだから安心しなさい」と云/つて歸つて行つた、家内は始めて/お巡りさんに流言を教へこまれた/譯だ、お巡りさんが根も葉もない/ことだと話しても、今まで何も知/らなかつた噂をきいたので、家内/はどうも安心しきれない風であつ/た、お巡りさんがあんなにして歩/くのだから、ひよつとしたら本當/かも知れないとの疑ひも出るのだ/その後ラヂオで注意があつたりし/てこのセムシ男の話は全市に擴ま/つた、最初は單に板橋付近のみだ/つたのが、急に擴大されたのであ/る、ここで私は取締方法を考へず/にはゐられなくなつたのだ、お巡/*4【2段め】りさんが私の家に來たのは、流言/に對する取調べからであらうが、/其お巡りさんがぺらぺら喋べり歩/いたのでは反て流言を擴める役目/にしかならないのではないか、こ/んな工合から段々全市的になり、/ラヂオで注意しなくてはならなく/なつたのだ、取締方法が何か間違/つてゐたのではないかと思ふ、こ/の邊の事情を、今後當局でも反省/すべきではないかと思ふ(SS生)*5
右のやうに豫期とは反對の結果/ を生むこともあらう、取締の態/
度、打消の用語なども最も注意/ せねばならぬ、流言蜚語豈輕ん/
ずべけんや(記者)*6
内容については次回確認しましょう。なお、この欄の左から下に掛けて(1〜4段め)の「文藝」欄には、長谷川時雨「かの子の訃報」が掲載されています。
*1:【12月5日追記】当初「先月」としていましたがもう「先々月」でした。
*2:「Y」とあり。
*3:ルビ「りうげん・とりしまり・はふ・げん/し・ぐう・す・もの/れい・はな・もの/たれ・ある//さい・へん・りう/げん・と//こた/れい/はな・しや/たん・りうげん・ね・は」。
*4:ルビ「い/かへ・はじ/りうげん・をし/わけ・ね・は/はな/うはさ/ふう/ある/たう/うたが/ちうい/はなし・ぜんし・ひろ/さいしよ・たん・いたはし/きふ・くわく/とりしまり・はふ・かんが/」。
*5:ルビ「りうげん・たい・とりしら/その・しや・ある/かへつ・りうげん・ひろ・やく//く・だん・ぜんしてき/ちうい/とりしまり・はふ・ちが/おも/へん・ぜう・たうきよく・はんせい/おも」。
*6:ルビ「よき・はんたい・けつくわ/とりしまり・たい/うちけし・ようご・もつと・ちうい/りうげん・ご・あにかる」。ルビ付活字は清濁の区別なく読みが違っていることがあります。