先月の後半から体調が優れず、かつ業務も繁忙を極め、なかなか当ブログの方に戻れずにいた。松谷みよ子や佐藤春夫、稲垣足穂、尾崎翠などの資料もある程度、借りて若干の準備はしてあったのだが、そのまま返してしまった。毎日投稿すると云う縛りをなくしたらこの体たらくである。しかし実際、Twitter(現 X)並に小出しに投稿するのでなければ毎日投稿し続ける余裕はなかったのだから、まぁ、仕方がない。今後は愈々老境に向う訳で、もうぼちぼち進めて行くよりない。
それで斎藤隆介の資料だけれども、続稿が滞っている間に「月報」の返却期限が来て、年明けまで借りられない。いや、少し待ってすぐに借りに行けば良いのだが、都内勤務でなく今はわざわざそのために都内に出る気力もない。4週間に1度、返却期限の度毎に出るのがやっとである。
しかし幸い(?)なことに、月報の挟まっていない『斎藤隆介全集』は近所の図書館にほぼ揃っていて(1冊を欠いている)これは3~4冊ずつ借りて先月のうちに「目次」には一通り目を通した。
こうしてバラバラに借りて行ってやはり不便だと思ったのは、9月30日付(07)に触れた『全集』第十一巻209~224頁「著作目録」で、個々の作品の初出について示しているのは217~223頁「㈣ 単行本未収録」だけで、211~212頁「㈠ 単行本(文庫を含む)」213~214頁「㈡ 絵本」そして215~216頁「㈢ アンソロジー」さらに224頁「㈤ 全集(全十二巻 岩崎書店刊)」と、書籍として刊行されたものしか示しておらず、斎藤氏の著述の全体を、編年もしくはジャンル毎に通覧出来る形にはなっていないことである。
尤も、例えば「短編童話」であれば『全集』第一巻から第四巻の4冊に編年順に収録していて、その各巻末に「作品初出一覧」として発表誌紙と発表年月日が纏めてあるから、4冊揃えて置けば「短編童話」と云うジャンルについては大体の流れを摑むことは出来る。第五巻から第七巻の「長編童話」、第八巻から第十一巻の「ノンフィクション」も同様である。但し第十二巻の「大人の童話」に収録の短編・中編は、斎藤氏の著作の中で一定の纏まりのあるジャンルであるにせよ、やはり一部分に過ぎない訳だから、他の著作との関連が判るよう、斎藤氏の著作全体をカバーした編年の目録に組み込まれた状態で見たい――そう云うものも作成して置いて欲しいところであった。
まぁそのうち気が向いたら、『全集』に収録されていない「佐井東隆」名義のものも含めた著述目録を拵えて見ようと思っている。
それはともかくとして、ちょいと困るのは「㈣ 単行本未収録」221~223頁「2 エッセイ・対談・座談会」で、斎藤氏はエッセイ集などは出していないはずだから、ここに年代順に掲出されているもので恐らく「エッセイ・対談・座談会」の全てのはずである。その殆どが『全集』には収録してあるらしいのだけれども、これがどうも、第一巻に収録された「八郎」関係のエッセイ2篇以外は『全集』各巻の頁数を揃えるための埋め草のように分割して収録さてていて、第二巻・第七巻に収録される「対談」と第二巻・第六巻に収録される「座談会」については、各巻奥付裏の見開きの『全集』目録に、作品と同様に題まで示してあるから良いが、数の多い「エッセイ」については、第四巻・第五巻・第十巻に「エッセイ」とあるばかり個々の題を示さないので、どれが何処に収録されているのかが俄に判らない。とにかくなるべく多くの巻を借りて置いて取っ替え引っ替え見て行くしかない。
そんなことを今考えて見たのだが、これまではどうも忙しくてそこまで知恵が回らずに、3冊前後を借りては返しを空しく(?)繰り返していた。年明けに一度全部返してしまって、「月報」の揃いを借りた上で、それから数冊ずつ続けて借りて、全部を揃えて見ることとしよう。
で、今、『全集』の第十一巻と第四巻と第七巻が借りてある。第十一巻は「年譜」と「著作目録」があるので近所の市立図書館のを返す前に隣の市の図書館で借りて、切らさずに借り続けている。第七巻はこれまで借りてなかったので借りた。第四巻は「エッセイ」3篇のうち2篇に樺太時代のことを述べてあるので、先月、神沢利子の月報への寄稿とも絡めて取り上げようと思っていたのだが、何となく滞っているうちに一度返してしまった。しかし樺太のことは年内に片付けてしまいたいと思って、もう一度借りて来たのである。ところが本題に入る前に近況やら進捗状況やら余計なことを書いているうちにだらだらと長くなってしまった。――余計なことついでに、今週は市の特定健診も受けたし年賀状の印刷も済ませた、まだ出していないが。
明日は、余計なことを書かずに、本題だけすっきり述べることとしよう。(以下続稿)