昨日の続き。
・松谷みよ子全エッセイ2『わたしの風土記』
149~233頁「Ⅱ わたしの風土記」には各地の民話を取り上げた29篇が纏めてあるがその23番め、198~201頁「天狗さまざま」は、末尾(201頁5行め)に下詰めでやや小さく「(一九七八・三「新修日本絵巻物全集」月報)」と初出が示されております。
さて、続稿を綴る余裕なく仕事に追われて過ごす間に、私は偶然「絵巻」と云う標題の「新修日本絵巻物全集/月報」(角川書店)の何冊かを綴じたものを借りることが出来ました。元はA5判の折本(A4判2つ折)で、私は揃いのつもりで取寄せの依頼をしたのでしたが揃いではありませんでした。
・「新修日本絵巻物全集/月報17」昭和53年3月・16頁(397~412頁)
※ 第二十七巻「天狗草紙・是害房絵」
・「新修日本絵巻物全集/月報20」昭和53年9月・16頁(457~472頁)
※ 第二十回配本「天子摂関御影・公家列影図・中殿御会図・随身庭騎絵巻」
・「新修日本絵巻物全集/月報24」昭和54年6月・20頁(537~556頁)
※ 第二十四回配本「華厳五十五所絵巻・法華経絵巻・観音経絵巻・十二因縁絵巻」
・「新修日本絵巻物全集/月報25」昭和54年7月・20頁(557~576頁)
※ 第二十五回配本「伊勢新名所絵歌合・東北院職人歌合絵巻・鶴岡放生会職人歌合絵巻・三十二番職人歌合絵巻」
・「新修日本絵巻物全集/月報29」昭和55年4月・16頁(629~644頁)
※ 第二十九回配本「地蔵菩薩霊験記絵・矢田地蔵縁起・星光寺縁起絵」
・「新修日本絵巻物全集/月報30」昭和55年6月・16頁(645~660頁)
※ 第三十回配本「直幹申文絵巻・能恵法師絵詞・因幡堂縁起・頰焼阿弥陀縁起・不動利益縁起・譽田宗庿縁起」
・「新修日本絵巻物全集/別巻Ⅰ 在外篇月報」昭和55年11月・16頁(661~676頁)*1
※ 別巻Ⅰ・在外篇「弘法大師伝絵巻・融通念仏縁起絵・槻峯寺建立修行縁起」
・「新修日本絵巻物全集/別巻2 在外篇月報」昭和56年2月・16頁(677~692頁)
※ 別巻Ⅱ・在外篇
体裁は1頁(頁付なし)の右上に収録されている絵巻の図版、左上に毛筆の「絵巻」その下左に明朝体縦組みで小さく「題字 町 春 草」。下 1/3 が横組みの目次。最終頁の最後に「編集室より」として、「月報17」であれば最初に「 第二十七巻「天狗草紙・是害房絵」の巻をお届けいた/します。」とあります。どの巻の附録であるかはここで分かりますので、※にて註記して置きました。頁付は各冊ごとの頁付が下部小口側。下部ノド側に斜体で恐らく月報の通しの頁付が打ってあります。
32冊あるはずが何故か8冊だけだったのですが、しかし幸いにして、松谷氏の寄稿した「月報17」が含まれておりました。これがなければ何のために取寄せを頼んでわざわざ借りに出掛けたものだか、分からないところでした。
松谷みよ子「天狗さまざま」は2番め、3頁(399頁)下段~4頁(400頁)に掲載されております。末尾(4頁下段25行め)に下寄せで「(まつたに・みよこ 児童文学者)」とあります。それ以外には異同はなさそうです。ここでは紀州の天狗に関する箇所を抜いて置きましょう。まづ「新修日本絵巻物全集/月報17」3頁下段5行め~4頁上段22行め=『松谷みよ子全エッセイ2』198頁4行め~200頁1行め、前者の改行位置を「|」後者のそれを「/」で示しました。
なかでも面白かったのは和歌山で聞いた天狗話で、熊野の奥の栗|山の医者どのが本宮の庄屋/の集りに出掛けた帰り道のことだとい|う。こうもり傘をさして本宮と四村のあいだにある大峠/へさしかか|ると、傘の骨の上をぷいぷいぷいと渡るものがある。怪しい奴と刀|を抜いて斬りつ/けたが手応えがない。三回目にやっと手応えがあっ|てきっさき三寸に血のりがついていた。こ/れがなんと天狗で、「今|夜のわざもんにはかなわん、やられた」と叫んだという。すると空|の/果から「七十五なびき、つづこうか」と、友天狗の声がした。奈|良の大台ヶ原から請川の高山/まで七十五、山がある。その山をつな|ぐほど友天狗を連れて後に続こうかと、こう叫んだわけ/だ。すると|「なんぼ続いても今夜のわざものにはかなわん。きっさき三寸手前|に傷があって、/【198】そこを二回くぐりぬけて助かったが、三回目にやら|れたわ。いや見事、見事」というなり、天/狗の気配はふっと消え、|こうもり傘を手にとると、もはや軽かった。【3下】
ひと息ついた医者どのはかげ山のそばの水飲み場で刀の血のりを|洗ったが、以来医者どのの/親戚一族はその水飲場で水は飲まれん、|という。嘘ではない、ついこの間もいましめを破って/水を飲み、腹|痛を起こしたものがあるという。
この話では天狗はただ声と重みだけで姿は全くみせない。いやそ|の姿も、刀のきっさき三寸/の目にもみえぬような傷を二回くぐりぬ|けたというのだから、風のように自由自在なもののよ/うである。こ|とに面白かったのはこうもり傘と刀が共存していることで、明治の|はじめのこと/ででもあろうか。取りあわせも面白いし、プイプイプ|イという語り口が楽しくて一度聞いただ/けなのに、今に心に残って|いる。このほかにも和歌山には天狗話が多く、大晦日の夜、ある若/|者が古座の銀行へいってのかえり道だったが、山道を提灯つけて、|てんてん、てんてん越えて/きた。すると連れの爺さまが「ここは|天狗さんのいる山やから提灯消していこ」という。若い/もんのこと|だから鼻でわらって、「なに、天狗さんらあるものか」と歩きだし|たとたん、すさ/まじい風と共に天狗さんが襲うてきた。提灯もふっ|とんで真暗闇になった。爺さまはそれきた/と若者の手をつかんで道|のはたにじっと伏せていた。やがて静かになったのでおそるおそる|起/き上ると、わっはっはっは、その笑い声にすさまじさ、漆のよう|に暗い真夜中の山から山をゆ/るがせて、天狗笑いが鳴りひびいたと|いう。【199】
三河の花祭りで聞いた天狗話*2は、‥‥
『現代民話考Ⅰ 河童・天狗・神かくし』の「天狗考」の冒頭部の原型とも云うべき文章で「ぷいぷいぷい」と「天狗笑い」の話を詳しく紹介しておりますが、やはり「天狗考」や『現代民話考』の本文とは出入りがあります。
そして三河の天狗話を紹介して「新修日本絵巻物全集/月報17」4頁下段9~12行め=『松谷みよ子全エッセイ2』200頁10~12行め、
和歌山でも三河でも私の聞いた天狗話で共通しているのは、天狗|の存在が遠い昔のことでは/なく、ついさきごろの話である点であ|る。だからその話の背景に、こうもり傘や銀行が登場し、/私はこの|眼で確かに山やまに点る火をみたということになる。
この頃「民話の手帖」に「現代民話考」の連載を始めた松谷氏は、やがて「天狗」も取り上げることになります。それは別に検討することとしましょう。
なお、松谷氏と角川書店の関係ですが、今は伊藤英治 編『松谷みよ子の本 別巻 松谷みよ子研究資料』の松谷みよ子「松谷みよ子年譜」から抜いて置きましょう。543頁下段15行め~545頁上段3行め「一九七一(昭和46)年 四十五歳」の544頁下段11~13行め、
‥‥。/十二月に入って角川春樹氏が清水真弓(後の辺見じゅ/んさん)と来訪。『日本の民話』十二巻出版の依頼があり、/療養中の瀬川と共著で出すことにして引き受ける。
角川氏との関係はその後も長く続き「松谷みよ子公式ホームページ」に拠ると2014年2月15日の「松谷みよ子の米寿を祝う会」に花を贈っております。(以下続稿)
【6月12日追記】『松谷みよ子全エッセイ2』にはもう1篇、紀州の「ぷいぷいぷい」と「天狗笑い」に触れた文章があったのを見落としていました。ここに追加して置きましょう。284~287頁「神かくし」、末尾287頁9行めに(一九七九・八「サンデー毎日」)とありますが『松谷みよ子の本』別巻の「松谷みよ子全著作目録」を見るに、352頁上段1~2行め「随筆「明治以後の天狗と神かくし」=「サンデー毎日」一九/ 七九年九月九日号 毎日新聞社」とあって、週刊誌なのですから発売月までしか示さないのは少々困ります。
冒頭、284頁2~6行め、
先日NHKの西口玄関を出たら局の人が、このあたりで二・二六事件の将校が処刑されたの/で、泊りこみの夜、うなされたりすると話してくれた。あ、メモしておかなくてはと思った。/いずれ放送局の現代の民話も集めたい。
放送局が出てくると、いかにも現代らしくていいのだが、『民話の手帖』四号では明治以降/の天狗と神かしくを採りあげてみた。さてあるだろうかと思ったが実に多い。‥‥
「神かしく」はママ。以下、直接聞いた話やアンケートの報告を挙げて行きますが一々の詳細は『現代民話考Ⅰ 河童・天狗・神かくし』を検討する際に対照させて見ることとしましょう。ここでは既に触れている、285頁8~12行め、
‥‥。愛知では天狗さんと山/で花祭りの花を舞い、大力をもった人の孫が健在である。和歌山ではこうもり傘の上をぷいぷ/いと渡り、刀のきっ先三寸の目にみえぬ傷をくぐりぬけ、三度目に斬られた。こうもり傘と刀/が共存していたころのおかしさ。古座から銀行の帰り、天狗らあるものかと馬鹿にしたとたん/提灯の火をとられ、山々をゆるがして天狗笑いがひびいたという。‥‥
のみ、抜いて置きます。