瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(50)

 前回は登場する警察署や小學校に現存しないものがあるため、その確認に費やしたのでしたが、再び、昭和14年(1939)2月27日(月曜日)の夕刊を眺めて置きましょう。
 「都新聞」昭和十四年二月廿八日(火曜日)付、第一万八千四百卅七號の「夕刊*1」、すなわち(一)面の上欄外に「(頁四刊夕日七廿)」とあって27日の午後の新聞、その(二)*2、9段まで記事で以下は広告、その7段めに写真、その下の8〜9段目に記事、見出しは2段抜きで「赤マントハ嘘デスコワイ小父さんとコドモの座談會」とあります。年齢の漢数字は小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。1字下げの箇所は行間が詰まっていてルビがありません。

亂れ飛ぶ“赤マント”の恐怖に廿/七日午後一時から言問署二階講堂/でお巡りさんと小學兒童の懇談會/が開かれた*3
 警察側から神山署長以下刑事さ/ ん達十名、學校側からは小梅小/
 學校六年生小林勝君(一四)齋藤吟/ 子(一四)さんら級長が代表として/
 管内の言問、牛島、業平の各校の/ 十五名に付添の先生が四名、こ/
 れは全市に魁けて言問署が放つ/「民衆警察」の第一聲
だが初めての試みだけに兒童達は/コワ%\と椅子について固くなつ/たきり、署長さんもこれには手を/【8段め】燒いてミカンやらせんべいやらサ/ーヴイス宜しくの後いよ/\議事/に入つた*4
 先づ署長さんの挨拶に始まつて/ “赤マント”の流言撲滅、遊戯/
 善導等々が相談され兒童側から/ 小梅小學校淺野訓導が代辯して/
 校外指導に警察側の協力を求め/ る等を提議、あらゆる提案が滿/
 場一致で可愛いもみぢの手と太/ い手の拍手裡に可決され同三時/
 やゝ打ちとけて閉會となつた
 (寫眞は座談會)


 写真は全体に暗くてマイクロフィルムでははっきりしませんが、白いテーブル掛けの掛かった机を型に並べ、10人ほどが写っていますが、うち1人、警察側の人物の発言中のようです。
 さて、12月8日付(48)に紹介した同日夕刊の「報知新聞」では警察側の「わかりやす」い「説明」に「児童のざっくばらんの質問」で「晴れ晴れと」散会したという風になっていましたが、「都新聞」では児童は「コワゴワと椅子について固くなったきり」で、蜜柑等はその懐柔のために持ち出したというのです。そして「児童側」から「ざっくばらんの質問」等もなかったようで「小梅小」の訓導が「代弁して‥‥提議」しているのでした。「報知新聞」と*5比較してみると、最後の「やや打ちとけて」が利いているように思えます。
 12月3日付(43)に引いた、警察の対応の拙劣さを難じる投書の掲載などを見ても、当時の「都新聞」はなかなか辛辣な論調を保持しているように見えます。
 ちなみに小梅小六年生の級長の年齢が(一四)になっているのは勿論数えで、満12歳の大正15年(1926)生です*6。(以下続稿)

*1:角書。

*2:「C」とあり。

*3:ルビ「みだ・と・あか・きようふ/ご・こととひしよ・かいかうだう/がくじどう・こんだんくわい/ひら」。

*4:ルビ「はじ・こゝろ・じどうたち/い・かた/しよ/や/よろ・ぎ/」。

*5:2017年6月9日追記】1字削除。

*6:昭和元年の可能性もありますが、いづれにせよ1926年生です。