瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(60)

 12月18日付(58)昭和11年(1936)の流言に昭和8年(1933)生の種村氏の回想を絡めるのはアナクロニズムではないか、と突っ込んだのでしたが、思えば蘆原将軍だって昭和12年(1937)2月2日、赤マント流行の2年前に死んでいるので、まだ満4歳にならなかった種村氏が「当時はもう松沢病院に移っていた」と回想するのは、やっぱりおかしいのです。種村氏は、何歳のつもりだったのでしょうか。やはり、幼少時の記憶には混乱がある。後年附加されたイメージに拠る記憶の書換えや、逆に脱落がある。――そんな風に捉えて置くべきでしょう。わざとこんな風に書いたのかも知れませんが。大体、大人になってからの出来事の回想であっても、本人の日記や立ち会っていた人物の証言と食い違う等といったことも良くあるくらいなのですから。
 ですから、なるべく早い時期の記録を数多く集め、そして回想も出来るだけ多くを並べて、常に相対化しつつ検討を進めないといけないのです。誰かの回想を絶対化して他を律する尺度に用いては、そもそも判断の難しい場面にあって、誤りに誤りを重ねるだけになりかねません。

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 さて、昨日紹介した本についてですが、探偵長カラサワ(唐沢俊一)が少年探偵スバル(佐藤歩)を助手に「東京のスコ〜し怖い話のあるスポットを探偵して回る」という趣向になっております。唐沢俊一(1958.5.22生)の著述についてはkensyouhan「唐沢俊一検証blog」に取り上げられていて、本書についても連載時からチェックされています。平成22年(2010)の月刊誌「ラジオライフ」1月号から12月号までの1年間全12回連載された「唐沢俊一のトンデモ都市伝説探偵団」を増補したもので、2011-05-07「共感してください?」に、初出誌連載時の「唐沢俊一検証blog」等での検証の目録が示されています。5月号掲載の「伝説その5 浅草、阿部定、赤マント…のつながり」は、2010-03-26「深草ならしょうしょうの違い。」で検討されております。
 私は初出誌を見ていないのですが、問題の箇所は「唐沢俊一検証blog」に引用されています。次に引く、単行本127〜132頁「スコ怖スポット!!16 浅草 その1」の末尾(131頁右5〜26行め)とは、少し異同があります。単行本化に当たって修正したのでしょう。

「いや、お前は別として当時の子供た/ちもやはり阿部定事件には得体の知れ/ない不気味さを感じていたようだぞ。/有名な都市伝説の“赤マント”っての/があるだろう」
「ああ、学校のトイレに現れて“赤い/マントはいらないか”と訊いて、い/るって答えるとナイフで背中を/刺されて、噴き出る血で赤いマ/ントを羽織ったみたいになると/いう、怖い都市伝説型怪談ですね」
「その都市伝説が流布しはじめたのが/昭和11年、まさに阿部定事件の直後/なのだな。あの事件は日本中の噂に/なって大人たちがしょっちゅう話して/いたから、それを耳にした子供たち/が、よくわからないながら自分たちの/イメージで、トイレの赤マントの都市/伝説を作り上げたのかもしれないなあ」
「わー、お汁粉屋さんでトイレ借りよ/うと思ってたのに、怖くて入れなくな/るー!」


 この説明については、コメント欄でも議論になっているのですが、コメント欄まで追い掛けるのは止めて、差し当たりkensyouhan氏が引用の直後に附している評を見て置きましょう。

 よくわからないのは、「トイレの赤マント」と阿部定事件には「同じ年に発生した」ことしか共通点がないのに、どうして阿部定事件がもとになったと断定できるのか、ということだ。それを言うなら、やはり同じ年に起こった2・26事件の方が子供たちに影響を与えていそうなものだ。それから、「トイレの赤マント」以前に、「赤マント」と呼ばれる怪人が子供をさらって殺すという都市伝説があったらしいのに、それをスルーしているのもヘン。…この探偵団の推理能力に不安を持たざるを得ない。


 「トイレの赤マント」と「赤マントの怪人」の先後ですが、北川氏や小沢信男「わたしの赤マント」のように、当初から便所に出没していたらしき証言もあり、最終的にトイレで生き残った(?)のでしたが、どちらが先と断言する自信は今のところ私にはありません。いづれにせよ赤マントの流言は昭和11年(1936)ではないので、阿部定二・二六事件も、直接の関係はないでしょう。引用からも分かるように、浅草関連の話のついでに持ち出されたので、もちろん浅草に赤マントとの関係の深さを窺わせる観光スポットがあるとかいう訳では全くありません。それから流行時期を「阿部定事件の直後」としているのは、八本氏と同じ典拠を見ていた可能性もありますが、八本氏の論考が中相作のサイト「名張人外鏡」の「乱歩百物語」に第二十六話として再録掲載されたのが平成16年(2004)4月19日であったところからすると、唐沢氏の依拠したのはこの八本氏の記述なのではないでしょうか。もちろん八本氏は阿部定のイメージが赤マントを作り上げた、などとは言っておりません。(以下続稿)